この扉を開ければセイバーがいる。
肩を並べて戦い、命を預けあった戦友。なにも知らない半人前の俺に、その誇り高き剣をささげてくれた騎士。
セイバーの存在があったからこそ俺はあの聖杯戦争を生き延びることが出来た。それは紛うことの無い事実。
そのセイバーが、いまはその魔力を失い、この世界から消え去ろうとしている。
ならば俺のやるべきことはひとつ。かつて彼女が俺を導いてくれたように、今度は俺が彼女を救う。それだけのこと。
それだけのことなんだけど……
「それが大変なんだよ」
俺は扉の前でひとりごちる。
頭の中に遠坂の言葉がこだまする。
「セイバーを抱きなさい」
………………
…………
……
はっ。
やばいやばい。
なんだか微妙に脳がトリップしてた。
正直言ってセイバーを抱くってのは、俺にとってこの上なくきつい試練だ。いっそのことバーサーカと一騎打ちしろと言われたほうが、気分的には楽かもしれない。勝てる勝てないは別にして。
もちろん、なにもセイバーが嫌いだからというわけじゃない。むしろ好きだ。当然。
でも、俺には遠坂凛がいる。
学園のアイドルにして成績優秀な優等生、その上に猫の皮を幾重にもまとい時折その尻尾をちらつかせるあかいあくま。俺とは比べようも無いほどの強大な力を持つ魔術師で、セイバーに劣らぬほどの気高い心を持つ。
でも、それでも――――あいつは女の子なんだよな。
それも意外と打たれ弱い。
俺が知る限り、遠坂凛という少女は、自分の感情と魔術師としての合理性、どちらかを選ばなければならない時、ためらうことなく後者を選ぶ少女だ。それは遠坂の心根がどうとかという問題ではなく、あいつがこれまで歩んできた道がそうさせるのだ。
だから……最後の最後で必ずあいつはミスをする。
居間を出る時に見た遠坂の背中が頭にこびりついて離れない。突き放すように俺の背中を押して、そして、さびしげに背中を丸めていた遠坂。あれが、彼女のもうひとつの姿でもある。
「また……泣かせちまったかな」
たぶん、いや確実にそうだろう。
あいつの涙はもう見たくないんだが……
それでも、俺はこの扉を開かなければいけない。
ここで後ろを振り返れば、俺は間違いなくセイバーを失う。彼女を救えない。それだけは絶対に出来ない。
俺は意を決して扉のノブに手をかける。
でも……
この扉を開けたら……
俺はもしかして……遠坂凛を失うのではないだろうか。
俺の手は瞬時に固まってしまった。
この手にほんのちょっとの力をいれ、ドアノブをまわせば俺はセイバーを救える。かつて乗り越えてきた困難を思えばひどくたやすいこと。
それが……なぜこんなにも苦しいのだろうか。
しばしの時の停止。
それでも――――逡巡はそう長くは続かなかった。
やらなければならないことは分かっている。
衛宮士郎は、大事な宝物を扱うように、静かに丁寧にその扉を開いた。
俺は部屋の中に入った。
この部屋はもともと客間のひとつだったものだが、セイバーが衛宮邸で暮らすことになった時に、彼女にプレゼントした。ちなみに隣は遠坂の部屋だ。ほかにも桜が泊まるときに使う部屋もあるし、藤ねえの部屋もあったりする。
セイバーの部屋は奇麗に整頓されていた、というよりは目に付くようなものがほとんど無かった。そもそも生活感が感じられない。知らない人間が見たら、きちんと掃除された空き部屋だと勘違いするだろう。
まあそのてんは俺の部屋も同じようなものだが。
ただ、この部屋に生活感が決定的にかけている最大の要因は、この部屋の主人にあるのかもしれない。
――――セイバー
ベッドに眠る彼女はそれこそ呼吸すらしてないように感じられた。ただそこに眠り、いずれ来る永遠の眠りに身をゆだねるかのように。
「セイバー……」
俺はベッドへと歩み寄りながら美しい眠り姫に呼びかける。
その声に反応したのか、彼女のまぶたがゆっくりと開いた。
「……シロウ」
あまりにも弱々しい呼びかけ。
おい、なんだよこれ。
ほんの数時間前まであんなに元気だったのに、いくらなんでもこれは反則だろ。
