旧制第一高等学校寮歌解説
彌生が岡に |
明治36年第13回紀念祭寮歌 南寮
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1、彌生が岡に地を占めて 立つや五つの自治の城 2、隅田川原の勝歌や 南の濱の鬨の聲 |
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平成16年寮歌集添付原譜では、第6段3小節の最後のミ(高)がソ(高)となっている。誤植であろう。 「都の空に」「としはや已に」等名寮歌を多くを作曲した鈴木充形の第1作である。 譜は、ハ長調・4分の2拍子が、3度キーを下げてイ短調(拍子はそのまま)と短調化した。譜の変遷は、概要、次のとうりである(譜はハ調読み)。 1、「いらかに」(3段1小節)の「いら」 「ラーラ」から「ソーソ」(大正10年寮歌集) 2、「すくはね」(3段3小節)の「ね」 「ミ」から「ド」(大正14年寮歌集) 3、「みぎわに」(4段1小節)の「ぎ」 「ミ」から「ド」(大正14年寮歌集) 4、「4分休符 せんしう」(4段4小節・5段1小節) 「4分休符 せんしう」 「4分休符 ソ(せん)ーソ(しう)ーミ(-)」から「8分休符ミ(せ) ソ(ん)ーーミ(しゅ)」に(大正14年寮歌集) 5、「しへに」(5段4小節)の「へ」 「ソ」から「ど」に(大正14年寮歌集) 以下は昭和10年寮歌集で行った譜の変更 6、「すくはね」(3段3小節)の「す」 「ラ」を3度下げればイ短調「ファ」となるべきところを「ミ」に 7、「かーめは」(4段2小節)の「かーめ」 「ソーソ」を3度下げてイ短調「ミーミ」となるべきところ「ミーファ」に 8、「かーみの」(6段2小節)の「かー」 「ソーソ」(付点8分音符と16分音符)を「ソ」(4分音符ひとつ、3度下げてイ短調「ミ」)に 9、「おーかに」(1段2小節)の「おー」、「たーつや」(2段1小節)の「たー」のそれぞれ2音をタイで結んだ。 3度キーを下げただけで、曲というものは、こんなに感じが変わって、哀愁を帯びたものとなる。不思議だ。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
彌生が岡に地を占めて立つや五つの自治の城 甍に田鶴は |
1番歌詞 | 彌生が岡に、でーんと聳え立つ五寮の一高寄宿寮。屋根に鶴は巣食ってないし、池に亀は住んでいないが、鶴は千年亀は万年と幾世久しく栄えるように神様が定めている。 「五つの自治の城」 東・西・南・北・中寮の五つの一高寄宿寮。俗塵を絶って、向ヶ丘に籠城するの意から城と言う。 「田鶴」 ツルの歌語。「ツル」と言う語は、万葉時代にあったが、歌には使われなかった。 「汀」 水際(ミギハ)の意。川、溝などの水に接する所。池と訳した。 「千秋萬歳」 千年万年の意。人(ここでは寄宿寮)の寿を祝する語。 |
隅田川原の勝歌や 南の濱の鬨の聲 大津の浦のものゝふが 夢破りけん語草 かへりみすれば幾歳の 歴史は榮を語るかな | 2番歌詞 | 隅田川のボート戦で高商に勝利したこと、横浜で外人チームとの野球戦であげた勝鬨、今は語り草となったが、大騒ぎとなった南北寮分割事件。幾年か過去の歴史を振返ってみると、それは一高寄宿寮の栄光の歴史以外の何物でもない。 「隅田川原の勝歌」 明治20年から明治32年にかけ対高等商業(現一ツ橋大学)との間で行なわれたボート戦。一高が6連勝。東都の名物であった。 「南の濱の鬨の聲」 「南の濱」は横浜のこと。一高野球部が横浜で外人チームと戦って勝利したこと。 長躯碧眼の外人勢を相手に明治29年以来明治37年まで13回戦い11勝した。一高野球部員の快挙に対し全国民は狂喜した。寮歌発表の前年明治35年5月10日にも、横浜で横浜アマチュアクラブと戦い4Aー0で勝ち、5月17日は一高球場で米国軍艦ケンタッキー号と戦い、34A-1で勝っている。 「大津の浦のものゝふが 夢破りけん語草」 「大津の浦」は、明治27年、神奈川県三浦郡浦賀町字大津に開設した水泳場。「夢破りけん語草」とは、向陵史上名高い明治30年に起こった南北寮の分割問題。高等師範の臨時養成所設置の為、老朽化した南北寮を廃止し、東西寮に統合する計画が発覚、これを聞きつけた寮生が大津水泳場にいた校友に報告したことから、自治制度の根幹を揺るがすものとして大問題になった。 寮生の計画阻止の奔走と熱意により、久原校長が翻意し、計画は撤回された。 「南北寮事件は、やがて新しい南北寮と中寮の建設となり、東・西・南・北・中の五寮が完成して全寮制の結果につながることになる。」(「一高自治寮60年史」) |
天そゝり立つ 富士の |
3番歌詞 | 天にそそり立つ富士山、その孤高の姿を姿として、頂に残る白雪の清き心を心として、俗界を遠く離れた理想の地である向ヶ丘に、今も尚、自治の寄宿寮に籠城する一高生。 「遠地」 本郷は、一高が元あった一ツ橋と比べれば江戸の端っこであるが、距離的なものより、「俗塵を避け、籠城した」の意で、遠地といった。 「芙蓉の雪の精をとり、芳野の花の華を奪ひ 清き心の益良雄が」(明治35年嗚呼玉杯」2番) |
清き歴史を忍ぶべく 遠き理想を想ふべく 春のたる日を今日こゝに うたげのむしろ催せば 喜び胸にあふれ來て 力あるかな自治の歌 | 4番歌詞 | 一高寄宿寮の清い歴史を偲びながら、また将来の理想に思いを馳せながら、春のよき日を今日ここに紀念祭を催せば、歓びが胸に溢れ、寮歌を歌うと力が湧いてくる。 「忍ぶ」 じっと我慢する意だが、ここでは「偲ぶ」の意。遠い人、故人などを思慕する。賞美する。 「春のたる日」 春のよき日に。「のたる」ではなく、満ちている、似つかわしくあるの意の「たる」。 「自治の歌」 自治を讃える歌、すなわち寮歌である。 |
力あるかな自治の歌 光ある哉自治の友 あゝ此の友のふるふ時 あゝ此の歌を歌ふ時 罪よ汚れよとことはに 五つの城をうかがはじ | 5番歌詞 | 自治の歌を歌えば力が湧き、自治の友が振るい立つ時は光り輝く。そういうわけだから、自治の歌、自治の友がこの寄宿寮に健在である限り、罪も汚れも、この五寮には寄って来ることが出来ない。 「五つの城」 1番の「五つの自治の城」に同じ。一高寄宿寮。 |
十三年の春秋を 迎へてうれし今日こゝに 祝ふや春の紀念祭 五城の友よいざさらば 自治の誉をうちあげん 自治の榮をうちあげん | 6番歌詞 | 13年の年月を経て、今日ここに春の紀念祭を祝ううれしさよ。寮友達よ、この紀念祭が終われば、お別れだ。これからも自治に精進して、わが寄宿寮の名声をあげ、ますます栄えんことを祈る。 |