旧制第一高等学校寮歌解説

綠もぞ濃き

明治36年第13回紀念祭寮歌 東寮

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1、綠もぞ濃き柏葉の     蔭を今宵の宿りにて
  夕べ敷寝の花の床    旅人若く月細し
  黙示聞けとて星屑は    梢こぼれて瞬きぬ

2、橄欖の花雫すよ      花の甘汁われ吸へば
  現ともなき醉心       幻の霧立ち迷ふ
  足下の流れ音立てゝ   地に私語(さゝや)くや何の旨

3、星の黙示に驚きて     敷寝の花を蹴て立てば
  露のおとろの花うばら   あゝ紅よ紫よ
  刺を包みて何すらん    僞善は花の刺にして

4、地に私語きぬ小流は   橄欖の香に慕ひ寄る
  くちなは淵を渡りつと   さ霧の闇に草摺れの
  音聞えつゝ木の(もと)の   猜疑の蛇を我見たり

5、彼のくちなはを屠りつゝ  彼の荊棘を刈らんとて
  抜き放ちけり秋の水   夕月落ちて霧白し
  夜を深緑柏葉に      橄欖の花散りかゝれ

6、今旅人と見し夢の     跡なく覺めて彌生や
  十三年の春風に      梅こそ薫れ向陵の
  五寮春今自治燈に    宵を灯ともす紀念祭
 3段4小節のレは、1オクターブ低く、誤植であろう(大正10年・同14年・昭和10年寮歌集は1オクターブ高い)。譜は当時の流行歌「不如帰」の元歌となった。

ハ長調・4分の2拍子は変わらない。譜の変更された箇所は次のとおり。

1、「ぞこき」(1段2小節)の「こ」          ソからミに(昭和10年寮歌集)
2、「よいの」(2段2小節)の「い」          ドからラに(大正14年寮歌集)
3 「つきほそ」(4段3小節)の「ソ」         ソからラに(昭和10年寮歌集)
4、「こずえこ」(6段1小節)「こずえこ」の「こ」  レからミに(昭和10年寮歌集)
5、「またたき」(6段3小節)の「き」         ドからミに(昭和10年寮歌集)

 これらの変更により、例えば最後の「またたきぬ」は「ソーミレードドー」から「ソーミレーミドー」と1音変えるだけで、違和感なくスムーズに歌えるようになった。これが所謂「寮生による歌い崩し」というものである。寮歌は、作曲者だけが作曲したものではない、「眞の作曲者は寮生である」と云われる所以であろう。


語句の説明・解釈

「嗚呼玉杯」がアイディアリズム寮歌の代表とすれば、この寮歌は、アイディアリズム寮歌全盛の中にあって、ロマンチシズムないしリリシズム寮歌の嚆矢として旧制高等学校寮歌史に大きく位置付けることが出来よう。二つの寮歌の作曲者はともに楠 正一である。
 「五寮春今自治燈に 宵を灯ともす紀念祭」ーなんとロマンチックで美しい歌詞であろうか。ラフマニノフのピアノ協奏曲を聞くがごとく、人を甘美な夢幻の世界へと誘う。私の一番好きな寮歌の文句である。私自身「花の甘汁」を吸った状態である。

語句 箇所 説明・解釈
綠もぞ濃き柏葉の 蔭を今宵の宿りにて 夕べ敷寝の花の床 旅人若く月細し 黙示聞けとて星屑は 梢こぼれて瞬きぬ 1番歌詞 今宵の宿は、緑色のまこと濃い柏葉の木蔭としよう。昨夜は、橄欖の散り敷く花を床にして寝た。旅人は若く、月もこれから満ちてゆく三日月だ。黙示を聞けと星屑は、梢の間から瞬いた。

「綠もぞ濃き柏葉」
 「も」も「ぞ」も強意の助詞。「柏葉」は一高の武の象徴。この寮歌では、武の象徴「柏葉」と文の象徴「橄欖」を前面に出して、その頃、いよいよ盛んになった校風問題を象徴詩的に論じているように見える。以下、自治共同の寮生活において、歡樂を戒め、「偽善」や「猜疑の心」は取り除くべきと強く求める。

