旧制第一高等学校寮歌解説

かつら花咲く

明治36年第13回紀念祭寮歌 中寮

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1.かつら花咲く西の空   文明の雲いざよひて
  絳霞の光あざやかに   平和の色はたなびけど
  晩鐘風に傳はりて     ゆふべ僞涙の聲高し

5.それ橄欖の樹の蔭に  自治の礎高ければ
  橘匂ふ風清く        五城の春は回り來て
  尚武の花の永しへに   結ぶ理想の實もかたし

7.立て向陵の健男兒    理想の自治を友として
  狂瀾荒き濁流を      蹴立てゝ行くに何かある
  行手を照す旭光は    東亞の空に影うらか


*「うらか」は昭和50年寮歌集で「うらら」に訂正
4段3・4小節原譜歌詞に「なびけども」とあったが、「たなびけど」に訂正。 4段1小節4番目の「レ」は、原譜では4分音符であるが、ハーモニカ譜の数字下の二重線不記載の誤りと見做し、16分音符に訂正した。
現譜は、昭和10年寮歌集で、調のみト長調からホ長調に移調した。その他は変更はない。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
かつら花咲く西の空 文明の雲いざよひて 絳霞の光あざやかに 平和の色はたなびけど  晩鐘風に傳はりて  ゆふべ僞涙の聲高し 1番歌詞 桂首相が努力して見事に日英同盟を締結した。ロシアとの戦争は避けられず、世界の大国英国と同盟を結んだのは高く評価できる。
 義和団事件では、列強諸国と中国の間に北京議定書が交換され、また東三省(満洲の清の発祥の地)に残留するロシアも撤兵すると清と条約を結んだ。これで一件落着、平和が戻ったようである。しかし、ロシアは約束を破って、兵を満洲から引かないではないか。満蒙と朝鮮の権益を独占しようとしているのだ。ロシアは信用出来ない。

「かつら花咲く西の空」
 「かつら」は、我国特産のカツラ科の落葉高木。春先、葉に先立って暗紅色の花をつける。また、中国で、月中にあるという想像上の樹。また月をいう。「桂が月に咲くという中国では」と解することも出来るが、それは表面の意味で、真の意味は、明治34年第1次桂内閣を組織、日英同盟を締結し日露戦争を指導した当時の日本の首相桂 太郎のことと解する。桂首相が主導して英国と結んだ日英同盟を高く評価して、「かつら花咲く」というのである。
 
東大・森下先輩からも「かつら」を時の首相桂 太郎とする次の解釈を頂きました。
 「かつら花咲く西の空」とは、明治35年1月に桂太郎首相らの尽力で日英同盟の締結が実現したことと解したい。「かつら」は桂太郎、「花咲く」は日英同盟の実現、「西の空」は「同盟相手の英国」または「調印の行われたロンドンの地」を指すと解する。当時、列強文明国である英国との同盟の成立は日本の国際的地位の向上を示した快挙だとされた。「文明の雲」、「降霞の光」もこのことを含意していると見れば、素直に理解できよう。

「文明の雲いざよひて」
 「いざよふ」は、動かず停滞していることだが、ここでは、列強諸国(文明の雲)が集まっての意。あるいは平和の雲が漂ってと解してもよい。

絳霞の光あざやかに」
 
絳霞」は、紅霞で、夕陽で赤く染まった雲。夕焼け雲。いざよう文明の雲に夕陽が反射して真っ赤に色美しく染まって。ただし、夕陽が沈めば、鮮やかに輝く彩雲も消え、闇の世界を迎える。

「平和の色はたなびけど」
 義和団事件北京議定書、清露、東三省撤兵条約締結をいう。夕陽が海に没するまでのかりそめの平和である。

明治34年9月 7日 清、列国と辛丑条約(義和団事件北京議定書)に調印。
明治35年4月 8日 清露、東三省(満洲)撤兵条約締結。
明治35年6月14日 義和団事件講和条件付帯議定書に調印。
日本の賠償分配額は3479万海関両。

