旧制第一高等学校寮歌解説
思へば遠し |
明治32年第9回紀念祭寮歌 南寮
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1、思へば遠し神の御代 たぐひなき香にさき出でて いや年々に榮え行く 吉野の山の山ざくら 2、根こじにこじて梓弓 彌生の岡に植ゑしより あらぬ嵐をよそにして 今年第九の春の空 7、立て自治寮の健男兒 パリーの園の花さうび とりて移してみよしのの 吉野の花の垣とせん 8、立て自治寮の健男兒 イギリスの野に生ひ茂る 草かり取りて駿河なる 富士の裾野に牛かわん |
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語句の説明・解釈
ストームの時に、また應援歌としてよく歌われた寮歌である。歌詞にかかわらずに、「立て自治寮の健男兒 立て自治寮の健男兒 立て自治寮の健男兒 立て自治寮の健男兒」と怒号しながら各部屋をまわる。玉杯會寮歌祭でも、8番の後は、この連呼で締めくくる。 与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」、三高寮歌「行春哀歌」(大正2年)の曲は、この「思へば遠し」の譜をもとに作られたらしい。ともに静かな抒情溢れた歌で、應援歌やストーム歌と同じルーツを持つとはにわかに信じ難いほどである。 「思へば遠し」の最後には、「君が代」の歌詞が何故か全文載っている。ただし、誰も歌わない。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
思へば遠し神の御代 たぐひなき香にさき出でて いや年々に榮え行く 吉野の山の山ざくら | 1番歌詞 | 思えば遠い神の御代から類なき香りで美しく咲き出して、年々、栄えていく吉野の山の山桜。「香」は、よい匂い、目で感じる美しさをいう。向ヶ丘の彌栄になぞらえる。 |
根こじにこじて梓弓 彌生の岡に植ゑしより あらぬ嵐をよそにして 今年第九の春の空 | 2番歌詞 | 一高寄宿寮を世の俗塵を避け向ヶ丘の地に建設し籠城してから、今年で九回目の開寮記念日を迎えた。「根こじ」は、木を根のついたまま掘り取りこと。「こじ」は、根をねじったりして掘り取ること。従って、「根こじにこじて」とは、向ヶ丘を整地して寄宿寮を建設すること。 「梓弓」は、ここでは、「彌生」の「や」にかかる枕詞。「あらぬ嵐」は、望ましくない害、俗塵のこと。「よそ」は、かけ離れて容易に近寄りがたいこと。従って、「あらぬ嵐をよそにして」とは、籠城して(全寮制は明治34年からだが)。 |
世は文明の花ざかり 打見めでたき色にゑひ 心も空におのがじし あくがれ暮す昨日今日 | 3番歌詞 | 世の中は、外国から文物を取り入れて、物質的な生活の便宜を図ることが流行っている。ちょっと見た目に、素晴らしいと思ったものに酔ってしまい、心もおのずとうわの空に暮らす日々である。「打見」は、ちょっと見る。「おのがじし」は、おのが |
霞がくれに雲わきぬ 今吹きくらんさよ嵐 覺めよ世の人心せよ 春時じくに春ならじ | 4番歌詞 | 春霞だと思っていたら、暗雲が湧いてきた。今に夜嵐が吹いてくるであろう。春と思って浮かれていたら駄目だ。何時までも春が続くとは限らない。世の人よ、目を覚ませ。「今吹きくらんさよ嵐」は、日露戦争が近づいていること。。「時じく」は、時が定まっていない。季節はずれである。 明治28年の日清戦争では、せっかく獲得した遼東半島を露西亜が呼びかけた独露仏の三国干渉により、放棄せざるを得なかった。日本は、この屈辱を臥薪嘗胆のスローガンのもとに、露西亜を仮想敵国に海軍軍備増強などに国を挙げて取り組んだ。そういう時勢だから、「春だからといって、浮かれている時ではない」、今に対露戦争があるかもしれない(「今吹きくらんさよ嵐」)というのである。 |
