常紋信号場


石北本線 大正3年開業:現存(但し、平成11年秋を以って施設の使用停止) 






常呂と紋別の間に立ちはだかる常紋峠は、 SLブーム末期には、多くのファンを惹き付けた撮影の名所。 25パーミルのSカーブを、D51の引く貨物が9600(昭和48年頃よりDE10)を補機に従えて登坂する姿は、 旧世代の鉄道の魅力をいかんなく伝えるものだった。 そのサミットに位置する、折り返し型信号場。 ロケーション・構内配置など、 昭和41年に消えた根室本線・狩勝信号場を小ぶりにしたような雰囲気である。 こちらは、無人化され巨大なスノーシェッドに覆われたものの、永らく活躍したが、 平成11年秋を以って、当信号場での定期列車交換がなくなり、 事実上「使用停止」となり、現在に至る。
最後に、当信号場の生田原側に抗門を覗かせる常紋トンネルは、 「タコ部屋」と呼ばれた劣悪な条件下で働く人々の屍の上に完成したことを付記しておきたい。
*写真上から三段分は、昭和48〜49年頃の信号場風景。 二段目左端の写真は、 「Fantasy World2」の引田重明氏撮影。 三段目右の写真は、 鈴木信雄氏のホームページ「遠い汽笛(旧:鉄路の詩)」 (深い愛情を感じる国鉄時代の蒸気機関車写真や、最近の鉄道写真に加えて、 駅長のサイン、スタンプ集、さらには鈴木氏自身によるSLのペン画も紹介) より転載させていただいた。
*最下段の4枚は、 川端潤氏のホームページより一部転載させていただいた、 平成10年夏に撮影された、気動車同士による交換風景。 信号場の最近の様子がよくわかる。 なお、昭和20年頃の資料によると、構内配線(常紋トンネルを出て、発着線に入る部分)が、 その後と異なっているので、参考図として示した。いつ頃、現在のように変更されたかは不明である。
埼玉県大宮市の高橋誠一郎氏が、平成12年8月20日に、撮影した 「使用停止後」の信号場の近況写真を 送ってくださったので、掲載させていただく。
場内信号機には、白いバツテンが貼られ、その役割を終えた線路には、すでに錆びが浮かんで きているとのことである。

なお、この写真撮影の約1年後、平成13年6月に「キハ56型 さよならツアー」で、 二両の気動車が、常紋信号場に入線した記録がある。さらに最近(平成16年夏)の 現地写真からも設備自体は現存しているようで、その意味では、現在の常紋信号場は、 「閉塞境界=信号場として機能存続」「交換用施設は存続するも、通常は使用停止」 というような状況であると思われる。


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