青と蒼と藍

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VS遠坂

第1話

「まずはこれに魔力を通してみて。……うん、いい感じね。じゃあ、これをあと五十個」

「これを飲んで。魔力の質を高める効果があるから。ちょっとだけ――死ぬかもしれないって思うかもしれないけど、我慢できるわよね」

「どう? どんな感じ? え、おなかの中が熱くて脳が沸騰しそう? そう、じゃあ大丈夫ね。はい、つぎはこれ」

「終わったの? ん……あんまり出来が良くないわね。はい、やりなおし」

「あらギブアップ? もう――だらしないわね。じゃあ十分休憩。そのかわり百個ついかね」










 朝。
 今日もまた朝が来る。
 春の日差しと穏やかな陽気、すずめの囀る声。
 心地よい目覚めを迎えるにはこれ以上ないくらいの条件。
 遠坂みたいに極端な低血圧ではない俺にとって、これだけの条件がそろえば最高の一日の始まりを迎えられる。

 迎えられる……はずなんだけど……

「あ……くっ……か、らだが……」

 今日に限ってはそういうわけにはいかなかった。
 身体中が痛い。
 頭ががんがん痛むし、吐き気ももよおす。
 少しでも動こうとすれば関節が軋み、それに追随するように筋肉も悲鳴をあげる。
 おまけになんだか身体中の血液がグツグツと沸騰しているような感じで、とにかく腹のそこから熱いものがぐりぐりとこみ上げてくる。
 口を開けばそれらがいっせいに噴出しそうで、すべてをぶちまけたくなる衝動を俺は歯を食いしばりながら必死で耐えていた。

「く……一晩たったってのに……ぜんぜん良くなってないじゃないか」

 恨みがましい一言。
 そのすべては俺の魔術の師匠――遠坂凛に向けられてのものだった。



 昨夜、遠坂の部屋でおこなわれた魔術の鍛錬は……いや、アレは鍛錬などというなまやさしいものではない。
 しごき、もしくはいじめだ。

「相手が遠坂ってことを考えると、いじめのほうがしっくりとくるな」

 とりあえず少しでも気を紛らわせようとそんなことを言ってみる。もっとも、たいした効果はないようだが。

 そう。
 俺が朝っぱらからふとんのうえで身動きもとれずにウンウンと唸っているのは、すべて遠坂凛のいじめによるもの。
 彼女が俺にほどこす魔術の鍛錬はどれも激しいものとなるのが常だが、さすがに昨夜のはきつかった。というかほとんど限度をこえていた。
 ある物体に魔力を通し、壊さず変化させずただ強化する、という単純だが俺にとってはそれなりにきつい作業を五十回以上くり返しやらされたり、かと思えば得体の知れないなんだかぐにょぐにょしたものを飲みこまされそのおかげで発狂しそうなほどの苦しみを味わったり、そんでそのすぐあとに「はい、百個ついか」なんて慈悲のひとかけらもない言葉を浴びせられたり……

 おかげで朝っぱらからこんな状態。起き上がることさえ困難。
 昨夜は一晩寝たらもとにもどるかと淡い期待をいだいていたが、それもあっさりと朝露のなかへと消えたみたいだ。むしろ昨夜よりひどくなっているような気がする。

 いままで遠坂が課す鍛錬はきびしいものが多かったけど、というかほとんどがそうだったけど、それでもけっして無茶なことだけは言ってこなかった。
 遠坂は優秀な魔術師だし、魔術師としての俺をいちばんよく知っているのも彼女だ。俺の限界がどこにあるかも把握しているから、それを飛び越えるようなしごきをするようなことはこれまでなかった。

 そう、一昨日までは……

 身体がぎしぎしといやな音を立てているような気がする。
 これまではどれだけきつい訓練をしても、たいてい次の日には普段どおり動けるようになったのだけど、今日は駄目だ。まったく身体が言うことをきいてくれない。
 つまるところ、昨夜の遠坂はまるで手加減をしてくれなかったということ。

「最近……なんか妙に機嫌が悪いとは思ってたけど……」

 遠坂のことだ。
 これまでも彼女の機嫌の悪さに泣かされたことは数多くあったけど、昨夜のはこれまでで間違いなく最大のもの。
 ほんきで――いっさいの比喩ぬきで、死ぬかと思った。三度ほど。

 一晩で三度も死を覚悟したことはさすがの俺でも……なかった、かな?
 うーん、一ヶ月前までの俺ならあっさり無かったと言い切れたんだけど、ここんところは運の足りなさを実感することが多いからなぁ。
 ランサーに殺されかけたり、というか一度殺されたり、未来の自分に命を狙われたり、金色の英雄王と雌雄を決したり、金色の騎士に道場で叩きのめされたり、あかいあくまに謎の物体をのまされたり……

