旧制第一高等学校寮歌解説

曉がたの

明治37年第14回紀念祭寄贈歌 福岡帝國大學

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1、曉がたの星落ちぬ      小琴の調べかすかにて
  千代の松原霞こめ      八百潮わきぬ海原に

2、流れて早き荒磯の      水底くらく見ゆれども
  望みの光あざやかに     今朝のいのちは新たなり

3、大旌なびく向陵の       岡には人の群ひ來て
  祝ひやすらん十四年     同じあしたの紀念祭


(3番歌詞)
「群ひ」は昭和10年寮歌集で「集ひ」に訂正。
原譜歌詞、2段1小節「オゴリ」は「おごと」に、4段3小節「ウオバラ」は「うなばら」に訂正した。調は、「と調又ハは調」とあったが、ここでは「と調」とした。
譜は、次のような変更があった。

1、調・拍子
 原譜の調は、ト長調またはハ長調であったが、昭和10年寮歌集で、ト長調だけとなった。拍子は4分の2拍子で変わらず。

2、音
1)「あかつき」(1段1小節)の「つき」  ドード(遅くも大正7年寮歌集)
2) 昭和10年寮歌集で、
 ① 全ての音符が、1オクターブ低く変更された。原譜のままでは寮生が歌うのは高く、実際は最初から1オクターブ低く
   歌われていたのではないか。
 ② タタ(連続8分音符)を全てタータ(付点8分音符と16分音符)のリズムに変更した(10箇所)


語句の説明・解釈

福岡帝國大學は、正しくは京都帝國大學福岡医科大学(明治36年創設)。明治44年に、前年創設された九州帝國大學(工科大學のみ)に併合された。若干正確さを欠くが、九州帝國大學からの初めての寄贈歌である。九大寄贈歌はやがて名歌「筑紫の富士に」(明治45年)を生み出していく。

語句 箇所 説明・解釈
曉がたの星落ちぬ 小琴の調べかすかにて 千代の松原霞こめ 八百潮わきぬ海原に 1番歌詞 夜があけ、あたりが明るくなりに従い、それまで輝いていた星が次から次に消えて行った。風が止み朝凪が訪れ、名歌「筑紫の富士」で「梢をわたる譜のしらべ」と詠われた千代の松原の松の梢のそよぐ音もほとんどない。松原に霞が立ち込め、海原にはたくさんの潮が湧いてきた。やがて海風が吹いてくる。

「曉がたの星落ちぬ」
 「暁方の星」は、明の明星(金星)と解することも出来るが、星一般と解した方が、千代の松原の夜明けの情景描写としては相応しいと考えた。

「小琴の調べかすかにて」
 「小琴の調べ」は、千代の松原の松の梢が風にそよぐ音。「かすかにて」は、朝凪のため風が無く梢の音もほとんどないこと。 
 「松の伶人音をあはすかな」(大正3年「まだうらわかき暁の」2番)

「千代の松原」
 その一部は現在の福岡市東公園となっている。鉄道唱歌に、天の橋立、美保の浦とともに三松原の一つと歌われた。鉄道唱歌の文句によれば、当時は多々良濱から博多まで綺麗な松原が続いていたという。
 「千代の松原砂青く 寶滿の山雪白し」(大正6年「つめたき冬の」4番)
 「千代の松原磯づたひ 梢をわたる譜のしらべ」(明治45年「筑紫の富士」2番)
 「千代の松原をちこちに もしほの煙長閑さよ」(明治42年「をぐろき雲は」2番)

「八百潮わきぬ海原に」
 「八百潮」は、たくさんの潮の流れ。やがて海風が吹いてくる。
流れて早き荒磯の 水底くらく見ゆれども 望みの光あざやかに 今朝のいのちは新たなり 2番歌詞 潮の流れの早い荒磯の海の底は暗く見えないけれども、水平線の彼方に朝日が昇り、鮮やかに輝きだした。今日は寄宿寮の14回目の誕生の日、太陽が昇り新たな一日が始まるように、今朝から新しい寄宿寮の年が始まる。
大旌なびく向陵の  岡には人の群ひ來て 祝ひやすらん十四年 同じあしたの紀念祭 3番歌詞 護國旗が翻り、自治の二字の鮮やかな向ヶ丘の一高寄宿寮に、開寮14周年を祝って多くの人が集まることであろう。福岡でも今日は同じように一高関係者が集まって紀念祭を祝うとしよう。

