旧制第一高等学校寮歌解説
混濁の浪 |
明治35年第12回紀念祭寮歌 西寮
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1、混濁の浪逆巻きて 正義の聲の枯れし時 袖にけがれを宿さじと 向が岡の岡の上に 操を立てゝ十餘年 自治の礎今固し *「枯れし」は昭和10年寮歌集で「涸れし」に変更。 2、世を汝が足に踏据ゑて 勝に荒ぶる魔軍勢 寄せなば寄せよ我城に 千張の弓の張れるあり 魔神の楯も防ぎ得じ 射るは正義の征矢なれば 4、護国の旗をひるがへし 我等立つべき時は來ぬ マルスの神は矛執りて ミネルバの神楯握り 我等を常に守るなり 進め軍鼓の音高く 5、胸に義憤の浪湛へ 腰に自由の太刀佩て 我等起たずば東洋の 傾く悲運を如何にせむ 出でずば亡ぶ人道の 此世に絶ゆる如何にせん *「佩て」「絶ゆる」は遅くも大正7年寮歌集で「佩きて」「絶ゆるを」に訂正。 |
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原譜5段4小節の4分音符は、大正10年寮歌集では数字の5に下線がり8分音符であったが、誤りとみて訂正した。 ニ長調・4分の2拍子は変わらない。大正14年寮歌集、昭和10年の寮歌集で、ほぼ現在の譜に改められた。 変更の主な箇所のみを記す。14年は大正14年寮歌集、10年は昭和10年寮歌集の略。
以上のほか、平成16年寮歌集で、「さかまきて」(1段3小節)の「き」がミに変更された。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 | ||||||||||||||||||||
混濁の浪逆巻きて 正義の聲の枯れし時 袖にけがれを宿さじと 向が岡の岡の上に 操を立てゝ十餘年 自治の礎今固し | 1番歌詞 | 濁った波が逆巻いて、正義の声が通らない濁世に、一高生一千は、汚れを断って清くいたいと、向ヶ丘に寄宿寮を建てた。木下校長から自治を許されて、全員で自治を守ると固く誓ってから10余年たった。今や自治の礎は、ゆるぎなく固まった。 「混濁の浪逆巻きて」 「混濁の浪」は、汚職・横領のはびこる乱れきった世の中の風潮。 「北清事変の分捕品、馬蹄銀着服の陸軍の腐敗。教科書汚職」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」) (陸軍の腐敗) 明治33年、義和団事件の分捕品・馬蹄銀120万両が日銀金庫に納入されたが、幸徳秋水が「万朝報」で陸軍に馬蹄銀の着服があったと痛烈に批判した。陸軍のドン山県有朋の恨みを買い、大逆事件の遠因となったという俗説もあるほどである。 (教科書汚職事件) 教科書疑獄事件の検挙が実際に始まったのは明治35年末。県知事等157人検挙。この事件を契機に教科書の検定制度が国定制度に改められた。この疑獄事件の発覚は明治35年秋のことであるので、「混濁の浪」発表後の事件である。しかし、この頃から汚職や横領が目立つ世の中となっていたのだろう。 「正義の聲の枯れし時」 正義の声が聞こえない時、正義が通らない世の中をいう。「枯れし」は、昭和10年寮歌集で「涸れし」と変更された。 「操を立てゝ十餘年」 御国旗の下に、自治を守ると誓ってから10余年たった。一高は明治22年3月22日 本郷区向ヶ岡彌生町に落成した新校舎に一ツ橋から移転、翌23年3月1日に東西寮を開寮した。明治35年3月1日は、第12回紀念祭が行なわれた。同じ年の寮歌「嗚呼玉杯」が「十二年」と詠ったのに対し、あいまいに「十餘年」と表現している。 「操と樹てし柏木の旗風かをる寄宿寮」(明治34年「全寮寮歌」1番) |
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世を汝が足に踏据ゑて 勝に荒ぶる魔軍勢 寄せなば寄せよ我城に 千張の弓の張れるあり 魔神の楯も防ぎ得じ 射るは正義の征矢なれば | 2番歌詞 | 世の中を恣に弄んで勝ち誇る魔軍勢よ、自治を邪魔しようと自治の城に押し寄せるなら押し寄せて見よ。我城には1000人の寮生が弓矢を持って対するであろう。自治を守るという正義の戦いの矢であるので、魔神の楯と雖も防ぐことは出来ない。 「魔軍、魔神」は、自治を邪魔する世俗的勢力のこと。一高同窓会「一高寮歌解説書」は、「欧米列強の植民地政策をも含む」とする。 「千張の弓」は、寄宿寮に籠城する1000人の寮生。 「征矢」は、戦闘に用いる矢。狩矢・的矢などに対していう。 |
