旧制第一高等学校寮歌解説

比叡の山の

明治38年第15回紀念祭祝賀歌 京大

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1、比叡の山の石だゝみ     くづれて早き人心
  加茂の川原の眞清水も   塵の巷にけがされて
  武士の踏むべき道もなき  西長安の小天地

*「石だゝみ」は昭和50年寮歌集で「石だたみ」に変更。

2、花の僞善の俗に住み    夢の榮華の世になれて
  染めなば染まん白糸の   清く過ぐべき今日しもぞ
  嗚呼その昔偲ふかな     自治の教の四綱領

現在歌われてい「その2」楽譜(左下)で説明する。

原譜・現譜ともに4分の4拍子で変わりはない。歌詞の七語、五語全てが弱起となっている。通常、最後の「武士の踏むべき」以下をリフレインする。
 譜は昭和10年寮歌集で、ト長調からヘ長調に移調したほか、次のとおり変更された。(最初の不完全小節も小節数にカウント)

1、「まーのい」(1段3小節)の「い」 ミ
2、「しのふむー」(3段2小節)の「むー」 ファ(4分音符1音)
3、「しーちょうあー」(4段2小節)の「あ」 シ 歌い方を「しーーイちょうあー」から「しーーちょーーあー」と「しー」を半拍短く、その分「ちょう」を半拍伸ばした。
4、「--てん」(4段4小節)の「-てん」 ファミレドレ(原譜ハーモニカ譜4段4小節1音「3(ミ)」に8分音符を示す下線があったが、横点の誤植とみて左の五線譜の譜は付点4分音符に訂正した。)
5、音符下歌詞の「-」に対応する音符の全てにスラーが付いた。
 

3段4小節4音に♯、一高寮歌で初めての変化記号である。C調ハーモニカでは吹くことの出来ない音である。反復記号は、前年の東大寄贈歌「思ひ出づれば」に続き登場。

原譜その1、その2を比べると、その2の方が哀愁を感じる。そのため、この譜の方が好かれ、現在まで歌われてきたのだろう。
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語句の説明・解釈

寮歌の作曲は、専門の作曲者に特別に依頼するほかは、作詞と同様に公募し、幾つかの応募作のうちから入選曲一曲を寮歌審査委員会で決める。従って、一つの詞には一つの譜であるはずであるが、この寮歌には二つの譜がある。思うに二つの譜を付けて先輩から寄贈されたため、取捨選択出来ずそのまま寮歌集に載せたということか。この寮歌の二つの譜は、数多い一高寮歌の中で、唯一の例外である。
(他校では旧制八高寮歌「紅染める」、「かの山越えて」には、二つの譜がある)
 対三高戦遠征で京都駅に着くと、さっそく駅頭でこの歌を大勢で大声で歌ったという。一般市民が聞いてもあまりいい気持ちのものでなく、京都の市民とよく喧嘩にならなかったものだと感心する。

語句 箇所 説明・解釈
比叡の山の石だゝみ くづれて早き人心 加茂の川原の眞清水も 塵の巷にけがされて 武士の踏むべき道もなき  西長安の小天地 1番歌詞 比叡山の石畳が崩れているように、既にこの地の人情が薄くなり、加茂川のきれいな水も巷の塵に汚されている。京都は、清き誠の心を持った武士が過ごすには不相応な塵の巷である。

「比叡の山 加茂の川原」
 京都を代表する山と川を選んで、軟弱で塵に汚されていると京都をこき下ろす。2番の「花の僞善の俗に住み 夢の栄華の世になれて」も同様の意味であろう。
 「百里の山河隔て來て 任侠の風跡を絶つ 冶容の俗に交はれば 我が自治寮を夢む哉」 (明治36年「比叡の山に我立ちて」3番)

「石だゝみ」
 平らな石を敷き詰めること。また、そのもの。石敷き。昭和50年寮歌集で「石だたみ」に変更された。

「人心」
 人間の心。正常な意識。正気。ここでは人情ほどの意か。

「西長安の小天地」
 「西長安」は、京都のこと。「小天地」は、ちっぽけな世界。
花の僞善の俗に住み 夢の榮華の世になれて 染めなば染まん白糸の 清く過ぐべき今日しもぞ 嗚呼その昔偲ふかな 自治の教の四綱領 2番歌詞 表面を花のように誤魔化した嘘や欺瞞に満ちた世に住み、努力もしないで栄達して贅沢をしたいと夢ばかり見ている。そういう人情も薄く、汚れた世界の京都にいるからこそ、自分だけは、汚れに染まることなく、まだどんな色にも染めていない白糸のように、清く過ごそうと思っている今日この頃である。それにしても、その昔、向ヶ丘で自治の教えの四綱領を守って、自治共同の寄宿寮で過ごした日々が懐かしい。

