青と蒼と藍

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魔法使いのマフラー

 さて、どうしたものだろうか。

 無駄に広い屋敷の居間で、テーブルの上に置かれたその物体を見下ろしながら、わたしはむうっと口を結んで考え込む。暖房が効いた部屋は寒さを感じさせない代わりに、部屋中の湿気を取りのぞこうと頑張り、変な息苦しさを与えてくる。
 それがどこかうるさくて、わたしは部屋の窓を開けることにした。結露のためかひんやりと冷たい窓を押し開けると、冷涼たる空気といっしょになにやら冷たい塊がわたしの頬に触れた。小さく短い悲鳴と共に頬に手を寄せると、指の先に水滴がつく。

「雪……?」

 見上げると、無数の白い結晶が舞うようにユラユラと揺れながら舞い降りてくる。いつごろから降っていたのだろうか、屋敷の庭にはすでにうずたかく積もったホイップクリームの山ができていた。庭に出て、思いっきりそれを踏みつけて廻りたいような気分になり、すぐにその衝動がため息に取って代わる。

「はぁ……寒いはずだわ」

 わたしは結局窓を閉めた。換気はすることは必要だけれども、窓際のカーペットを濡らしながらもそれをすることはない。ちょっとぐらいの息苦しさは、この際我慢する。

 わたしはまたソファーに戻る。座ると、また目に入るのはテーブルの上の物体。すぐに、胸の奥が詰まったような息苦しさに襲われる。換気が足りないからではなくて、この目の前の物のせい。

「最初っから気づいてはいるけどね……」

 きっちりと畳まれたその物体を手に取り、確認するように手で探る。

 形態、細長い帯状。
 素材、毛糸。
 色、暖色系三色。
 出来栄え、かなり良。
 制作期間、二ヶ月弱。
 製作者、穂原学園在籍黒髪ツインテールな三年生。つまり遠坂凛。

 つまり、わたし。

 自分の手による、いわゆる手編みのマフラーを前にしながら、わたしは再びうむむと考え込む。



 気づいたのはつい最近だったと思う。いや、はっきりそうと気づいたのは、という意味でだ。薄っすらと、そこはかとなく、おぼろげながらになんとなく気づいたのは、たぶん聖杯戦争の時。
 肩を並べ、ともに戦ったひとりの少年。肩を並べ、ともに死戦をくぐり抜けたひとりの少年。ついでにいうと、ファーストキスの相手でもあった少年。指先を唇に触れさせれば、いまでも鮮明にあの時のことを思い出せて、胸が熱くなるというかむしろ頬が熱くなる。というかそのあとに披露した行為を思えばキスぐらいどうってことはないような気もするが、なぜか一番はっきりと覚えているのはあの唇の……

「ふう……」

 急激に上がり始めた体温を冷ますように、ひとつ大きく息を吐く。

 いま思えば、なんでその時にはっきりと気づかなかったのか、と、数ヶ月前の自分に言ってやりたい気分になり、まあ、言っても無駄かな、という気にもなる。気づかずにすむものならば気づかずにいたかったような気もするし、いや、気づかないままでいるわけにも行かない、とも思う。まあつまり……良くわからない。

 一生向き合って初めて自分の心がわかる、なんてよく聞くけど、わたしの場合、もしかしたら一生かけてもわからないかもしれない。それが、魔術の根源であるとかどうとかの話ならまだ納得もするけど、まったくそうではないというところがなんとも情けない話で、それゆえ逆に厄介でもある。

 つまりは……この手編みのマフラーを送るべき相手、衛宮士郎に対しての、わたし、遠坂凛の考えるあれこれ。

「はあ……」

 遠坂家の魔術師としてはあまり相応しくない悩みが、ここ数週間の頭痛の種。いや、実際はもっと前からの話で、そう、十ヶ月以上も前の話。
 十歳の頃からいつか聖杯戦争に挑むと覚悟を決め、実際に始まってみたらなんだか良くわからない、素人同然の魔術師が参加してて、ついでにそいつが最強のサーヴァントであるセイバーを召喚してしまったというわけで。そいつといっしょに聖杯戦争を戦い抜いて、結局、わたしも士郎もいくつか大事なものを失った。

