GSエルリック極楽大作戦!お猫さまとわたし編 



お猫さまとわたし


「ただいまあ」
 帰ってきた弟の腹は、ぽっこり不自然に膨らんでいた。
 そのまま速やかに2階の自室へ向かおうとしていたので、エドワードは廊下の真ん中で仁王立ちした。
「まあ待ちなさい、アルフォンスくん」
 階段前から先は通行禁止だ。
「そのおなかはいったいどうしたことなのかな?」
 にこり。
『素直にゲロれば、お上にも情けはあるぞ?』と微笑を浮かべ、まずはやさしく聞いてみる。
「こ、これは…」
 びくり。動揺したアルフォンスは、左手で暴れる腹の中身を押さえ、右手は口元に手を当てた。
 そして昭和初期の美人女優よろしく足を横に崩したよろめき座りをするかと思えば、うるりと瞳を潤ませた。エドワードを上目遣いに見詰めてくる。
「…兄さん。ボク赤ちゃんが出来ちゃったみたい!責任とって!」
 気分はなんちゃって金色夜叉。
 ノリで足蹴にしたくなる一瞬を、エドワードは辛うじて堪えた。アルフォンスのペースに巻き込まれては敵わない。
「…っ、冗談は言ってないで、元いた場所に返して来い!」
 いらないところで演技派な弟に、兄はどかんと怒鳴りつけた。
 どんな無体をしたのやら。弟の腹から聞こえてくる、ひしゃげて野太い猫の声も、お疲れのようで気に掛かる。
「男のお前に猫の子供が産めるものなら産んでみろ!」
 しかし弟も負けてはいない。
 正面から開き直り、きっと眦をきつくする。
「兄さんの鬼!悪魔!人でなし!かわいそうだよ!こんな寒い日に…外に放り出すつもりなのっ!?」
 ビシィッ!エドワードが指した外には見向きもしないで、アルフォンスは主張する。

 3月は、寒いといえばまだ寒い。
 しかしもっとも寒いシーズンを野良で生き抜いてきた古ツワモノには、これからの陽気は優しいだろう。
「いいから、はよ出せ!」
 エドワードは弟のトレーナーに手を突っ込み、後ろ足を丸めたオスの三毛猫を猫掴みで引きずり出した。
 猫は少し痩せて薄汚いが、いかにも酸いも甘いも噛み分けてきた、奥行きのある面構えをしている。
 口うるさい兄だって、それほど猫は嫌いじゃない。
 エドワードが、弟が迷惑掛けてすまんと目で謝ると『まあ、かまわんよ』とにゃーと鳴く、人格者(猫)ぶりなら尚更だ。
「だって目が合っちゃったんだ!これは運命だと思うんだ!」
「それはお前の気のせいだ」
 意気込んでくる弟を兄は冷たくあしらうが、アルフォンスは一歩も引かない態勢だ。
「彼にはボクが必要だし、ボクには彼が必要なんだ!そんな痩せた姿を放っておけないよ!」
「あの、なあ」
 エドワードは髪が垂れてくる額を押さえた。
 熱く主張する姿はアレだ。
 頭の固い親父さまに、彼との交際を認めてもらおうとする女子高生。
 しかし『彼』のほうはどうでもよさそうにのんびりヒゲを揺らしているので、女子高生役の一方的な熱愛っぷりが、父親役のエドワードの目から見てイタい。
「…迷い猫専門の探偵に聞いたんだが現代に生きる日本の猫は、絶っ対に凍死はしないし、餓死もしないそうだぞ、安心しろ?」
 身じろきしてそろそろ降ろせと猫が訴えたのでエドワードは、獣を床に落としてやる。
「兄さんったら!そんな聞きかじりの知識で偉そうにしないでよ!」
 駄々を捏ね始めた弟の始末の悪さに、兄はサックリ引導を引く。
「じゃあ本音を話そう。お前は何匹猫を根子岳送りにしたら気が済むんだッ!?」