 なんだか、自分がいま生きていることをだんだんと信じられなくなってきたぞ。良くこれまで生き延びてこれたもんだ。
 聖杯戦争を戦い終えたときは心底そう思ったものだが、それを生き抜いたあともいまだに生命の危機をかんじるときがあるのはいかがなものだろうか。
 とくに遠坂にしろセイバーにしろ、時折、それも極端なまでに機嫌が悪くなるときがあるからな、なぜか。そのたびに俺は地獄の底辺をさまようことになる。
 唯一の救いはこれまで二人が同時に機嫌を悪くしたことがないということぐらいか。

「それも考えてみれば不思議だよな」

 二人も人間だから、あ、まあセイバーはサーヴァントだけど、感情を持った者なら機嫌が悪くなる時があるのはあたり前なんだが、なんでこう、交互に別々に機嫌が悪かったり良かったりするのか。
 おかげで俺の気が休まるときがまるでない。必ずどっちかが機嫌が悪くなっていることになるから。
 昨夜は……いや、ここ最近はずっと遠坂の機嫌が悪い日が続いている。
 ん、そういえば、これだけ長く続くのは初めてかな。
 ちょっと前まではセイバーの機嫌がやたらと悪くて、それでまあいろいろとあったんだけど。
 それ以来、セイバーの機嫌がなおったと思ったら、今度はずっと遠坂の機嫌が悪いんだよな。
 で、まあ、それが昨夜どうやら爆発したみたいだ。

 それにしても、なんだってあんなに遠坂は機嫌が悪かったのだろうか。
 いつまでも成長しない俺に嫌気がさしたのか?
 あいつにとって、俺はできの悪い弟子だろうからいらつくのかもしれない。
 でも――

「…………がんばってるよな……俺……」

 いや、ほんと。
 良くがんばってると自分でも思う。
 でも、なんだかわからないけど遠坂は認めてくれないんだよな。
 そりゃ、なんでもできるあいつと比べたら俺なんて出来損ないみたいなもんだけど、それでも少しでも早く一人前になるために努力してるわけで。
 もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃないかなぁ……とか、ちょっと思ったりもするわけだ。

「はぁ……」

 ため息が一つ。
 このあいだのことでセイバーにはそれなりに、ちょっとだけ、俺の存在価値を認めてもらえたとは思うんだけど……あんまり褒められたもんではなかったけど……遠坂にはまだまだ認められてもらえないんだよな。

「はぁ……」

 もう一つため息。
 朝から身体だけではなく気分まで果てしなく重い。
 このままふとんの中にもぐりこんで二度寝をかましたいところだけど……

「朝ごはんつくらないと……」

 男としては駄目だけど主夫としては百点満点な俺――衛宮士郎であった。







 居間にいくとそこにはすでにセイバーがいた。
 彼女が早起きである、というよりも今日に限っては俺が遅かったということ。

「おはよう、セイバー」
「おはようございます、シ……ロウ?」

 挨拶をかわす俺たちだがセイバーの返答がなんだか変だ。
 俺の顔を見るなりおどろいたように目を丸くし、そして心配そうな顔で俺を見つめてくる。

「あ、あの……大丈夫ですかシロウ……」
「ん……?」

 心配、を通り越してどこか唖然としたような声を出すセイバー。
 む。
 調子が悪いのは思いっきり自覚しているけど、それこそ身体中で自覚しているけど、それを表面には出さないよう気をつけてるつもりなんだが。
 それでもセイバーの視線が俺の、とくに顔に集中する。
 さすがに気になったので俺はそばにあった鏡を覗きこんだ。

「……げっ」

 そこにうつる俺の顔は想像を絶したもの、というか「誰だこいつ」と自分でも言いたくなるような顔。
 顔色は死人のように青白くなってるは、極度の栄養失調にかかっているかのように頬は痩せこけているは、目の周りががどくろのように落ち窪んでいるは、そのなかで光る瞳もなんだか死んだ魚みたいに無機質だは、こんな奴がお日様の下を歩いていたらそれだけで警察を呼ばれてしまいそうな辛気臭さ。

 これ……ほんとに俺か?