 最後の戦い、わたしは言峰に負わせられた傷のおかげで、士郎やセイバーと共に戦えなかった。だから、一人還って来た士郎に、聖杯戦争が終わったと告げられても、どこか実感がわかなかった。

 今でも思い出せるのは、あの朝焼けの坂道。
 あのときの士郎の顔と、その言葉は、たぶん一生忘れないと思う。ほんの数週間、まるで夢のなかのような出来事、そのなかで、少年が得たものと、失ったもの。

 あの言葉を聞いたとき、わたしの聖杯戦争も終わりを告げた。それと同時に、もうひとつ、士郎のなかに残ったひとりの少女への想い。それも知った。思い知らされた。

 だから、気づかなければ楽だったのだ。士郎の想いも、セイバーの想いも、それに、自分の気持ちにも。

「でも、気づいちゃったものはしょうがないしね」

 ぐりぐりと、手元にあるマフラーをいじりながらつぶやく。あんまり他人には見せられない姿だけど、この屋敷にはいまのところわたししかいないのだから、特に気にすることもない。

 どれかひとつだけでも、自分の記憶を消せれば楽になるかもしれない。どれかひとつでいい。士郎と、セイバーと、自分、誰か一人の想いだけでも忘れられれば、わたしはたぶんずいぶんと楽になる。
 でも、そんな都合のいい奇跡なんて知らないし、知りたいとも思わない。ひとつ道が違えば、また別の結末が待っていたのかもしれないけど、わたしたちはここに辿りついた。それを都合よく変えようとも、こうなってしまったことを後悔する気もない。



 とはいえ、だ。
 わたしも一応、魔術師であると同時に、ひとりの女でもある。それも、恋愛沙汰にはあまり詳しくないほうの。初めて好きになった……好きであるかもしれないと気づいてしまった男に対して、どうやって対処すれば良いのか、悩みが深い。それも、わたし意外の女性を心の底から愛していた男、愛している男、そんな男が相手なのだから。
 本当に、つくづく思う。よりにもよって厄介なやつに惚れてしまった、と。

 あいつに惚れていると気づいて、もう数ヶ月。その数ヶ月でわかったことといえば、自分が意外なほどに嘘をつくのが下手だということ、その嘘すらまったく見抜けないほどに士郎の馬鹿が馬鹿であるということ、この二つぐらい。

 いっそのこと気づけ、と、まるで友達の輪の中に入れずに遠くから誘われるのを待つ小学生みたいなことを思う。そうすれば、どうなるかわからないにしろ確実に一歩は踏み出せるのだから。
 だが、士郎の鈍感さは筋金いりのようで、まったく気づいたふうを見せない。というか見せてくれない。聖杯戦争の時なんかは意外と鋭いところを披露してくれた士郎だけど、今やその面影はなく、体は鉛でできているのかと疑いたくなるほど鈍い。

 そんなこんなで数ヶ月。少しずつ寒くなってきた十月のある日、ふと、編み物なんぞを始めてみた。
 士郎のためのプレゼントと思ったわけでは別にないが、吐き出しきれない想いを毛糸に込めて編んでみませんか、なんていう編み物教室のチラシ文句に負けてしまったのだ。なにかひとつの物に集中してみたいと思ったこともある。

 マフラーを編むことにしたが、初心者なのでどのくらい掛かるかも知れず、そもそも完成させる気もあまりなかった。だから、自分にちょっとした決まりごとを作ってみた。もし、クリスマスまでにこのマフラーが完成したら士郎に渡そう。そして、少しだけ前に進んでみよう。
 どうせ完成しないだろうし、と、気軽にそんなことを自分に誓った。が、なぜか完璧にまで編まれた暖かそうなマフラーがいまわたしの目の前にある。しかも、完成したのはいまから二週間ほど前。その日から今日のクリスマスイブまで、まさにわたしの頭痛の種となったマフラー。
 編み物教室の先生は、初めてでこんなに素晴らしいものが編めるなんて、と驚いていたが、誰より一番驚いたのはこのわたしだ。自分の意外なほどの器用さに目を丸くし、そして、さてどうしようと悩む破目になった。

