「風邪をひく時のこと」 いつも風邪をひく時は、風邪をひき始めたことを自覚し、 「あぁ〜これは完全に風邪をひくな」って容易に予測が できるので、薬を飲む、早く寝るなどの対策を取るのだが、 なぜかいつも完全に風邪をひいてしまう…。何でだろう? よく風邪はひき始めに直せっていうが、俺的には風邪を ひき始めた時には、もうすでに手遅れな状況になって いることが多い!う〜ん、それにしても、何で風邪って ひき始めたことを自分で認識できて、このままだと 完全に風邪をひくなってわかるのに、毎度のごとく 成す術なく、完全に風邪をひいてしまうのだろうか? やっぱり「病は気から」なんだろうか?それとも「これは 完全に風邪をひくな…」って思った瞬間に、俺は 気持ちで負けているのだろうか???ありえねぇ〜 |
「頑張るってこと」 頑張ろうって思って気を張っていると、緊張が途切れた 時にやばいことになるんで、なるべく頑張ろうとは思わない ようにしています。頑張っているって意識してるだけでも 疲れの蓄積度は違ってくるんで…。(当社比で約1.37倍) 大体頑張ろうって思っている時はすでに十分頑張って いる時だと思いませんか?それを更に無理やり自分に 活を入れるって状況が多いので、心身ともにマイって しまうという悪循環になってしまいがちなんですよ…。 とはいっても、それでも頑張らなきゃいけないって 時も実際には多々ありますけどね…。はぁ〜 何で頑張らないと生きていけないんでしょうね… 人生もっと楽に生きたいです。 |
「無常について」 「俺はいつも「この世には常なるものは一つもない、 世の中不変のものなど、何一つ存在していないのだから、 永遠や何かを信じていてもそれはただ虚しいことだ」 といつも思っている。だから周りの人や環境に一喜一憂 するのは潔しとは思わない。究極的には俺の心から 喜怒哀楽を完全に排除し、出来る限り心を無に 近付けたいと思っている。 |
「ツラいこと」 努力はツラい、継続もツラい、頑張ることもツラい、 奮い起たせることもツラい。ただ、努力しなくても、 頑張らなくてもツラい思いから逃げられるってわけでは ないのもツラい。むしろその方がいろんなことで 間々ならないことによるストレスが多いのがツラい。 何もしなければ何もないってわけではないのもツラい。 我慢を強いられる、嫌なことを強いられる、問題解決が できない、いつまでも事が片付かない…。我慢するのは ツラいし、嫌なことをするのもツラいし、問題解決が しないのも、事が片付かないのもツラい…。かといって 努力するのも、頑張るってことも正直結構ツラい。 やっぱり生きるってことはツラい!? |
「痛みについて」 人は悲しいかな、歳を重ねると体のあちこちが痛くなる ものである。「首が痛い、肩が痛い、腰が痛い」という 具合いである。しかし人間には慣れるという不思議な 能力がある。そしてそんな常時ある痛みも常時であるが 故にいつしか慣れてしまい、痛みがあることすら意識 しなくなってしまう…。それが当たり前だと思うように なってしまう…。「しかも…」人はどうやら「体の痛み」 だけでなく『心が傷付くこと』さえもいつしか慣れっこ になってしまうもののようだ。慣れって怖いよな…。 最近の俺は『心が傷付くこと』にも『心に傷みが あること』にも違和感を感じなくなってしまったようだ。 そして心はいつもからっぽで何をしても満たされない ような気がしているが、それにも俺は… 「もう…」慣れてしまった…。 |
「通勤地獄について」 毎日、飽きることなく繰り返される通勤地獄…。 そんなある日の、特急が停まる駅での出来事。 ドアが閉まらないなぁ〜って思っていたら「次の 乗って下さい!次の!もう無理ですから!」って 言っているのが聞こえた。それでもその人は強引に 乗ろうとしたのか「もう!もっと詰めて下さい!」 って声がして車両の真ん中にいる俺にまで激しい プレッシャーがきた。はぁ〜何で毎日こんな 「おしくら饅頭」みたいなことをしながら会社に 行かなきゃいけないんだよ!マジで次のに 乗れよな!10分としないで次の来るんだからよ! それにしても、通勤時間ってホントに人生の無駄 以外の何物でもないよなぁ〜片道2時間 掛かるとして、1日往復4時間。仙台に住んで いた時は片道30分の往復1時間だったから、 1日3時間も損してるよな…。30日で 90時間。100日で300時間…。何で こんな想いをしてまで人は好き好んで 首都圏で生活しようとするのだろうか? |
