旧制第一高等学校寮歌解説

亞細亞の東

明治37年第14回紀念祭寮歌 南寮

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1、亞細亞の東蒼溟の   潮の花の香に匂ふ
  大和島根の名に高き  影渺茫の武蔵野に
  都の塵を他にして    雄々しく立てり武香陵

2、層樓高く雲に入る    五寮の春の夕まぐれ
  千餘の男兒靑春の    燃ゆる血潮に染め出でゝ
  咲く繚爛のさくら花    あゝ美なるかな武香陵

3、春墨水のはな吹雪    紅葩こぼるゝ白旗や
  夏金港のあさ綠      朱髯碧眼色もなし
  歴史の跡を尋ぬれば   あゝ偉なるかな武香陵





 「平沙の北に」「としはや已に」など多くの名寮歌を作詞した青木得三の第1作寮歌 
昭和10年寮歌集で、「やまとー」(3段1小節)の「とー」(3・4音)がタイで結ばれた以外は、変更はない。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
亞細亞の東蒼溟の 潮の花の香に匂ふ 大和島根の名に高き 影渺茫の武蔵野に 都の塵を他にして 雄々しく立てり武香陵 1番歌詞 アジアの東、青々とした海原に白波が立ち美しく潮の香が匂う日本で、その名も高い広々として果てしない武蔵野に、巷の塵を絶って雄々しく高い向ヶ丘。

「蒼溟」
 青々とした海。あおうなばら。

「潮の花の香に匂ふ」
 白波の立つ姿の美しく潮の香匂う。「潮の花」は、波の花。白波を花に喩える。「香」は、よい匂い、また目で感じる美しさをいう。「匂ふ」は、目で感じる美しさから、転じてよい香がする。

「大和島根」
 日本国の別称。

「渺茫」
 ひろびろとして果てしないさま。

「都の塵を他にして」
 俗世間から隔離して。一高自治寮の籠城主義を言う。

「武香陵」
 一高の所在地「向ヶ丘」の美称。
層樓高く雲に入る 五寮の春の夕まぐれ 千餘の男兒靑春の 燃ゆる血潮に染め出でゝ 咲く繚爛のさくら花 あゝ美なるかな武香陵 2番歌詞 三層樓の寄宿寮が聳える春の夕まぐれ。千余の一高健児の青春の燃える血潮に染められて、紅に咲き乱れる桜花。ああ、なんと美しいこと、我が向ヶ丘。

「層樓 五寮」
  東・西・南・北・中の五寮の一高寄宿寮。このうち東西の二寮は、三階建て。これをいささか誇張のように思えるが「層樓高く雲に入る」と表現した。明治の時代、三階建ては、今の時代と違い、”高層建築物”だったことは間違いない。
春墨水のはな吹雪 紅葩こぼるゝ白旗や 夏金港のあさ綠 朱髯碧眼色もなし 歴史の跡を尋ぬれば あゝ偉なるかな武香陵 3番歌詞 春、隅田川の花吹雪、赤旗・高等商業が散って、白旗・一高は対高商ボートレースに6連勝した。夏、横浜の浅緑、横浜の外人クラブを野球戦で打ち負かし、赤ひげ青い目の外人は、驚き恐れて顔面蒼白となった。端艇部・野球部の歴史をひも解けば、ああ、なんと偉大なるかな向ヶ丘。

「墨水」
 隅田川のこと。端艇競漕の会場。

「紅葩こぼるゝ白旗や」
 明治20年から明治32年まで、対高商との端艇競漕戦で6連勝したこと。「紅葩」は赤い花で、高商のスクールカラー、「白旗」は一高柏葉旗。

「金港」
 横浜の雅称。「かながわ」の「かな」を「金」の字にあてた。

「朱髯碧眼色もなし」
 「朱髯」は、赤いひげ。「碧眼」は青い目。「朱髯碧眼」は外国人のこと。
明治36年5月20日、第11回米国軍艦ケンタッキー号乗員と野球戦。27-0で大勝。ただし、この時の会場は横浜でなく一高校庭。
  