俺は理不尽な怒りを覚えながら、そばにあった椅子を引き寄せそこに座った。
セイバーの顔を見下ろす。柔らかな金色の髪、気品ある美しい顔、強い意志を秘めた緑玉石の瞳、そのすべてから今は生命が零れ落ちている。
「セイバー……その、大丈夫か?」
そんなことしか聞けない俺。なんか情けなくなるぐらい動揺してる。
「はい。今のところは、なんとか……」
そんな俺に、くすっと笑いかけるセイバー。
その痛々しいまでの微笑に俺は胸がつまった。いつ自分が消えてしまうかわからないというのに、なんでこいつはこんなに奇麗に笑えるのだろう。
言いたいことは山のようにあったのに、俺は馬鹿みたいに口をつぐんでいることしか出来なくなった。
それを見てもう一度セイバーが笑う。
「不思議……ですね」
「え?」
セイバーの言葉にわけもわからず聞き返す。
「体内から魔力が抜け落ちて、自由が利かないほど体が重くて、意識を保つのだけでも大変なのに……心だけはひどく軽い」
「……セイバー」
「凛に……怒られてしまいました」
どこまでも穏やかなセイバーの声。
なぜかそれが俺をいらだたせる。
「あなたは、もっと自分のことを大切にしなさい……と」
ああ、それには俺も賛成だ。
セイバーはこの世界で幸せにならなきゃいけないんだから。絶対に。
「ふふ……わたしから見れば、あなた方のほうがよほど危なっかしいというのに」
「そんなこと……いや、たまにはそうかもしれないけど、今は別だろう。今はセイバーは自分のことだけを考えていれば良い、いや、考えてなきゃいけないんだ。そうじゃなきゃ俺たちが安心できない」
「……そうですね。ふたりとも、優しすぎますから」
少し疲れたのか、そう言ったあとセイバーは口をつぐんだ。
それにつられるようにして俺も黙り込む。
沈黙が部屋を支配した。
お互い何もしゃべらず、ただ時間だけがゆっくりとすぎていく。
普段の衛宮邸ならば、夕食時のこの時間はもっともにぎやかで騒がしい時だ。が、今日はそれも無い。静かに時を刻む秒針の音だけがこの部屋を唯一飾っていた。
考えてみれば――――ふたりでこういうふうに穏やかな時間をすごしたことは今まで無かったことかもしれない。
聖杯戦争の時、俺たちの前には常に戦場があった。一瞬も気の休まる暇が無く、無我夢中で戦い続けた。
こういう機会を、俺たちはもっと早くに持つべきだったかもしれない。こんな形で、この初めての穏やかな時間を迎えたことが悔やまれる。
俺は、横たわるセイバーの肩に右手を置く。支えるように、慈しむように。
セイバーはなにも言わず、ただ、俺の腕にそっと自分の手を添えた
暖かい。
添えられた手のひらからセイバーの暖かさが伝わってくる。
俺たちは、声をかけることも無く、視線を交わすことも無く、ただ、その存在を確認しあうかのように、お互いの鼓動を感じていた。
「私たちが出会った時のことを憶えていますか? シロウ」
不意に、セイバーが沈黙を破って俺に問いかけてきた。
「ああ、もちろん。忘れるわけが無い」
忘れようとしたって決して忘れることなんて出来ない。
ついこのあいだあったことのように、鮮明に脳裏に描くことが出来る。
風の強い日。薄暗い土蔵の中。俺たちは出会った。
わけもわからずその日二度目の死を迎えようとしていた俺に、突如降り注いだ奇跡の光。やさしい月明かりの中に、こいつは静かに立っていた。
「――――問おう、貴方が私のマスターか」
その言葉で全てが始まった。
厳しく激しい聖杯戦争を俺たちは走りぬけた。
倒れそうになった時、常に隣でセイバーが支えてくれた。
キャスターに襲われ、俺たちは契約の破棄を余儀なくされたが、それでもセイバーは俺に剣をささげると誓ってくれた。
いつも俺の横に立っていたセイバー。
「あれから……いろいろありましたね」
「ああ、そうだな」
ほんとに、いろいろあった。
ひとつひとつ上げるときりが無いぐらい、幾多もの困難に衝突した。
