第一話
「っ!」

 すさまじい勢いで迫る一撃を手にした竹刀で何とかはたき落とす。
 ついで放たれる神速の突き。
 身をひねってそれをかわすが、続けざまに今度は胴を横なぎに襲ってくる。
 俺は軽く後ろに飛ぶ。
 眼前を切り裂くように通過する敵の竹刀。と、その竹刀が生き物のように揺らめき再び襲いくる。
 俺はもう一度飛んだ。今度は先ほどより大きく。
 間合いが開いた。空中で一瞬相手の顔を見る。
 この程度の間合い、彼女なら瞬時に詰められるだろう。そして、俺がもう一度下がるより早く、彼女の一撃が俺をしとめる。
 俺の脚が地に付いた瞬間、彼女が動いた。

 勝った!

 俺は足先にためていた力を一気に解放する。
 後ろにではなく、前へ。
 彼女の踏み込みが速ければ速いほど、俺のこの一撃を彼女が防ぐことは出来ない。

「え?」

 初勝利を確信して繰り出されて攻撃は、しかし、なんの手ごたえも無く空を切った。
 俺は呆然と彼女がいるはずだった空間を見る。
 そこには何も無く、その後方には準備万端で待ち構えている彼女。

 そう、俺が大地を蹴った瞬間、彼女も動いていた。ただし、俺が予想していた前方へではなく、後方へ。
 俺は彼女の間合いの中へ、攻撃を繰り出したあとのとんでもなく無防備な姿で、おまぬけにもその身体をさらしていた。







「くぅー……いててて、て」
 俺はスパーンといい音を出してはたかれた自分の頭をおさえる。
「まだまだ甘いですね、シロウ」
 まったく息を乱さず平然とそう言うのは、俺の剣の師にして最強のサーヴァントであるセイバー。
「くそー、いけると思ったんだけどなぁ」
「考えそのものは悪くない。ですが相手を罠にはめるのならもう少しうまくやらなければ」
「え、ばれてたのか?」
 ばればれでしたとうなずくセイバー。
「足の運び方、間合いの取り方、視線の置き方、すべてがこちらを誘っているように見えました」
 なるほど。だからあえて誘いに乗ったように見せたわけか。そして、それにまんまとはまってしまった俺。
「相手を欺くような戦い方は、シロウには向いていないのかもしれませんね」
 そうしみじみとつぶやくセイバー。
 うーん、なんかバカにされてるのか、俺。
 でも確かになあ。セイバーとの稽古の時もそうだけど、何とか一度やり返したいとひそかに願っている遠坂に対しても、いつも軽くあしらわれるもんなあ。なんか「あなたの考えてることなんてすべてお見通しよっ」てな感じのことを思われてるのかもしれない、セイバーにも遠坂にも。
「ですが、剣の技量そのものは確実に上達しています。いずれは私から一本取れるかもしれません」
「え、ほんとかセイバー」
 喜ぶ俺を微笑みながら見ながら、
「はい、あと二十年ほどしっかりと精進すれば」
 と、セイバーさんはおっしゃりました。
「は、はは……二十年ね……」
 道は果てしなく険しそうだ。









 聖杯戦争と呼ばれた戦いが終わってもう一ヶ月、俺の生活はいくつかの変化をともないはしたものの、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
 藤ねえはあいかわらず藤ねえだし、桜は真二の看病で忙しいにもかかわらず暇を見つけては俺の家に手伝いに来てくれる。一成は兄のように慕っていた宗一郎が行方不明になってしまったのを悲しんでいたが、それをいつまでも引きずるようなやつでもないので、今ではすっかり元気になり、俺を陥落させた(と一成は信じている)遠坂を排除すべく、日夜生徒会活動に精を出している。美綴が元のような生活に戻るにはもう少し時間がかかるかもしれないが、それもいずれ時が癒してくれるだろう。勿論、俺も最大限のサポートをするつもりだ。

 そして俺―――――衛宮士郎はといえば……

「さあシロウ。夕食までにはまだ時間があります。剣を構えてください」
 と、修練の毎日。夜は夜で遠坂先生の魔術講座と英会話のレッスン。まったく、身体の休まる暇がない。
 とはいえ、これは俺が望んだこと。
 遠坂が卒業後、倫敦の時計搭に行くと言った時、決めたこと。
 半人前のままじゃ遠坂の隣に立つことなんて出来ないから。

