旧制第一高等学校寮歌解説

花の香むせぶ

明治39年第16回紀念祭寄贈歌 京大

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1、花の香むせぶ城の春    うばら枳かき分けて
  萠出し草の一もとよ      彊めて不息(やまぬ)心根の
  根ざしも殊に深ければ    武夫の
  蹈みてたどらん        道は閉さじ

2、加茂の川原に枯果し     水源(みなもと)遠くさかのぼり
  湧きし泉の一しづく       くむべき宿の呼水の
  筧も殊に清ければ       理想(のぞみ)ある
  未來水飲(すへみつか)はん         流れは絶たじ

4、武陵の春知らねとも      洛陽城に日は()けて
  覺めし(おもひ)の正義の()     もとは理想の(りそう)花のかげ
  「クロバー」 しげる廣庭に  いざさらは
  永遠(とは)光榮(はへ)あれ        母校の健兒
*「武陵の春」は昭和10年寮歌集で「武陵の春は」に変更。
*「クロバー」の「 」は昭和10年寮歌集で除去された。
①原譜は調とだけあって指定はないので、左欄譜はハ長調とした。

②5段4小節3・4分音符は、原譜の数字譜下線が欠落とみなし、平成16年寮歌集添付の原譜と同じ8分音符に訂正した。
③4段4小節の歌詞「こころね」の「ね」の位置は、原譜のとおり「ミーレ」の間とした。
④5段4小節の歌詞ふ「か けれ」ばの「ソ」音の下の空白も原譜のとおりである。 
    (以上、弱起の小節も小節数にカウント
拍子は変わらず4分の3拍子。調は大正10年、大正14年寮歌集では不記載であったが、昭和10年寮歌集でハ長調と明示。譜の変更は、昭和10年寮歌集で、概要、以下のとおり。*小節数は弱起の小節もカウント。

1、「とーもと」(3段4小節) 「ラーソミード」を「ラーーソミド」(ラーーソに新たにスラー)に変更。
2、「ころ ね 」(4段4小節) 「レーレミーレ」を「レーーレミレ」に変更。
3、「ののふー」(6段2小節) 「ラーララーソ」を「ラーーララソ」に変更。

音楽的には、非常によく出来た曲なのだろうが、346曲の譜のある一高寮歌中で、一番歌うのに苦労した思い出の寮歌である。マスターすれば、今はなんでもない歌であるが、最後の6・7段が素人の私には難しかった(楽譜下に歌詞のない2番以下)。


語句の説明・解釈

明治38年「武香が岡に」に続き、「太平洋の」とともに3拍子の寮歌(現寮歌集では明治38年「平沙の北に」も3拍子となっているが、もともとの原譜は、4分の4拍子である)。前年寮歌「太平洋の」と同じく、不完全小節から始まる弱起(アウフタクト)の曲で、各段とも最初と最後の小節を不完全小節表示とし、歌詞各行の語句にあわせている。昭和10年以降、6段表示の楽譜となっているが、原譜7段表示の方が詞・曲両方の構成に合っている。東京大學寄贈歌「春は櫻花咲く」同様、強弱・速度記号等を駆使していることからしても、上野の音楽学校に通学するなど音楽的素養のある者が作曲にあたったのだろう。歌詞のみならず曲においても、一高寮歌の水準の高さを示す。ただし、素人には歌い難い。寮歌としては、あまり歌われなかったのではないか。

 「巧緻に過ぎて言わんとする意味が曖昧な箇所がある」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)ので、下の解説も十分解き明かしたとはいえない。賢明なる先輩諸兄には、特に3番の「あげし男のかちどきは」の箇所の解釈についてご意見を賜りたい。

語句 箇所 説明・解釈
花の香むせぶ城の春 うばら枳かき分けて 萠出し草の一もとよ 彊めて不息(やまぬ)心根の 根ざしも殊に深ければ 武夫の 蹈みてたどらん 道は閉さじ 1番歌詞 冶容(やよう)の花の香に呼吸を詰まらせる京都の春。イバラや枳殻の障害物をかき分けて、芽吹いた一本の草よ。これぞ自分が一高で学んだ求めて止まない誠の心、尚武の心である。その心の根が深いので、この芽吹いた草を大切に育てながら、すなわち息の詰まるような汚れた京都においても、誠の心、尚武の心を決して閉ざすことなく、武士の道を進んで行く。

「花の香むせぶ」
 「花の香」は冶容の俗。「むせぶ」は烟などで喉や胸をつまらせること。

「城の春」
 平城京の春。進学先の京都の春。

「うばら枳」
 「うばら」は、いばら、「(カラタチ)」は、ミカン科の落葉低木、きこく(枳殻)。ともに棘があり、障害物の喩に使われる。ただし、花(野いばらは初夏、カラタチは春)はともに五弁の白い花で可憐。

「疆めて不息ぬ」
 不断の努力をもって。「疆」は、「自彊」(自ら努めて励むこと)の彊と解す。
 易経乾卦 「天行健、君子以自彊不息」
 「境をはっきりと正し、『萌出し草』をやすまず育てていくの意。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 
「根ざしも殊に深ければ」
 全寮寮歌4番「自ら治むる心根の 草の根ざしの深ければ」を受ける。
加茂の川原に枯果し 水源(みなもと)遠くさかのぼり 湧きし泉の一しづく くむべき宿の呼水の 筧も殊に清ければ  理想(のぞみ)ある 未來水飲(すへみつか)はん 流れは絶たじ 2番歌詞 汚れてしまった加茂の川原には清い水は枯れ果てているので、清い水を求め源遠くさかのぼって、湧水を見つけた。一滴の水に、一高寄宿寮の誘い水を注いで汲み上げ、汚れのない清い樋で導水したので、理想ある一高寄宿寮の伝統の水を末永く飲むことが出来るようになった。京都においても一高の伝えの心は引き継がれ、その流れは絶たれることはない。

