旧制第一高等学校寮歌解説

群り猛る

明治39年第16回紀念祭寮歌 東寮

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1、群り猛る暗雲(やみ)おひて      (あけ)を齎す自治の神
  雲は五彩の色深く       銀矢の光しるきとき
  尊からずや嗚呼寶簫の    歌に妙なる響あり

2、麗はしき哉あさぼらけ     見よ生ひ繁る橄欖の
  花の香まよふ木下かげ    過ぎにし年をかゝなへば
  集ひ興ずる自治の男の兒の 頬のあたりに笑ひあり
2段1小節3音は、原譜(平成16年寮歌集添付の原譜も)で付点が付いていたが、誤植とみなし、8分音符とした。あるいは、次の4音が8分音符でなく16分音符であった可能性もある。

変ホ長調・4分の2拍子は変わらず。譜は、昭和10年寮歌集を中心に概略次のとおり変更された。

1、タタ(連続8分音符)のリズムは、全て、タータ(付点8分音符と16分音符)のリズムと変更された(このうち、「じちのか」(2段1小節)の「のか」は大正14年寮歌集でタータに変更)。
2、2箇所にスラー・タイ(「いろー」(2段5小節2・3音)にスラー、「なるー」(4段4小節3・4音)にタイ)

以上まとめれば、この寮歌のリズムには、「タータ タタ」と「タータ タータ」の2種類があったが、これを「タータ タータ」のリズムに統一した。メロディー(音の高低)の変更はない。しかし、出だしの「むらがり」を「むーら がーり」と変えるだけで、感じは随分違った。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
群り猛る暗雲(やみ)おひて (あけ)を齎す自治の神 雲は五彩の色深く 銀矢の光しるきとき 尊からずや嗚呼寶簫の 歌に妙なる響あり 1番歌詞 太陽に群りまつわる暗雲を追い払って、夜明けをもたらす自治の神。雲は太陽の光りに映えて五色の濃い色に輝き、その雲を矢の如くに突き破って白い光がはっきりと射し出す。鳳の鳴き声のような尊い音を出すという笙が奏でる寮歌には、妙なる響きがある。

「五彩」
 五色。陶磁器に赤・青・黄・紫・緑などの透明性の上絵釉で絵や文様を現したもの。

「銀矢」
 銀の矢のように、朝明けに染まった雲を突き破り射す白い光。

「寶簫」
 「鳳簫」。鳳の鳴き声を模して作ったという伝説から笙の美称。
麗はしき哉あさぼらけ 見よ生ひ繁る橄欖の 花の香まよふ木下かげ 過ぎにし年をかゝなへば 集ひ興ずる自治の男の兒の 頬のあたりに笑ひあり 2番歌詞 春は曙と言うが、向ヶ丘の夜がほんのりと明け初めた頃の景色はきれいである。向ヶ丘に生い茂る橄欖の木下には、橄欖の花の香が漂っている。過ぎ去った年を指折り数え自治寮の輝く歴史を振返れば、紀念祭に集まって楽しんでいる寮生の頬の辺りに笑みが生じる。

「朝ぼらけ」
 夜がほんのりと明けて、物がほのかに見える状態。また、その頃。多く秋や冬に使う、春は多く、アケボノというが、ここでは春に使っている。

「橄欖」
 一高の文の象徴。

「かゝなへば」
 「かゝなべて」の意か。日を数える。
 「日日なべて 四十年昔」(昭和35年「一高卒業記念歌」1番)
九萬里程の雲低く 朝鷗の影いづこ 鵬翼雲を凌ぎつゝ 行手の空を眺むれば 覇氣にもゆるか十六年の 胸に溢るゝ健兒の血 3番歌詞 春の朝、もう海辺に鴎の姿は見当たらない。戦争の終わったシベリアに鷗が帰ったのだろうか。鵬が一搏九萬里を飛ぶという遙か向こうまで、雲が低く立ち込めている。行く手の空を眺めると、鵬が雲の上を悠々と王者のように翼を広げ飛んでいる。向ヶ丘の歴史は、健児が溢れる血を燃やし、天高く飛ぶ鵬のように覇者を目指した16年であった。

「九萬里」
 莊子逍遙遊 「水撃三千里 搏扶搖而上者九萬里」

「鷗」
 冬鳥。夏、カムチャッカ、シベリア、カナダなどの海岸に繁殖。冬は日本に現れ、各地の海上に群棲。
春大塚の戰塵や 恨に凝りし氷刀の 落暉に映ゆる一明り (いう)を拂へば橄欖の 薫を送る我旗風に 見ずや紅葩の散りまがふ 4番歌詞 大塚の高師大講堂で、柔道部の対高商試合が行われた。高商は明治20年から32年までボートレースで一度も勝てなかったので、その恨みをこの柔道戦で晴らそうと、闘志満々、恨みに凝り固まった研ぎ澄まされた刀を夕陽にキラリと光らせて迫るように、殺気に満ち満ちていた。橄欖の風を送り、その香で腥風を打ち払えば、赤い花びらが血を流すように飛び散った。赤い花びらは、紅軍高商柔道部。すなわち、高商柔道部などは敵ではなく、一高は大将以下5名を残して勝利した。