「いったい……どうしたというのですか?」
「は……はは……まあ、ちょっと……な」

 そりゃセイバーが心配するのもわかる。こんな状態でふらふら歩かれてたらな。
 って、なんだか昨夜よりもひどくなってる気がするのはなんでだ。

「凛の、せいですか?」

 ぼそってな感じでセイバーが言う。
 さすがの洞察力、あるいは直感か。
 俺の惨状の原因をものの見事に言いあてる。

「ん、ああ……まあ、な……」

 セイバーにはあんまり心配をかけたくないのでそう答えて苦笑するが、セイバーの顔を見る限り成功したとは言いがたいみたいだ。
 まあ、あたりまえかもしれないけど。こんな顔してればしょうがないよなぁ。
 それでも俺は無理をしてでも笑う。

「いや、なんだか最近、遠坂の機嫌が悪くてな。魔術講座がちょっとばかりきつくて……」

 ちょっとどころじゃないけど、ほんとは。

「そう……ですか。凛が……」
「ああ、なんであんなに機嫌が悪いんだろうな、あいつ。はは……」

 あまりにもわざとらしい乾いた笑い。
 そうやってごまかそうとしたが、その俺の言葉を聞いてセイバーが不思議そうな顔をした。

「ええっと、どうした? セイバー」
「いえ……まさかとは思いますが……。シロウ。もしやその原因に気づいていないのですか?」
「……え?」
「気づいて、いないようですね、その様子では……」

 そう言ったセイバーは深いため息をついた。
 遠坂が機嫌の悪い原因?
 って、そんなこと――

「セイバー、知ってるのか?」
「知っているも何も……」

 呆れたように首を振るセイバー。

「シロウの鈍さは承知していましたが、これでは凛も苦労しますね」
 それに私も……と彼女はつぶやいた。

 もちろん、俺にはなにがなんだかさっぱりだ。







 で、そんな会話を終えたあと、俺はキッチンに立っていた。
 手に持つフライパンからは香ばしいにおいと油の焼ける音。
 脳内はぐだぐだに溶けそうな状態だが、長年かけて身体に染みつかせた作業は正確に俺の手を動かしている。
 こんな状態でも朝ごはんをつくるぐらいなら支障はない。セイバーを喜ばせるぐらいの豪勢な料理をつくるのはさすがにきついかもしれないが。

 そんなこんなで惰性的に朝餉の準備をととのえる俺。
 そのうしろから、一つの、幽鬼のような気配。
 こんな気配を朝っぱらから発散できる奴はこの家には一人しかいない。

「遠坂……か」

 ちらっとそっちを向くと確かにそいつがいた。
 あいも変わらず朝には弱いらしい。
 遠坂凛は学園の連中には絶対に見せられないような姿でキッチンの中に侵入してきた。

 で、俺の横を通り、冷蔵庫をぱかっと開ける。
 いつものようにパック入りの牛乳を取り出し、ごくごくとその冷たい液体をのどに落とし込んでいく。

「……ふぅ」

 一息ついた遠坂は、そこでようやく俺に気づいたような表情でこっちを向き、
「あら、生きてたの」
 なんてことをほざきやがった。

「い、生きてたのって――遠坂、おまえなっ!」
「なによ……」

 むぅ、ってな感じで俺を睨みつけてくる遠坂。
 おかしくないか、これ。
 大丈夫、とか元気そうね、とか言われたのならまだしも、あら生きてたの、だぞ。
 俺にこそ怒る権利があるってものだろ。
 とうぜん俺は――

「いや、その……朝食は食べるのか? 遠坂」

 と、いまもっとも大事なことを聞いた。
 余計な分をつくったらもったいないからな、うん。

「……ふん。…………へたれ」

 相変わらず機嫌が悪そうな遠坂はいらだたしげにそれだけをつぶやいて居間へと戻っていった。
 なんとも……きつい一言を見舞われた俺。
 言っとくけどな、遠坂。
 俺は別におまえが怖くてびびったんじゃないぞ。ほら、今日はちょっとばかし俺の体調が悪いし、遠坂だって朝に弱いしな、ここで決着をつける必要もないだろ。
 それに……なんというか、いわゆる惚れた弱みってのが俺にはあるからな。好きになった女の子にはどうしたって強く出れないんだよ、かなしい男の性ってやつだ。
 だから別に俺がヘタレだからとかそういうことじゃなくてだな……

 俺は、ここにはいない相手に、しかも万が一にも聞こえないよう、心のなかで延々と言い訳をくり返していた。




 朝食はつつがなく終わった。
 遠坂の機嫌は相変わらずどん底のようだ。
 俺のほうも、なるべく遠坂とは視線を合わさないようにしていた。
 そんな俺たちに挟まれたセイバーはどことなく居心地悪そうだった。
 それでもご飯だけはしっかりと残さずたいらげるのがセイバーらしいが。