「敷寝の花の床」
 「花」は、一般には桜の花をいうが、ここでは一高の文の象徴橄欖の花と解す。「敷寝」は、(花を)下に敷いて寝ること。

「旅人」
 俳人芭蕉ではないが寮歌では人生を旅とみて、その若き日の3年間、真理の追究と人間修養のため旧制高等学校の寮に起居すると詠うものが多い。旅人とは一高生のことである。

「月細し」
 新月と上弦の間の所謂三日月をいう。これから満ちてゆく若い月である。

「黙示聞けとて星屑は 梢こぼれて瞬きぬ」
 「黙示」とは、人間の力では知り得ないようなことをさとし示すこと。「星屑」は、夜空に光って見えるたくさんの小さな星。「梢」は、文の象徴である橄欖の梢。本郷本館前の橄欖(すだ椎)は枝葉は密であり、梢の間から星屑が瞬くことはないが、詩の上であること、前後の脈絡から、文の象徴橄欖の梢と解す。
橄欖の花雫すよ 花の甘汁われ吸へば 現ともなき醉心 幻の霧立ち迷ふ 足下の流れ音立てゝ 地に私語(さゝや)くや何の旨 2番歌詞 橄欖の花に雫が垂れる。その花の甘い知恵の汁を吸うと、この世のものとは思えない酔い心となって、幻の霧の中をさ迷う。一方、現実の世界では、足元を音を立てて流れ落ちる小川の音は、一体、この向ヶ丘の地にどんなことを囁こうとしているのか。
(4番で、「橄欖の香に慕ひ寄る くちなは淵を渡りつと」と囁いたことが明らかになる)

「花の甘汁」
 智恵が誘う現実とかけ離れた夢幻の世界。自治共同という現実からの逃避、甘美な歡樂への誘い。

「足下の流れ」
 4番の「小流れ」、5番の「秋の水」ともに、「寮雨」(寮窓から放水すること)のこととする説もあるが、偽善と猜疑がうずまく現実の世界のこと。向ヶ丘から根津方向には傾斜がきつい。雨が降れば、急傾斜に何筋かの雨水の流れが出来て、音立てて流れたと容易に想像できる。もちろん詩であるから、流れ(4番では小流れ)はフィクション。しかし、「くちなは淵をわたりぬ」(4番)とあるから、寮雨では、なさそうである。いずれにしろ、「流れ」(小流れ)は、地上にたまって流れる「にわたずみ」(「たずみ」は淵の意)のようなものであろう。

「地」
 向ヶ丘。
星の黙示に驚きて 敷寝の花を蹴て立てば  露のおとろの花うばら あゝ紅よ紫よ 刺を包みて何すらん 僞善は花の刺にして 3番歌詞 真理をさとす星の黙示に驚いて、敷寝としている花を蹴って起き上がると、そこは、露で濡れたイバラの花が生い茂っている。紅や紫の色鮮やかな花が棘、すなわち偽善を包み隠して何をしようとしているのだろうか。

「星の黙示」
 星の黙示は、天の眞理・理想。地上の現実の世界に対する。

「露のおとろの花うばら」
 「おどろ」とは草木の乱れ繁ること、またその場所。「うばら」とは、いばら(茨・荊棘)のこと。

「あゝ紅よ紫よ」
 刺・偽善をつつむ色鮮やかな華美な装飾。
「紅 翠 紫や みやび色のみ多くして」(明治41年「としはや已に」1番)

「偽善は花の刺にして」
 美しい花には刺(偽善)があるということ。偽善は、紅や紫の華美な装いで包み隠されている。
地に私語きぬ小流は 橄欖の香に慕ひ寄る  くちなは淵を渡りつと  さ霧の闇に草摺れの  音聞えつゝ木の(もと)の 猜疑の蛇を我見たり 4番歌詞 (2番の)小川の流れは、橄欖の知恵の匂いに慕い寄るため、蛇は小川の淵を渡ったと囁いたのだ。狭霧の中、草ずれの音を立てながら、猜疑の蛇は今、橄欖の木の下にいるのを自分は見た。