「よし、行くぞっ! セイバー!」
「いつでも」
 静かに答えてすっと構えるセイバー。
 なんつうか、まったく隙がない。
 俺も自分なりに剣の腕が上がっていると感じるようにはなってきたが、そう感じるたびに思い知らされるのがセイバーとの技量の差だ。勿論、生身の人間とサーヴァントの力を比べるのなんて愚の骨頂であるということはよくわかっているが、そういうのを抜きにしてもセイバーの技量は桁外れだ。
 相手の技量を感じ取るのも魔術師に必要な要素のひとつ、とは遠坂の言だが、なにも感じられなかった昔に比べれば俺も少しは成長しているということか。

「……はあっ!」

 俺は小さな気合の声とともに踏み込む。
 受けに回ったらどうにもならないのはわかりきっていること。ならばこちらから仕掛ける。
 セイバーは正眼の構えから動かない。俺の考えなど百も承知で、なおかつ「どの程度出来ますか」てな感じで待ち構えている。
 むむむ。
 ほんの少しでもいいから何とかしてセイバーを慌てさせたい。
 渾身の力を込めてセイバーに打ち込む。小細工なし。それこそ身体ごと吹き飛ばすイメージで。

パシイィィッ!

 という乾いた音とともに俺の渾身の一撃はあっさりとセイバーに受け止められた。
 なんの、くじけるな俺。
 息もつかせぬ連続攻撃。のつもりの攻撃。
 セイバーは少しずつ身体をずらしながら俺の攻撃を受け止める。すべての攻撃にあらん限りの力を込めているというのに、セイバーは平然としている。
 それでも俺は力を込めて打ち抜く。どれかひとつでも手を抜くと容赦なくセイバーの一撃が襲ってくるのはわかっているから。

「……っ!!」

 よりいっそう力を込めて俺は竹刀を振りぬいた。
 セイバーはそれをほんの少しだけ竹刀を傾けて受け流す。押さえどころを失った俺はバランスを崩してしまう。
 まずいっ!
 俺はその直後に襲いくるだろう一撃を、無駄だと悟りながらも何とか受け止めようと竹刀を立てる。

「く……っ」

 身体を貫く衝撃……が、なぜか襲ってこなかった。
「あ……れ……」
 恐る恐る顔を上げる。
 そこには……

 苦しげな顔でひざをついているセイバー。
 額には珠のような汗をかき、その頬は熱病にうなされているかのように紅い。
 竹刀を杖のようにして自らの身体を支え、それがゆっくりと崩れ落ちた。

「セイバーっ!!!」















 俺は居間の座布団に座り、なんとか気分を落ち着けようと冷え切ったコーヒーを飲む。
 突然倒れ意識を失ったセイバー。
 あのあと俺はセイバーを部屋まで運び、今は遠坂が彼女の様子を見ている。遠坂の邪魔になるといけないからと俺は居間に戻ってきたが、どうにも落ち着かない。
 理由はわかっている。
 荒い息を吐き、意識を失ったセイバー。その彼女を部屋に運ぶため背負った瞬間、その存在感の軽さに心底驚いた。体重がどうのこうのというわけでは勿論なく、なにか決定的なものがセイバーから抜け落ちているような、そんな感覚。

 このまま、セイバーが消えてしまうんじゃないかという、何の根拠もないけれど、それゆえの圧倒的な恐怖。

 頭を振る。
 そんなわけない。そんなことありえない。
 俺は恐怖心を振り払うように立ち上がった。コーヒーを入れ直すため台所へ向かう。
 そこには、遠坂の手による作りかけの夕食。それを眺めながら、熱いコーヒーをカップに注ぐ。

「士郎、いないの」

 居間の方から遠坂の声。
「こっちだ」
 台所から声を上げるとすぐに遠坂が顔を出した。そして俺の手元を見る。
「あ、私にも頂戴」
「コーヒーで良いか」
「ええ、かまわないわ」
 そういうと居間のほうへ引っ込む。
 俺は遠坂の分のコーヒーも入れ、二つのカップを手に居間に戻った。

