旧制第一高等学校寮歌解説

向が陵の

明治37年第14回紀念祭寮歌 東寮

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1、向が陵の自治の城、      サタンの征矢はうがちえで、
  アデンの堅城ものならず、   こもる千餘の大丈夫は、
  むかし武勇のほまれある、   スパルタ武士の名を凌ぐ。

2、見よやあさひののぼる時、   武陵のはなに神州の、
  武士の魂こもらずや、      見よや夕日のはゆるとき、
  やしほにもゆるもみじ葉に、  若きちしほのたぎらずや。

3、嗚呼橄欖の花かほり、      柏葉しげる南歐に、
  むかし偉星の閃きや、      世紀めぐりて永劫の、
  のぞみの光いまここに      ゆうべ五寮の空にすむ。

*歌詞の句読点「、」「。」は、遅くも大正7年寮歌集では削除された。
昭和10年寮歌集で、次のとおり変更された。

1、「そーやは」(2段1小節) 「そー」(5・6音)  タイ。
2、「むかし」(5段1小節)の「し」(3音)  4分音符を付点8分音符と16分音符に分解し、タイ(実質は変わらない)。他小節とのリズム表記の統一を図った。
3、「ぶゆーの」(5段1小節)の「の」(6音)  4分音符を付点8分音符と16分音符に分解し、「の」は8分音符とし、「ゆ」を「ぶ」の音から切離し、独自に16分音符と付点8分音符の2音を当て、「ぶーゆ ーの」と改めた。
4、「スパルタ」(6段1小節)の「た」(3音)  4分音符を付点8分音符と16分音符に分解し、「スパルタ」の1字毎に1音を当て、「スーパルータ」と改めた。
5、「ぶしの」(6段1小節)の「の」  4分音符を付点8分音符と16分音符に分解し、タイ(実質は変わらない)。第2項の措置と同じく、他小節とのリズム表記の統一を図った。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
向が陵の自治の城、サタンの征矢はうがちえで、 アデンの堅城ものならず、 こもる千餘の大丈夫は、 むかし武勇のほまれある、 スパルタ武士の名を凌ぐ 1番歌詞 向ヶ丘の一高の自治寮は、自治を破壊攻撃しようとするサタン(魔王)の戦いの矢も突き刺さらず、古代ギリシャのアテネの堅城など物ともしない。自治寮に籠る千余の勇ましく猛々しい若者は、昔、古代ギリシャで武勇の誉の高かったスパルタの戦士を凌ぐとの評判だ。

「向が陵」
 この当時、一高は本郷区向ヶ岡彌生町にあった。

「自治の城」
 一高生は全員、向ヶ丘の寄宿寮に入寮(籠城)したことから、寄宿寮を城に喩える。

「サタンの征矢」
 自治を破壊しようとする者の攻撃。「サタン」は、悪魔、魔王、聖書で敵対者の意。「征矢」は戦闘に用いる矢。狩矢・的矢に対していう。

「アデン」
 古代ギリシャの都市国家アテネのこと。前5世紀初頭のペルシャ戦争では、アテネの重装歩兵軍と海軍とが外敵撃退に非常な手柄をたてた。その結果、デロス同盟の盟主としてギリシャ第一のポリスとなり、ペリクレスの指導の下に民主政治を実現し、文運の花を咲かせたが、ペロポネソス戦争でスパルタに敗れてからは、昔日の力を失った。
 前年明治36年東大寄贈歌では、アテネのことを「アゼンス」と呼んだ。まだ、呼び名が定まってなかったのだろう。

「スパルタ」
 古代ギリシャのアテネと並ぶ都市国家。スパルタ人はリュクルゴスが定めたという軍国主義的で剛健な生活を送って、へロットと呼ばれた奴隷農民を抑圧し、対外的発展に努めた。ペルシャ戦争ではアテネと協力したが、やがて対立し、ペロポネソス戦争でアテネを破り一時ギリシャの覇権を握った。しかし、前371年にテーベ軍に破れ、その後は国力は急激に衰えた。
見よやあさひののぼる時、 武陵のはなに神州の、 武士の魂こもらずや、 見よや夕日のはゆるとき、 やしほにもゆるもみじ葉に、 若きちしほのたぎらずや。 2番歌詞 見よ、朝日の昇る時、赤々と明けゆく向ヶ丘の先端に神州日本の武士の魂が籠っているのを。見よ、夕日が向ヶ丘に映えると時、幾度も幾度も染められた真っ赤な色に燃える紅葉を。その紅の色に若き一高生の血潮がたぎるのである。

「武陵」
 向ヶ丘のこと。「武香陵」の美称を生んだ。
「うべ桃源の名にそへて 武陵とこそは呼びつらめ」(明治33年「あを大空を」4番)

「はな」
 「花」か「端」か。向ヶ丘の先端から明るくなっていくと解したので、「先端」とした。

「やしほ」
 ヤは多い意。シホは物を染汁にひたす度数をいう。幾度も染めること、またその色。
嗚呼橄欖の花かほり、  柏葉しげる南歐に、 むかし偉星の閃きや、 世紀めぐりて永劫の、 のぞみの光いまここに ゆうべ五寮の空にすむ。 3番歌詞 あゝ、橄欖の花が香り、綠濃き柏葉の繁る南欧の地中海に、昔、古代ギリシャやローマの偉人たちの星が輝いた。幾世紀を経て、今ここに、不滅の望の星となって、夕べになると五寮の上の空に輝いて我等を見守っている。