朱門に映る紅旒や 綠旗亂るゝ秋駒場 怨はつきず今更に  たのむは清き心裡の美 櫻花咲く陵の上 ふるへや男兒自治の旗 4番歌詞 一高陸上運動部は、東京帝大主催の運動会では高商に敗れ、農科大学主催の駒場運動会では学習院に敗れ、今更のことながら、この恨みは尽きない。この上は、潔く、負けを認め、捲土重来を期すこと。桜花咲く向ヶ丘で、一高健児よ、自治共同の心で選手・寮生一体となって、覇権奪還を目指せ。

「朱門 秋駒場」
 「朱門」は「赤門」で東京帝大主催の運動会。「駒場」は農科大學主催の駒場運動会を指す。共に時期は秋に行われた。

「紅旒 綠旗 怨はつきず今更に」
 陸上運動部は、高商(現一ツ橋大学)に、また学習院に破れ、歯軋りしている。常勝軍の名をほしいままにした一高も、明治34年頃から影がさし始めた。「紅旒」は高商の応援旗、「綠旗」は学習院応援旗(ただし、学習院では「青旗」と呼んでいた)。
 明治34年、「一高は帝大運動会では群敵を一挙に屠り去ったものの、駒場では学習院に惨敗を喫した。以後、37年まで、両運動会で一高は優勝できず、5年後の38年になって、朶寮四番室に合宿し、帝大では1-3番、駒場では1、2着を占め、ようやく覇権を奪還した。」(「一高応援団史」から)

「たのむは清き心理の美」
 挫けることなく潔く負けを認め、捲土重来を期すことと解す。「心裡」は、心の中。

「自治の旗」
 「われら一千こゝにあり、覇権を譲る事なかれ」(陸上運動部部歌4番)とあるとおり、一高の対校試合は、単に一運動部の試合ではない。一千の寮生が喜び悲しみを共有して一丸となって戦う自治共同の戦いである。

今宵月影鮮かに 嚶鳴堂を照せども 蒼穹西を眺むれば 陰雲ひくゝ星暗し 東亞の嵐荒るゝ時 ふるへや男兒自治の旗

5番歌詞 今宵、月は鮮やかに嚶鳴堂を照らしているけれども、西の空を眺めれば、暗雲低く、星は暗い。日露が激突し、東亜に嵐が荒れる時、一高健児よ、自治共同の心を奮い立てよ。

「嚶鳴堂」
 一高の会堂。明治36年、狩野校長は、会堂を「嚶鳴堂」と名付けた。嚶鳴とは、鳥が睦まじく鳴き交わすこと。転じて、友人が互いに声を出し合って励ましあうさまをいう。
 「嚶鳴堂に照る月よ 今宵は意氣を照せかし」(大正4年「愁雲稠き」5番)

「東亞の嵐荒るゝ時」
日露戦争のこと。義和団事件に乗じてロシアは満洲を占領し、日露の満蒙鮮に対する権益の対立は深刻化、日英同盟へと日本を導いた。ロシアが満洲撤兵の約束を履行せず、鴨緑江に進出したので、日本政府は戦争を決意し、明治37年2月8日夜、日本軍は旅順のロシア艦隊を攻撃した。10日、日露両国は互いに宣戦布告を行い、日露戦争は始まった。
塵寰とはに隔てたる 時永劫の末見せて 齢重ぬる十四歳 歴史は清く月明く 翠靄けぶる陵の上 あげよや男兒自治の名を  6番歌詞 俗塵を永久に隔離し、永久に栄える向ヶ丘の寄宿寮は齢を重ねて今年14年。その歴史は清く、月は明るく、橄欖柏葉の緑葉に靄の立ちこめる風情のある向ヶ丘。一高健児よ、これからも自治の礎を守り固めて、自治の名を世に上げよ。

「時永劫の末見せて」
 時永劫が終わるまで、すなわち永久に栄えること。

「翠靄けぶる」
 翠の樹木に靄がかかった状態。翠煙のこと。
                        

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