「大旌」
 ざおの先に旄(からうしの尾)をつけ、それに5色の鳥の羽毛をたらした旗。紀念祭のために大幟を立て、綺麗に飾りつけをしたと解せるが、この年の紀念祭は日露戦争のために飾りつけを廃止した。「大旌」は、護國旗、自治の旗と解した。8番歌詞には「我が護國旗の旗風に」とある。
 「けふの祭のよそほひに 綺羅をつくせし八寮の」(大正9年「のどかに春の」1番)
 「青旗の小旗にゆれて」(昭和22年「青旗の」1番)
 「四色に染めし大旗の 靡くや自治の二字薫る」(明治34年「輝き渡る」1番)

「群ひ來て」
 昭和10年寮歌集で「集ひ來て」に変更。

「同じあしたの紀念祭」
 福岡一高会の紀念祭。「あした」は、夜を中心とした時間区分の、ユウベーヨヒーヨナカーアカツキーアシタの最後の部分をいう。明日、朝、翌朝。ここでは、夜が明けたその日、今日はと訳した。
見よや柏の葉の影に 橄欖の花さかりなり 東風ふくなべに薫りきて 筑紫のはても春めきぬ 4番歌詞 見よ、緑濃き柏の葉の蔭に、橄欖の花が今を盛りに咲いている。東風が吹くと共に、橄欖の花の香りを乗せてきたので、筑紫の果ての福岡も春らしくなってきた。春の紀念祭の便りが福岡にも伝えられ、心が浮き立ってくる様をいう。

「なべ」
 ・・・と共に。・・・と同時に。・・・につれて。遅くも大正7年寮歌集で「のべ」に変更。

 菅原道真 「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」
 「自治の梅香に東風吹かば   遙に『匂ひおこせ』かし」(明治45年「筑紫の富士」5番)
翼をあげて満洲の 荒野とびゆく大鷲の 射よげに見ゆ姿かな 征矢たばさみていざ起たん 5番歌詞 満洲の荒野を翼を開いて飛ぶ大鷲(露)の、なんと射易すげに見える姿かな。いざ戦いの征矢を束さんで起とうではないか。ロシア討つべしとの一高生の昂揚する意気を示す。

「翼ををあげて」
 誤植。遅くも大正7年寮歌集で訂正。

「大鷲」
 ロシア。義和団事件に乗じて満洲を占領したロシアは約束を守らず撤兵しなかった。

「射よげに見ゆ姿かな」
 「げ」は外から見たところ、そのように見える意。・・・そう。「見ゆ姿」は、遅くも大正7年寮歌集で、「見ゆる姿」に変更。

「征矢」
 狩矢・的矢に対し、戦闘のための矢をいう。

「見ゆ姿かな」
 遅くも大正7年寮歌集で「見ゆる姿かな」に変更された。
霜をふみてシベリアの 山路をかける荒駒の 蹄になやむ風情あり 太刀取り持ちていざ起たむ 6番歌詞 シベリアの霜の降りた山路を駈ける軍馬は、蹄を痛め苦しんでいる様子だ。すなわち、極寒の地シベリアで、世界最強の騎馬軍団であるロシアコサック騎兵を相手に戦う日本の騎兵は苦戦を強いられている様子だ。一高生よ、いざ太刀をとって起とうではないか。これも一高生の昂揚する戦意をいう。「坂の上の雲」の日本騎兵の父秋山好古を思い出す。

「荒駒」
 人に乗り馴らされていない馬をいうが、ここでは軍馬。

「當時の一高は理論等なかりき、唯愉快なりき時恰も日露の風雲たゞならず全寮の興奮湧き立つ許り也」(「向陵誌」瓣論部部史昭和10年6月5日 穂積重遠))

「明治25年から26年に『単騎シベリア横断』で勇名を馳せた福島中佐の事績を指すと考える。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
白濤さわぐ北洋の 勇魚とるべく來てみれば 吠ゆ遠音に似もやらで 鰭をおさめて逃れ行く 7番歌詞 白波騒ぐ北洋に鯨を獲るべく来たみると、鯨は沖で勇ましく音をたて潮を吹く姿に似ず、鰭をおさめて逃げてゆく。

勇魚(いさな)
 クジラの古称。ロシア太平洋艦隊の艦艇のこと。

「吠ゆ遠音」
 沖で鯨が潮を吹く音。「吠ゆ」遅くも大正7年寮歌集で「吠ゆる」に変更。

明治37年2月8日 連合艦隊、旅順港外の露艦隊を攻撃し、9日、仁川の露艦隊2隻を撃破。
我が護國旗の旗風に うつろひ匂ふ梅の花 聞けもののふのおたけびの あふれて高き響かな  8番歌詞 我が校旗・護国旗の旗風を受けて、護国の心に色美しく真っ赤に咲き匂う梅の花。その梅の花のように真っ赤に意気高揚し血気にはやる一高生があげる雄叫びの四方に高く響き渡るのを聞け。

