上日置


鹿児島交通枕崎線 大正5年開業(毘沙門駅として)〜昭和46年配線変更により廃止。




その名の通り、枕崎に向けて、薩摩半島を南に縦断して敷設された、南薩鉄道(後に鹿児島交通枕崎線となる)。
始発となる、国鉄線との連絡駅・伊集院を出発した列車は、 352mの大田トンネルをサミットに小さな峠越えを行うが、その途中に作られたスイッチバック停車場。
付近に集落はないが、伊集院〜日置間が8kmほどに及ぶために、列車交換用として、さらには山中で水に恵まれた 立地条件を活かし、蒸気機関車用の給水を行うために、設置された施設である。
スイッチバックと言っても、20‰の本線から水平の待避線を1本引き出しただけのシンプルな構造のものであった。
なお、退避線上のホームとは別に、勾配の本線上にもホームが設置され、列車交換時には両方のホームが使用されていたが、 昭和46年の合理化・無人化による待避線撤去後は、
この本線上のホームが路線廃止(昭和59年)まで使われることになる。
路線廃止からすでに四半世紀が経ち、すべてが自然に還ってしまったような景色の中、ホームや枕木の残骸と共に、 レンガ造りの給水塔(下段写真でキハ100の右に見える)が屹立している様が、
当駅の記憶を現地に留めている。

写真は、すべてred50kei氏のHP 「ローカル私鉄と国鉄」 より転載させていただいたもの。
昭和55年の3月撮影ということで、すでに無人化によるスイッチバック機能停止から すでに10年を経ているものの、分岐部分の線路が残るなど、現役当時のフォルムを 思い起こすことが出来る。
地図は『鹿児島交通南薩線〜南薩鉄道顛末記』(高井薫平・田尻弘行著:ネコパブリッシング刊)を参考に作図させていただいたもの。
使用のご快諾を頂いた、著者の高井氏と共に、許諾の手配を取り持って頂いた、レイルマガジン:名取編集長にお礼を申し上げたい。
それと、本図部分を担当された田尻氏ご逝去の報に接し、謹んでご冥福をお祈り申し上げる次第である。

※なお、余談ながら、当駅のスイッチバック時代の写真では、諸河久氏によるカラー写真が有名である (上記の『南薩鉄道顛末記』の上巻表紙写真もそれが使われた)が、
今回の配線図を見るまで、筆者はこの写真を完全に誤解していた経緯があった。つまり、水平の退避線上から勾配の本線を 行く気動車を撮影した写真であるのに、
勾配の本線上から水平の退避線上の気動車を撮影したものだと勘違いしていたのである
(写真をよく見ると、気動車の後方に出発信号機が見えたり、そちらが本線であることが理解できそうなものだが、先入観として 気動車が差し掛かっているホームのほうが水平に見えてしまったわけである。
そのことが、長年、当駅の構造理解を妨げていたわけだが、 このことからも、一枚の写真だけから事実を探るのは難しいと改めて理解した次第である)。
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