 で、後片付けもしっかりと終えた俺は、いまは自分の部屋でぐったりと横になっていた。

「今夜もしっかりと教えてあげるから、覚悟しててね」

 とは、別れぎわの遠坂嬢の言葉。
 にっこりと、あまりに魅力的な微笑を向けながら発せられたその言葉に、わずかに残っていた俺の気力もエンプティ状態。
 そんなわけで、いまは少しでも気力、体力の回復に努めなければいけない。
 そうでなければ――今宵、生き延びることができなくなるかもしれないから……

 なんだかいろんな不条理を感じながら、俺の意識はそのまま闇のそこへと沈んでいった。








 その日、俺は夢を見た
 不思議な夢だ。
 なにより不思議なのが、これが夢だということをなぜかはっきりと認識できること。

 目の前には金髪の少女がいた。
 美しい少女。
 今まで見たことのない少女だ。

 その少女が静かに微笑んだ。
 古の女神もかくやというほどの微笑み。
 でも、記憶の片隅で、どこかで見たことがある、そんな気にもなる。
 ああ……そんなはずないな。
 すぐに否定。
 こんな美しい少女、おれみたいな奴の人生に関わりあうはずもない。
 おれの脳裏にある願望、それが具現化したものなのだろう。
 なにしろ……これはすべて夢なのだから。

 そう、夢。
 すべてが夢。
 だから、少女が身につけている衣服を脱ぎ捨て、
 その美しすぎる肌をおれの目の前にさらしてもなにほどの不思議もない。
 だから、おれに身体をよせてきて、
「―――」
 と、おれの名を呼び、その可憐な唇を押しつけてきてもなにほどの不思議もない。

 その少女の指が、唇が、おれの全身を愛撫する。
 卑猥なものではなく、純粋な暖かさにつつまれる。
 
「―――」

 少女がまたおれの名を呼ぶ。
 
「――――」

 だから、おれも少女の名を呼んだ。
 少女の名?
 いや、おれは彼女を知らない。
 そのはずだ。
 それでもおれは彼女の名を呼び、おれをつつみこんでくれる彼女を感じる。

 二人の息づかいがあたりにこだまする。
 限りない美しさを誇っていた少女が、何かに耐えるようにその美貌を曇らせている。
 それが……なぜかひどく嬉しい。
 眉根を寄せ、あらい息を吐くその少女が、なぜかたまらなく愛しい。
 少女の華奢な身体をしっかりと両手で掴み、乱暴なまでに下から突き上げる。
 ん?
 突き上げる?

「―――!」

 少女の身体がとうぜんのように飛び跳ねた。
 なにか鳴き声を上げたようにも感じられたが、おれの耳にはまったく届かない。
 おれはただ惰性的に、そうすべきだということをなぜか頭の片隅で理解しながら、その行為をくり返す。

「――ウ……」

 また何か声が聞こえた。
 それと同時に、頬のあたりになにかあついものが触れる。
 なにかの液体?

 そして……身体の奥底から、胸の奥底から、なにかの塊が押しあがってくる。
 それは下のほうから来た。
 熱い、ほんとうに熱い塊。
 まえにも一度だけかんじたことがあるような気がした。
 無限の――を与えてくれるもの。
 湧き水のように、延々と、あとからあとから流れ込んでくる。
 それを身体のなかでうけとめると、
 ――この世界でおれに不可能なことなど無い――
 そんな気持ちすらいだいてしまうほどの……

「―――っぁ」

 また……おれの上で少女が鳴いた。
 崩れるようにおれにのしかかってくる。
 身体中のちからがすべて抜けてしまった少女。
 それに――
 おれは下から一本の棒を通すように突き刺した。

「―――っっ!」

 脱力しきっていた少女の身体がよみがえる。
 金色の髪が空に舞い、なにかを訴えるような鳴き声をあげた。

 泣き、そして狂っていく少女。
 それを下から見上げながら、おれは少女を責める手を緩めない。
 つよく、つよく、少女を我が物とする。

 そして――
 もう一度、少女が鳴き声をあげ、がっくりと崩れ落ちた時、
 おれの意識もふたたび暗闇のなかへ埋没した。









「……ん……あ、れ……」

 目が覚める。
 頭がぼおっとしている。
 うっすらと開いた瞳からは見慣れた光景が入り込んでくる。

「俺の……部屋、だよな」

 意識はあまりはっきりとしないが、それは間違いなさそうだ。
 身体の下にはいつもの布団が敷かれている。

「ああ、そうか……」

 そういや、朝飯食べたあとすぐにダウンしちまったんだっけ。遠坂から無慈悲な宣告くらったからそれもしょうがない。
 ん、それにしてもなんか部屋が暗いな。まだ朝のはず……て、おい。窓の外、もう真っ暗じゃないか。
 もしかして……ずっと寝てたのか、俺。