「で、どうなんだ、セイバーの様子は」
 カップを遠坂の前に置きながらそう尋ねた。
 遠坂はコーヒーを一口すすり、『あちっ』と小さくつぶやき、
「……ん、とりあえず落ち着いたわ。いまは休んでるとこ」
 そう言って再びカップに口をつける。
 それにつられるように俺もコーヒーを口にした。
 しばしの沈黙。カチ、カチ、という時計の進む音がやけに大きく感じられる。
「なあ……、いきなりどうしちまったんだ、セイバーは」
 遠坂は「むぅ」と難しい顔をする。
「原因、わからないのか?」
「ううん、原因ははっきりしてる。魔力不足よ。セイバーを構成している魔力が極端に低下しているわ」
 きっぱりと答える遠坂。
「おい、それって……」
「セイバーのようなサーヴァントが現界し続けるためには常に魔力を必要とする。これはもちろん士郎も知っているでしょう?」
「あ、ああ」
「聖杯が健在だった時はその構成をある程度聖杯が補助していた。だから、士郎の魔力量でもセイバーを現界させていることが出来た。でも……」
「今は聖杯はない」
「そうよ。少なくても次の聖杯戦争までは……ね」
 そう言って遠坂はカップに残ったコーヒーをぐいっと飲み干す。
「でもね、それは正直言ってあまり問題じゃなかったの。いまのセイバーのマスターは私なんだから。半人前の士郎と違って魔力供給が不足するなんてありえない」
「む……、悪かったな、半人前で」
 口を尖らせて言うと、遠坂は「拗ねないでよ」と小さく笑った。

「でも、それじゃあおかしいじゃないか」
 現にセイバーは倒れた。
 そして遠坂はその原因はセイバーを構成している魔力が不足している事だと言った。
 それはつまり、セイバーのマスターである遠坂の魔力が足りないということじゃないのか?
 そう尋ねると遠坂は複雑な表情で首を振った。
「そうじゃない。自己弁護するみたいでいやだけど、わたしの魔力量に問題はなかったわ」
 魔力に問題がない? となると……
「もしかして遠坂? セイバーとの契約の時になんか失敗してたのか?」

 と。
 そうたずねた瞬間、遠坂の背後に赤く燃え上がる炎が見えたのは俺の気のせいか?

「ふーん……、このわたしがそんな初歩的なミスをしたと……。なかなか面白い事言うのね、衛宮くん」

 遠坂さんはにっこりにこにこと華麗なる笑みを御浮かべになりました。
 はい。
 まったく気のせいじゃありませんでした。
 どうやら踏んではいけないあかいあくまの尻尾を思いっきり踏みつけてしまったようです。

「い……いや、な、なんていうかだな。……まあその、遠坂もたまにはそんなお茶目なことをするかなあーなんて思ったわけでもなんでもなくてだな……」

 なんつうか支離滅裂。
 もとがとんでもない美人なだけに、凄絶なまでの笑みを浮かべる遠坂はまさに天使のような悪魔。
 ちょっとばかり腰が引けたからってしょうがないじゃないか。

「へえー、じゃあそんな情けない魔術師に弟子入りしている誰かさんには、これまで以上に厳しい特訓をしてもらわなきゃいけないわね。だって、そんな魔術師に教えを受けてたら、他人の十倍……いえ、百倍は努力しないと一人前になれないものね。がんばってね、衛宮くん」
「そ、そうだね……は……ははは……」

 まったく心のこもらない乾ききった笑い。
 どうやら近々地獄を見ることになりそうです。



「さて、話が逸れちゃったわね」
 逸れついでに俺の寿命も削られました。
「なあに。なんか言った士郎」
「……いえ、なんでもないです」
「あっそ。じゃあ話を戻すわよ」
 なんかどんどん自分が『へたれ』の道を突き進んでいるような気が……

「さっきも言ったとおり、わたしの魔力量に問題はない。セイバーとの契約も勿論うまくいってる。令呪も残されているし、魔力の供給回路も正常に動いてる」
 うーん。
 まるで非の打ち所がない。
「ますますわかんないな。じゃあなんでセイバーは倒れたりしたんだ」
 と。
 遠坂はちょっと口ごもったあと、
「じつはね……」
 そう言って静かに話し出した。