「終わりよければ… なるようになるというけど…」 「終わり良ければすべて良しだよ」、 「結局なるようになるよ!」、「結果を恐れずに行動しろ!」 ってことをよく言われる。確かに終わってみれば、 結局なるようになって、どうにかなったってことは 多い。しかしそれは他人から見た目線だ。物事は いつもすぐに結果が出るわけではなく、そこに 至るまでの経緯経過があるのが普通で、人は常に 途中経過の中で生きることを余儀なく強要されて いるものだ。ましてやその案件に関係する人が増えれば 増えるほど、それぞれの考えは百人百様で途中経過に 要する議論の時間は倍々方式で増えていってしまう。 結局、「なるようになる」までの途中経過で神経は すり減らされストレスは半端なく大きいものとなる。 時が経ち、いつしかその案件についての結果が出て ようやく決着がついたとしても、また次の問題が出てくる。 先が見えない。ひとつ問題が片付くとまたどこかで 何かが爆発する…。まるでもぐら叩きのイタチゴッコだ。 絶望的な気持ちになる…。が誰も助けてくれない…。 人はみな自分勝手なことを言う。 |
「飲みについて」 「仲間と飲んでる空間」の「あの」仲間と同じ時間を 共有するって雰囲気は好きなんですが、「飲みに行く 行為そのもの」については現実逃避、酒に溺れて るって感じがしてなんか好きじゃない…。やさしく してくれる仲間に甘えてるような気もするし…。だから 飲んでいる時はどんなに楽しく気分が良くても、いや、 楽しければ楽しかったほど、飲んだ後にはそのギャップに 悩みます。要はストレス発散なんだろうけど、ストレス 発散で酒を飲むのは自分的にはやっぱり不本意です。 「おめえ、何か他にはないのかよ!」って自分が弱っちく、 情けないちっぽけな人間に思うからです。それこそ 仙台ではホントにほとんど飲まなかったですもん。 付き合いくらいで…。まぁ〜仙台では友人が少なかった こともありますが、他に楽しいことがいくらでもありました からね。 そして最近はこんなことを思います。今、俺と 飲んでやさしくしてくれる仲間は、きっと他にも楽しい ことがあるはず…。だから多分、俺にもやさしく接して くれるのだろう。でも今の俺には飲むことしか… 飲むことしか…。あぁ〜どう考えても俺の生き方は スタンダードな生き方じゃないよな…だから実は 「お前は友達が多くていいよな!ホントにうらやま しいよ!」って言われても自分ではそんなに うれしいことではなかったりします。それがまた自分 には悩みの種になったりもします。しかし困ったことに 横須賀にはその気になれば、毎日でも飲みに いけるほど大勢の友人がいる…。 |
「転ぶってこと」 転んだ…。見事に転倒した。すごい痛かった…。 小さい頃なら転んだ瞬間は痛くて泣いたかも しれないけど、後は何ともなかったはずだ。 がしかし、大人(オヤジ)になると転んだ後に痛みが いつまでも残るからやっかいだ。 ・・・ということに先日気が付いた。 |
「大人はエライ!?」 「ちゃんと歯をみがきない」「ちゃんと宿題をしなさい」 「好き嫌いをせずに何でも食べなさい」等々。「嫌なことや 面倒なこと」を『嫌がらず、面倒クサがらずにやりなさい』 と教え諭す大人っていうのは「すごい偉いんだ!」って、 小さい頃はずっとそう思っていた。そう、先生然り、親然り。 そしてきっと俺も将来は立派で偉い大人になるんだと何と なくそう思っていた・・・。がしかし・・・現実はまったく逆だ! 俺はちっとも偉くないし、立派でもない!う〜ん、 今考えると大人って奴は自分でもできないことを 子供に強要してやがった疑いが濃厚だな! う〜ん…、今日の結論。 大人は大ウソつきだ!以上。 |
「〜に終わりました…って報道について」 よくスポーツ報道などを見ていると、「メダルを 期待された○○でしたが、振るわずに ○位(予選敗退)に終わりました…」っていうような 報道をよく耳にする。はぁ〜お前ら何様のつもりだよ! 精一杯努力した選手に対して「振るわず」「終わりました」 だと!あまりにも失礼じゃないか!それに「終わりました」 っていう言葉の裏には、どうも『せっかく応援して やったのに、期待外れに終わりました』という 軽蔑した気持ちが隠されているような気が してならない。大体、勝手に期待して、 持ち上げて、過大評価して、煽るだけ煽っといて、 結果が出なかった瞬間に掌を返したように、 突き放すのって見ていてかなり不快感を感じる。 せめて、『よく健闘しましたが、力及ばず、 惜しくも(残念ながら)○位(予選敗退)となりました』 っていうような報道ができないんだろうか? |