「なんて……無駄な一日の過ごし方……」

 さっき朝食の時間だと思ったらもう夜。
 無意味に時間を消費してるなぁ。

 はぁ……

 今日何度目かわからない深いため息。
 そんな時、ふいに自分のそばから感じる人の気配、そして静かな音。

「ん……?」

 その気配と音の方向へ目を向けると、そこには美しい金色の髪をした少女。
 ……あれ?
 なんかついさっきもどこかで見たような……
 後ろを向いているが、それが誰の後姿か俺にはすぐにわかった。

「セイバー?」

 そう声をかけると、金色の髪がふわっと揺れた。

「あ、シロウ。起きたのですか」
「ん……あ、ああ……」

 身体を起こし、振り向いたセイバーを見る。
 彼女はちょうど胸元のリボンをなおし、袖のボタンを嵌めているところだった。
 なんだ。
 さっき聞こえてきたあの音は、セイバーが服を着る衣擦れの音だったのか。
 納得だ。
 …………ん?
 なんかちょっとおかしいような気もするな。
 意識がしっかりと覚醒しきっていないからすこし状況把握がおぼつかない。
 でもまあ……いいか……

「シロウ……」
「え、あ……なんだ、セイバー」

 不意に、セイバーが俺のそばに近づき顔を寄せてきた。
 なんか……これもどこかで……

「身体の調子はどうですか?」
「え、身体?」

 ああ、そうか。
 セイバーは朝見た俺の惨状が心配で、こうしてそばで看病してくれてたのか。
 うん。
 じゃあ、彼女の気遣いにこたえるために、ここはちょっとぐらい無理してでも平気なふうを装って。

 ……あれ?
 なんか身体が……

「どうですか? シロウ」
「ん、なんか、やけに軽いな。普段どおりだ」
「そうですか……。よかった。」

 そう言ってほっと息をつくセイバー。よっぽど心配してくれてたみたいだ。

 で、俺のほうはといえばなんとも不思議な感じ。あの朝の苦しさがうそのように消え去っている。
 普段どおり、いや、あるいは普段とは比べ物にならないぐらい快調。
 身体の奥底からどんどん力がわきあがってきて、それこそ、
 ――この世界で俺に不可能なことなど無い――
 そう思ってしまうほどの……ん?
 なんか……ほんのちょっとまえもこんなことを思ったような。
 うーん、さっきからこんなのばっかりだな。
 身体のほうはともかく、意識のほうはまだ普段どおりとはいかないのかもしれない。

「あの……シロウ?」

 考え込んでしまった俺にセイバーが心配そうな声をかけてくる。
 おっと、いけない。
 これ以上セイバーに要らない心配をかけるわけにはいかない。

「ああ、大丈夫だ、セイバー。なんでだかは良くわからないけど、もう身体のほうは問題ない」
「そうですか。それは良かった。」
「心配してくれてありがとな。セイバー」
「いえ……。なにぶん初めてのことでしたので不慣れな部分もありましたが……上手くいって良かった」

 ん?
 初めて? 上手くいった?

「セイバー、その……上手くいった、て、なにがだ?」
「あ……」

 そう聞くとセイバーは、しまったという顔をしてうつむいてしまった。
 それにならうように金色の髪が揺れ、ほつれた髪の毛が数本、彼女の顔を覆う。ふだんはしっかり束ねられてるのに珍しい。でも、こう……こういうのって結構いろっぽいよな。

「……む、む」

 なんか……
 そういう意識でセイバーを見たら、いつもとはちょっと様子が違うように感じられた。
 髪の毛が乱れているのもそうだけど、それだけではなく、目をこらすと唇がすこし濡れているようにも見えるし、首の辺りもほんのりとピンク色に染まっているような気がする。
 これって……なんか、アレのあとの――時に似てないか?
 いや、でも……俺はいままで寝てたわけだし、当然そんなこともやってないし、だとすると別の誰かと――

「シロウ? どうしたのです、いきなり頭を振って」
「え……あ、いや。な、なんでもない、うん。なんでもない」

 なに考えてんだ俺は。
 そんなはずあるわけないじゃないか。
 ただの思い過ごし、気のせいだ。
 俺は気を紛らわせるためにわざとらしく咳払いなんかをして、話題を変えることにした。

「あ、そういえばさ……遠坂は?」
「凛ですか。彼女なら部屋でシロウを待っているはずですよ」
「俺を待ってる? なんでさ」
「約束していたのではないのですか?」

 やくそく……

 あ――思い出した。
 正直、思い出したくはなかったけど思い出してしまった。
 再びくり返される地獄。それが俺を待つ。

「そうか……魔術の……」
「はい……」

 俺の言葉にセイバーが静かにうなずいた。
 そう、遠坂による魔術講座が俺を待つ。
 せっかく体調が戻ったと思ったけど、どうやらそれもすべて無駄になりそう。もう一度あの倦怠感を味わうはめになるかと思うと、心底げんなりする。
 せめてもの救いは体調最悪の状態で立ち向かわずにすむということ。