 遠坂が最初に異変に気づいたのは、聖杯戦争が終わって二週間ほどたったあとだった。
 なんでもセイバーに送られているはずの魔力のごく一部が、別の場所に流出し始めたというのだ。
 はじめは聖杯なしでのサーヴァントの制御に慣れていないせいだと思ったらしい。時間がたてば解決するだろう、と、そう簡単に思い込んでいた。そもそも流出しているのが総魔力量の百分の一にも満たなかったのだから無理もない。
 ところが時間がたつにつれ、その流出量がみるみるうちに増え始めた。そうなれば当然セイバーへ送られる魔力が減少する。それがさすがに看過できなくなり始めた時、遠坂はあるひとつの方法を取った。

「それは?」
「流出しているだろう場所への回路を遮断したの」
「まあそれが妥当な処置だと思うけど、それはうまくいったのか?」
「ええ、はじめはね」

 そう……はじめは上手く行っていたというのだ。
 それが狂い始めたのが一週間前。

「なんでさ」
「結局、回路を完全に遮断することは無理だったのよ。もともとその回路もセイバーへとつながる大事なパイプのひとつなんだもの。それを無理やり引っ込めたから、流出量は減ったけどセイバーへの供給量も同時に減ったわ」
 なんというか「鶏が先か、卵が先か」みたいな話だな。
「このままじゃどうにもならないから、わたしは自分の魔力量を増やす方法を取ることにしたの。そうすれば一部の回路が使えなくても、セイバーへの供給量を満たすことが出来る、そう思ったんだけど……」
 沈んだ表情で頭を振り、
「さっきのセイバーの状態をみたら、どうも完全に裏目に出たみたい……」
 うまくいったと思ったのになあ……と小声でつぶやく遠坂。

「裏目に出た? どういうことさ? いや、そもそも魔力量を増やすなんてそんなことできるのか?」
 そんなことが出来るなら俺に教えてくれ。
「…………」
 じとーっとした目で俺を睨んでくる遠坂。
 その目は、出来の悪い弟子を見る目っていうか頼りにならないパートナーを非難する目っていうか「この朴念仁はいったいどこまでにぶちんなのよ」そんな感じ。

「えーと、遠坂?」
 なんだろう。なんか嫌な予感が。
「足りないなら別のところから引っ張ってくるのが魔術師。だからわたしもそうした。……わたしが魔力を通すパスをつなげているのはこの世に二人しかいない。一人はもちろんセイバーだけど、そっちの魔力が不足しているってのに、まさかそこから引っ張ってくるわけにはいかないでしょう。……だから、もう一人のほうから、もらうしか……ないじゃない」
 徐々に声が小さくなっていく。
 遠坂は顔を赤く染めながら「ここまで言ったのにまさか分かんないなんて言わないでしょうね」とばかりに俺を見る。

 あ……う――――。
 その、はい。
 わかりました。すいません。


 今でも鮮明に思い出せる一ヶ月前の夜。
 ギルガメッシュとの決戦を前にして結ばれたひとつの契り。
 魔力提供という必要に迫られた上での行為とはいえ、そんなものとは関係なく、俺たちはひとつに結ばれた。

 そのときの契約はもちろん今も続いているわけで。
 遠坂がパスを通してるもう一人というのは間違いなく俺なわけで。
 ついでに言うと昨夜はひさしぶりに遠坂と夜をともにしたわけで。

「……ええっと、その、なんというか………………昨夜のあれか?」
「そうよっ! 少しは察しなさいよ馬鹿っ!」
「うっ……いや、その、悪い」
 怒りと羞恥心を混ぜ合わせた顔で遠坂は怒鳴る。
 それに謝りながら、つい昨夜抱いた遠坂の感触を思い出してしまう。
 その時の表情とかしぐさとか柔らかい体とか可愛い鳴き声とかが脳裏にフラッシュバック。
 あっという間に俺の顔は真っ赤に染まった。

「ちょっと士郎! なんか変なこと思い出してんじゃないでしょうね!」
「え――――いや、その……どっちかというとすごい『良い事』を……」
「――――っ! この馬鹿っ!」