「今更、渡さないってのもあれよね」

 自分で自分に課した決まりごとだから、破ったとしても誰に文句を言われるわけではないのだけど、だからこそ破る気にもならない。だとしたら、これを士郎に渡すしかないのだが……

 その場面を頭のなかで想像し、想像と現実の二人のわたしが、そろって頬を真っ赤に染める。

 だいたい、今更どういう顔して渡せば良いのか。普通に、いつもお世話になっているお礼、とでも言って渡せばいいのだろうか。でも、それではなんの意味もないような気がするし、かといって、前から好きでした、なんて渡すのはそれこそありえない。

「だいたい、セイバーが勝ち逃げなんてするのがいけないのよ」

 そんな身も蓋もないことをのたまってみる。彼女がこの世界に残っていれば、わたしも正々堂々と士郎を取り合うことが出来たのだ。勝ち目は限りなく薄いだろうけど、そんなことでひるむわたしでもない。正面から戦いを挑み、木っ端微塵に散るのも、まあ良くはないけど悪くもないだろう。
 でもセイバーは還ってしまった。おかげで、わたしの士郎へ対する気持ちはどこか宙ぶらりんのまま。いない人間には喧嘩をうれない。

 ちゃんと負けることすら出来ないなんて、結構きつい……



「ああもうっ、とにかくなるようになるでしょっ」

 わたしは自棄になったように言葉を発しながら、マフラーを手に立ち上がる。かなり単純な作業だがけっこうな気力がいった。
 そこら辺に置かれていた紙袋を適当に拾い上げる。このあいだ綾子と買い物に行った時の、店のロゴ入り紙袋。そのなかにマフラーを押し込む。
 これで、外から見ればとてもじゃないけど「プレゼント」の類には見えないだろう。綺麗な紙で包んでラッピングして……なんてことをする気力はない。そんなことに気力を廻すぐらいなら、どうやってこれを渡すかに心血をそそぐ。

 その手編みのマフラーを入れた紙袋を持ち、わたしはコートを着込んで屋敷の外へと出た。外はいまだにゆっくりと粉雪が降り続けている。寒さに、コートの襟をそっと立てた。吐く息が白い。

 足跡をつけるのが申し訳ないような白い絨毯を、サクサクと小気味良い音を立てながら歩いていく。頭のなかでは「まあ一応クリスマスだしね」「風邪でもひかれたら色々と面倒だし」「安かったから」「試作品をあげるような失礼なこと、士郎ぐらいにしかできないし」などなど、マフラーを渡す際の台詞、というか言い訳を考える。
 でも、そのどれもが、当然のことながらしっくりとこなくて、まあ結局すなおに渡すしかないわよね、との結論に行き着く。ここ二週間ほど、延々と繰り返された脳内議論だが、毎回、結論だけは同じだ。にもかかわらず、延々と繰り返しているのはひとえにわたしの往生際の悪さから。

 ここまできたらもう覚悟を決めるしかない。
 まるで決戦に赴く騎士のように、あるいは死刑台に上がる聖者のように、真っ白な道をゆっくりと歩く。なんだってこんなことで、こんな覚悟を決めなくてはならないのか。そんなことを自嘲気味に思うが、「衛宮士郎にマフラーを渡す」か「バーサーカーと一騎打ち」どっちか選べといわれたら、なんとなく後者を選んでしまいそうな自分がいたりする。
 それもこれも結局は、魔術師としての遠坂凛と一人の女としての遠坂凛、このふたつを比べた時に、どちらの役割に自分が慣れているのかを考えれば、はっきりと前者であると自覚しているからだ。特に、今回のように「恋愛」といった要素が絡まってくると、あまりの不慣れのためにどうしてもそれから遠ざかろうとしてしまう。

「女としては、ちょっと困りものね、この性格」

 魔術師としてはそれでいいのかもしれないけど。
 十年前、どちらを選ぶか悩み、わたしは遠坂の魔術師として生きることを決めた。後悔なんかこれっぽっちもしてないけど、いまさらこんなに悩むことになるとは思ってもみなかった。



 さく、さく、さく、と、どれだけゆっくりと歩いても、前に向かって歩いている限りどうしたって行き着くところには行き着く。見慣れた交差点は、わたしが目的地への道のりを半分ほど踏破したことの証だ。