「しょうがない、覚悟を決めるか」

 遠坂だって俺のためを思って厳しくしてくれているのだからな、多分。男ならそれにこたえなきゃだめだろう。
 そうと決まれば――

「あ、待ってくださいシロウ」
「ん……」

 立ち上がろうとしてセイバーに呼び止められる。

「なんだ? セイバー」
「あの……凛のところに行くのなら、まずは湯浴みを……と思いまして……」
「湯浴み?」

 つまり風呂か?
 いや、それは別にかまわないんだけど。

「汗臭いか?」
「いえ、そういうわけではないのですが、その……いろいろとありましたし。それに、そのままではさすがに凛に失礼というか申し訳ないというか……」
「……?」

 なんだかはっきりとしない物言いだな。
 ……そもそも、いろいろあったって言っても俺は寝てただけだし。汗だってそれほどかいたとは……だいいちこれからやらされることを考えると、この後のほうがよりいっそう汗をかきそうだし。

「ん……まぁ、いいか。わかったよ、セイバー」

 それでも俺は素直にうなずいた。
 さっぱりして覚悟を決めてから地獄に挑むほうがいいかもしれないしな。

「じゃあ、風呂入ってくる」
「……はい」

 セイバーがちょこんとうなずいた。
 どこか安心したような表情。においで気づかれてしまいますし、と、小さな声が聞こえたような気がした。
 
 あいかわらず良くわからないが、熱いお湯に浸かって気を引きしめるのも悪くはない、そう思って俺は風呂場へと向かった。







 で、風呂から出た俺は地獄への入り口を開く。
 ぎぃ、ぎぎぎぃ……と、そんな音が聞こえてきそう。

「遅かったわね」

 そして、あかいあくまが俺を出迎えた。



 そこからはいつものとおり。というか昨夜の再現。
 つぎつぎと出される恐ろしいほど困難な課題の数々。

 遠坂が常々おしえようとするのはひどく基本的なもの。
 彼女が言うには、俺はある特殊な分野においてもうすでに道の端っこまで極めてしまっているので、あえて複雑なことを教える必要はないのだと、いや、教えられないのだという。
 そもそも、俺と遠坂では得意とする魔術の分野がまったく違うのだから無理もない。
 だから、俺がいまやっていることは基本の反復。ひたすら反復。素質はあるが才能のない俺にはそれがぜったいに必要なのだという。

 基本ではあるが半人前の俺にはじゅうぶんにきつい修行だ。もともと半端な魔術しか教えられていない身だったのだから。

 なのに。

「ちょっと、なによこれ」

 怒りではなく、唖然としたような声。遠坂の手には俺が先ほどまで強化の対象としていた時代がかったランプが握られている。
 ただのランプではない。
 遠坂の手によりあれやこれやといろいろ弄繰りまわされたランプ。つまるところ、俺が強化しにくいように遠坂が強化したランプ。
 昨夜はこれを二百個あいてにさせられて、半数を割ってしまい四分の一をいびつな形に変形させさらに四分の一を目の前にしたまま息絶えてしまった。

 その憎きあいてが、完璧な強化を施され遠坂の手のなかにある。
 遠坂がそれを唖然と見やり、それ以上に唖然として俺が眺める。

「……上手く、行ったな……」

 信じられないというような自分の声。なにしろ信じられないのだからしかたがない。
 昨夜、あれだけやって一度たりとも成功しなかったものが、今日は一個目で、しかもやたらとかんたんに成功してしまったのだから。

「まって、次は……次はこれをやってちょうだい!」

 そう言って遠坂が手にしたランプを見た瞬間、頭にはさっきと同じようにそのランプの内部構造がはっきりと映し出された。
 わかる。
 それを手に取る。
 すべてがわかる。
 遠坂がいくつかの防御回路を通したそのランプだが、それをいっさいなかったかのようにして俺の魔力が通される。
 そして、またしても……

「な、なんで……」
「……そういわれても、俺にもわからない」

 俺でさえ、自分のなかから来るこの不思議な感覚に戸惑っているのだから。
 己の中からあふれ出してくる、無限の――

「ありえないわよ、こんなの! じゃ、じゃあ、つぎは……」
「……遠坂」

 やけに取り乱している遠坂。俺が失敗しなかったことがよっぽど悔しいみたいだ。
 これで確信する。
 やっぱりおかしいよな、遠坂。らしくない。

「なあ、遠坂」
「な、なによ……」
「なんでそんなに、いらついてるんだ」

 厳しいのはこれまで幾度もあった。それがすべて俺のためだってのもわかってる。
 でも、最近の遠坂は変だ。機嫌が悪いというのを通り越して、どこか情緒が不安定。
 俺に厳しい遠坂なんてのは当たり前だけど、俺の失敗を喜ぶ遠坂なんてのはありえない。