 根子岳。それは、猫の王が住まわれる霊験あらたかなお山である。
 素質がある猫は十年生きれば人語を解し、十五年生きれば神変するが、神変した猫たちは立派な猫又になるために根子岳に登り修行するのだ。
 ごく一般的には。
 しかしエルリック兄弟はゴーストスイーパーなんてヤクザな稼業を営むだけあって、ずば抜けて霊力が高い。
 家屋も長年住めば霊力が篭もるし、家に懐く猫なんて飼ったらまずは化け猫一直線だ。
 今まで飼った猫たちは、皆揃って耳が裂け、尻尾が分かれて化け猫に成長し、お山で徳を積むため旅立ってしまった。

「ウチは猫又スーパー養成塾じゃありません!やる気もないのに化け猫になったら、猫が可哀想だろう!」
 大概の猫は、その気になる一瞬前まで怠惰なものだ。
 迷惑じゃないとは言い切れない。
「…っいいじゃない!化け猫になったらその分長く付き合えるんだし!」
「その割に、山に旅立った奴らは帰ってこないな」
「う」
 首根っこを押さえられたアルフォンスは、ぐっと詰まって黙ってしまう。

 猫には猫の事情がある。
 それが掟なら、別れなくてはいけないときもあるのだろう。
 だがしかし愛猫に家出されてしまった飼い主は、一方的な別離に納得できるものではない。
「…だ、だってっ…!」
「そうだな。いつ捨てられても文句は言わないと誓約書にサインしてくれるなら、オレだって猫を飼うのに反対はしない」
 繰り返して言わせて貰えば、エドワードも猫は嫌いじゃないのだ。
 ただ猫に家出されてしまった後の弟のグダの巻きようは、酷い男に尽くして捨てられた女に似ていて始末に終えない。
 後で宥めるのは一苦労とわかっているから、騒動の芽は育たぬうちに摘んでおきたい。そう先を考えて、エドワードが対策を立ててしまってもそれは処世術というものだ。
 別段、責められるいわれはない。

「…っ!兄さんの馬鹿ー!おたんこなす!不能ーっ!」

 うわーんっ!
 甘ったれの弟は、都合が悪くなると泣き真似して外へ出て行く。
 いつものことだ、それはいい。
 ほとぼりが冷めるまで(今までのパターンからすると夕飯までには帰ってくるだろう)ほったらかしにしておいても今日の仕事は夜の8時過ぎからなので問題もないが。

「ちょっと待て!」
 なんか今聞き捨てならんことを言わなかったか貴様!
 エドワードはサンダルを引っ掛けて、猛然と弟の後姿を追いかける。
「ヒッ!」
 アルフォンスは怒髪天をついた兄が追いかけてきたのに本気でビビり、全力の逃走に切り替えた。


 玄関の戸は開きっぱなし。
 留守を任されてしまった三毛猫は、ああやれやれと目を細める。
 ふわあ、とひとつ大欠伸だ。
『仲がいいのは相変わらずか』
 まこと重畳。

 むかしむかし。
 兄弟とその父親の霊気に当てられ、お山参りの資格を得るまえまでのことだが、猫はエルリック家を住処にしていた。
 修行の年季が明けたので、ようよう顔を出してみれば。
 猫に対する無礼はならぬと手ずから爪と牙を持って、教えた愛し子たちは、代わり映えないやんちゃぶりだ。

 化け猫は人語を喋るし、手ぬぐいを首に巻きつけて、後ろ2本足で踊るもの。
 しかしそれを知られた者と一緒に暮らせないのが、古来よりのしきたりである。
 使い魔となる西洋の鴉猫ならいざしらず、おくゆかしい猫又と共に暮らしたければ、知らぬフリは重要なのだ。
 その点このたびの兄弟の態度は、少しばかりわざとらしい。
 お互いにバレた・バレていることを教えあわねば、修行を終えた化け猫は普通のお家で暮らせるものを……エドワードは無様に動揺して余計なことまで口走り、通学路で待ち伏せしてやったアルフォンスの驚きぶりときたらこちらがヒヤヒヤするぐらいだった。

