旧制第一高等学校寮歌解説
嵐を孕み風を呼ぶ |
明治40年第17回紀念祭寮歌 朶寮
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1、嵐を孕み風を呼ぶ 陰雲低くむらだちて 暗のみまさる人の世を 悼むか清き星一つ 自治の園生に雫して 光り玉しく露みちぬ 2、露に閃く柏葉を 罩むる霞や橄欖の 暗にもしるき花ころも 皈りて此年十七の 春をむかふが岡の上 今宵うたげのとよみ湧く |
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昭和10年寮歌集で、タイが1箇所(「ひくくー」(1段3小節7・8音))が現譜に付いたほかは、譜に変更はない。 |
語句の説明・解釈
明治39年10月、新渡戸稲造が新校長に就任。一高寄宿寮の伝統である籠城主義を否定するソシアリリティーの思想を向陵に吹き込んだ。ために運動部を中心に反発を買い、賛否両論が巻き起こり向陵に大波紋を起こした。 この年の寮歌は6曲(他に寄贈歌3曲)、名歌「仇浪騒ぐを」をはじめ、すべての曲の歌詞に「月」を詠む。新渡戸校長がわが処世訓と述べた「見る人の心ごころにまかせ置きて高嶺に澄める秋の夜の月」の歌詞の影響であろう。同時に「自覺」の語も多く見られる。これも校風問題や新渡戸校長の説くソシアリティーの影響である。 この頃から、一高寮歌は「嗚呼玉杯に」に代表される「護国調」の寮歌から、「仇浪騒ぐ」に代表される寮生の「友情」を歌うものへとその内容を変化させていく。 「空の波」、「靈のいぶき」と象徴的語句が使用され、正確に理解し解釈することは難しい。敢えて解釈を試みるが、他の寮歌同様に正解は期し難い。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
嵐を孕み風を呼ぶ 陰雲低くむらだちて 暗のみまさる人の世を 悼むか清き星一つ 自治の園生に雫して 光り玉しく露みちぬ | 1番歌詞 | 今にも嵐が来て大風が吹きそうに雲が空を暗くおおって低く群っている。闇が勝る、すなわち正義が通らない人の世を、ひとつの清い星が強く悲しんで、向ヶ丘を照らしたので、向ヶ丘は玉を敷いたように光り輝いて露が満ちている。 「嵐を孕み風を呼ぶ」 校風問題で大荒れする一高寄宿寮。明治38年10が28日、魚住影雄が、「個人主義の見地に立ちて方今の校風問題を解決し進んで皆寄宿制度の廃止に論及す」を発表して、寄宿寮内に大波乱を起こした。同年1月25日には魚住論文の波紋を静めるため、第一大教場・倫理講堂で「校風問題演説会」を開いた。賛否はほぼ半ばしたという。 晩翠『雲の歌』 「あらしを孕み風を帯び 光を掩ふてかけり行く」(森下東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 「暗のみまさる人の世を」 「のみ」は、強調の助動詞。闇が勝る人の世。正義の通らない人の世。 「悼むか清き星一つ 自治の園生に雫して」 校風問題で大荒れしている一高に、新渡戸稲造校長がソシアリティーを引っさげて登場したことをいうと解す。「悼む」は、強く悲しんで。「自治の園生」は、自治寮のある草木の園。向ヶ丘。「雫」は星の光。後にこの星は月であることがわかる。 「光り玉しく露みちぬ」 「光」は正義。「玉しく」は玉を敷き詰めた庭のように美しい。俗塵を絶って、清く正しく籠城する向ヶ丘を美化して形容したもの。 |
露に閃く柏葉を 罩むる霞や橄欖の 暗にもしるき花ころも 皈りて此年十七の 春をむかふが岡の上 今宵うたげのとよみ湧く | 2番歌詞 | 露に柏葉の影が写ってきらめき、花衣を纏ったように満開の橄欖が、向ヶ丘に立ちこめる霞の中に、はっきりと浮ぶ。今年もまた春がかえって来て、17回目の開寮記念日を迎える。今宵、向ヶ丘は紀念祭の祝いの宴で、喜びの声が響き渡る。 「露に閃く柏葉を 罩むる霞や橄欖の 暗にもしるき花ころも」 「柏葉」は武の、「橄欖」は文・知恵の一高の象徴。17年の歴史を積む間に、自治の礎は固まり、よき伝統が築かれ、一高精神が満ち満ちている状態をいう。 「みどりしたゝる柏葉は 岸にしげりて橄欖の實は美しう星のごと」(明治39年「太平洋の」1番) 「皈りて此年十七の」 また春がかえってきて、今年、開寮17周年の。 |
