赤岩


奥羽本線 明治43年開業:平成2年標準軌化に伴う配線変更により消滅







福島と米沢の間に横たわる、板谷峠。33.3パーミル ()が 連続するこの区間は、 横軽、瀬野八などと並び、国鉄幹線の中でも難所中の難所であった。
蒸気時代は、4100、4110、E10といったE型の強力タンク機関車、 電化後は、EF16、EF64(直流時代 昭和24年4月〜:当初は標準機EF15を改造使用)、 ED78、EF71(交流時代 昭和43年10月〜)といった、 勾配用の猛者達が活躍した同区間だが、 スイッチバック的に見ても、極めて興味深い線区であったと言える。
なにしろ、峠にかかる、赤岩、板谷、峠、大沢の4駅すべてが、 スイッチバック構造であるというのみならず、 その沿革を見ると、単線通過不可能型〜単線通過可能型〜複線型 (過渡的に、駅の両側に単線と複線が混在する期間もあり) というように、 駅施設としてのスイッチバック構造を、ほぼ網羅しているのである。
客車列車が何度も進行方向を変えて停車する同区間は、単に鉄道ファンのみならず、 旅の車窓を愛する人々の間で、広く知られる存在となったが、 平成4年の福島〜山形間ミニ新幹線化に際して、同区間が標準軌化されるのに先立ち、 4駅のホームは、すべて勾配上に移設、スイッチバック施設は撤去された。 ある意味では、 この「廃止」という悲劇的結末を以って、 板谷峠の各駅は、「スイッチバックの一生」を完遂したとも言える。
中でも、最も福島寄りにあった、この赤岩は、 他の3駅と違い、スノーシェッドに邪魔されることもなく、 本線と構内全景を同時に写し込める、好ロケーションもあって、 同区間では、最もよく紹介されたスイッチバック駅であった。
*上段、及び中段右、下段左の写真は、府川泰氏撮影。 昭和50年代には、この峠を、赤い電機に牽かれた旧型客車はもちろん、 まだ気動車急行も行き交っていた。
*マップは、4駅とも 「非電化時代」「単線直流電化時代」「複線交流電化時代」「現在」の 4パターンを記載した。 ただし、同区間の「線形変更・線増」と「電化」は、基本的に並行して行われているものの、 完成時期に多少のずれがあるので、その辺はご了承戴きたい。 例えば、電化開業は、昭和24年4月24日であるが、 4駅のスイッチバックに通過線が完成したのは、同年9月である。

板谷峠には、一部、 勾配が38パーミルに達する個所があるが、これらは すべて、各スイッチバック駅前後の短区間に存在していることがわかる。 資料から、開業当初の勾配は、最大で30分の1(33.3パーミル)であることも 判明しているので、つまり、これらは、ジグザグに上っていた線路を、 直線でつないで通過線を設ける際に誕生した、同線区最急勾配個所なのである。

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