セイバーの意外と可愛い部分を発見したり、料理に関して手を抜くととんでもない目にあうだろうことも確認した。可愛いものが好きで、ライオンのぬいぐるみの前で固まってるセイバーも見た。
ともに戦い、そしてすごした日々。短かったけれど、そのどれもこれもが胸の中に深く焼きついている。
「シロウの無茶には本当に泣かされました」
「む、そういうおまえだって十分無茶やってたぞ」
「私はサーヴァントですからいいんです。貴方はマスターだ。サーヴァントより無茶をするマスターなんて聞いたこともありません」
「なに言ってんだ。セイバーは女の子なんだから。男が女の子を守るのは当たり前じゃないか」
「ふぅ……。変わりませんねシロウは。本当に頑固だ」
「こればっかりはいくらセイバーの頼みでも譲れないからな」
「ふふ。貴方らしい」
そう言ってセイバーは笑った。
その顔を見て――――俺はなぜか確信した。
ああ、これはセイバーなりの別れの儀式なのか、と。
こいつは、あれだけ遠坂に言われたにもかかわらず、自らその身を消し去ろうとしている。
「短い間でしたが、シロウにはいろいろなものをもらいました」
俺は……なにもしていない。
「この一ヶ月間は、私の全ての生涯の中で、もっとも貴重な瞬間でした」
そんなこと聞きたくない。
「ありがとうございました。私には、貴方に送る言葉がこれくらいしか思いつきません」
うるさい、バカ。だから俺はそんなもん聞きたくないんだ。
「シロウとともに在った日々を、私は決して忘れません」
ぐっと、俺の腕をつかむセイバーの手に、一瞬力が入った。
「凛を……大切にしてあげてください」
俺は脳内が沸騰しそうになるのを、歯を食いしばって耐えた。
こいつはいったいどこまで自分を殺せば気がすむのだろう。
「セイバー。……おまえはそれでいいのか?」
それは自分でもびっくりするぐらいの低く暗い声だった。
さすがに驚いたのか、セイバーがはっと息を呑んだ。
それでも、彼女は確かな決意を秘めて
「はい。それが私の望みです」
そう答えた。
「望み? こんなものが?」
俺は声を荒げてしまう。
「こんなふうにただ消え去ることがか? また別の場所にサーヴァントとして召喚され使役されることがか? そんなバカなことあるか……! おまえは今ここにいるんだ、この世界に。だったら、ここで幸せにならなきゃいけないんだ!」
だって、そうじゃなきゃ……悲しすぎるじゃないか。
「…………シロウ。それは出来ない」
「なんでさ! セイバーだってそれを望んでここに残ったんだろ? だったら……」
「たしかに私はこの世界に残ることを望みました。私の求める答えが、ここでなら見つかると……そう思ったからです」
それは、アイツが……アーチャーが言ったこと。
セイバーの願いは間違っていると言ったこと。
そして……俺にはまだなにひとつわかっていないこと……。
「……俺では、その答えを見つけられない……と?」
「いえ、そうではない。シロウならいつか必ず、それを見出すことが出来る。私はそう信じています。そして、その時は貴方のそばにいたい……貴方とともにそれを見つけたい、これは私の偽らざる願いです」
「だったらっ!!」
「しかし、私はこの世界に残ると決めた時、ひとつの誓いを立てました」
激昂する俺をよそに、静かにセイバーが言う。
「誓い?」
「はい。今ここに留まることはその誓いを破ることになる」
だから、このまま消え去ると……彼女はそう言う。
でも、
そんなこと言われて、納得できるはずも無く。
「……なんなんだよいったい、その誓いってのは」
当然のようにたずねた。
ためらうように、セイバーはしばらく沈黙した。
誓いとは、自分の中に存在するものであって、他人にあえて話すようなことではない。
それでも、言わなければならないと悟ったのか、俺の目をしっかりと見据えて口を開いた。
「私――――剣の英霊セイバーは、この世界に留まる限り、決して遠坂凛を裏切ることは無い。……これが、私が自らに課した誓約です」
その誓いがなんの意味を持つのか、俺にはわからなかった。
遠坂凛を裏切らない?