文明の花風にちり 開化の眠夢さめば いづち辿らん夏野原 露や千草に繁からし | 5番歌詞 | ちょっと目に便利なものが壊れて使えなくなった時、西洋の物質文化に浮かれた夢が覚めた時、露でぐしょぐしょに濡れた草々が生い茂り、行く手を阻む夏野原をさ迷うことになる。 「文明開化の夢さめた後の困難を表す。」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」)。「繁からし」は、「繁くあるらし」の短縮形。関東大震災後の復刻版大正14年寮歌集で、「繁からじ」と変更、それ以降の寮歌集で踏襲された。 |
霞に眠る人はいさ 色香に醉へる人はいさ 十九世紀は去らんとす 立て自治寮の健男兒 | 6番歌詞 | 酒に酔い潰れている人は、さあ、色香にうつつを抜かしている人は、さあ。浮かれている時ではない。19世紀は去り、新しい20世紀はもうそこに迫っている。立て! 自治寮の一高健児よ。 この年、明治32年は西暦1899年であるので、19世紀は去らんとすといっている(ただし、1900年は20世期かどうかは、当時、大いに揉めたそうである)。 |
立て自治寮の健男兒 パリ―の園の花さうび とりて移してみよしのの 吉野の花の垣とせん | 7番歌詞 | 立て! 自治寮の一高健児よ。花のパリはヴェルサイユ宮殿のバラを刈って、我日本の桜の名所・吉野山の生け垣としよう。「パリ―の園」は、勝手にヴェルサイユ宮殿と訳した。「みよしの」は、大和の国吉野川一帯の称。そのうち「吉野の花」は吉野山の桜。 世界の文化の中心、花のパリなど何かせん、という。日本には大和心があり、西洋に劣らない東洋文化がある。 |
立て自治寮の健男兒 イギリスの野に生ひ茂る 草かり取りて駿河なる 富士の裾野に牛かわん | 8番歌詞 | 立て! 自治寮の一高健児よ。イギリスの牧草地に生い茂った草を刈って、駿河の国は富士の裾野で牛を飼おう。野は牧草地の多いイギリス西部(スコットランド西部、イングランド北西部、ウェールズ)の野であろう。 世界の産業の中心、イギリスなど何かせん、という。今に日本が追いつき追い越してやる。イギリスで16世紀から19世紀盛んに行われた土地の囲い込み運動(エンクロージャー)を思い浮かべる。農地を追われた農民は、チープ・レイバーとして新産業の労働の担い手となった。 |
今年第九の春の空 枝もたわゝに敷島の 大和心の櫻花 さくや彌生の岡の上 | 9番歌詞 | 一高寄宿寮は、めでたく今年で9回目の開寮記念日を迎えた。「花は桜木 人は武士」と歌われた大和心を象徴する桜は、今が盛りと枝もたわわに咲き誇る。所は、天下に名高い向ヶ丘である。 「敷島」は、もともとは山の辺の道の金屋の石仏のあたり、崇神・欽明両天皇の都のあった地。後、大和の国・日本の別称となった。ここでは「敷島の」で、「大和」の枕詞。 |
あはれめでたき今日の日や あはれ樂しき今日の日や いざ諸共にやすみしゝ 君が八千代を謳はなん 君が代は千代に八千代にさゝれ石の いはほとなりて苔のむすまで |
10番歌詞 | 「やすみしゝ」は枕詞。安らかにお治めになる意から「我が大君」、「我ご大君」にかかる。ここでは「君」にかかる。「天の下しろしめす」の意にとってもよい。 「全寮寮歌」や「嗚呼玉杯」が作られ儀式歌の地位を占める以前、護國を建学精神とする一高において「君が代」が儀式歌として歌われたことは想像に難くないが、なぜ、この寮歌に載っているのか不明(下に掲載する園部達郎大先輩コメント参照)。 「君が八千代を歌はずや」(明治34年「輝き渡る」8番) |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
園部達郎大先輩 | この歌で、八十年前から先輩に訊いて未だ分らないのは、何故この寮歌に『君が代』があるのか。歌の中身にくっつく必然性はなさそうだ。僅かに『君が八千代に謳はなん』で『君が代』と続かせるのだろうが、そうすると『君が代』は寮歌になってしまう。当時宮内省からよく抗議を受けなかったものだ。そして、寮歌集に絶えず載っているだけで、これに触れてもの言う人に会ったことがない。 『君が代』も『ベートーベン』もある寮歌集」 注)ベートーベンとは、大正6年第27回紀念祭東大寄贈歌「とこよのさかえに」のこと。メロディーはベートーヴェンの第9である。 |
「寮歌こぼればなし」より |