「くむべき宿の呼び水の筧」
 「宿の呼び水」は、一高寄宿寮の清い水。「呼び水」は、誘い水。ポンプの水が出ない時、上から別の水を注ぎこんで水が出るようにすること。また、その水。「筧」は、ふしを抜いた竹や中心部をくり抜いた木を地上に架設して水を通ずる樋。

「水飲ふ」
 本来は、馬などに水を飲ませること。
さらば我すむ長安の 山は秀でて水清く 果なくすめる大空に あげし男子(をのこ)のかちどきは 花に吹雪の風情かな 勇ましや 雲もしのがん 益良夫の意氣  3番歌詞 それなら、一高の伝統で山紫水明となった我が住む京都の果てしなく澄んだ大空に、男の勝鬨をあげよう。その勝鬨は桜吹雪のようで、なんと勇ましいことか。猛々しい男児の意気は、雲をも凌ぐ。

「さらば」
 サアラバの約。前に述べられたことを受けて、次に新しい行動・判断をおこそうとする時に使う。

「長安」
 長安は平安京の一部、右京すなわち西の京の雅称、また京都の異称。ちなみに京都大學の住所は、右京区ではなく左京区である。

「山は秀でて水清く」
 山紫水明。比叡山は秀でて、加茂の流れは水清く。1・2番の歌詞と矛盾するように思うが、1番で「萠出し草」を育てていくことによって、また2番で水源を浄化することによって、比叡山も加茂川の流れも山紫水明の京都に甦ったということ。京都に住む人の心の持ちようで、山や川は汚くもきれいにもなるということである。

「あげし男のかちどきは」
過去形であるが、現在形で訳した。
1、通説
 将来、京都で対三高野球戦が行われた時に、一高が勝利するように願望したものか、あるいは後年の補作とする。
実際に京都・三高校庭で野球戦が行われたのは、明治41年4月のことで、2年後である。 明治39年4月、同40年4月に一高球場で対三高野球戦が行われているが、いずれも紀念祭の後で、しかも場所は京都ではない。野球以外の、陸運、柔道、端艇、弓術、撃剣などの対三高戦はこの時期ない。
2、異説(私見)
 冶容の俗に染まることなく、一高の伝統の武士の道を歩むことで、京都の山も川も山紫水明となった。それを「男のかちどき」といったのではないか。敢えてこの説をとり、解釈説明した。
武陵の春知らねとも 洛陽城に日は()けて 覺めし(おもひ)の正義の() もとは理想の(りそう)花のかげ  「クロバー」しげる廣庭に いざさらは 永遠(とは)光榮(はへ)あれ 母校の健兒 4番歌詞 向ヶ丘の春はどうなっているか知らないが、京都の春は日照時間が長くなって、人がふみ行うべき道を思う種が芽を出してきた。この種は、もとはといえば一高のクロバー茂る校庭の理想の花蔭、すなわち自治で採れたものだ。きっと京都でも花咲かせてくれるであろう。いざさらば、母校の健児達よ。一高に永遠の光栄あれ。

「武陵の春」」
 「武陵」は、向ヶ丘。武香陵。
 「うべ桃源の名にそひて  武陵とこそは呼びつらめ」(明治33年「あを大空を」4番)
 昭和10年寮歌集で「武陵の春は」と変更された。

「洛陽城」
 「洛陽」は平安京の一部、左京すなわち東の京の雅称、また京都の異称。

「覺めし慨の正義の實」
 正義を思う気持ちに目覚めた。「正義」は人がふみ行うべき道。「實」は果実であるが、種と訳した。「覺めし」は、目覚めた。比喩の實あるいは種でいえば、芽を出したの意。
 
「理想の花のかげ」
 自治のこと。一高寄宿寮の自治で花咲いて採れた種が京都で芽吹き、実を結ぶ。

「クロバー」
 「クロバー」の「 」は昭和10年寮歌集で除去された。四葉のクロバーは幸せを約束してくれるという。和名「詰草」。江戸時代、オランダから日本に輸出されたガラス器の箱に詰草としてクロバーが使われたことから「詰草」と呼ばれるようになった。
クロバーは一高寮歌では珍しい。他校寮歌では出てくる。
 「あゝ我が友よクローバーの 花咲く庭もなつかしく」(六高「春の流れは」)
 
「母校」
 「今日十三の紀念祭 母校の空に輝きて」(明治36年京大寄贈歌)
 「思に返る今日しもぞ 母校の空を偲ぶ哉」(明治37年京大寄贈歌)
 「思ふ母校の紀念祭 /思ふ母校の健男兒」(明治38年京大寄贈歌)
 「母校の棟に立つ征矢の 白羽とび散る御空の果や」(明治40年京大寄贈歌)
 「ほゝゑむ月を仰ぎては 母校の春を偲ぶ哉」(明治42年東大寄贈歌)
やがて母校の語に代わり、「ふるさと」が多く使われるようになっていく。
 「いかで忘れん 武香ヶ陵わが故郷」(明治39年東大寄贈歌)
 「わがたましひの故郷は いまも緑のわか草に」(大正5年京大寄贈歌)
                        

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