9月25日、家族で神流町恐竜ーセンターへ行って来ました。
地図上、神流町は群馬と埼玉の県境にある町で、東京からは近く感じるところですが、実は秩父山中に連なる山中地溝帯ににある、とっても山奥なところなのです。
練馬から国道を川越、寄居を経て群馬県鬼石町へ、写真のダムはまだまだ入り口にすぎません。ここから、さらに約40分ほど山道を長野方向へ進みます。とにかく、道は崖に沿って九十九折になっており、谷は深くなり、山は峻険になってゆき、荒々しい岩肌をむき出しした山肌が天を目指します。集落の雰囲気はドラマの「TRIKC」や、田中啓文の「UMAハンター馬子」の舞台になれるような感じ、いかにも山奥の寒村といった感じのところです。
本当にこんな辺鄙な所に日本有数の恐竜コレクションを誇る博物館があるのか?とおもって進んでいくと、一つだけ新しい4階建てぐらいの建物がある集落にでました。どうやらここは役場のある町の中心集落のようです。
とりあえず役場と思しき建物の前に車を止めて恐竜センターへの道を確認します。ここから数百メートルほど先に進んだところが恐竜センターのです。
この建物、前面がガラス張りになっており中が覗けます。
ここは合同庁舎ということで農協、図書館他が入っている施設のようで、1階がホール兼図書館となっており、そこに写真のアマルガサウルスが展示されていました。
アマルガサウルスは割りと最近発表されたアルゼンチン産の白亜紀の竜脚類で、写真でもわかるとおり首から刺が生えており、生前は首に帆がかっかっていたと考えられている恐竜です。日本でなかなかお目にかかれなレアな恐竜のはずですが、それが町の図書館にまるでインテリアのように飾られえています。また、残念ながら写真は取れませんでしたが、玄関にはパラサウロロフスの半身骨格が壁に飾られていました。私が行ったときはこの建物は閉館していましたので、ここはあくまでも観光客向けではなく町民のための施設のようです。そんなところまで恐竜を飾るとは、
さすが、恐竜で町おこしを考えているところだけあってやることが徹底しています。
かなりの本気度合いです。恐竜センターも結構期待が持てそうです。
ここが恐竜センター。写真に写っているのは地元で発見された山中竜の実物大復元模型。
山中竜は時代的に原始的なダチョウ恐竜の仲間のハルピミムスの仲間と考えられているそうです。山中竜の模型以外のも向かいの畑や隣のキャンプ場にもブロントサウルスやステゴサウルスのオブジェがここが恐竜センターであることを主張していました。
この恐竜センター博物館だけではなく、村の体育館やそば工場、公民館も兼ねているようです。
ともかく、入場料を払いセンターの中に。
(左:山中竜の背骨。右:獣脚類の歯と最近発見されたスピノサウルスの歯)
(白亜紀前期:1億1000万年前の山中地溝帯の情景)
上の写真が、中里村(神流町)の恐竜達である。
化石としては山中竜として知られるダチョウ恐竜、さざなみ岩に足跡を残したと思われる大型の獣脚類の歯、
そして最近発見されたスピノサウルス類(JP3のあの恐竜やスコミムス、バリオニクスの仲間の魚食性恐竜)の歯の数点である。
以外と少ないと思われるかもしれないが、中里村の場合さざなみ岩の恐竜の足跡がメインである。
中里村をはじめ神流川流域は山中地溝帯と呼ばれている。地溝帯と言うとアフリカ大陸が裂ける現場である東アフリカの大地溝帯が有名だが。山中地溝帯の場合、神流川の流れが創った谷である。
山中地溝帯は変な話であるが、川に近い方が地層が新しい。また当時の地面が崖として垂直に現れている。これは白亜紀から現在まで日本列島を作った大規模な地殻変動の影響である。
ここの恐竜がいた時代は1億1000万年前。福井の手取層群が1億6000万年前〜1億2000万年前、福島の双葉層群が8000万年前であるから、その中間の時代である白亜紀前期の終わり頃にあたる。同時代の恐竜としては
世界中にいたイグアノドン、アフリカのスコミムス、北米のディノニクス、南米のカルノタウロス、中国のプシッタコサウルス,オーストラリアのレエリナサウラなどがあげられる。(参考文献「ポケット版恐竜図鑑」成美堂出版2002年)
その当時ここはユーラシア大陸から流れ出る河の河口部分であり。遠浅の砂浜が広がる地域だった。
いま崖になっている漣岩はとうじは波が寄せる浜辺だったという。
そんな浜辺で、スピノサウルス類が魚を漁り、そのすぐそばを山中竜達が駆け抜け、彼らを獲物として狙う肉食恐竜が虎視眈々と送り狼になってチャンスを狙うという光景が見られたのだろう。
そんな、恐竜達はどこから来たのか?