そんなこと当たり前じゃないか。
遠坂はセイバーのマスターだし、セイバーがこの世界に留まるためにはマスターの存在が必要だ。それが無ければサーヴァントは限界することが出来なくなるのだから。
セイバーにしろ遠坂にしろ、その契約を破棄するようなことをするとは思えない。だから、そんな当たり前のことに誓いを立てる必要なんか無くて、そもそもそれがこの世界に留まれない理由になるなんて思えるはずも無く……
ふと。
セイバーを助けるために、俺がやらなければならないひとつの行為を思い出す。
「セイバー、おまえ……もしかして……」
セイバーは答えない。
ただ静かに、複雑な笑みを浮かべる。
「凛には、本当によくしてもらった。数週間前、魔力の供給が狂い始めた時から、凛は私のためにいろいろ手を尽くしてくれて……、結局、私は元に戻りませんでしたが、凛は最後の方法を私に教えてくれました」
ああ、そうだな。
それがなんなのかは俺も知っている。
つい先ほど、面と向かって遠坂に言われたばかりだから。
「衛宮くん、セイバーを抱きなさい」
と。
「皮肉なものですね」
セイバーが微笑む。
「私に残された最後の方法が、私のうち立てた誓いを破るようなものだとは……」
自嘲気味に、諦観したように、
「そんなこと無い! 確かに、おまえを助けるためには……その……そういうことをしなけりゃならないけど、だからって、それが遠坂を裏切ることになるなんて……」
そう、あくまでその行為は魔力供給のためであって……。
そりゃあ、セイバーのこととか遠坂の気持ちなんかを考えるとちょっとためらうこともある。あるけど、でもそれは、セイバーを失う恐怖感とは比べ物にならない。
それに、そういったものは全て俺が背負うようなことであって、だから……
「セイバーがそんなに思いつめる必要なんか無いんだ」
だがセイバーはそっと首を横に振る。
「そうではないのです、シロウ」
「なんでさ!」
「……貴方に抱かれれば、私はきっと我慢が出来なくなる」
セイバーは複雑な表情で不思議なことを言った。
「我慢できない? いったいなにを……」
俺には彼女の言うことがわからない。
それが、彼女が消えなければいけない理由になるというのか?
セイバーは俺の質問には答えず、ただ……
「私は……シロウと凛の後ろにいなければならない。決して横に立ってはいけない。シロウの隣には凛がいなければいけないのです」
それは――――心の奥底から振り絞るような声だった。
「結局、ここにいる私は中途半端な存在だったということです。聖杯を求めることも出来ず、かといって聖杯への未練も断ち切れていない。だからこの結末は、分不相応なものを望んだ……あなた方とともに在りたいと願った、この私への世界の采配――――運命なのでしょう。ならば、甘んじて受け入れます」
運命だって!