 あと半分の道のりの間に、わたしはまともな台詞を考えつくことが出来るのだろうか。そんなことを考えながら歩いていると、交差点の右手側から小さな足音が聞こえてきた。
 さくさくさく、と、わたしよりも小さな、複数の足音。目を向けると、二人の子供が雪と戯れるように走ってくる。
 男の子と、女の子、どちらもまだ幼い。たぶん、小学生にもなっていない年だろう。兄妹なのだろか、先を走る男の子を、女の子が必死で追いかけている。
 白い吐息を冷たくなった手にあてて、その二人の子供をしばらく眺める。車もほとんど通っていないのか、道路の真ん中も綺麗な絨毯がまだ敷き詰められていた。その上を、男の子が駆け回り、女の子が追いかける。

 子供は元気ね、なんてちょっと年寄りくさいことを思ってしまう。その元気の半分でも、いや、十分の一でもいいから分けてほしい。

「まってよ、おにいちゃん」

 女の子が先を行く男の子を呼んだ。やっぱり兄妹だったみたい。呼ばれた男の子はハシャイでいて聞こえないのか、まったく止まる気配がない。女の子はすでに泣きそうだった。

 と。
 そんな時、女の子の姿が視界から消えた。わたしは駆け出す。

「大丈夫?」

 女の子が消えたところまで行き、わたしは声をかけた。おそらく、雪で見えなくなった段差かなにかに足を取られたのだろう。女の子は幸いにも雪がクッション代わりになったようで、たいした怪我も無さそうだった。
 わたしはホッと息をついて女の子を抱き起こした。顔にかかった雪を優しく手で払ってあげる。女の子が泣き出してしまうかと危惧したけれど、女の子は泣かなかった。ただし、かなり泣きそうだけど。

「えらいわね」

 わたしは女の子の頭を撫でてあげた。子供を撫でてあげるのってなんでこんなに心が暖かくなるのだろうか。少しだけ昔のことを思い出す。
 その頃には、おにいちゃんだと思われる男の子もそばにやってきていた。心配そうに女の子の顔を覗きこんでいる。

「ゆうか、だいじょうぶ?」

 そう聞く男の子に、わたしは声をかけた。

「駄目よ。おにいちゃんなら、ちゃんと妹のことを見ていてあげないと」
「……うん。ごめん、ゆうか。いっしょにいこ」

 男の子はそう言って妹に手を伸ばした。

「うん。もうひとりでいっちゃわないでね」
「わかった」

 女の子がおにいちゃんの手を握り返して立ち上がった。わたしは背中やお尻についた雪を払ってあげる。

「おねえちゃん、ありがとう」

 女の子がわたしに言った。わたしは、おばちゃんって呼ばれなかったことにちょっとだけホッとしながら笑いかけた。

「お兄ちゃんの手、離さないようにね」
「うんっ」

 元気よく女の子が答えてめでたしめでたし、だと思ったのだけど、女の子が何かに気づいたのか、急に泣き出しそうな顔になった。男の子が慌て、ついでにわたしも慌てた。転んだ時にどこかをぶつけでもしたのだろうか。

「おにいちゃあん……」

 顔をくしゃくしゃにゆがめながら、女の子がなにかを差し出す。それは、首もとにぐるぐる巻きにされていたマフラー。女の子にはちょっと大きめで、それでいてとても暖かそうなそれは、転んだ時にひっかけたのか真ん中に大きな裂け目が出来ていた。
 これは……ちょっと直しようがなさそう。

「あ、ど、どうしよ」

 男の子が慌てたようにそのマフラーを手に取り、すぐに今度は自分の首に巻きついたマフラーをつかむ。ほんのちょっとだけためらったあと、自分のマフラーを外して女の子にかけてあげた。

「おれのあげるから、泣くな、ゆうか」

 妹をあったかくしてあげて、男の子はそう言って妹の頭を撫でた。
 うん。えらい。おにいちゃんはそうじゃないとね。自分のがなくなってちょっとだけ寂しそうな顔してるけど、まあ、そのぐらいは合格範囲内かな。