(…まあ、それが嬉しくないわけでもないが)
 自分の居ない間に他の猫を家に入れていたことは、それに免じて許してやろうと猫はお気に入りだった箪笥の上によじ登った。




2006,3,3

兄弟の知らないところでこっそりと。
ハイデリヒと猫は相性悪くて、縄張りの奪い合いとかしたら可愛いです。
猫はいつも撫でてもらう時には愛想のいい弟のところに行くのに、ハイデリヒに嫌がらせをするためだけに兄の膝で丸くなってみたりとかー。







お猫さまとわたし2



 春一番が吹いた前日、エルリック家に住人が一匹増えた。
 オスの三毛猫で名前は猫。
 種族名のまま捻りもないが、エルリック家の伝統で猫は『猫』と呼ばれているらしい。
(犬を飼ったら、きっと犬と呼ぶんだろうな)
 ハイデリヒは推察する。

「そろそろ、一息入れませんか?」
 台所奉行のハイデリヒが提案すれば、兄弟は素直に賛成した。
「あー…喉が乾いた、かも?」
「ボクもー」
 根を詰めた資料整理も、一休みだ。
 兄弟は思い思いに凝り固まった姿勢を解す。
 ハイデリヒがお茶を淹れている間に、ふと、アルフォンスは窓の外に視線を留めた。