「護國旗」
 一高の深紅の校旗。柏葉橄欖の徽章の真ん中に「國」の字が入る。

「うつろひ匂ふ」
 「うつろひ」は、普通は、色が変わって衰えるの意であるが、ここでは護國旗の護国の心が梅に移って、と解した。「匂ふ」は赤色に映える、すなわち護國旗の色に映える。また、いい香りを放つの両方の意と解した。梅の花の色は、実際は白梅が多いが、ここでは護國旗の唐紅の色、日露開戦で高揚した一高生の血気から、詩の上では赤色と訳した。なお、「うつろひ」は、大正7年、同10年寮歌集では「うつろい」であったが、大正14年寮歌集で「うつろひ」に、また「もののふ」は、昭和50年寮歌集で「ものゝふ」に変わった。
観世音寺の鐘の音に はや暮れそむる春の夕 忍べば遠き東路の 彌生が岡の花ざくら    9番歌詞 大宰府・観世音寺の入相の鐘が聞こえてきた。春の日は、はや暮れて夕暮れとなったか。東京から遠く西に離れて三百里の筑紫の果てのいるので見ることは出来ないが、今頃、懐かしい弥生が岡の桜は、綺麗に咲いているであろうなあ。

「観世音寺」
 奈良の東大寺、下野の国薬師寺とともに三戒壇の一つ。福岡県大宰府市大宰府跡の東にある天台宗の寺。天地天皇の発願により創建、746年に完成した。寺の北西に、橘諸兄のもと吉備真備と絶大な権力をふるったが、745年に筑紫に追放された僧玄昉の草に埋もれた粗末な墓がある。
 原道真 「都府樓纔看瓦色 観音寺唯聴鐘聲

「彌生が岡」
 向ヶ丘に同じ一高の所在地。本郷一高は、本郷区向ヶ岡弥生町にあった。
曇りもはてぬ朧夜の 月を今宵の命にて 聚ひやすらんこの夕 とものみやつこ千餘人 10番歌詞 月にかかった雲が晴れた今宵の紀念祭。その月の明りだけを頼りに紀念祭を祝って、集まっているであろう一高生千余人。

「曇りもはてぬ朧夜の」
 「朧夜の曇りもはてぬ」と解し、月にかかった雲または霞が晴れたの意。 「朧夜」は、朧月夜。春の夜の霞んだ月。

「月を今宵の命」
  月の明りだけを頼りに。

「とものみやつこ」
 伴造。(とものみやっこ) 大化改新以前、部の長として部民を統率する者。ここでは、一高生。
奏ずる琵琶の弦の音に 調べやさしき一曲の 自治の根城に雲を停め 塵をまはせる歌の曲 11番歌詞 妙なる調べを奏でる琵琶の音に、自治寮の空行く雲も止まって聞き惚れ、梁の上の塵をも舞せる自治寮を讃える寮歌。

「奏ずる」
 昭和10年寮歌集で、「奏づる」に変更。

「調べやさしき」
 「やさしき」は、優雅な。妙なる調べと訳した。

「雲を停め」
 妙なる琵琶の音に、空行く雲も立ち止まるの意。

「塵をまはせる」
 「すばらしい音楽が梁塵を動かすという意で、中国で昔、音楽の名手魯人虞公が歌った時、梁の上の塵まで動いたという故事を踏まえている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)に副い訳したが、寄宿寮は俗塵を絶ったところ、論理的には塵は存在しない。「舞ふ」には、茄・煙草を「枯らせる」の意がある。多少無理があるが、「塵を取り除く」に解せないことはない。
 

劔の霜を振り亂し 舞ふや健兒の袖なびく 今かうたげのむしろなる 自治の灯かゞやかん 12番歌詞 剣舞で振り乱す剣の刃が冷たく光り、健児の袖がなびく。紀念祭の宴席が始まり、自治燈に灯が灯った。

「劔の霜」
 冷たく光る鋭い剣。「劔」は昭和10年寮歌集で「劍に変更された。明治の初期には、剣舞が余興として舞われることがあった。
 「餘興に勇壯なる劒舞あり」(「向陵誌」明治24年3月1日)

「むしろ」
 会合。宴席。実際に筵を宴席に用いた。
                        

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