「でも……ママ怒るかな?」

 女の子が心配そうな声を出した。男の子も考え込んでしまう。

「それ、ママが編んでくれたの?」
「うん、そうだよ」

 わたしが聞くと、男の子がそう答えた。わたしは破れてしまったマフラーをしげしげとよく見る。

「あ……これって……」

 ひとつのことに気づいた。

「大丈夫だよ、おれがあやまってやるからさ」
「でも……おにいちゃんとおそろいだったのに……」
「あ、う……そ、それは……その……しかたないよ」

 男の子まで寂しげに沈んでしまう。あらあら、おにいちゃんまで泣きそうになっちゃった。

 ん……そうね、まあ、しょうがないかな。

「ね、そのマフラー、おねえちゃんに貸して?」
「え……うん、いいけど……」

 男の子からマフラーを貸してもらい、それを持っていた紙袋に入れる。怪訝な顔をする二人の前でわざとらしく紙袋の上に手をかざした。
 そして、にっこりと二人に微笑みかけて言った。

「じつはね……おねえちゃんは魔法使いなの」





「あ、いらっしゃい、遠坂先輩」
「あれ、桜。来てたんだ……って、なにそのほっぺ」

 玄関にまで出迎えてきた後輩は、可愛らしいエプロンをつけ、その頬にこれまた可愛らしい白い雪のようなものをつけていた。

「あれ、ついてます?」
「いや……はんたいがわ」

 お約束のように逆の頬に手をやる桜。指摘されてその雪を指で取り、ペロリと舐めた。

「なんなの、それ?」
「生クリームです」
「生クリーム? なんでまた」
「ケーキ作ってるんですよ」

 ケーキ……ああ、そういうことね。今日、クリスマスだしね。

「先輩もご馳走作るって張り切ってますよ」
「ふーん」

 わたしは気のない返事を返しながら玄関を上がった。
 居間に行くと、コタツで横になりみかんを頬張る一人の人物。ぬくぬくと、そんな言葉がこれほど似合う人はそうはいまい。わたしはあるネコ科の動物を思い出したが口にはしなかった。

「藤ねえ。少しは手伝おうって気にはならないのか?」

 キッチンの向こうから聞きなれた声が響く。少しだけ胸が鳴った。

「だって寒いんだもん。お姉ちゃん外でれない」

 そう言ってごろごろところがる一匹の虎。その横を通ってわたしはキッチンへと顔を出す。

「わたしが手伝うわよ」
「あれ……遠坂? いつ来たんだ?」

 インターホン鳴らしたのに気づかなかったのかしら、こいつは。それとも忘れた?

「いま来たとこ。……なあに、これ。ずいぶんと大仰な準備だこと」
「クリスマスだからな」

 その一言で片付ける士郎の目の前には、下拵え中なのだろう、ありとあらゆる料理の材料が山のように……って、

「……何人分あるのよ……これ」
「クリスマスだからな」

 張り切っていると言った桜の言葉は正しかったようだ。張り切りすぎの気がしないでもないけど、士郎に関しては別に珍しいことでもない。
 呆れたようにその食材を見渡していると、そこには似つかわしくない四角い箱が置いてあった。

「あら? これは、なに?」
「え……あっ、それはだめだっ」

 わたしはそれに手を伸ばしかけたが、その横からものすごい速さで士郎がかっさらう。慌てて後ろ手に隠し、後ろ向きのままで器用に戸棚を開けると、その箱をさっさと放り込んでしまう。
 その寸前に見えたそれは……ふーん……なるほどね。

「いまのはいったいなんだったのかしら、ねえ、衛宮くん?」
「な、なんでもないぞ。ただの……そう、料理で使うただの調味料だ、うん」

 思いっきりへたくそな嘘をつく士郎。なんだって調味料なんかをラッピングしたりするのよ、まったく。

「へえ、じゃあ、なんでしまっちゃうの? 使うんでしょう?」
「あ、と……さ、最後に隠し味として使うんだ。そうじゃなきゃ意味ないからな……ほんとだぞ」

 自分でも相当くるしいということは理解しているらしい。言わなきゃいい一言が口を付いた。
 もうちょっとまともな嘘をつけるようにならないのかしら。士郎を見ていると、自分の嘘のへたさがだいぶマシなものに思えてくる。少なくても、相手の嘘を見抜くことに関しては、わたしは士郎よりもはるかに上らしい。士郎のレベルがあれなので、あんまり誇れることではないけど。