理性の糸が切れそうになる。
セイバーに触れている右手に力が入る。
「シロウ?」
「そんなバカなことがあるか! 運命だなんて、そんなくだらない言葉ひとつで片付けられてたまるか! 俺たちはここにいる。運命でもなんでもなく、俺たち三人で勝ち取った未来だ。だから――――誰かひとりでも欠けたら……意味なんて……無いんだよ」
最後はぼそぼそっとした声になってしまう。
セイバーにたいしてか、無力な自分にたいしてか、わけがわからないけどとにかく悔しくて、情けなくて、あふれそうになる涙を必死で押しとどめながら、ぎゅっと唇をかんだ。
鉄の味が口に広がる。
噛み切った唇からか真っ赤な血がこぼれる。
「シロウ……血が……」
「うるさい」
誰のせいだと思ってるんだ。
人をわけもわからずこんな気持ちにさせて。勝手に心の中に入り込んできて。
それでいきなり消えるというのか。
そんなこと……
「許せるはず無いじゃないか!」
「シロウ?」
「そんなこと許さないぞ、絶対に! 俺はおまえを助ける。絶対にだ! 誓いなんて、そんなもの、俺が破り捨ててやる!」
とにかくいろんなものに突き動かされて、俺はそう叫んだ。
「……シロウ。貴方の言葉は嬉しい。でもやはり駄目だ。どんなものであれ誓いは誓い。それを破ることは私には出来ない。私は……あなたたち二人の後ろにいなければならない。そう誓ったのだから」
俺の声に比べればはるかに小さく細い声だが、それには完全な拒絶の意志がしみこんでいた。俺の脳がすうっと冷え込んでいく。
それがどんな理由によって結ばれた誓いなのか、俺にはわからない。だが、そうすると誓った以上、セイバーはそれを決して破らないだろう。
セイバーがセイバーである限り、それをすることは誇りを失うことに他ならない。
それを、俺は心の底から理解した。
「そんな顔をしないでください、シロウ。別れがつらくなる」
セイバーがさびしげにそう言った。
俺はセイバーの瞳をじっと見つめる。
一瞬も見逃すことの無いように。
その瞳の奥底にある思いを見過ごさないように。
セイバーがつらそうに瞳をそらした。
すっとまぶたを伏せる。
「もう、行ってください……。凛が待っている」
絞り出すような声でそう言って、そっと手を離す。
もうなにも言うことは無いと。
これ以上、私の心をかき乱さないでくれと。
だから俺は、セイバーの肩に置いた手をゆっくりと離す。
俺とセイバーとの最後のつながり、それから手を離した。
もう俺にだって言うことなど無い。
こんなわからずや、もうなにを言ったって無駄だ。
自分の体から離れていく俺の腕をセイバーはさびしげに見送った。
「もうしわけありませんでした、シロウ」
そう言って悲しげな顔で笑う。
それは、今まで俺が見た中で、これ以上無いくらい最悪な笑顔だった。
俺は、最後にこんなものを見るためにセイバーと一緒にいたんじゃない!!
