旧制第一高等学校寮歌解説

春の日背を

明治36年紀念祭歌(第13回紀念祭寮歌)

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1、春の日背をあたゝめて  梅の香澄みぬ向陵の
  丘に若草きざしけり    五寮に人の集ひつゝ
  樂しからずや十餘年    めぐりて同じ日の數を

3、健兒よ歌へ今日の日を  自治よ生ひ立て今日の日に
  春風空に香ばしき     地に若草の色清し
  歌口しめし吾吹けば    自治の音高く天に入る
 3段3小節の3音「ソ」は原譜を誤植(数字譜の下点不記載)とみて、1オクターブ下げた (大正10年寮歌集と同じ)。

「音樂隊作」となっていたが、「雪中行軍」の譜(遅くも大正7年寮歌集で明示)
現譜は、「ごりょーに」(4段1小節2音・3音)にスラー無、また「おーなじ」(6段2小節1音・2音)にスラー有の2箇所が異なるだけで、その他は原譜に同じ(昭和10年寮歌集で変更)。

 元譜の「雪中行軍(陸奥の吹雪)」は、他のMIDI、MP3の音が鳴っていないことを確認の上、下のスタートボタンを押してお聴き下さい。(譜は、南部東大先輩の提供)
                             
    作詞は落合直文
1、 白雪深く降り積もる
八甲田山(はっこうださん)麓原(ふもとばら)
吹くや喇叭(らっぱ)の声までも
凍るばかりの朝風を
物ともせずに雄々しくも
進み出でたる一大隊
2、 田茂木野(たもぎの)村を後にして
踏み分け(のぼ)る八重の坂
雪はますます深うして
(そり)も動かぬ夕まぐれ
せんなくそこに露営せり
人は垂氷(つらら)の枕し
3、 明くるを待ちてまた(さら)
前へ前へと進みしが
み空のけしき物すごく
たちまち日影かき暗し
行くも帰るも白雪の
果ては道さえ失いぬ
4、 雪降らば降れわれわれの
勇気をここに試しみん
風吹かば吹けさりとても
行く所まで行かでやは
さは言え今は道もなし
あわれ何処ぞ田代村
9、 烏拉爾(ウラル)の山の朝吹雪
吹かれて死ぬるものならば
西伯利亜(シベリア)(はら)の夜の雪
埋もれて死ぬるものならば
()(ふく)みてもあるべきに
あああわれなり決死隊
10、 ここの谷間に岩かげに
はかなくたおれしその人を
問い(とむら)えばなまぐさき
風いたずらに吹きあれて
うらみは深し白雪の
八甲田山の麓原(ふもとばら)


語句の説明・解釈

 各寮からの応募作の他に音樂隊(樂友会が再建されたのは明治43年2月 樂友会の前身か)作歌の寮歌がこの年、紀念祭歌として登場する。音楽隊作歌寮歌は、この後も、明治38年「武香が岡に」(昭和10年寮歌集で個人名の小笠原壬午郎作詞・作曲と改められた)、明治39年「みよしのの」と続く。現在は、大正9年第30回紀念祭寮歌と呼ばれている有名寮歌「のどかに春の」も、「三十年祭紀念歌」として特別に依頼ないし募集し作られたものである。

 一高寮歌解説書は「音楽隊の実体は不明」とする。音楽部は明治29年に校友会から外されたが、その後も明治43年の樂友會再建まで、音楽隊と称し紀念祭等で演奏活動を継続し、また紀念祭の節々で、各寮寮歌とは別に紀念祭歌を作っていたと見るのが妥当である。

 音楽部・樂友會の変遷は次のとおり。
明治25年 校友会委員会唱歌会を音楽部と改称して加入を認める。
         「本会は当校に於て儀式ありて必要なるときは合唱及び奏樂の義務を負ふ」
明治26年 音楽部廃止論が出るも木下校長(会長)の擁護で存続
明治29年 音楽部廃止(ロンテニス部と共に)
明治43年 樂友會として再建  樂友會は、練習週2回。1回は斉唱、合唱などの一般教授、1回はヴァイオリンなど楽器の個人教授 (「一高自治寮60年史」)