「わ、わたしは別に……」
「おかしいだろ、ここんとこのおまえ。ずっと機嫌が悪いし……なにかあったのか?」
「なにかあったか……って……」

 遠坂はうつむいてしまった。その肩がすこし震えている。

「遠坂?」

 肩が震え、唇をぎゅっとかみ締めている。それでも抑えきれないうめき声が小さく漏れる。表情は、その黒く長い髪に隠れてしまって見えないが、ひどく歪んでいるというのはここからでもわかる。
 えっと、もしかして……泣いてる、なんてことないよ、な……

「……遠坂」

 そう囁き、彼女の肩をゆっくりと抱きしめようとして……

「なんであんたはそんなに鈍感なのよ――――っっっ!!!!!」

 鼓膜が破れた。




「と、遠坂……。い、いきなりそんな大声出すなよ……み、耳が……」
「うるさい、馬鹿!」

 ささやかな反論はあっさりと封じられてしまった。

「あんたが鈍感すぎるのが悪いんでしょうが!」
「ど、鈍感って……なにがだよ」
「それが――よっ!」

 びしぃっ、と、指を突き刺してくる。人の顔を指差すのはやめてくれ、遠坂。

「なんで気づかないの?」
「え?」
「わたしも……それにセイバーも、あんたみたいな朴念仁にこんだけ苦労させられて……」

 セイバーも。
 あ、そうか。そういえば……最近は遠坂だったけど時々セイバーも機嫌が悪くなるんだよな。なぜか。
 セイバーがいちばんひどかったときが二週間ぐらい前のころだったかな。とにかく道場で叩きのめされまくった。
 あの時は確か……
 そう、あのおかしな戦いがあった。あれ以来セイバーの機嫌が良くなったのを安心してたら、今度は遠坂の機嫌が悪くなって。シーソーみたいにあっちにいったりこっちにいったり。

 あれ?
 まてよ……
 それってつまり……
 そういえばあの日以来、遠坂とは……

「士郎。この二週間のあいだ、わたしと話したこと何回あった?」
「ええと……」

 毎日の食事のときに少しと、ああでも、まったく会話がないときもあるか。それから魔術訓練のとき。でもこっちは魔術の話しかしない。
 そして、遠坂がいま言っている……話したこと……とはそういうたぐいのものではなく、つまり――

「わたしは士郎のなに?」
「……恋人だ」

 そう、恋人としての会話。それに……恋人同士ならあるはずのその営み。

 ゼロだ。皆無だ。まるで無しだ。
 ……遠坂が怒るのも無理ない。

「その……なんと言うか……悪い、遠坂」
「セイバーが機嫌悪かった理由もわかった?」
「……ああ」

 というか、二人が交互に機嫌が悪くなる理由がわかった、ということだ。
 遠坂とセイバーと、鈍感で気がきかなくて朴念仁な俺。
 二人のかわいい女の子と、たいしてカッコよくもないしちっともまめじゃない男。

「なんでこんな奴に惚れちゃったのかしらね、わたしもセイバーも」

 ちっちゃな声でつぶやいた。
 う……なんというか……返す言葉もないというか……
 とにかく、いま俺にできることといえば――

「はぁ……ま、いいわ。今日はここまでにしときましょう。なんだかもう、訓練する気力もなくなっちゃったし。士郎だって昨夜の疲れがのこってるでしょう?」
「遠坂」
「え? や、ちょっ、なに……」

 華奢で柔らかい遠坂の身体を引き寄せる。あわてて離れようとする遠坂だが、とうぜん逃がさない。

「遠坂」
「む、無理しなくたっていいわよ。だいたい、昨夜はわたしもやりすぎたし、あの疲労が一日で抜けるはずないし……」
「大丈夫だ」

 ああ、大丈夫だ。
 今朝は俺もそう思ってたけど、いまはもうぜんぜん大丈夫。疲労などまったくない。それどころか尋常じゃないぐらい元気だ。
 それに、たとえそうでなくても――いまこの場でちからを発揮しないような奴は男じゃない。