「さようなら、シロウ。貴方のことは決して……わす……んんっ!!!」
最後まで言わせなかった。
セイバーの唇に自分のそれを強引に押し付ける。
「!!……シ……ロウ! んんっ! なに、を……!」
俺は片手でセイバーの小さな頭を固定しながら、反論を封じるべく唇を押し付ける。
セイバーは俺を押しのけようとするがその手にはちからが無い。その手を優しく押さえながら、より強く唇を合わせた。
「ん……んん、あ……シ、シロウ……」
キスと呼ぶにはあまりに稚拙な行為。
俺はセイバーの吐息を間近で感じながら、ただただ思いを伝えるように唇を重ねる。
「…………ん……ん、ん…………」
セイバーの体から少しずつ力が抜けていった。
俺はゆっくりと唇を離していく。
切なげなため息がセイバーの口から漏れた。
いつもより少し頬を紅潮させたセイバー。
それを真上から見下ろす。
ほつれた金色の髪の毛が数本、彼女の顔にかかっていた。
俺はそれを優しく払ってやる。そのまま、宝物を扱うように頬をなでた。
「……はぁ……ん、ん。……なぜ、です……シロウ。なぜ、こんなことを……」
当然の疑問。
セイバーは荒い息を吐きながら聞いてきた。
俺は答えない。
ただ、彼女の瞳を見つめた。
すっと体を動かし、セイバーの上に覆いかぶさる。
手を使い、体重がかからないように気をつける。
捕まえた。
もう逃がさない。
なんと言われようが、もう絶対に彼女を逃がさない。
「言っただろ、俺は絶対におまえを助けるって」
セイバーの額に手をやる。
彼女はそれを振りほどくように顔を背け、
「私も……言ったはずです。……凛を裏切ることは出来ない、と」
かすれるような声で言った。
「わかってる」
「だったら!」
セイバーは俺の体の下から抜け出そうとするが、もちろん許さない。
彼女の体を絡め取り押さえつける。
本来のセイバーの力なら、振りほどくことなどわけないのに、それすら出来ないほどセイバーの体は衰弱している。
それが、涙が出るほど悔しくて、俺はセイバーの体を抱きしめた。
「……っ! シ、シロウッ……! や、やめてください……」
「こんなに体がつらいくせに、どこまでも意地を張って……そんなやつ、放っておけるわけ無いじゃないか」
暴れる体を全身で抱きとめる。
「……んっ、あ……だ、だめです、シロウ……。私は……凛を、裏切るわけには……!」
「ああ、わかってる。だから――――その全てを俺が背負う」
「……え?」
俺の言葉にセイバーが驚きの声を上げた。
「おまえが、遠坂を裏切れないというのなら、俺がそうしよう。俺が――――遠坂を裏切る」
「――――っ! な、なにを言っているのですかっ! あなたは! そ、それでは……なんの、なんの意味も無い……。貴方は、これから凛とともに生きていかなければならないのです。私が……ここで消え去ればすむことではないですか!」
「だから……」
こいつはどこまでわからずやなんだろう。
「だから……それだけは絶対に俺は許せないんだよっ!!」
全てをこめて俺はそう叫ぶ。
そのまま、ありったけの思いを込めてセイバーの唇を奪った。
「――――んっ! んん……」
セイバーの瞳が戸惑いに揺れる。
俺はただバカみたいに唇を押し付けた。
「ン……っ! や、……シ、……んん…シ、ロウ……」
俺の胸にそえられたセイバーの腕。
押し返そうとするそれに力は無く、ただ子供のように、俺の服を握り締める。
戸惑いに揺れた瞳が、やがてゆっくりと閉じられた。
そして、時間だけが穏やかに流れていく……
そのままどれぐらいそうしていただろうか。
気づけば、俺たちは唇を離し、はなとはなが触れ合うぐらいの近さで、お互いの瞳を見詰め合っていた。
セイバーの瞳の中に俺が映り、俺の瞳の中にセイバーがいる。
「――――シロウ……。ならば、せめて最後に約束してください」
静寂の中、セイバーが静かに言葉をつむぐ。
「貴方は私を救うためだけに、私を抱くと。魔力の供給をするためだけに……私を抱くのだと……。そうすれば……」
そうすれば……
貴方は、遠坂凛を裏切ることは無い。
そう囁くように、セイバーは言った。
「それは違うぞ、セイバー」
俺は当然のことのように首を振った。
ためらいは無い。
「俺は……セイバーが好きだから、セイバーを抱くんだ」
はっきりと、そう断言した。
「――――っ!! シロウ……なにを……」
「意味がわからなかったのか? だったらもう一度言うぞ」
「俺は、おまえを……セイバーを愛している」
静寂につつまれた部屋の中に、その言葉だけが鳴り響いた。
脳裏のどこかで、遠坂のさびしげな顔が浮かんで……そして消えた。