 思いっきり怒鳴られました、はい。


「でも、俺と遠坂のあいだにある回路は遠坂からの一方通行じゃなかったのか? 俺から魔力を引っ張るなんて事……」
「だから、昨夜は士郎からのパスをわたしに通す作業も同時にこなしたの。そうすれば、これまで以上に貴方のフォローを受けやすくなるから。――――それなのに……」
 なにか思い出したのか遠坂の瞳がぐっときつくなる。
「士郎ったらそんなことぜんぜんお構いなしなんだもの!」
 俺も昨夜の行為を思い出す。先ほどよりも具体的に。
 ひさしぶりだったしあまりにも遠坂が可愛かったから、昨夜はいつも以上に激しく……
「こっちは士郎とのパスをつなげようと必死だったのにあんなに乱暴にするなんて……」
「し、知らなかったんだからしょうがないだろう」
「なによ! 普通に、もっと優しく……その、してくれれば良かったの。あんなふうに……うしろからなんて。ああもうっ、信じられないっっ!!!」
 自分の痴態を思い出してしまったのか、頭を振りながら錯乱する遠坂嬢。
「う、いや、それは悪かったけど。で、でも、そういうことなら昨夜のうちに言ってくれれば、俺だって……」
「なによ、なにが出来たって言うの」
「う……」
 協力することが出来た、と言いかけて『どうやって?』てな事を考える。
 俺から魔力のパスを通すなんて事できるわけない。というよりそんなやり方わからない。だったら言われたところでなんの意味もない。まあちょこっと優しく抱いてあげることは出来るかもしれないけど。
 俺がそんなだから遠坂も黙っていたのだろう。
 うう、こういう時は半人前のつらさが身にしみるなあ。

「それに……」

 遠坂がぼそぼそっとつぶやく。

「そういう理由で士郎に抱かれるの、わたしだっていやだもの……」



 いや、まいった。
 降参です。
 そんな顔でそんなこと言われたらこっちとしてはうろたえるしかありません。







「でも、魔力の補給はうまくいったんだろ。なのになんでセイバーは倒れたんだ」
 俺は気持ちを落ち着かせるために再びコーヒーを入れなおし、二つのカップをテーブルに置いて、遠坂にたずねた。
「……結局は、魔力の流出先を断絶しないと意味はなかったみたい。いえ、かえってわたし自身の魔力量が増えたおかげで、流出量が加速度的に増加したようなの」

 魔力は水のようなもので高きところから低きへ流れる。
 その量が多ければ多いほど、相対的にその勢いは加速する。
 遠坂はそれを利用してセイバーへの供給を可能にしようとしたようだが、逆にその勢いを制御できなくなってしまったのだ。

 てことはつまり……
「その流出先ってのがセイバーのそれより優先順位が高いって事か」
 だからセイバーのところまで魔力が回らない。
「途中に穴の開いたホースみたいなもんだな」
 俺はそう言った。
 蛇口が遠坂で先がセイバー。最初は穴は小さかったのだが、蛇口からの水を増やしたおかげで途中の穴が大きくなり、ついには破裂した。
「そうね、そういうことよ。その崩壊はいきなり来たみたい。さっきセイバーの様子を調べたら、彼女まで届いている魔力は限りなくゼロに近いわ」
「ゼロ……」
 セイバーは今現在、魔力の供給をまるで受けられないということか。

「その流出先ってのをなんとかしないといけないみたいだな」
 俺はそう結論付けた。
 破裂したホースを直すにはその穴を塞ぐしかない。
「遠坂。心当たりあるんだろ?」
「……そうね、ありすぎるほどあるわ」
 どこかじと目なのは俺の気のせいか?
「えーと、遠坂?」
 またまたいやな予感。
 最近の俺は剣や魔術よりも、この危機察知能力が飛躍的にレヴェルアップしている。
「ま、気づいていないとは思ったけどね」
 そんな遠坂の声。
 ついでににこっと笑う。

 背筋が震えた。
 気のせいだと思いたかったがやっぱり気のせいじゃなかったみたいだ。
「……まさかとは思うが」
「そうね、たぶん衛宮くんの思っている通りよ」
 ああ、そう……
 そうなのですか……
 神様はどこまでこの哀れな子羊に試練を与えるというのか……

 冷厳なる宣告。
「魔力の流出先は貴方よ、衛宮くん」

 はい。
 そうだと思いました。
 理由だとか原因だとかはまるで見当もつきませんが、俺の運の無さを考えるときっとそうなのでしょう。


 いやしかし……
 でも……

「なんでだ?」
 俺の当然の疑問。
「そうね、それはわたしも不思議。でも確かよ。わたしから士郎に間違いなく魔力が流出している。もちろん、パスは通っているんだから、魔力が流れることは別に変なことじゃないけど、こっちの意図をまるで無視してなんて事は……できるはず……」
 言いかけた途中で止まり、急に考え始めた。
 そして……
「ねえ、士郎」
 どこか訝しげな声。
「な、なんだよ」
 どこか卑屈な声。
 う、無意識のうちに……