「染めなば染まん白糸の」
 「白糸」は、染めない、白い糸。
 明恵『風雅和歌集」 白糸を人の心にたとへたることをよめる                      
 「昔誰れ人の心を白糸の染むれば染まる色に泣きけむ」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」)

「その昔偲ぶかな」
 勤儉尚武・質実剛健の一高自治寮で過した昔が懐かしい。一高生は俗塵を避け、向陵に籠城した。

「四綱領」
 「四綱領」とは、寄宿寮開設時、木下校長が寮生活において守るべき精神として示した四項目のことで、次のとおり。
   第一  自重の念を起して廉恥の心を養成する事
   第二  親愛の情を起して公共の心を養成する事
   第三  辞譲の心を起して静粛の習慣を養成する事
   第四  摂生に注意して清潔の習慣を養成する事
 
それ香はしき江南の 花橘もうつらふや 胡沙吹く嵐江北に 枳となる慣あり 遠くはなれて柏木の 堅き心よとこしへに 3番歌詞 揚子江の南岸にいい香を放って咲いている花橘を蛮地の沙漠の風の吹く北岸に移すと枳殻(からたち)となってしまうように、人も境遇によって変るものである。自分は、一高から遠く京都にやって来て環境が大きく変わったけれども、質実剛健・勤儉尚武の一高の心は永遠に失いたくないものだ。

「花橘 枳」
 「江南の橘、江北の枳となる」(淮南原道訓
 揚子江の南岸に生えているタチバナを、北岸に移し植えるとカラタチに変化する。人も境遇によって変化することの喩え。

「胡沙」
 北方の沙漠。

「柏木の堅き心」
 「柏木」(その葉は一高の象徴)は一高、「堅き」はその類語で、一高の伝統精神である質実剛健・勤儉尚武をいう。
晨盟ひし吾侶の 高き理想のかはらずは 夕の闇に一條の 尚武の光閃かん 武陵十五の春見えて 思ふ母校の紀念祭 4番歌詞 朝、理想の自治を固く誓った寮生の高い志に変わりがなければ、夕には、闇の中に一条の尚武の光が閃くことであろう。開寮15周年を迎えた母校の紀念祭を懐かしく思っている。

「闇に一條の」
 「闇の中なる一すじの 光なりけり天つ日の」(明治34年「全寮寮歌」1番)

「尚武の光閃かん」
 前途に、自治を邪魔する者が現れれば、これを切り捨てるという尚武の心をいう。
 「行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある」(明治35年「嗚呼玉杯」5番)

「武陵」
 向ヶ丘、武香陵のこと。
 「うべ桃源の名にそひて 武陵とこそは呼びつらめ」(明治33年「あを大空を」4番)

「春見えて」
 紀念祭の春が廻って来たこと。
思ふ母校の健男兒 今宵まどゐの祝歌に 遠き友垣偲びなば われ萬歳を唱へなん 尋ねておなじ源の その橄欖の旗影に 5番歌詞 母校で紀念祭を祝う後輩たちを思いながら、京都でも紀念祭の宴を開いた。宴の祝歌を歌って遠く離れた寮友を偲びながら、後輩寮生達と同じように過ごした一高自治寮が幾久しく栄えるように万歳を唱えよう。

「橄欖」
 一高の文の象徴。

「まどゐ」
 楽しく集うこと。
                        
先輩名 説明・解釈 出典
園部達郎大先輩 京都に遠征すると、よく大声で謳歌するのは、これだ。一見して、歌詞は『独善性を批判されても仕方』(「解説の記述)がないものと感じた。殆んど二番までしか歌はないが、それでも宿敵を『こき降ろした上に』、京都並びに京都市民までも捲き添えにしてしまっている。・・・・若気の至りとはいえ、自戒の足らぬ寄贈歌のように感じられるが如何。 「寮歌こぼればなし」から。


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