「春大塚の戰塵」
 「明治38年3月12日、第1回対高商柔道試合、高師大講堂で。大将以下5名を残して勝つ」(「一高自治寮60年史」)。 高師(高等師範学校)は大塚にあった。高商は現一ツ橋大学のこと。この試合は、対校試合を認めない校長の方針から、学習院・高師付属中を加えた連合試合の形をとったが、実質は一高対高商の対校試合であった。翌年3月4日の第2回の試合も、一高が勝った。

「恨に凝りし氷刀の」
 高商との柔道試合は初めてなので、試合に至った経緯も含め両柔道部には何の恨みもない。明治20年以来32年まで6回行われた一高・高商ボートレースで、一高に一度も勝てなかった高商の恨みをいうか。「氷刀」は、氷のように研ぎ澄まされた刀。

「落暉に映ゆる一明り」
 氷刀が夕日にキラリと光る様。「落暉」は、夕日。入り日。

「蕕を拂へば」
 「蕕」とは、かりがねそうのこと。秋、青紫色の花をつけるが、悪臭がある。転じて悪人などの意に用いるが、ここは高商のこと。

「見ずや紅葩の散りまがふ」
 「紅葩」は、赤い花びら。この日、一高は白軍、高商は紅軍として、対校試合を行った。また赤は高商のスクールカラーから、高商の負けをいう。
駒場の夕べ秋たけて 歡呼にゆらぐ紅葉や 清き正氣に嘯けば 原頭敵の影もなし 今宵香陵大月冴えて 光は白し三つ柏 5番歌詞 秋たけなわ、駒場の夕べ、優勝した一高陸運部選手を讃える歓呼の声が響き渡り、紅葉した木々の枝葉も揺れている。一高選手が正々堂々と戦えば、駒場運動会で向かってくる敵はいない。今宵、向ヶ丘の空には大きな満月が出て、一高の校章三つ柏が月光に白く映える。


「駒場の夕べ」
 明治38年、農科大学(現東大農学部)主催の駒場運動会で、同34年以来久しぶりの優勝奪還を果たした。朶寮四番室に合宿、猛練習の結果である。この年は、帝大主催運動会でも優勝。ちなみに、帝大運動会は、すぐ隣の御殿山下グラウンドで開催され、応援に問題はなかった。一高は当時は駒場でなく本郷にあったため、駒場運動会に多くの寮生を應援に出すことは容易ではなかった。飯田橋から臨時電車を仕立て、應援にかけつけた。

「歡呼にゆらぐ」
 「競技が終わると應援團は選手を担いでわっしょいわっしょい校門を出て、あの道玄坂の裏の坂を駆け下り渋谷駅まで着くのが例であった。」(向陵誌「一高應援團史」)

「清き正氣に嘯けば」
 「正氣」は、正しい気風。「嘯く」は、ほえる。正々堂々と戦えばの意。

「原頭」
 野原のほとり。はら。ここでは、農科大学の駒場運動場のこと。例えば、「五丈原頭」「武夫原頭」(五高寮歌)のように使う

「香陵」
 向陵(一高キャンパス)のこと。「向」の字を「香」に置き換えた。

「三つ柏」
 一高の徽章は三つ柏葉。一高のこと。
昨日は駛馬に鞭つも 今日は奏でむ自治の曲 明日の凱歌を偲びつゝ 未來の春にほゝゑめば 高き調のいよゝ(せま)りて 亂舞に祝ふ紀念祭 6番歌詞 昨日、足の速い馬に鞭打って、すなわち選手を応援して対校試合を戦ってきたが、今日は、紀念祭で寮歌を歌おう。明日以降の試合に勝利することを思い浮かべながら、その勝利に微笑めば、意気はいよいよ上がって、乱舞して祝う紀念祭。

「駛馬」
 足の速い馬。駿馬。これを四頭立て馬車に用いれば、「駟馬」
 「駟馬に鞭ちいろあやの」(「紫淡くたそがるゝ」3番)

「明日の凱歌を偲びつゝ 未來の春にほゝゑめば」
 明治39年3月4日(紀念祭は3月1日)に、第2回対高商柔道試合を控える。また、同4月4日に二高との対抗試合(撃剣)のため仙台遠征、同4月6日には対三高野球戦を予定。秋には例年駒場の運動会、帝大運動会の陸運の試合がある。
                        

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