旧制第一高等学校寮歌解説

大空ひたす

明治35年第12回紀念祭寮歌 南寮

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1.大空ひたす和田の原    飛ぶ影低き水鳥の
  翼休むる島もなし      煙に似たる一葉舟
  たヾ白波を名殘にて     汝が行末やそも何處

2.南溟のはて靈地あり     山は秀でゝ水清く
  野には橄欖實を結び    森にはレモン花開き
  青松白沙紫を湛へ      長汀曲浦風かほる

*「秀でゝ」は昭和10年寮歌集で「秀でて」に変更。
*「かほる」は昭和50年寮歌集で「かをる」に変更。
ト長調・4分の2拍子は変わらない。譜の変遷は次のとおり。変更は古く、大正10年寮歌集で、現在の歌い方となっている。
1、「ひたすー」(1段2小節) 3・4音にタイ(昭和10年寮歌集)
2、「とぶかげ」(3段1小節) 「ミソーーミ」(大正10年寮歌集)に、さらに「ミソーミ(8分音符)」(昭和10年寮歌集)
3、「すへやー」(6段2小節) 1・2音が「ソーソ」(大正10年寮歌集)


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
大空ひたす和田の原  飛ぶ影低き水鳥の 翼休むる島もなし 煙に似たる一葉舟 たヾ白波を名殘にて 汝が行末やそも何處 1番歌詞 大空が海と接する辺り、水面低く水鳥が飛んでいる。翼を休める島影などない、そんな大海の波間に木の葉のように漂う自治の小舟。白波だけを跡に残して、煙のように進んでいく。この舟は一体、どこを目指しているのであろうか。自治を波間に漂う一葉舟に喩える。

「ひたす」は、浸すで、水に浸かる。「大空ひたす」は、空が水に浸るところ、水平線のこと。
「和田の原」は、海の原(ワタノハラ、後世ワダノハラと濁ることも)のこと。 広々とした海。大海。
「一葉舟」は、水面に浮んで、舟のように見える桐などの一葉、ここではし自治の小舟。

土井晩翠 『馬前の夢』 「大空涵すわだの原 波間の星は影消えて」(森下東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
南溟のはて靈地あり 山は秀でゝ水清く 野には橄欖實を結び 森にはレモン花開き 青松白沙紫を湛へ 長汀曲浦風かほる 2番歌詞 南の大海の果てに霊地がある。山紫水明、野には橄欖の実が熟し、森にはレモンの花が咲く。白い砂と緑の松の美しい海岸線には、神仙にある紫色の海水が打ち寄せ、遙かかなたまで海岸線は続く。1番の自治の小舟の行先、すなわち自治の理想郷を描写するごとくである。

「南溟」は、[荘子逍遥遊]南にある大海。 「橄欖」は、一高の文の象徴。 「レモン」は、ミカンに似た白色五弁花を年中開く。 「青松白沙」は、広辞苑では「白砂青松」 白い砂と青(香jの松。海岸などの美しい風景をいう。 「紫を湛へ」の「紫」は帝王・神仙の色とされる。 「長汀曲浦」は、海岸線がはるかに続いていること。

与謝野鉄幹『東西南北』
 万里の波に舟うけて   南の島に復も行く 
 野には檳榔みのるなり 山にはレモン花ぞさく (東大森下先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
鹿追ふ獵夫は山を見ず 虎穴に入らずば虎兒を得じ 嵐雄叫ぶそも何ぞ 怒れる濤も物ならず やがてもあぐる凱歌の 響は遠く雲に入る 3番歌詞 鹿を追う猟師は、鹿に夢中になって山を見ない。虎穴に入る危険を冒さなければ虎の子は得られない。大局を見失わず、多少の危険を冒す勇気があれば、嵐が雄叫びをあげようと、波が怒濤逆巻こうと何のその、自治に仇なす者など鎧の袖の一触に打ち負かし、凱歌は遠く雲にまで轟く。

「鹿追ふ獵夫は山を見ず」
 逐鹿者不しかおうものはやまをみず[虎堂録] 利欲に迷うものは道理を忘れるの喩え。

「虎穴に入らずば虎兒を得じ」
 何事でも危険を冒さなければ大きな利は得られないという喩え。
武香陵頭空高く 世の濁流に棹さして 旗は掲ぐる自治の二字 則る羅針は四綱領 千ぶりの劍名は降魔 健兒が腰に聲を呑む 4番歌詞 向ヶ丘の空高く、世の濁流に逆らって、掲げる旗は自治の二字、従う羅針盤は四綱領、寮生1千人の剣の名は降魔の剣、この剣を吊るした健児の腰に自治を邪魔する魔軍は恐れおののいて声も出ない。
「武香陵頭」は、向ヶ丘のほとり。向ヶ丘に、桃源の故事の武陵を結び付けた。
「濁流に棹さして」は、濁流に逆らう。向ヶ丘に俗塵を絶って籠城すること。

「四綱領」
 寮開設にともない木下校長が寮生活において守るべき精神として示した四つの項目のことで、次のとおり。
          第一  自重の念を起して廉恥の心を養成する事
          第二  親愛の情を起して公共の心を養成する事
          第三  辞譲の心を起して静粛の習慣を養成する事
          第四  摂生に注意して清潔の習慣を養成する事

「千ぶりの劍」は、一高生1000人の剣(尚武の心)。
「降魔の劍」は、不動明王などが手に持つ悪鬼・魔物を降伏させる剣。
大空翔る鵬のひな  雲をまつなる龍の兒が 岡の深雪に身を鍛ひ 隅田の風に腕をとぎ 常盤の松の色添へて  星霜爰に十二年 5番歌詞 やがて大空を翔る鵬の雛、雲雨を待つ龍の子が、向ヶ丘の深い雪に身を鍛え、隅田の川で腕を鍛えた。年中色を変えない常緑の松に似て志操固く、雄飛の時を向ヶ丘に、じっと待って、星霜ここに12年が経った。

「龍の兒」
 「臥龍」のこと。まだ雲雨を得ないで、民間にひそみ隠れている英雄。鳳雛に同じ。[蜀志、諸葛亮伝] 一高生を喩える。

「鍛ひ」は、遅くも大正10年寮歌集で「鍛へ」に変更。
紫宸ゆるがぬ岡の上 五城のいらか鮮やけく 示す理想の朝の色 今日萠え出る若草に 千代の香をたきこめて 自治を歌はん諸共に 6番歌詞 厳かな一高寄宿寮の聳える向ヶ丘、五寮の甍が朝日に映えて自治の理想を鮮やかに示している。今日、芽吹いた丘の若草に、千載の栄えを祈って、さあ一緒に、自治の歌、寮歌を歌おう。

「紫宸ゆるがぬ岡の上」
 「紫宸」は天子の御殿。宸は天子の居所。ここでは向ヶ丘の一高寄宿寮のこと。
「五城」は、東・西・南・北・中の五寮のこと。
                                            
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