「橄欖 柏葉」
 橄欖は文の、柏葉は文の、ともに一高の象徴。柏葉・橄欖は一高の校章。

「かほり」
 昭和50年寮歌集で、「かをり」に訂正。「かほり」は間違いというが、一高寮歌集では、「かほり」表記が多い。

「南歐に、むかし偉星の閃きや」
 一番にアテネ、スパルタが出ているので、「南欧」は古代ギリシャであろうが、広くギリシャ・ローマと訳した。「偉星」は偉人。「Julius Caesarを指すか?」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」)。神話時代を含めれば、偉人は、一高の守護神マルスとミネルバ。広くギリシャ・ローマの偉人たちと考えてもよい。

 「第5節に『歴山王の勇涙』とあることからみて、第3節の『偉星』は『歴山王』すなわち『アレキサンダー大王』を指すと解すべきであろう。」(森下東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「五寮の空にすむ」
 「五寮」は、東・西・南・北・中の5棟の一高寄宿寮。「すむ」は、「澄む」と「住む」をかける。古代ギリシャやローマの偉人たちが、星となって一高寄宿寮を見守ってくれているという意。
理想の泉わきいでて、 東海水をたゝふれば。 経緯ことなる東西の、 文化のながれすひあつめ、 蒼穹摩して滄浪の、 とどろき遠くなりわたる。 4番歌詞 日本には欧米列強に追いつき、仲間入りするという理想があった。海に囲まれた日本は、質の異なる東西両文化が入ってくる。日本は文明開化の名の下に、積極的に文化を取り入れ、これを融合し国力の増強に努めてきた。今、日露の戦争が勃発した。わが連合艦隊は旅順港外の露艦隊を攻撃、仁川で露艦隊2隻を撃破した。日本海は今、波が天を突くほど高く、、怒濤逆巻いている。

「理想の泉」
 文明開化で欧米列強に追いつき、仲間入りすること。

「東海水をたゝふれば」
 「東海」は、中国から見て東の海、日本。日本は海に囲まれて。

「経緯ことなる東西の文化」
生まれ育ちの異なる東洋と西洋の文化。

「文化のながれすひあつめ」
 「すひ」は、「粹」と「吸い」をかける。

「蒼穹摩して滄浪の、とどろき遠くなりわたる。」
 「蒼穹」は大空のこと。「滄浪」は青々とした波。海が荒れて、高波は天を突き、遠くまで轟き渡っている。紀念祭直前の2月2月8日、陸軍部隊は仁川に上陸、連合艦隊は旅順港外の露艦隊を攻撃して、仁川の露艦2隻を撃破した。同10日、ロシアに宣戦布告して日露戦争が始まった。
今や東亜の雲あれて、 紫電青光ひらめけど、 王師魯狄をにゑに斬り、正義の旗は進みゆく、 歴山王の勇涙に、 いでや我等が時をまて。 5番歌詞 今や東亜の空に戦雲が荒れて、戦いの火ぶたは切って落とされた。砲弾は飛び交い炸裂し、青い光が閃く中、帝国陸海軍は露軍を刀の錆に斬り捨てて、正義の旗は前進する。開戦に当たり、この戦争には負けられないと涙を流したという明治天皇の御心に報いるためにも、さてさて我等の出番を待て。

「今や東亞の雲あれて 紫電靑光ひらめけど」
 露西亜と戦火を交えた(日露戦争)こと。
 明治37年2月 4日  御前会議、対露交渉打切り開戦決定。
           8日  陸軍部隊、仁川に上陸。連合艦隊、旅順港外の露艦隊を攻撃。
           9日  仁川の露艦2隻を撃破。
          10日  露西亜に宣戦布告。
 「紫電」は、紫色の雷光のことで、靑光とともに戦火のことだが、めでたい光、瑞光の意味がある。

「王師魯狄をにゑに斬り」
 日本軍がロシア軍を蹴散らし、ものともせず。
「王師」は皇軍、帝国陸海軍のこと。「魯狄」は露西亜、「狄」は北方の異民族、蛮人のこと。「にゑ」は、日本刀の、刃と地肌との境目に銀砂をふりかけたように輝いているもの。「にゑ」は昭和10年寮歌集で、「にへ」に変更。「にへ」は、古く、新穀を神などに供え、感謝を表した行事。また、その供物。

「歴山王の勇涙」
 「歴山王」はアレクサンダー大王。マケドニア王でギリシャ、エジプト、アジアにまたがる大帝国を建設し、東西文化を融合した。明治維新で、西欧文化を取り入れ、これまた東西文化を融合して日清戦争に勝利するほどの強国に成長した我国と重ね合わせ、明治天皇のことを「歴山王」といったか。明治天皇は開戦を決した御前会議で、この戦争に負けたら、「皇祖皇霊に申し訳ない」といって、さめざめと泣いたという。「勇涙」とは、このことをいうか。
あゝかへりみる春秋や、 溷濁の世とたゝかひて、 みがき鍛へし文武道、渾身それよさらばいま、 ことし十四回の紀念祭、 祝へ五寮の健男子。  6番歌詞 一高寄宿寮の歴史は、文武両道を鍛え、汚れ濁った世の中との全身これ戦いの日々であった。今日は、それはそれとして捨て置いて、今年14回目の紀念祭を、祝え、五寮の健児たちよ。

「五寮」
 東・西・南・北・中の5棟の一高寄宿寮。
                       

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