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孤城に夢の安き間に 我等殘して世は待たじ 文化の星は空運り 遲るゝものは常闇の 闇に埋れて影なけん 見よ隣邦の帝國を | 3番歌詞 | 寄宿寮に籠城して安逸に過ごしている間も、世界は我等を待ってはくれない。世の中の進化は止まることはなく、刻々と変化して行く。世界の変化について行けない者は、眠れる獅子と言われた隣国中国を見て分かるように哀れな末路を辿って、ついには常闇の闇の中へと消えてしまうことになる。 「孤城」は、俗塵を絶ち籠城した寄宿寮。 明治34年、一高生は全て寮に入る皆寄宿制度を実施、全生徒1000人が向ヶ丘に籠城した 「文化の星は空運り」は、世の中の進化は、刻一刻とたゆみないことをいう。 「隣邦の帝國」は、”興清滅洋”の義和団事件(明治33年)で列国連合軍に北京を占領され、翌34年の北京議定書で多額の賠償金と、北京及び海港間の駐兵権を認めさせられ、衰退一途の清国(中国)のこと。*「興清滅洋」は「扶清滅洋」「順清滅洋」ともいわれた。 |
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護国の旗をひるがへし 我等立つべき時は來ぬ マルスの神は矛執りて ミネルバの神楯握り 我等を常に守るなり 進め軍鼓の音高く | 4番歌詞 | 校旗・護國の旗を捧げ、我等一高生の起つ時が来た。一高の守護神であるマルスの武神は矛を執って、ミネルバの文神は楯を握り、我等を常に守ってくれる。軍鼓の音も高く響かせて、進め、一高生。ロシアとの戦争必至の緊迫した情勢を踏まえる。 「護国の旗」 一高の校旗。唐紅の旗で、柏葉橄欖の徽章の真中に「國」の字が入る。一高の建学精神は護国である。 「我等立つべき時は來ぬ」 明治34年12月23日、伊藤博文、日露協定の交渉打切りを通告。翌35年1月、日英同盟協約。満洲・朝鮮の権益拡大を目論む日露間の対立はいよいよ深刻化し、戦争は避けられない緊迫した情勢であった。 「マルスの神、ミネルバの神」 マルスの神、ミネルバの神はギリシャ神話(正しくはローマ神話)の神、それぞれ一高の武(柏葉)、文(橄欖)の象徴で、柏葉橄欖は一高の校章である。本郷一高の倫理講堂には文を代表する菅原道真と、武を代表する坂上田村麻呂との肖像画が正面に掲げられていた。*マルス、ミネルバの神の名はローマ神話の呼称であるが、ギリシャ神話の~(例えば 写真図説 「第一高等学校80年史」)と聞いてきたので、この解説書ではギリシャ神話の神とする。 |
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胸に義憤の浪湛へ 腰に自由の太刀佩て 我等起たずば東洋の 傾く悲運を如何にせむ 出でずば亡ぶ人道の 此世に絶ゆる如何にせん | 5番歌詞 | 正義・人道が行われないことに対する憤りが波のように胸に湧き立ち、腰を入れれば東洋の民を自由にするための尚武の心が漲ってきた。我等一高生が起たなければ、東洋の滅び行く悲運はどうなるというのか。我等一高生が出て行かなければ、人の踏み行うべき人道が滅び、この世から消えてゆくのを見過ごせというのか。放っておくわけにはいかない。 「佩て」「絶ゆる」は遅くも大正7年寮歌集で「佩きて」「絶ゆるを」に訂正。 「義憤」 正義・人道の行われないことを憤ること。 「東洋の傾く悲運」 東洋の国の多くは、欧米列強の植民地ないし半植民地となっていた。
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先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井上司朗大先輩 | その第三節には世界の文化の進運に遅れをとるまいという切実な巨視があり、第五節の東洋を蔽う益良夫さびた雄大の気魄の中に、領土的野心とは全く別次元の、アジアナショナリズムの清冽な源流を見る。 | 「一高寮歌私観」から |
園部達郎大先輩 | マルス、ミネルバの神が寮歌に躍り出てきた上、ここに珍しく『自由の太刀』が出場する。東洋の平和のために自由を持ち出したのはこれが初めてかも知れぬ。 | 「寮歌こぼればなし」から |