「あのさ、まさかとは思うけど……」
「な、なんだ」
「まさか……わたしの知らないところで、固有結界の修行なんてしてないでしょうね」

 固有結界。
 自らの心象世界を具現化する禁呪中の禁呪。
 半人前の俺が唯一行使できる魔術。
 アイツがその戦いの果てに見出した、ただひとつ信じられるもの。

 俺はその「無限の剣製」と呼ばれる固有結界を一度だけ発動したことがある。
 あれはギルガメッシュとの決戦の時だったが、使った途端、俺の体は崩壊しかけた。おまけに予備タンクとして控えていた、膨大な量を誇る遠坂の魔力をあっというまにすっからかんにしちまったのだ。
 魔力を失うということは魔術師にとって相当堪えるものらしい。あれ以来、何度かいやみを言われながら、その魔術を発動することを禁じられた。

「バ、バカっ! そんなことするかっ!」
 もう一度あれをやって、俺の体が耐えられるとは思えない。少なくとも現段階では無理だ。俺だってまだ死にたくは無い。
 ついでに言うと、仮に生き延びても、おそらく遠坂に殺されるであろう。
「ほんとに?」
「ほんとだ」
 うそではない。
 まあ、無慈悲な師匠にありえないほどの量の投影課題を出された時は、さすがに切れて使いかけたこともあったが。もし無限の剣製でストーブやオーブンやテレビなんかが投影できるのだとしたら、あっさりと発動していたかもしれない。

「そう……。じゃあいったいなんで制御できないのかしら」
 遠坂は不思議そうに言った。
「そっちから遮断できないのか?」
「完全に回路を閉じることは出来ないの。どうしてもほんのわずかな隙間が開いてしまう。今まではそれでもどうにかなってたんだけど……」
 今度のことでそれが崩壊してしまったというわけだ。
「じゃあ、いま遠坂の魔力は?」
「大部分が貴方のほうへ流れていってしまう。少なくてもセイバーへ送ろうとする魔力は根こそぎ取られているわ」

 改めて聞くとそれはかなり深刻な状況じゃないか。

「じゃあセイバーは……」
 俺は恐る恐る遠坂に尋ねた。
「……このままだと……あと三日、持たないかもしれない」

 それを聞いて――――
 俺の脳は凍りついた――――

 持たない。
 それはすなわち、セイバーが消えてしまうということ。
 この世から……
 俺の前から……

「ば、そんなバカな。あいつは……セイバーは、俺がマスターだった時、ほとんど魔力供給なしで戦ってたんだぞ。いきなり供給が切れたからってそんな簡単に消えるはずは――――」
「それは聖杯からの補助があった時のはなしよ。いまは聖杯そのものがないんだから、彼女を現界させておくのに必要な魔力量は、あの時とは比較にならないの」
 う――――それは……
 遠坂の言葉は正しい。
 いくら現実逃避したってこの状況は変わらない。

 でも……だからといって――――セイバーが消えるのを認めたくなんてない。
 あいつがここに残ると決めてまだ一ヶ月。
 まだなにもしてないし、なにもさせてやってない。
 心のそこから笑った姿をまだ一度も見ていない。
 俺の行く末を見守ると言ってくれたセイバー。俺はその気持ちにまだ応えていない。
 アイツが言っていた。セイバーは間違っていると。
 セイバーは言った。その答えをいつか俺の口から聞きたいと。
 その答えを――――俺が絶対に負けるわけにいかないアイツが導き出した答えを――――俺はまだ見つけていない。

 セイバーがこのまま消え去ることなんて絶対に許さない。
 だったら――――


「どうしたらセイバーを助けられるんだ?」
 俺はそう遠坂に尋ねた。

 にっこりと遠坂が笑う。
 それはさっきまでのような意地悪なものではなく、こっちの心が晴れやかになるような微笑。俺が惚れた遠坂の笑顔。
「あら、少しは成長したみたいね?」
「む――――なんか馬鹿にしてないか、それ」
「まさか。ほめているのよ。士郎のことだからもっと取り乱すかと思ってたわ」
 やっぱり馬鹿にされてる気がするぞ。
「ふん、取り乱したところでどうにもならないじゃないか。だったら、セイバーを助ける方法を考えるだけだ」
「そうね」
 そう言って遠坂は微笑んだあと、不意に、沈んだ表情をした。
「――――遠坂?」

