旧制第一高等学校寮歌解説

紫金の彩羽

明治40年第17回紀念祭寮歌 西寮

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1、紫金(しこん)彩羽(あやは)美はしき    春の光に咲きいでし
  若木のさくら十七の     歴史の影は長くして
  深き霞に限れども      思出多き我身かな。

2、根さし漸く地にかたく     紅緯の(ころも)まとへども
  十歳(とヽせ)の昔つちかひし     慈悲の御親(みおや)や今なくて
  健兒の名のみ徒に      昔語りを傳ふかな。

3、ああ跡ふりぬ水逝きぬ   春は流れぬ武香陵
  霞に消えし越し方の     歴史の影ぞ慕はるヽ
  甞て凝りにし銀霜の     降魔の劍君見ずや。


*各番最後の句点は、大正14年寮歌集で除去。
現譜にはタイやスラーが6箇所使用されているが、その他は譜に変更はない(昭和10年寮歌集)。


語句の説明・解釈

 明治39年7月5日、狩野亨吉校長は、京都帝國大學文科大学長に転じた。狩野校長送別歌ともいうべき寮歌である。翌年の東大寄贈歌「としはや已に」4番で「舊きみやこはなつかしき をしへの君のますところ」の「をしへの君」は、この狩野校長である。寡黙・不言実行型で東洋的大人の風格を有した狩野校長は、個人的に朶寮を寄付するなど、寮生活への思い入れも深く、寮生から慕われ、人望も厚かった。
 次の(実際は次々)新渡戸校長は、運動部への関心が薄く、新任早々、籠城主義に批判的なソシアリティーを鼓吹したために、自治共同を守旧する運動部員の反感を買った。それだけに、狩野前校長への思慕の心、昔を懐かしむ情がますます強くなり、この「紫金の彩羽」や「としはや已に」の寮歌を生んだといえる。

語句 箇所 説明・解釈
紫金(しこん)彩羽(あやは)美はしき 春の光に咲きいでし 若木のさくら十七の 歴史の影は長くして 深き霞に限れども 思出多き我身かな。 1番歌詞 春の光を受けて咲き出でた桜の花びらは、紫金の美しい羽のようにきらきらと光って美しい。桜の若木、すなわち一高寄宿寮は、今年、開寮17周年を迎えた。歴史は長くなって、深い霞の彼方に去ったものもあるが、一高生にとって思い出す縁となるものが多く残っている。

「紫金の彩羽」
 紫金とは「紫磨金」(しまごん)のことで、紫色がかった純粋の金。彩羽は美しい羽のことだが、ここでは春の光に輝く櫻花で、一高生を暗示する。

「若木の櫻十七の」
 若木の櫻は一高寄宿寮、十七は開寮17周年のこと。

「深き霞に限れども」
 深い霞の彼方へ去ったが。「限る」は、続いていく時間・空間がそこを最後として断絶する意。3番歌詞で「霞に消えし越し方の 歴史の影ぞ慕はるヽ」と「消えし」という。

「思出多き我身かな」
 「思出」は、思い出す(よすが)となるもの。
根さし漸く地にかたく 紅緯の(ころも)まとへども 十歳(とヽせ)の昔つちかひし 慈悲の御親(みおや)や今なくて 健兒の名のみ徒に 昔語りを傳ふかな。 2番歌詞 一高寄宿寮は、今やようやく自治の礎が固まり、若木の桜のように美しく開花しているが、それは10年近く一高校長として親のように一高生を慈しみ育んでくれた狩野亨吉校長のお蔭である。その校長は、京都に去って、今は一高にいない。後任の新渡戸稲造校長は、ソシアリティーを説き、勤儉尚武・籠城主義の一高伝統を古く弊害あるものとして否定しかねない様子だ。そのため我々生徒だけで、むなしく一高の伝統を守ろうとしている。

「紅緯の衣」
 紅衣。満開の萬朶の桜の様をいう。一高寄宿寮も今はようやく自治の礎が固まり、満開の若木の桜のように美しい姿。

「慈悲の御親や今なくて」
 「御親」は、狩野亨吉前校長のこと。
 明治39年6月8日、京都帝國大學文科大学初代学長に内定した狩野亨吉校長、同教授に内定した桑木厳翼、松本文三郎両教授の送別会を嚶鳴堂で、送別晩餐会を食堂で開く。
 狩野亨吉校長は明治31年11月から39年7月まで一高校長。朶寮は狩野校長個人の寄付による。温顔寡言、東洋的長者の風格をもって無為にして化すといった態度で生徒に臨み、一千健兒を心服させ、名校長の譽が高かった。これに対し、後任の新渡戸校長は、欧米の新風を背負い、籠城主義を揺さぶるソシアリティーをひっさげて颯爽と現れた。文芸部・弁論部などの文化活動を偏愛し、運動部には関心が薄かった(「一高自治寮60年史」)。ために運動部等守旧派の反感を買い、これらの生徒の間に、狩野前校長への追慕が増していった。

「昔語り」
 思い出話。昔の話。勤儉尚武・籠城主義の一高伝統。
ああ跡ふりぬ水逝きぬ  春は流れぬ武香陵 霞に消えし越し方の 歴史の影ぞ慕はるヽ 甞て凝りにし銀霜の 降魔の劍君見ずや。 3番歌詞 一高の栄光の業績は過去のものとなり、再び元に戻らない。向ヶ丘の春は過ぎ去ってしまった。霞の彼方に消えてしまった過去の栄光の歴史の跡が懐かしい。かって隅田川に連続して六度高商を破った端艇部、14年の間、覇者として君臨した野球部の天下に一高ありと誇ったありし日の、銀霜のように光る切れ味鋭い刀で刃向う敵を鎧の袖の一触れに、ものの見事に降伏させた姿を君は知っているか。