「なんか最近、近所で三毛柄の子猫が目に付くんだよねえ」
 花を付けた梅の木の下。
 エルリック家の庭先を、冬生まれの子猫たちがちょんちょこ横切っていくのが見える。
 いい光景だ。
 しかしそのうちの2匹なんて先日里帰りを果たした家猫と、他人の空似が通らぬほどに背格好がそっくりなのだ。
「…家を出ている間。ふらふらと何をしていたんだろうって思わない?」
「猫。やるなあ、あいつ」
 ヒュー。
 エドワードは感心して、口笛を吹く。その横にハイデリヒは湯飲みを置いた。
『オスの三毛猫は遺伝子異常で生殖能力は欠落しているんじゃありませんでしたっけ?』
「そうだけど…なあ?」
 例外はどこの路地にも落ちてるものだし。
 あの、猫だし。
「ねえ?」
 兄が弟に目配せすれば、アルフォンスもどうなんだろうねと首を傾げる。
『じゃあ、動物病院に連れて行く必要がありますね』
「え、なんで?」
 相槌を打ったエドワードは、大振りの柏餅をひとくちに頬張る。
 欲張るものだから、両頬がげっ歯類のようにぷっくり膨れた。
(かっわいい!)
 ハイデリヒの胸はきゅんきゅんと高鳴る。
 クールな男前で冬椿のよう艶やかな彼女もそれは色っぽくて素敵だったけど……天真爛漫で健やかなエドワードさんは、彼女とはまた異なる魅力だった。
 1つ目の柏餅をもぐもぐしながら、すぐ2つ目に手を伸ばす健啖ぶりも心地よい。
(ああ!こんな若くて素直で可愛らしいエドワードさんをボクにプレゼントしてくれるなんて!…神さまありがとう!)
 ハイデリヒは(今は地球の反対側で)空に輝いているお星さまに感謝を捧げる。
 そう、あれだ。
 世界に誇る日本文学。
 源氏物語の、光源氏は若紫。
 愛情注いで育てた花を手折るのは、言外するまでもなく男のロマンだ。
『もうひとつ、どうぞーv』
 ハイデリヒはエドワードが絢爛に咲き誇ったときのため、せっせと餌付けに余念がない。
 菓子椀をひとまず進めてから、先ほどのエドワードの疑問に答える。
『正常なオス猫なら、去勢してもらわなくちゃいけないでしょう?』
 ぽとり。
 エドワードの手から餅が落ち、アルフォンスは番茶を気管に入って咳き込んだ。
「…グ…ヶホっ。去勢って…!」
『猫とお付き合いするのは初めてなので、色々調べさせてもらいました。自由に外出してしまう飼い猫に、避妊は必要でしょう?』
 ペットの出産のコントロールは、飼い主の義務ですよね?
 にっこり微笑むハイデリヒに、そろって兄弟は顔を引き攣らせた。
「……いや、よーく考えたらやっぱりうちの猫はオスの三毛だしな!」
「似ているのは、きっと親兄弟の血筋だよね!」
 病院などに連れて行っては、せっかく帰ってきた愛猫がまた家出をしてしまう!
 主張する兄弟の思惑は掃除したての窓ガラス並みに透けている。
「そうですか?」
 年若い兄弟があまり見たがらない現実を、指摘するもの年長者の嗜みだ。
 また後で話し合おうとハイデリヒは肩を竦める。どうやらこの話題はタイムリミットだ。
 かたり。
 アルフォンスが錬成した猫ドアが軽い音を立てて開き、外で遊んできた家猫が帰ってしまった。さすがに本猫の前で話したい内容ではない。
「うわあ」
『どうかし…ヒイっ!』
 エドワードが歓声をあげたので幽霊は後ろを振り返る。そして後悔した。
 ハイデリヒが磨き上げたフローリングの床に、ペいッと投げ出されたのは丸々太った長い蛇だ。
 蛇は捕れたて新鮮とばかり、ウゴウゴ蠢いている。
「ナーぅ」
 大物を仕留めてきた猫は心なしか自慢げだ。
『なんでこの猫は獲物を捕まえたらわざわざ見せにくるんですかあっ!』
 ぬるりと蠢く大蛇に、声が上ずりひっくり返る。
 ヨーロッパ人の常として、ハイデリヒも蛇は嫌いだ。この、ぬめぬめした鱗がどうしても駄目だ。
「一昨昨日がもぐらで、昨日が鳩で、今日は蛇か。…お前、甲斐性があるなー」
 エドワードは猫の頭をひと撫でして、名狩人を褒め称えた。
「にゃー」
「蛇で遊ぶんだったら庭に行く? え、いいの? くれるの?」
『ツリはいらない取っておきな』と太っ腹なところを見せ、猫が獲物を放り出したので、エドワードは本棚から動物図鑑を抱えてきた。
 蛇は幼年の修行時代にも大変お世話になった食材だが、猫が捕まえてきた蛇は見たことのない顔だ。
 そのことだけが引っ掛かる。
「あった、これだ。シロマダラ」
 重いカラー図鑑をはらりと捲れば、どうやら調べて正解らしい。
 エドワードは残念そうに吐息をつく。
「生息数が少ないってあるから、食べるのはよしたほうがいいだろうな」
「そうだねえ。他にご飯が食べられるのに、希少種の数を減らしちゃ目覚めが悪いし」

(希少種じゃなかったら食べたんですかー!)
 そして誰が料理をするって思っているんですか!

 ハイデリヒの心の叫び。しかし兄弟も猫も気付かなかった。




2006,3,10
 化け猫でも猫は猫。
 そして脳内会議の結果、ハイデさんは猫が苦手なドイツ人で決定。
 でも猫はハイデさんのことは割りと好きかなと。ご飯を出してくれているハイデさんのことは子分扱いで『わしが面倒見てやらんといかん』と思っていそう。
 そして獲物をせっせと捉まえては『まあ、食っとけ』と持ってくる頼もしい親分ぶり。
 ハイデさん大迷惑。
 これで助けてもらった蛇が恩返しにでもきたら、ハイデさんは泡吹いて倒れちゃいますね!