 と。
「とりあえず現状を把握しておきましょう」
「お、おう」
 すぐに普段の遠坂に戻る。
 なんだ。俺の気のせいか。

「まず、一番簡単な方法はわたしがセイバーへ魔力供給をすることだけど、これはさっきも説明したとおり無理。セイバーへの魔力供給は出来なくなってる」
「セイバーへ送ろうとする魔力が俺に流出しているんだよな。まったく、なんでそんなことになってるんだろうな。わけがわからないよ」
「……そうね。ちょっと気になることはあるけど、今はそれを突き詰めていっても意味ないしね。まずはセイバーを助けないと」
「ああ」
 俺は大きくうなずく。
 セイバーがいなくなるなんて考えられないからな。
「それで、なにか方法はあるのか?」
 俺が期待を込めて尋ねる。
 遠坂は複雑な表情で深く考え込んだあと、一転、なにか決意したかのようにあっさりと、
「――――――簡単よ」
 そう答えた。

「え、簡単って……」
 あんまりにもさらっと言われたので、喜びよりも戸惑いのほうが先に来た。
「セイバーを治すのが、か?」
「そうよ。結局のところは魔力量が足りなくなってるだけだもの。それを補給すれば良いだけのはなし」
「でもその補給が出来ないんだろ?」
「わたしからは―――ね。でも魔力を補充する方法は他にいくらでもある」

 その言葉に一瞬いやなものを思い浮かべる。
 聖杯戦争時、キャスターやライダーがやったこと。
 学園の生徒や街の人間から生気を吸い取り、それを糧としていたサーヴァントたち。


「ちがうわよ」

 これ以上ないくらい冷静な遠坂の声。
「士郎がなにを考えているかは大体わかるけど、そんなことセイバーにさせるはずないじゃない。かりにそうだとしてもセイバー本人が拒否するわよ」
「そ……そうか。そうだよな」
 一瞬でもそんなことを考えた自分が恥ずかしい。
 遠坂やセイバーがそんなことするはずないのに。

「でも遠坂。だったらどうやってセイバーの魔力を回復させるんだ?」
「あら、いるじゃないここに。魔力提供の出来る魔術師がひとり」
 遠坂はそう言ってあのいつものいじめっ子みたいな笑みを浮かべる。
 で、その視線の先には
「えーと、その……もしかして俺か?」
「そうよ。貴方だって魔術師であることには違いないんだから。それに貴方の中にはわたしから流れ込んだ魔力が蓄積されてる。セイバーがこの世に留まるだけの魔力を十分に補えるはずだわ」
 うーん、そういわれてもいまいちピンとこないんだが。魔力が蓄積されてるなんていう感覚はまったく無いし。
 でもまあ、遠坂がそう言うのだから間違いはないのだろう。
 ただ問題がひとつ。
「どうやってやるんだ? 俺、魔力供給の回路をつなぐなんてこと出来ないぞ」
「そんなのわかってる。わたしだって士郎がそんな器用なこと出来るなんて思ってないわ」
「え――――?」
 じゃ、やっぱりだめじゃないか。
 だが遠坂は平然としていた。
「回路をつなげる必要なんてない。ただ貴方はセイバーに魔力を分け与える――――いえ、正確には、貴方がセイバーに魔力を吸われればいいの」

 魔力を吸われる?
 俺が?
 セイバーに?

 さすがになんとなく気づいた。
「あ――――っと、遠坂。それはつまり……」
「衛宮くん。セイバーを抱きなさい」

 バアァンッ―――
 てな効果音が聞こえてきそうな遠坂の宣言。
 俺の脳は一瞬のうちにショートした。

 抱く? 
 抱くってセイバーを? 俺が?
 ――――抱くってそのつまりあれだよな。
 おたがいふくぬいではだかになってからだをよせあってキスしてからだをかさねて……まだそんなこと遠坂とも数回しかしてなくて――――
 セイバーの奇麗な顔とか金色でさらさらの髪とか華奢な身体とか滑らかそうな肌とか柔らかそうな唇とかつつましげな胸のふくらみとか、なんかこういろんなものが頭の中を飛び回り、ぐるぐるどんどんと騒がしく動き回って、そういったすべてが俺の顔面を真っ赤に染め上げていって、そんでもってそんなことできるかぁっっってなことを脳内で叫びつつ――――――
「そんなことできるかぁっっっっ!!!!!」
 と俺は実際に叫んでいた。