 
東大・森下先輩から、さらに広い国際的視野に立った次の解釈をいただいた。

 日露関係が緊迫しつつあったこの時期に、なぜ「平和の色」なのかという疑問がもたれるが、実は日清戦争(1894年)から日露戦争(1905年)にかけての約十年間、ヨーロッパ列強の間では戦争のない状態が続いていた(植民地戦争は別)。そして1999年にはロシア皇帝の提案によりオランダのハーグで国際平和会議が開 かれ、ヨーロッパ諸国と非ヨーロッパ諸国の代表が集まり、国際紛争の平和的解決等をめぐって議論が交わされた(中公新書『日露戦争史』横手慎二著)。本寮歌は、こうした表面的でしかない国際平和への動きと日本国民の無関心に対して「ゆふべ偽涙の声高し」と揶揄し、現実には戦争が近づきつつあることへの警告を発していると解する。 

晩鐘風に傳はりて ゆふべ僞涙の聲高し」
「晩鐘」は、入相の鐘の音。くれのかね。「偽涙」は、いつわりの涙。
 ロシアは義和団事件解決後も約束を履行せず満洲に大軍を駐留し続けた。ロシアの言うこと、なすこと信用が出来ないということ。
嗚呼東海を洗ひ去る 潮に乗りて一千里 南鳥島をかすめ行く 千重の雄波はさわぎ立ち 霧尚ほ深き曙の 巖に荒く激すなり  2番歌詞 明治35年に日米間に起こった南鳥島の領有権をめぐる小競り合いを踏まえる。
 明治31年、日本は南鳥島と命名し、領有を宣言。日本領土に編入した。島では日本人がアホードリの羽毛、グアノ(鳥糞・リン鉱石)の採取、カツオ漁などを営んでいた。明治35年7月23日に、アメリカ政府の「マーカス島」(南鳥島)渡航と占有の許可を持ったローズヒルなる人物がジュリア・E・ワーレス号でやって来た。事前に察知していた日本政府は、軍艦「笠置」を南鳥島に派遣し、ローズヒルの同島占有を阻止した。この事件は、ローズヒルがハワイ・ホノルルを出港して間もなく7月16日の「東京朝日新聞」で報じられ、日本国内は大騒ぎになったということである。
 この年、アメリカは米比戦争に勝利し、フィリピンの平定を世界に宣言した。西のロシアの脅威の外に、東にはアメリカの脅威があり、警戒を怠ってはならないと説く。

「東海を洗ひ去る潮」
 フィリピンから台湾、南西諸島の東側を経て、日本の太平洋岸沿岸を北上、犬吠埼付近で太平洋上に向かう黒潮のこと。「一千里」は、フィリピンから南鳥島までの黒潮の流れる距離か。ちなみに、東京から南鳥島までの距離は、おおよそ1900km(500里弱)である。「東海」は、中国から見て東の海の国、日本のこと。

「南鳥島」
 日本の最東端の小島。東京都小笠原村に属する。ほぼ正三角形で一辺の長さは約2km、標高は高い所でも20m足らずである。上記のとおり住民のいたこともあったが、度々の火山爆発で無人化、今は気象測候所も引き上げた。天然記念物のアホードリが棲息していることで有名。

「千重の雄波はさわぎ立ち」
 上記の南鳥島の領有をめぐる日米のトラブル。「千重の雄波」とは、幾重にも重なった寄せる高波で、具体的にはローズヒルが乗って来たジュリア・E・ワーレス号をいう。

「霧尚ほ深き曙の 巌に荒く激すなり」
 南鳥島事件は、うやむやに落着したようだが、アメリカはフィリッピンを植民地にするなどアジアを虎視耽々と狙っている。夢、警戒を怠ってはならない。
さはれ黄金の波湧かし 榮華の色を雲に染め 治安をよそふ夕陽の わだつみ清く射るがごと 謳歌の聲に迷ひたる 世は平安の夢寂し 3番歌詞 だから、警戒を怠ってはいけないのに、夕陽は、海面を金色に輝かせ、夕雲を真っ赤に染めて、世は平和だと人に思い込ませている。しかし、それは一刻のことで、夕陽は、やがて丸ごと海にのみ込まれ、金波銀波も彩雲も幻のように消え失せて闇となる。世の人が、夕陽、すなわち、偽りの平和とかりそめの栄を褒めたたえ、浮かれているのは、寂しい限りだ。すなわち、かりそめの平和、一時の栄に浮かれてはいけない。