リポート7 お猫さまとわたし3




 トントン。

「アルー」
 扉の叩かれる音で、集中力が切れた。
 ノックとほぼ同時にドアを開けた兄は、学校指定の運動服を着ている。
 近隣じゃ類を見ないほどダサいと評判のこのジャージを『便利だから』と、学校以外で使っているのはたぶんこの兄くらいなものだった。
「なあ、倉庫に入れてあった試作機122号、どこかで使ってんのか?」
 問われて宿題を始末していたアルフォンスは、小首を傾げた。
 あいにくだが覚えがない。
「知らないよ。アルフォンスさんには聞いてみた?」

(あーあ)
 せっかく揺り起こしたやる気が彼方に去ってしまった。
 アルフォンスは憮然として、親指と人差し指の間でシャーペンをクルクル回す。
 春というのは、どうにも困る。
 なんとはなしにうららかで、行動しようという気が削げるのだ。
 そんなアルフォンスを置いてけぼりに、春先になるとやたらアクティブになるのがウチのお猫さまだ。
 構ってもらえなくなるアルフォンス的にはつまらない。
 夜遊び、午前様は当たり前。
 今日もテンション高く朝早くから縄張りのパトロールに飛び出したっきり、ちっとも帰ってきやしない。

「いや、天気もいいし風もないし…アルフォンスが実験に付き合ってくれるっていうからさ」
 ここの『アルフォンス』とはハイデリヒのことだ。
(……と、いうと…?)
 思い当たるフシに、アルフォンスは目の色を変えた。
 エドワードの発言に億劫の虫が追い払われる。

「最大積載量の問題クリアできたの?」
 兄弟の趣味の錬成物。試作機122号といえば、その俗称は『空飛ぶ箒』だ。

 現代に復活した魔法使いである、魔法料理『魔鈴』の美人オーナーシェフ。
『好みのバランスは、自分で見つけてくださいね』
 魔女的に笑う彼女から、魔法の箒のレシピのヒントを貰ったのは先年のことになる。

 彼女の深遠な微笑みには理由があった。
 天才エルリック兄弟をしても、魔法の箒の製作は、試行錯誤を繰り返しだった。
 おそらくは兄弟のまだ識らない、効率のいい術式の組み合わせがあるのだろう。
 積載量を増やす因子を高めるとスピードが落ち、その反対では兄弟の体重を支えられない計算になってしまうのだ。
 仕方がないので地道にコツコツ調整を変えて、反応を確かめているのが現状だ。
 その成果は少しずつ現れスピード重視の設定でも、重量をじりじりと増やしている。
 現在最大積載量は5キログラムといったところ。
 これでも大分増えたのだ。
「兄さん、新しい術式を組み立てたの、コレ?」
 アルフォンスはエドワードが小脇に抱えていたバインダーを覗き込む。
 ざっと暗算した限りじゃ、バランスはそう悪くない。ただ、まだ人を乗せられるほどの馬力は出ないと見た。
「探り掘りで、まずは10キロまで増やしてみようかと」
「はあん。それでアルフォンスさんを、ね」
 重量の壁に阻まれて、前の試験機を飛ばした時には乗り手不在のまま実行した。
 なるほど。体重のない幽霊の、ハイデリヒは適任の乗り手だ。やはり乗り物の良し悪しは、騎手の判断に委ねられる。

「箒を動かしたの、てっきりアルだと思ってた。せっかく錘にするのに新しく米袋買ってきたのになぁ、どこやったんだろ」
 昨日はチェーンナップをして、いつでも使えるよう靴箱のところに立てかけた。
 そこまでしか、覚えてない。
 エドワードは困った時の仕草で頭を掻く。
 アルフォンスが弄ってなければ、ほぼ間違いなく自分が動かした筈。
 また考えながら行動して、無意識に置きっぱなしとかをしたのだろう。