「くちなは」
 ヘビの古名。。朽縄に似ているからという。*私の田舎紀州では蛇のことを「くちな」という。

猜疑の蛇」
 「猜疑」とは、そねみ疑うこと。「猜疑の蛇」とは、イヴに禁断の智恵の実を食べるようにそそのかした蛇を念頭においてか。
彼のくちなはを屠りつゝ 彼の荊棘を刈らんとて 抜き放ちけり秋の水 夕月落ちて霧白し 夜を深緑柏葉に 橄欖の花散りかゝれ 5番歌詞 あの蛇を屠り、あのイバラを刈ろうと、抜き放った白刃。夕月は早や落ち、向ヶ丘に白い霧が立ちこめた。緑色濃き柏葉に、香りのいい橄欖の花よ散りかかれ。すなわち、寮生活の敵である猜疑(ヘビ)と偽善(荊棘)を取り除き、綠濃い柏葉に橄欖の花の散りかかる自治寮本来の姿を取り戻そうの意。

「夕月」
 陰暦10月頃までの夕方だけある月。1番の「月細し」の三日月。

「霧白し」
 「白」は、猜疑の蛇、荊棘の除かれた清らかな寄宿寮を暗に示す。

「柏葉」「橄欖」
 一高の象徴。「深緑柏葉に 橄欖の花散りかかれ」とは、理想的な寄宿寮の姿として描く。
今旅人と見し夢の 跡なく覺めて彌生や 十三年の春風に 梅こそ薫れ向陵の 五寮春今自治燈に 宵を灯ともす紀念祭 6番歌詞 今、旅人と見た夢のような向陵の三年間もあっという間に過ぎた。向ヶ丘は、いよいよ盛んに三月を迎えた。13回目の紀念祭の春風に、向ヶ丘の梅よ、花を咲かせ香を漂わせてくれ。五寮は春の今宵、自治燈をつけて、宵に灯をともす紀念祭を催す。

今旅人と見し夢の 跡なく覺めて」
「彌生」は、草木がいよいよ生い茂ること。陰暦三月の異称。また、彌生が丘のこと。 夢のような向陵の三年もあっというまに過ぎて。

「五寮」
 当時の一高寄宿寮。東・西・南・北・中寮をいう。

「梅」
 梅とは、自治共同の理想の姿。「柏葉に 橄欖の花 散りかかれ」(5番歌詞)と同じ意味。
寮歌に歌われる花としては桜が多いが、、本郷一高の寮歌では、自治の象徴として梅が登場する(近くでは湯島の白梅が有名。本郷とは、湯島の本郷の意味である)。

「緋縅しるき若武者の そびらの梅に風ぞ吹く」(明治38年「王師の金鼓」5番)
「ゆかしき園ゆ東風吹かば 梅の香をつたへかし」(明治44年「雪こそよけれ」4番)
「自治の梅花に東風吹かば 遙かに『匂ひおこせ』かし」(明治45年「筑紫の富士」5番)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 この詩は、藤村、晩翠などの影響の全くない非常に独創的なもので、之より数年後に相ついで象徴主義詩集を出した薄田泣菫や蒲原有明に先立って、この秀れた象徴詩を成し遂げていることは、文学史的に見ても非常に重視しなければならない。この歌詞は一節から五節まで、一語一語緊密に結びついて、自治寮を柏葉と橄欖茂る森の中に幻想せしめ、泉と狭霧と蛇と荊棘と繊月と剣とを配して、象徴的な世界を構成している。私が特に注意をひかれるのは、作者が寮生活に於る偽善と猜疑とを非常に憎んでいる点で、氏(作詞者の柴碩文)はその作詞の中で、之が根絶をふかく希求している 「一高寮歌私観」から
園部達郎大先輩 私、昭和7年の夏休み、父の郷里伊勢の櫛田村に帰っていた折、六年許り年上の従姉が、これを歌っているのに驚き、訊いてみたら、同じく「緑」で歌いだす『不如帰』の歌と分かった。乏しい知識の中で、この元の歌は、『緑もぞ濃き』だと説明して納得してもらった。柏葉4、橄欖3、梅1、花七度と華やかに飾られた詞の美しさ、偽善とくちなわを絡ませて映える。余りに美しいので、ちょっと悪戯心がでて、『足下の流』は、寮雨だとの説が横行していた。  
   テンシキも寮雨もありて寮歌(うた)明し

*「テンシキ」とは放屁のこと。端艇部「一つとせ」3番「屁張った顔に テンシキす」とある
「寮歌こぼればなし」から


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