「ああ跡ふりぬ水逝きぬ」
 晩翠「万里長城の歌」 「嗚呼跡ふりぬ、人去りぬ、歳は流れぬ」(森下東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)の詩を踏まえる。「跡」は野球部や端艇部の輝かしい過去の業績。「水逝きぬ」は、流れ去る川の水のことで、一度去って再び戻らないものの喩え。

「春は流れぬ武香陵」
 向ヶ丘の春は過ぎ去ってしまった。「流れぬ」は、時が過ぎ去った。「ぬ」は完了の助動詞。「武香陵」は、向ヶ丘の美称。

「霞に消えし越し方の 歴史の影ぞ慕わるゝ」
 狩野校長時代の一高の輝かしい歴史一般を賛美するもの。その中には、今は早稲田・慶応に敗れ、覇権を失った野球部の過去の輝かしい歴史も当然に含まれる。
 「隅田川原の勝歌や 南の濱の鬨の聲 大津の浦にものゝふが 夢破りけん語り草 かへりみすれば幾歳の 歴史は榮を語るかな」(明治36年「彌生が岡に地を占めて」2番)

「甞て凝りにし銀霜の」
 銀のような霜が刃先に凝集した、白く光る鋭い刀。

「降魔の劍」
 不動明王などが持つ、悪鬼・魔物を降伏する鋭い剣。
瑤姿(えうし)花影(くはえゐ)月の夜に 精炎光今ありや ああ光榮と咲き出でし 若木の櫻名のみにて 今宵静けく春の夜を (やみ)に散るべき身ならむか。 4番歌詞 玉のように美しい桜花も月の光では薄暗く、明るい炎に燦然と光り輝く美しさはない。勤儉尚武や籠城主義の一高の長年の伝統を否定する新渡戸新校長の下では、花は桜木、人は武士と天下に誇る一高寄宿寮の一高生も名ばかりである。今宵、春の夜の闇の中に静かに散る桜に重ね合わせ、我が身を歎く。

「瑤姿の花影月の夜に 精炎光今ありや」
 玉のように連なって美しい桜の花も月夜の薄暗い光では、明るい炎に燦然として光り輝く美しさがあるだとうか。「瑤」は美しい玉のこと。「瑤姿の花影」を寮生、「若木」は寄宿寮(1番歌詞「若木のさくら十七の」から)、「月の光」を新渡戸校長の説くソシアリティーとすれば、この句はつぎのように解することが出来る。
 「新渡戸新校長は、一高自治寮の真髄である籠城主義を否定しソシアリティーを説く。そういう校長の下では、今や、花の一高生も真に光輝くことは出来ない」と痛烈に批判し、このままでは「暗に散るべき身ならむか」と嘆く。
珠簾をめぐる春の()に 映華(はえ)の歴史をかへり見て 空しく醉はむ我ならじ 櫻花影(はなかげ)美はしき 春のあかとき中分(なかわ)けて 起てよ一千名に負はば。 5番歌詞 玉簾のように美しく咲いた萬朶の桜の周りの花の香を嗅ぎ、かっての一高野球部の栄光の歴史に浸って、ただ空しく帰らぬ過去に酔っている自分ではない。桜の花影が美しい春の夜明けの空に向って、健兒一千、天下に名高い一高の名において、王座奪還を目指して起ちあがれ、と叫ぶのである。

「珠簾」
 珠箔。珠で飾ったすだれ。美しいすだれ。美しくこぼれんばかりに咲いた桜の花のことをいっている。珠簾の「珠」は、野球の「球」に通ず。

「花の香」
 「香」は匂いと色美しく(特に赤く)の両方の意がある。「めぐる」「醉う」とあるので、匂い(香)とした。

映華(はえ)の歴史をかへり見て」
 3番歌詞の「霞に消えし越し方の歴史の影ぞ慕わるゝ」に同じ。「映華」は昭和10年寮歌集で「榮華」に変更。

「あかとき中分けて」
 「あかとき」は、「あかつき」の古形で、夜が明けようとしてまだ暗いうち。夜を中心とした時間の区分で、ユウベーヨヒーヨナカーアカツキーアシタのアカツキ。まだ薄暗いうちから猛練習に励めとの意もあるか。「中」はものを3つに分け、その両端でない中間にあたるところで、時間的には、その途中、最中。「中分けて」を暁の空に向かって叫ぶと意訳補充した。

「起てよ一千名に負はば」
 かって光り輝いた一高の栄光を再び取り戻せとの意。ここに栄光とは、明治37年、早稲田・慶應に敗れるまで、14年間死守してきた野球部の王座奪還である。明治39年5月に早稲田・慶応に挑んだが、ともに返り討ちにあった。王座奪還を諦めずに、全寮生挙げて、天下の一高の名において打倒早稲田・慶應を目指し、奮励努力しようとの檄。また、籠城主義を否定して一高の自治の根幹を壊そうとする新渡戸校長弾劾の檄ともとれる。「名に負ふ」は、名として持つ。名高いの意。
 伊勢 「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」
                        


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