「目に付くところにないんだったら。庭の物置きとか屋根裏とかじゃないのかなあ? ボクも探すの手伝うよ」
 かたり。
 アルフォンスは椅子を引いて立ち上がった。
 空飛ぶ箒の実験をするなら、自室でのんびり宿題なんてしてられない。アルフォンスは広げていた教科書類を簡単にひと纏めにする。

 エドワードは兄の見得で、成功してから報告したい気持ちもあった。
 でもアルフォンスが楽しそうにしていると、釣られてしまう。
「悪いな。おっし、絶好の試運転日和!」
 ジャッ!
 ちっとも悪いと思ってない顔で謝ったエドワードは、何気なく遮光カーテンを大きく開き、お天道さまを褒め称えた。

 そして、氷像のようにピシリと固まる。

「 ? 」
 不審に思ったアルフォンスは兄の視線の先を追う。

「何もな……」
『何もないよ』と言いかけて、言葉は力なく尻切れ蜻蛉になった。
 アルフォンスの視力は2・0だ。
 動体視力も自信がある。
 だからもの凄いスピードで空を飛んでいく魔法の箒に、三毛柄の猫が乗っているのがきちんと見えた。
 …見えてしまった。

 三角の耳を誇らしく立て。
 長いヒゲ長い尻尾を、亡羊と晴れた春の空にたなびかせ。
 柄の膨らんだ部分に悠然と座り。

 歴戦のパイロットの如き巧みさで、空を翔けるその勇姿は……紛れなくウチの猫だ。

「メルヘンの世界だね…」
「……だな」
 まったくウチのお猫さまったら、芸達者なんだから。

 うふふ。
 兄弟は生温く笑いあうと、何も見なかったことにした。




2006,3,13

そして待ちぼうけなハイデさん。




お猫さまとわたし4



「ねえ兄さん。屋根の上でうちの猫がデートしてる」
 ソファーで新聞を広げていたエドワードはアルフォンスの視線の先を追った。
 細身でコケティッシュなカラス猫だ。黒々とした毛並みがうつくしい。
 どうやらウチのお猫さまは、かなりおモテになるようだ。エドワードは烏猫の他にも青い瞳の白い猫や、ふくよかなトラ猫とも並んで歩いているのを見たことがある。
「…春だなあ」
 エドワードがそれだけで話を終わらせてしまったので、ハイデリヒは我慢が出来ずに指差した。
 幽霊だというのに鼻息が荒い。

『エドワードさんっ!あの黒猫の背中についている羽根みたいのはなんですか?』
 烏猫のしなやかな背には、蝙蝠のような一対の羽が生えている。

 ハイデリヒは指摘の指摘に兄弟はさっと視線を逸らした。

「…そうだなあ。新手の動物服じゃないか」
 エドワードは自分でも信じてなさそうなセリフをのたまい。
「あー。あの手のお洋服はにゃんこや犬もいい迷惑だよね。しかも『可愛い!』とかときめいちゃうあたり、負けた気がする」
 アルフォンスもそれに同調する。
 見事な現実逃避っぷりだ。
『どう見てもあれは魔女の使い魔じゃあ…』
「あっ。そうだオレ、買い物」
「待ってよ!兄さん、ボクも行く!」

 バタバタと出て行く兄弟をハイデリヒはポカンと見送る。
 引き止める暇もなかった。
 …トイレの電球を買いに何も2人で出かけなくてもいいじゃないですか。
(しかもエドワードさんなんて、寝起きで髪も梳かしていないままで!)
 そんなに聞かれたくないことですか。

 犬猫が羨ましいなんて人間…いや、幽霊としても立場がない。
『ちゃんと話してくれれば反対なんてしないのに…』
 化け猫の掟を知らないハイデリヒはすっかり不貞腐れて、ソファーの背にのの字を書いた。




 2006,6,27
 拍手掲載3本。再アップ品なので、おまけに4を追加してみました。










  ひとつ前に戻るかね?