旧制第一高等学校寮歌解説

見よ甘泉の

明治33年第10回紀念祭寮歌 南寮

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1、見よ甘泉の花散りて    驪山の月の影消えぬ
  はかなき榮願はずに   尊き譽もとめなん
  尊き譽をよそにして    世に求むべきものやある

2、岩ほに根ざす山松も    雄々しき心動かねば
  あだに移ふ世の中の    しぐれは露に何かある
  自治の光の曇らずに    今や十年を立田川

さはりさり乍ら我友よ    目ざす希望の都なる
  我長安は路遠し       楚水呉山の嶮多し
  心の駒に鞭あてゝ     進め武陵の健男兒

  
譜は、大捷軍歌[雪夜の斥候]の譜。少なくとも大正7年以降の寮歌集では大捷軍歌[守永偵察隊譜]と改めた。歌詞(佐々木信綱作詞)は異なるが、曲を聞いたところでは両軍歌のメロディーは同じである。

譜は遅くも大正7年寮歌集で、ほぼ「守永偵察隊」の譜面どおりに、4分の2拍子から4分の4拍子に変更するとともに、全小節の音符を書き換えた。
 例えば、主メロディーたる第1小節(出だし)は、もとは軍隊の起床ラッパを連想させるもの勇ましいものであったが、4拍子でソミドミ レード ラソドーレミーとゆったりと心地よいものとなった。説明しきれないので、上右に現行の普を載せたので、参考にされたい。

元の譜の「守永偵察隊」の演奏は、他にMIDI、MP3の音が鳴っていないことを確かめ、下のスタートボタンを押してお聴き下さい。最後の「ものやある」(守永偵察隊はドソレミド)を除き、まったく同じです。(譜は南部東大先輩の提供)

                              


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
見よ甘泉の花散りて  驪山の月の影消えぬ はかなき榮願はずに 尊き譽もとめなん 尊き譽をよそにして 世に求むべきものやある 1番歌詞 あれだけ栄えていた甘泉宮の花が散ってしまい、驪山の月の光も消え、その跡は荒廃してすっかりもの淋しくなってしまった。すなわち、漢の武帝の「甘泉宮」、唐の玄宗が楊貴妃と遊んだ「華清宮」などの贅を極めた栄耀栄華も一時的 なもので、はかないものである。男児たるもの栄耀栄華より、尊い名誉を求めよう。尊い名誉を他にして、世に求むべきものは他にない。

「甘泉」は、甘泉宮のこと。もと秦の離宮。漢の武帝が増築した。今の陝西省淳化県の西北、甘泉山の上。 
「驪山」は、陝西省臨潼県の東南にある山。秦の始皇帝の陵がある。また、麓に温泉があり、唐の玄宗は、ここに華清宮を作った。華清池は、唐代玄宗皇帝の時代に整備され、玄宗は、毎年冬には楊貴妃とここで過ごしたといわれる。 

白居易「長恨歌」 「春寒くして浴を賜う華清池  温泉の水滑らかにして凝脂を洗う」
岩ほに根ざす山松も 雄々しき心動かねば あだに移ふ世の中の しぐれは露に何かある 自治の光の曇らずに 今や十年を立田川 2番歌詞 山松は、揺るがない雄々しい心があるから、高く大きな岩の上に根を張り巡らして立っていられるのだ。年と共に、はかなく盛りの時期が過ぎ衰えていくものの多い世の中にあって、時雨が来たって涙で双眸を曇らせることもなく山松のように根を張り巡らして自治を守って来たので、自治の光は曇ることなく光りを放って、10年を経過した。
「岩ほ」(イハは岩、ホは波のホ、稲のホのように突き出て目立つもの)は、高く大きな岩。 「しぐれは露に何かある」は、時雨は涙を催す心地にたとえられる。時雨が来たって涙で双眸を曇らせることなく、じっと堪えての意。その結果、自治の光が曇ることもないのである。「露」は、涙。 「十年を立田川」は、寮を開いて十年を経過した。「たったがわ」に「経った」をかけた。立田川は、大和国生駒郡の瀧田の西を南下して大和川に注ぐ川。生駒川の下流。紅葉の名所。
瀬々の紅葉の紅の 赤き誠をあらはして 今日のよき日を諸共に  千代万代と歌ふなる 彌生の岡の春の空 霞の色も長閑けしや 3番歌詞 瀬々らぎを流れてくる真っ赤な紅葉の色のような、赤誠の心を以て、今日の紀念祭に友と一緒に寄宿寮の末永い彌栄を願って歌う。彌生が岡の三月の春の空に、たなびく霞の景色も長閑である。
「赤誠」は、ただ一途に尽くす純粋な心。「彌生」は彌生が岡と三月をかける。

  3、瀬々の紅葉の紅の    赤き誠をあらはして
    今日のよき日を諸共に  千代万代と歌ふなる
    彌生の岡の春の空     霞の色も長閑けしや
   *「万代」は、昭和50年寮歌集で「萬代」と変更。
さはさり乍ら我友よ 目ざす希望の都なる 我長安は路遠し 楚水呉山の嶮多し 心の駒に鞭あてゝ 進め武陵の健男兒 4番歌詞 そうはいっても我が友よ、我が目的は遠大で、行く手には幾多の困難が待ち受けている。心を引き締め、気力を振り絞って、目標に向かって進め、一高健児!
「我長安は路遠し 楚水呉山の嶮多し」は、長安は唐の都。楚・呉は春秋時代の強国またその地方。目的は遠大で、行く手には幾多の困難が待ちうけているが、の意。
「武陵」は、一高の所在地・向ヶ丘のこと。

「うべ桃源の名にそへて 武陵とこそは呼びつらめ」(明治33年「あを大空を」4番)
                        

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