「まあ良いけどね……はい、これ」

 トスン、と、持っていた紙袋を士郎に押しつける。士郎は不思議そうな顔でそれを見やった。

「遠坂……? これは?」
「魔法の種明かし」
「……は……?」

 なんだかまったく謎な顔をしている士郎は、紙袋に手をやってなかのものを取り出す。それは、手編みのマフラー。ただし、真ん中からざっくりと切れてボロボロになったマフラー。

「ええと……」
「わたしも初心者だけど、向こうも初心者だったのかしら。同じ本の、同じデザインを参考にするなんてね」
「……遠坂?」
「すごい偶然の一致だけど……ああ、こういうのが本当の魔法っていうのかも。クリスマスだし、そういうのがたまにはあってもいいわよね」
「あの……もしもし?」
「なによ」

 せっかくこっちがいい気分に浸っているというのに、士郎が邪魔をしてくる。

「で、これは結局なに?」
「わたしの決意の成れの果て」
「はい?」
「別にいいでしょ、そんなことどうだって」

 わたしはそう話を打ち切って、士郎の体を押しのける。

「お、おい。なんだよ」
「わたしが料理の準備するわ。士郎は向こうで藤村先生の相手でもしてて」

 そう言って居間のほうへと追い出す。やる気満々な士郎はなかなか引き下がらなかったけれど、わたしも今日だけはゆずる気がなかった。クリスマスの晩に、自分が作った料理を好きな人に食べてもらう。後々もらうであろうプレゼントに対しての、ちょっと早めのお礼。等価交換は魔術の基本。こっちの切り札は、いまごろ男の子の首にぐるぐると巻きついているだろうから、別なものを用意する。
 ぐずる士郎を居間へ蹴り飛ばし、キッチンにずらりとならぶ膨大な食材をざっと見やる。あれとあれとこれ、それからあれ……頭のなかで料理を構築していく。頭の中からはみ出してしまうぐらいの料理が並ぶ。
 よしっ、と、わたしは気合を入れて、以前買っておいた自分専用の赤いエプロンをかけた。

「今日は遠坂先輩が料理するんですか?」

 戻ってきた桜がボウル片手にわたしに聞いてきた。

「うん、そう。たまにはいいでしょう」
「でも……ふふ、先輩いじけてましたよ」

 そんなにミカンばっかくうなあ、と、虎に八つ当たりしているらしい士郎の声が聞こえてくる。藤村先生には悪いけど、しばらくは標的として役に立ってもらおう。

「いつも好きなだけ作ってるんだから、一日ぐらい別にかまわないじゃない」
「今日はちょっとだけ特別な日ですからね」

 ぐるぐるとボウルの中身をかき混ぜながら桜。彼女の言いたいことはよくわかって、だからこそ今日だけはわたしが作るつもりだった。

「ま、士郎のことなんてどうでもいいわ。ちゃっちゃと作りましょ」

 早くしないと夕飯に間に合わないかもしれない。気合を入れて料理に向かう。

「なんか……」

 そんなわたしを見ながら、桜がつぶやいた。

「今日はやたらと嬉しそうですね。いいことでもありましたか?」
「いいこと……ていうか、うーん、まあ、結局はこうなるのよね、ということが良くわかった、っていうところかしら」

 あれだけ決意を固めたわりには、結局なにひとつかわらない、なにひとつ進まないことになったのだけど、それは決して気分の悪いものではなかった。いつか変わらなければいけない関係だとしても、もう少し、自分と、士郎のことと、ここにはいない少女のこと、ゆっくりと考えてみてもいい気がした。その機会を、この世界の誰かが与えてくれたのだ、そう考えることにする。あんまり魔術師的な考えではないけど、こういう結論を導き出した魔術師的ではないわたしも、間違いなく遠坂凛だということ。
 好きな男がいることに気づいてうろたえてみたり、その男のことで眠れない日々を過ごしてみたり、一生懸命プレゼントを用意したのにそれを渡すのをためらってみたり、あげくには仲の良い兄弟にそのプレゼントをあげてしまったり。うん、つくづく合理的じゃない。でもその不条理さをどこか心地よいものと感じている自分がいるのも事実だ。