「さはれ」
 そうではあるが。それにしても。これでは意味が通じないので、遅くも大正7年寮歌集で、そうであるから。だからの意の「されば」に変更。

「黄金の波湧かし」
 太陽が西の海に沈み、海面を金色に輝かせること。義和団事件で勝利し、多額の賠償金を得たことを暗に示す。

「榮華の色を雲に染め」
 雲を真っ赤に染め、ときめき栄えていると。1番の「絳霞の光あざやかに」に同じ。かりそめの平和、一時の栄えをいう。

「謳歌の聲」
 褒めたたえる声。

土井晩翠「平和」『晩鐘』 「海に黄金の波湧かし 空に焰の雲を染めて しづかに落ち行く夕日の姿」(森下東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

十三年の其の昔し 驕奢の花の色深き 塵世の巷よそにして 皮相の風に逆ひつ 向が陵に根生ひせし 柏もゆらん旗の影 4番歌詞 13年の昔、贅沢に驕る汚れた俗界から離れ、うわべだけ綺麗に取り繕う世間の傾向に逆らって、向ヶ丘に根を生じた柏も大きくなって、自治の旗影に芽吹いていることだ。すなわち、13年前に塵界の汚れを絶って、向ヶ丘に建てられた寄宿寮の自治は年々強固になっている。

「昔し」は、昭和10年寮歌集で、「昔」に変更。

「柏もゆらん旗の影」
 「柏」は、一高寄宿寮。「もゆらん」は、萌ゆらん(或は燃ゆらんか)。芽吹いたことだ。「らん(む)」は、ここでは詠歎の意と解す。「旗の影」の「旗」は、自治の旗か護国の旗か。5番以下の脈絡で自治の旗と解す。
「四色に染めし大旗の 靡くや自治の二字薫る」(明治34年「輝き渡る」2番)
「礎かたき寮作り 自治の白旗かげかをる」(明治34年「世紀の流れ」8番)
「世の濁流の棹さして 旗は掲ぐる自治の二字」(明治35年「大空ひたす」4番)
 
それ橄欖の樹の蔭に 自治の礎高ければ 橘匂ふ風清く 五城の春は回り來て 尚武の花の永しへに 結ぶ理想の實もかたし 5番歌詞 橄欖香る向ヶ丘に聳え立つ寄宿寮の自治の礎は強固であるので、護国の旗も清らかに翻る中、五寮の誕生を祝う紀念祭の春が巡って来た。武を重んじる風も衰えることなく、寄宿寮は理想の自治に向ってますます盛んである。

「橄欖の樹の蔭」
 向ヶ丘。「橄欖」は一高の文の象徴。

「橘匂ふ風清く」
 橘は柑橘類の総称だが、ここでは紫宸殿の南階下に植えられた右近の橘で、「橘匂ふ風」とは護国の心のことと解す。一高の象徴柏木は、皇居守衛の任に当たる兵衛及び衛門の総称である。儀式の時、橘の木の傍には右近衛府の官人が列した。

「五城の春」
 一高寄宿寮の誕生を祝う紀念祭。「五城」とは、東・西・南・北・中の五棟の寄宿寮。

「尚武の花」
 武を重んじる心。
漂ふ水も止まらば 淀みに濁る怨あり 自治の聲のみ高くとも 盲寐の夢に迷ひなば 希望は亡び壯心の 湧く熱血を奈何せん
6番歌詞 漂う水も止まらなければ、淀んで濁ることもない。自治の掛け声のみ高くとも、現実性のない夢のようなことばかり追いかけていては、希望は実現できず、自治は停滞し淀んでしまう。盛んな志に漲る情熱を無駄にするだけだ。

「盲寐の夢」
 寝床に眠って見る夢。「寐」は眠ること。ちなみに、「寝」は横になること。
立て向陵の健男兒 理想の自治を友として 狂瀾荒き濁流を 蹴たてゝ行くに何かある 行手を照す旭光は 東亞の空に影うらか 7番歌詞 立て、向ヶ丘の一高健児。理想の自治を掲げ、それに向かって荒れ狂う濁流だって、蹴立てて進む以外にないのだ。自治の行く手を照らす朝日は、東亜の空に燦然と輝く。

「狂瀾」
 荒れ狂う大波。行く手に立ちふさがる大きな障害のこと。

「蹴たて」
 明治37年の初版寮歌集では、別の字のようであるが、判読不能。遅くも大正7年以降、現行の「蹴たて」である。

「影うらか」
 昭和50年寮歌集で、「影うらら」に変更。
                        


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