恐竜センターでは、彼らが内陸のモンゴルや中国から渡り鳥のようにわたってきたのではないかと考えている。
モンゴルと日本を結ぶ道、”恐竜ハイウェーイ”があったとのこと。
そのため、モンゴルの恐竜と山中地溝帯の恐竜は密接な関係があると言うことだ。
次は、モンゴルの恐竜達を紹介するライブシアターへ進もう。
ライブシアターでは、モンゴルの恐竜たちを恐竜ロボットを使って紹介する。
ここのミソはここで紹介される恐竜がこの後の展示室でほぼすべて見られるということだ。(オビラプトルは同族のインゲニアの骨格が見れる。)なかなかにくい演出である。
(案内役の博士とサウルス君。ちなみに博士もロボットです。) (卵を暖めているオビラプトル)
(オビラプトルの巣で抱卵するヴェロキラプトル) (プロトケラトプスに返り討ちにあうヴェロキラプトル)
(戦うサイカニア(手前)とタルボサウルス(後ろ))
ライブシアターに出てくる恐竜はオビラプトル、ヴェロキラプトル、プロトケラトプス、サイカニア、タルボサウルスの5種類。
これらの恐竜は山中地溝帯の恐竜より後の時代白亜紀後期の恐竜達である。
タルボサウルスを除くと小ぶりな恐竜が多い。
実はこれにはひみつがあって、タルボサウルスは他の恐竜よりもやや後の時代の恐竜である。
オビラプトル、ヴェロキラプトル、プロトケラトプス、サイカニアが生きた時代のモンゴルは高温で乾燥したほとんど砂漠な気候で、オアシスや砂漠を縫って流れる河川の周囲に恐竜達が群生していたとのこと。厳しい環境であったためあまり大型の恐竜の生息には適していなかったようだ。タルボサウルスはやや後の時代、モンゴルの環境が穏やかになった時代の恐竜である。このころはタルボサウルスのほか大型のハドロサウルス類のサウロロフスなど大型の恐竜達がいた。タルボサウルスはモンゴルの恐竜のシンボルとしてこのライブシアターに出てきたと考えた方がいいだろう。
ライブシアターは博士(実は人間そっくりの博士もロボット)を解説役に、中里村のマスコットのサウルス君がモンゴルの恐竜を紹介して行く内容。最新の説、鳥=恐竜説、アメリカ自然史博物館が90年代に行ったモンゴル発掘プロジェクトの成果が反映されている。
たとえば、オビラプトルとベロキラプトルに羽毛が生えているところ、オビラプトルが"卵泥棒”という名前の由来とは逆に
鳥のように卵を温めていたこと、ヴェロキラプトルがカッコウのようにオビラプトルの托卵していたこと、後で詳しく述べる、あのヴェロキラプトルの凶暴さの証拠として有名なプロトケラトプスとの闘争化石が実は返り討ちにあったのでは?ということを示唆していることなど、非常に内容も新鮮でいい。
また、映像ではなく実物大の模型が動くので迫力満点である。アトラクションとしてかなりの高得点だ。
それではメインデッシュの恐竜展示室に進もう。
2.第2回:恐竜王国中里〜神流町恐竜センターその2〜ヴェロキラプトル情けない動物説〜
【おまけ】
その@ カスモサウルスの頭骨
恐竜では中里村やモンゴルとは関係ないもので大物として
カスモサウルスの頭骨。
もちろんレプリカである。恐竜センターは最近リニューアルされたと のことでかってはメイン展示の一つであったとのこと。
そのA スピノサウルス類バリオニクスの標本(林原自然史博物館ダイノソアファクトリーより)