「仙台と横須賀で聞くニュースの違い」 仙台に住んでいた時は、新聞の記事やニュース報道 などの一つ一つの話題がとても身近に感じられ、 親近感を覚えたものだった。しかし神奈川に戻った 今では、新聞を読んでいても、ニュースを見ていても 遠くの方での出来事で自分とは関係ないって 思うんだよな…。何か大事件が起きても他人事 にしか思えないし…。それが例え横須賀市で 起こった大事件だとしても…。 希薄なんだよな、ニュースも人間関係も…。 |
「温泉について」 仙台(東北)での『温泉』は実際に行って楽しむもの。 休みの日にその気があれば簡単に行けるところ。 それに比べて、神奈川での『温泉』とは本屋で雑誌を見て、 『あぁ〜いいなぁ〜、こんなとこに行ってみたいなぁ〜』って 思っても実際には簡単に行けないところ。 |
「雪について」 仙台に住んでいた頃は、雪が降ることは珍しいことではなく、 むしろ冬になると日常的に体験していた。それに比べて 神奈川県の暖かいことといったら…。にも関わらず、 神奈川県でちょっと雪が降って、まして積もろうものなら 半端なく寒い!と感じる。仙台にいた頃の寒さに比べれば、 遥かに暖かいはずなのに、何でこんなに寒く感じるのだろう? やっぱり慣れてないから?それとも普段から雪に対する 心構えが違うからなのかな? |
「仙台に遊びに行くことについて」 よく「そんなに仙台が好きだったんなら、時間を見付けて 仙台に遊びに行ってきたら?」って言われる。しかし、 俺にしてみればそれはかなり違う。違和感と遺憾の意を 感じて止まない・・・。確かに俺は仙台の住環境がとても 気に入っていた!それこそ横須賀に比べれば段違いの差 だと今でも思う。当時は出来ることなら永住したいと本気で 思っていたほどだ。しかし俺にとって「仙台は住みたい街」 ではあっても、遊びに行きたい街ではない。要は遊びに 行くだけなら何の意味もないっていうのが本音である。 難しいかも知れないがそういう感じ・・・ |
「まぁ〜いいや!」 「まぁ〜いいや、また今度やろう、今やらなくても 後でもいいや」ってやり過ごしたことは、後になっても まずやらない。そもそもやり過ごす理由は 「面倒臭い!」だからだ。その時に「面倒臭いな!」 って思ったことは、後になっても「結局は」同じように やっぱり面倒臭い。それどころか「いつでもできる」 「こんな簡単なこと、今やらなくても後でいいや」って ことも塵も積もれば山になる。本当は気付いた時、 気になった時に物事は処理しないとダメなんだよな・・・。 そうすれば「それで終わり」で楽になれるのに・・・。 しかし今日もまた、俺は面倒臭いからと 後回しにするダメ人間。 |
「いやなこと」 いやなことは逃げていても絶対に解決しない。他の誰かが やってくれるということも絶対にない。放置していても 状況は変わらない・・・。いや・・・、変わらないのなら まだともかく、実際には状況は悪化してしまい、 更に問題が大きくなってしまうことの方が多い。 こんなにも「ないない尽くし」で「自分でやるしかない」 ってことは、本当はいつだってよくわかっている。 でも!!!出来ない!!! そして今日もまた、俺はいやことから目をそらし 問題の先送りをして現実逃避をしようとする。 どうしようもないダメ人間。 |
「昔、好きだった歌」 昔、好きで聞いていた歌を、思いがけず、偶然に 耳にするって何気にいいよね。一瞬にしてあの頃にタイム スリップして思い出がフラッシュバックしてくるもんな! その歌を聞いていた時の「あの頃のあの時の淡い想い」を よみがえらせてくれるもんな。 例え自分は「あの頃の あの時の自分じゃなくなって しまっていたとしても・・・」その時だけは 今すっかり変わってしまっていたとしても |
「わかっていても…」 「やらなきゃいけないんだよなぁ〜ってことはわかる」 「このままじゃ、まずいんだよなぁ〜ってことにも気付く」 がしかし…。わかっていても、気付いていても、 実際には何もできない…。もちろん何もしなければ、 状況は何も変わらない…。むしろ悪化の一途を辿り、 しまいには手遅れになる…。もちろん、そうなることは 俺も「よぉ〜く」知っている…。過去に何度も同じような 失敗もした…。でも…、でも…、やっぱりできない! そして今日もまた、俺はやらなきゃいけないと わかっているのに、何かを放置して逃亡をする…。 |
「結局、俺は…」 結局、俺はいつも他人任せ、他力本願で自分で努力しようと しねぇんだよな…。仕事で困難があっても、俺は悪くねぇ、 ツイてねぇって思って自分に原因を求めねぇからな…。 そんな自分が泣きてぇくらい情けなくって、もがき苦しむ こともあるんだけどよ…やっぱり俺は何も変われない。 |