語句 箇所 説明・解釈
春の日背をあたゝめて 梅の香澄みぬ向陵の 丘に若草きざしけり 五寮に人の集ひつゝ 樂しからずや十餘年 めぐりて同じ日の數を 1番歌詞 春の暖かい陽射しが丘の上に照って、梅の花が綻び、よい匂いを向ヶ丘に漂わせ、若草が芽吹いてきた。五寮には人が入れ替わり集って、10余年、毎日毎日を楽しく過ごしてきた。

「春の日背をあたゝめて」
 「背」は、人の背中ではなく、本郷台・向ヶ丘の山の背。丘の上と訳した。昔の奥州街道・日光街道(本郷通り)は、今は建物が建ち並び分かりづらいが、尾根伝いの道であった。幕末、上野の森に立て籠もる幕府軍に対し、本郷の山の上から大砲を打ち下ろした。その山の背をいう。

薄田泣菫『兄と妹』 「冬の日背をあたためて 南の窓のたたずまひ」(東大森下先輩「一高寮歌解説の落穂拾い」)

「梅の香澄みぬ」
 「香」は、よい匂い、また目で感じる美しさにもいう。梅の花が咲いて、いい香りを丘に漂わせている。

「五寮」
 東・西・南・北・中の五つの棟の一高寄宿寮。明治33年南・北・中の三寮が校内(旧南北寮は校外敷地)に新築され、一高寄宿寮は五寮となった。これにより収容力が増え、翌34年に、「本校生徒は在学中寄宿寮に入るべきものとする」と寄宿寮規程が改正され、ここに多年の念願であった全寮制が実現した。

「樂しからずや十餘年 めぐりて同じ日の数を」
 10余年の日数と同じ数だけ、すなわち、毎日毎日10年余、楽しく過ごした。
今日にかぞへぬ吾寮の 自治の大旗尚高く 東風に流れて永劫に 道の示しとなりぬらん 祝へ旭のさまに似て 榮えゆく我自治寮を 2番歌詞 今日、我寮は一歳年を加え、自治の大旗はますます空高く翻っている。東風にはためいて、自治は、未来永劫、我寮の(しるべ)となっていくだろう。昇る旭に似て、上り調子に栄えてゆく我自治寮を祝おう。

「今日にかぞへぬ吾寮の」
 難解。「かぞへ」は「数ふ」(下二段)の未然または連用形。「ぬ」は連体形とすれば、打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」となり、「数ぞへ」は未然形となる。かく解する時、「今日に数えない」となるが、意味不明となる。「比類なき」とでも訳すか。
 助動詞「ぬ」が完了の助動詞で、その連体形「ぬる」の間違い、ないし語数の関係から「ぬ」と省略した、さらには「今日にかぞへぬ」で切れると解すれば、この語句は「今日、一歳年を加えた」、「今日誕生した」となる。疑問を残しながらも、今は暫定的にこのように訳しておく。賢明なる諸兄のご意見を伺いたい。

「自治の大旗尚高く」
 一高寄宿寮の自治の礎がなお強固に固まり、自治の順風満帆なさまを自治の旗に喩える。

「東風に流れて永劫に 道の示しとなりぬらん」」
 「東風」は、東から吹く風、春風のこと。自治は未来永劫、我寮の導となっていくだろう。「道の示し」は、「世の人たちの導」と解することも出来るが、「栄えゆく我自治寮」と次にあるので、「寮の導」とした。

「旭のさまに似て 栄えゆく我自治寮を」
 東風に東から西にはためく自治の大旗は、東から昇る太陽に似ている。一高寄宿寮の自治は、登り調子に栄えてゆく。
健兒よ歌へ今日の日を自治よ生ひ立て今日の日に 春風空に香ばしき 地に若草の色清し 歌口しめし吾吹けば 自治の音高く天に入る 3番歌詞 一高健児よ、今日のよき日を歌え。今日のよき日に、自治よ、目に見えて発展せよ。春風が向ヶ丘に芳しく、地には若草の綠色が柔らかい。吹き口に唇を当てて、笛を吹けば、その音は天まで鳴り渡る。

「歌口しめし」
 「歌口」は笙・笛・尺八などの吹き口。「歌口しめし」は、その吹き口に唇を当てること。草笛であれば、葉に唇を当てるということ。
                        

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