あゝ曇りなき來し方の 姿を凝らす太刀の冴 かざして空にうそぶけば 響は遠く天上の 靈のいぶきを誘ひて 高き黙示を返す哉 | 3番歌詞 | 一高寄宿寮の歴史は研ぎ澄まされた切れ味の鋭い太刀のように一点の曇りもない。心の太刀をかざして、空に向かって寮歌を高誦すれば、歌声は天に届いて、霊妙な光を誘って、崇高な黙示を返してくる。 「太刀の冴 研ぎ澄まされた切れ味の鋭い太刀。尚武の心をいう。いかに明治の時代とはいえ、一高生が太刀を振り回すことはない。 「かざして空にうそぶけば」 「かざす」は、手に持って掲げる。「うそぶく」は、吟誦する。ほえる。ここでは寮歌を高誦する。 「黙示」 (神が人に)人間の力では知り得ないような事をさとし示すこと。寮歌では多く星の黙示を受ける。 「天上の靈のいぶき」 天上の靈妙な光。 |
今渾沌の雲間より 吐かれて出でし月影を 涵す無象の空の波 無窮のほまれほの見せて 大和島根に寄せ來れば 祖國望みの夢に醉ふ | 4番歌詞 | 入り重なった雲の間から月の光が漏れてきた。空には目に見えない波があって、月の光を浸している。つまりは月を夜空に浮かべている。月が放つ光は、この空の波に乗って、既に、日本の向ヶ丘に届いている。一高寄宿寮は、限りない名声をわずかに見せて、自治の光を放つ。国民は、一高の自治の光に大きな期待を寄せている。 「今渾沌の雲間より 吐かれて出でし月影を 涵す無象の空の波」 1番歌詞「清き星」、すなわち校風問題で大混乱している一高にソシアリティー思想を引っさげて新渡戸校長が就任したこと。 入り重なった雲の間から月の光が漏れ、月は夜空に輝いた。空には目に見えない波があって、月を浸している表現。「月」は、1番歌詞の「清き星」であり、新渡戸稲造校長を暗示する。「光」は、3番歌詞の「高き黙示」であり、新渡戸稲造校長の説くソシアリティーであると解す。「波」は月の光を浸す(浮かべる)とともに、その光を乗せて向ヶ丘に届ける。「無象の」は、目に見えないと訳した。 新渡戸校長が愛好した引用歌詞 折々は濁るも水の習ひとぞ思ひ流して月は澄むらむ 見る人の心ごころにまかせ置きて高嶺に澄める秋の夜の月 校長直筆の後者の歌の額は、一高の廃絶に至るまで食堂に掲げられていた。 「大和島根に寄せ來れば 祖國望みの夢に醉ふ」 月の光(3番歌詞の「高き黙示」)が空の波に乗って、既に向ヶ丘に届いているので(1番歌詞「清き星一つ 自治の園生に雫して」)、国民は向ヶ丘に大いに期待している。「大和島根」は日本国の別称。「寄せ來れば」は、「来」の已然形。既に寄せてきているので。既に届いているので。 「自治の光は常暗の 國を照せる北斗星 大和島根の人々の 心の梶を定むなり」(明治34年「春爛漫の」6番) |
望みは溢れ血は燃ゆる 胸の小琴を限りなき 靈のいぶきに震はして 黙示を糸にうつす時 波も嵐も聲たかく 自覺の曲を歌ふ也 |
5番歌詞 | 空の波が霊妙なる光を乗せて向ヶ丘に届く時、胸は限りなく高鳴って、望は溢れて血は燃える。光から黙示をわななきながら受ける時、黙示を天上から運んできた波も、陰雲が孕んでいた嵐も、ともに理想の自治を目指そうと寮歌を高誦するのである。 「靈のいぶき」 3番歌詞「天上の靈のいぶき」に同じ。黙示を秘めた月の光。 「黙示を糸にうつす」 「糸」は琴線。心の奥に秘められた、感動し共鳴する微妙な心情をいう。 「嵐」 1番歌詞の陰雲が孕む嵐。新渡戸校長のソシアリティーに反発する運動部等の守旧派。籠城主義。 「自覺の曲を歌ふ也」 「自覺の曲」は、理想の自治を目指そうと寮生が共に自覚する寮歌。個人主義の抬頭、新渡戸校長のソシアリティーの影響か、この頃から「自覚」「自由」の語が寮歌に登場する。「自覚」とは、一般的に自己の置かれた立場、役割、使命等を認識することであるが、参考までに魚住影雄の主張する個人主義の一端を向陵誌の記事により紹介する。 「我を知りて人を知り社會を知り團體を知る。自己より外界に向ふはこれ個人主義の取る道なり。既に自己を知る人は人を知ることなり。故に我の結論はmanの結論なり。こゝに自信定まり活動生ず、個人主義の道德は道德夫自身にして権威なからざるべからず。社會、國家、父母、教會等の名を借りるものは未だし」(「向陵誌」辯論部史ー『校友会雑誌』第142号魚住影雄論文抜粋) |
見よ東海の波の上に 凝りて華さく星の精 射るや銀矢の末遠く 時永劫の色見せて 光はたとはにうら若き 理想の夢をのせて行く | 6番歌詞 | 見よ、東海の波の上の日本に、星の精が凝って向ヶ丘に花開いた一高寄宿寮を。寄宿寮は、銀の矢を射った先の末遠く、未来永劫、栄え行く。星の黙示は永遠に不滅で、理想の夢を向ヶ丘に送り続け、一高寄宿寮は、その黙示により理想の自治を目指して永久に進む。 「東海の波の上」 日本。 「凝りて華さく星の精」 一高寄宿寮。星の精が凝って東海の我が国に花開いた。 「光はたとはに」 光は永遠に。「光」は、大正14年寮歌集で「波」に変更された。 |