「遠坂」

 三度、彼女の名を呼ぶ。

「……士郎」

 そして彼女も俺の名を呼んだ。

 触れ合う唇と唇。
 久しぶりに感じるそれは、たとえようもないほど柔らかく、そして甘かった。










 身体を熱い湯が覆い隠していく。
 金色の髪が雫に濡れ、頬にかかる。
 湯船にゆったりとつかりながら、私はさきほどのことを思い返していた。

 シロウがうなされていた。
 氷でつくられた布団のうえに寝ているのかと思ってしまうほど身体を震わせ、何事かつぶやきながら青白い顔をゆがめていた。頬はやせこけ、呼吸することすら苦しそう。
 原因は凛。
 なぜそんなことをしたのかも知っている。
 時には、おなじ理由で私のほうが加害者になることもあるから。

 そもそも同じ男を愛してしまったことが原因。
 私はシロウを愛している。凛はシロウを愛している。シロウは私を愛していて、シロウは凛を愛している。
 でも、シロウは一人しかいない。私たち二人同時に『愛する』ということはできない。
 だから当然、そういうことをやっている時、もう片方はほったらかし。さらにわるいことに、私と凛の部屋は隣り同士。
 筒抜けである、ということ。
 これだけの要因があったら、やきもちを焼くなというほうが無理がある。
 まさかそれを直接の相手にぶつけるわけにはいかないので、自然、シロウがそのはけ口となってしまう。

 でもこんかいの凛はすこしやりすぎたと思う。次の日にまでその影響が残るというのはルール違反。
 いくら二週間もご無沙汰だったとはいえ…………二週間…………しょうがない、ような気もしますね。



 とにかく、うなされ続けているシロウを見ていたらある一つの教えを思い出した。いたずら好きで色欲の過ぎる老人の教え。

「確か……房中術と言いましたか……」

 王族や貴族にとってはあたりまえの儀式だと言っていた。私は一度もこのようなものの助けを借りたことはないが。だいいちあの頃は性を偽っていたのだから。
 あの老人は戯れでこの知識を教え込んだのだろう。それがまさかこのようなところで役に立つとは思わなかった。
 魔力の受け渡しをより効果的にする方法。マスターとサーヴァントの関係に近いようなことを擬似的に作り出す。
 これまで実践したことなどなかったので上手くいくかどうか心配だったが、まったく問題がなかった。それどころか上手く『いきすぎた』ような気すらする。
 考えてみればそれも当然なのかもしれない。私とシロウのあいだにはすでにサーヴァントの契約は存在しないが、だからといって私たちの絆が消え去ったわけではない。

 シロウの内にある私の半身。

「あの時も……」

 二週間前の出来事。
 閨のなかで行われた、これまででもっとも激しい交わり。

「ん……」

 思い出しただけで身体が熱くなる。なんども意識を失い、なんども天上に導かれたあの夜。
 あの感覚がまだ残っていたのだろう。いや、この二週間での行為でそれがより鋭敏になったのかもしれない。
 だから、今回の試みも自然と上手くいった。

「ただ……」

 おなかの下のあたりを押さえる。
 なにかがごっそりと抜け落ちた感覚。すべてを搾り取られたような脱力感。
 途中から気を制御できなくなり無制限に送り込んでしまった。
 シロウの疲労や魔力を補うだけではなく、それをはるかに超える、人の身にはあまりに分不相応な力。それを彼に注ぎ込んでしまった。
 私の魔力。純然たる「力」
 無限とも思えるほどのそれをシロウは手に入れた。
 そして……シロウにはそれを体内に貯蔵するための受け皿ともいうべきものがある。

 我が半身ともいうべき鞘――

 精はすなわち魔力であり、魔力はすなわち精。
 そのすべてを、シロウが己の物にしたのだとしたら……


 もしかしたら――私はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。とんでもない怪物をこの世に具現化させてしまったのかもしれない。

「……凛……」

 私は恋敵である少女が急に心配になった。
 彼女は、この二週間で私が味わったそれ以上のものを、今宵、体感するのかもしれない。
 凛がシロウに与えた地獄、それ以上の地獄を今度は彼女が味わうのかもしれない。いや、それはもしかしたら地獄ではなく――

「いずれにしろ……今夜、ゆっくり眠るためには結界を張る必要がありそうですね」

 あるいは耳栓か。

 そんなことを考えながら、私は穏やかに波打つ湯船のなかに沈んだ。




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あとがき

この話を書くにあたり、ちょっとだけ房中術について調べた。
女性が上になるのが一般的らしい。
男性はこの時、出してはいけないらしい。
ふしぎ遊戯というアニメが見たくなった。
房中術を教える講座が日本にあるらしい。
資料請求は……さすがにやめておいた。

そんなわけで、次の話はパワーアップ士郎と凛の戦い。
士郎暴走編、もしくは「遠坂って結構いじめられるの好きなんだな」編。

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