 自分の心境にちょっとしたくすぐったさを感じながら、わたしは手早く料理の準備を進めていく。



「シローウっっ」
「イリヤか……って、うわあっ、う、上に乗るなあっ……お、もたいっ」
「シロウがこんなところで寝そべってるから悪いんだよ」
「だ、だったら、となりにいる虎の上に行けよ」
「とらっていうなああっっ」
「どわっ、ミカンの皮をなげるなっ」
「あははっ、私もやるうっ」
「あ、こらっ、イリヤ――って、うわ、中身はなげるなっ」
「あー、もったいないよイリヤちゃん」
「拾い食いするなああっ」



「イリヤちゃんも来たみたいですね」
「ほんと、すぐわかるわね」

 にわかに騒がしくなった居間のほうに視線をやりながら桜が笑った。わたしも苦笑しながら相槌を打つ。料理を作る前に掃除をしなくてはいけないかもしれないが、そこは主夫の要素満載の士郎にやってもらうことにしよう。彼には猛獣の躾と、じつは影の支配者である少女の相手もしてもらわなければいけないので、もしかしたら料理の準備をするよりも疲れるかもしれない。

「さ、あっちは士郎に任せておいて、こっちに飛び火するまえに終わらせちゃいましょう」
「そうですね」

 笑いあいながら再び作業を進める。もうほとんど作業は終わり、あとは仕上げだけだ。敵が士郎に照準を合わせているあいだに終わらせてしまおう。
 盛り付けと片づけを同時にこなしながら、料理の出来栄えにわたしは満足した。考えてみれば結構久しぶりに包丁を取ったわけだけど、そんなブランクなどまるで問題にならないぐらい、今日はすべて完璧にいった。
 その理由について、一瞬、頭をよぎったものがあり、わたしは思わず苦笑してしまった。一度精神のタガが外れると、人間とはこんなにも馬鹿なことを考えてしまうのだろうか。
 ただ……良く言われるあの言葉が事実なのだとしたら、今日の料理は確かに過去最高のものとなるだろう。

 わたしは、ふと、先ほど士郎が「調味料」だと偽って小さな小箱を隠した戸棚に目をやった。うん、あれが調味料だというのはあながち間違いじゃないのかな。隠し味として、あるいはもっとも大事なものとして、料理のすべてに振り掛ける「調味料」

 今日のわたしの料理には、たしかにそれが振りかかっているかもしれない。それも思いっきりたくさん。マフラーに吐き出し損ねた分も含めて。

「士郎、それにイリヤも。料理運ぶの手伝ってちょうだい」
「はーい」
「あ、ああ……」

 やたらと元気なイリヤの声と、やたらと覇気のない士郎の声。理由については思いっきり心当たりがあったので聞くのはやめておいた。イリヤが、すごーい、と感嘆しながら運んでいき、士郎がどことなく不満たらたらで運んでいく。居間のテーブルの上に豪華な料理が敷き詰められた。桜がシャンパンを抜く。ポンッという小気味よい音を、今日に関しては藤村先生も聞こえないふりをするようだ。

 誰がどう見ても、縦から見ようが、横から見ようが、斜めから見ようが、紛れもないクリスマスの光景が目の前に広がっていた。

 いろいろあったけど、何週間も前から、何ヶ月も前から、今日だけに関しても、ほんとうにいろいろあったけど、まあ、とにかく、それらのすべてをひっくるめてついでに包んでしまうような言葉を私は言う。

「メリークリスマス」

 琥珀色に反射するグラスが、鐘の音色を響かせるように鳴った。




あとがき

クリスマスに間に合わなかったクリスマス記念SS
凛ならマフラーぐらい魔術で直せるんじゃ……と思った人。
いやいや、人の想いが込められたものは魔術じゃ直せないんです。
それを直すには魔法が必要になるんですよ――ということで勘弁してください。

いや、書き終わってから、
そういえば本編で壊れた窓とかあっさりと直してたような、と思い出しましたが、
でもそこを修正するとお話そのものが成り立たなくなってしまうので……

まあそんなわけで、さらりと流してくれると嬉しいです。それでは。

12月27日

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