「なななななに言ってんだ遠坂っ!! おま……おまえそんなこと――――セイバーを抱くなんておまえそんな……」
「……予想通りの反応を返してくれてるところ悪いけど衛宮くん」
 やれやれと首を振って、
「回路を使った魔力供給が出来ない以上、直接的な方法を取るしかないし、それには性交渉するのが一番なの。さいわいセイバーはかわいい女の子だし、衛宮くんは健康的な男の子だもの、ちょうどいいでしょう」
 とんでもないことをさらっと言ってくれました。
「ちょうどいいなんておまえ……。こ、こういうことはだな、その……相手の意見というものもだな……」
「あら――――セイバーは士郎が相手ならかまわないって言ってたわよ」
 ばたん、と俺の背後で扉の閉まる音が聞こえたのは気のせいか?
 完全に退路をふさがれましたか?
「お、おまえ……そんなことセイバーに……」
「ええ、衛宮くんの言うとおり、こういうことは相手の意見も尊重しないといけないものね。セイバーも納得してくれたわ」
 にっこり微笑むあかいあくま。
 神様――――このあくまをいったいいつまで放置しておくのですか?

「で、でもだな……その、なんというか……」
「あら、衛宮くんはセイバーのことが嫌い?」
「ば――――バカ! そんなことあるか!」
「じゃあ問題ないじゃない。衛宮くんはセイバーが好きで、セイバーも衛宮くんが好き。好き合っている二人が身体を重ねる。べつに不思議じゃないでしょう?」
 ――――う。
 まったく反論できない。
 そんな俺に遠坂は情け容赦なく止めを刺しに来た。それはもう、ぶっすりと。
「それとも……魔術協会にでも連絡して魔術師をひとり派遣してもらう? 男の」
「――――っ!!」
 男の、というところを思いっきり強調したのは間違いなくわざとだろう。
「見知らぬ男に抱かれるのをセイバーは嫌がるでしょうね。でも――――きっと我慢してくれると思うわ。彼女にとってこの世から消え去ることのほうがたぶんもっとつらいと思うから」



 その光景を思い浮かべ、瞬間的に脳が沸騰した。
 そんなこと……絶対にさせるもんか。
 セイバーを救う。ただ、それを他人になんて任せることは出来ない。
 結局は、俺がさっきからぐだぐだ言ってることなんてどうでもいい些細なこと。
 セイバーを救うということだけを今は考えるべき時。
 それをたぶん、遠坂は言いたいのだと思う。
 だから――――


 俺は目を瞑り、大きく深呼吸する。
 ゆっくり、ゆっくりと気持ちを落ち着ける。
「――――すまない、遠坂。……俺、いつまでたってもおまえに迷惑かけちまうな」
「べつに……謝ってもらうようなことではないわ。わたしだって、いまセイバーに消えてもらったら困るもの」
 そのぶっきらぼうな答えから、遠坂の優しさを感じ取ることが出来る。
「ああ、そうだな」
 軽く笑って、俺は席を立った。
 時計を見る。七時を少し回ったところだった。
 藤ねえは学校のほうの用事が忙しく今日は来ない。桜は夕飯にはこれないが九時ごろに一度うちによると言っていた。
 時間はある。


「俺――――セイバーのとこに行ってくるわ」

「……うん」

 座ったままうなずく遠坂。
 その姿が――――どこかさびしげに見えたのは、今度はきっと見間違いじゃないと思う。
 居間の襖を開け、廊下に出て、ふと振り返り、遠坂の小さな背中を見つめ、なにか声をかけようとして……結局なにも言えず、俺はそのまま襖を閉めた。


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あとがき

士郎と凛とセイバーの三角関係を書いてみたいなあ
ということで書いたSSです。
第一稿はかなり設定があれだったんでちょっと修正。
というか、はじめからこれだけを公開する予定だったのに
思わぬミスにより修正前のやつが一日だけここに乗ってしまいました。
初心者な管理人で申し訳ありません。