錦沢


夕張鉄道 昭和元年開業(信号場として開設:建設当時は「大蛇の沢信号場」の呼称):昭和50年路線廃止により消滅



夕張本町(当初は、新夕張)と野幌を結ぶ、運炭鉄道である夕張鉄道。 20パーミルの勾配が連続する山越え区間に位置する錦沢は、 私鉄随一の本格的三段スイッチバックと9600(自社発注の同型機を含む)の組み合わせで、 全国に知られた撮影の名所であった。 しかも、二段目の途中(6.7パーミルの勾配上)に駅施設があるというのも、ここ錦沢だけである。
旅客営業をしている頃には、駅前に遊園施設もあり、市民の憩いの場として賑わっていたが、 末期には訪れる人も少なく荒廃していた。 他の運炭鉄道同様、ヤマの閉山と相前後して、昭和50年4月路線廃止。 現在は、同区間は、サイクリングロードとして整備されている。

*上段〜中段3枚は、引田重明氏より提供いただいたもの(昭和48年3月撮影)。 雄大なスイッチバック全貌が見渡せる、 この地点からの写真は、他で見ることの出来ぬアングル。 聞くところによると、厳寒の中、木の枝にしがみついて撮ったと言う大力作である。
なお、夕張鉄道をはじめとする数々の素晴らしい写真が、 引田氏のホームページ「Fantasy World2」で閲覧できるので、 ぜひ覗いてみていただきたい。
余談だが、引田氏によると、前後を9600に挟まれ、 平和から錦沢に向う運炭列車は、一旦、国鉄・夕張線を跨ぐ、 若菜寄りのΩカーブまでバックした後、猛発進、 そのまま平和駅を通過して、 800メートルほど続く20パーミルの上り勾配に挑んだとのこと (後部補機は、第三トンネル前で、かつての瀬野八さながら自動開放)。 その様子も、「スイッチバック」的と言えないことはない。
*下段写真は、昭和30年7月撮影の錦沢駅風景。 ちょうど引田氏の写真で、正面に見える山の斜面から駅全景を眼下に臨んだものである (画面左に一段目、中央が二段目上にある駅施設、右隅に三段目の線路がわずかに見える)。 夕鉄最後の車両区長・岡崎幸一氏所蔵の貴重な写真であるが、 3両連なった気動車の姿からも、 夕張に住む人々の憩いの場として賑わった、当駅の全盛期の様子が偲ばれる。


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