日本一周第2回「旅人よ」 

第11日「風の盆恋唄〜岐阜県・ 富山県〜」
 

2006年7月25日(火)

 
 


〈白川郷〉

 
 


 白川郷で迎えた朝。雨だった昨日とは打って変わっての好天に恵まれた。これは絶好の観光日和だ。 
     

 
 



白川郷の朝食
 

 
 
 温泉旅館の朝食はかなり豪勢。

 朝から食べきれないほど出てくる。

 飛騨地方の名物といえば朴葉(ほおば)味噌が有名。以前、飛騨高山を訪ねた際にも食べたことがある。当然、白川郷でも朝食に出た。
    

 
 



朴葉味噌と石割豆腐

 

 
   
 朴葉味噌は、ホオノキの葉の上に味噌と薬味を乗せて、火であぶるもの。いい香りが漂い、ご飯にも合う。
 もう一つの名物が、石割豆腐。石が割れるほど硬い豆腐という意味らしい。
   
 
 

◆白川郷合掌造り民家園(

 
 



白川郷合掌造り集落
     

 
 
 白川郷(萩町集落)の合掌造り集落は全部で60戸である。これは、五箇山の相倉・菅沼の合掌造り住宅を併せたより多い。その規模の大きさから、見どころも多く、じっくりと見学することにした。
      
 
 





合掌造り住宅
 

 
 
 合掌造り住宅と一口にいうが、その形も規模も実際には様々である。大半の住宅は江戸時代末から明治時代末にかけて建てられたもので、白川郷ではそのうち25戸の住宅が保存公開されている。
     
 
 



 

 
 

◆白川八幡神社

 
 



白川八幡神社
 

 
 
 萩町集落には白川八幡神社がある。応神天皇を祭神とし、和銅年間(708〜14)の創建というから、相当に由緒のある神社である。当時の白川郷は現在の高山市( 上白川郷)を含む庄川流域一帯とのことで、白川八幡神社はその白川郷の総鎮守として崇敬されていた。現在は下白川郷(現・白川村)の氏神である。
        
 
 



白川八幡神社
 

 
 
 中世以降、萩町城城主となった山下氏の氏神となっている。現在の社殿は1636(寛永12)年に再建されたもの。
 
     
 
 



釈迦堂
 

 
   
 境内の趣のある茅葺き屋根の祠堂は釈迦堂。1628(寛永4)年に山下氏勝(1568〜1653)によって建立された。
 毎年10月14、15日には例祭「どぶろく祭り」が行われるが、これは岐阜県指定無形民俗文化財に指定されている。
     
 
 



どぶろく祭りの館
 

 
   
 境内には「どぶろく祭り」の館があり、どぶろく祭りについての展示がある。
   
 
 



どぶろく
 

 
 
 入場料は100円だが、どぶろく一杯を試飲することができる。
 結構強いので、朝っぱらからほろ酔い気分となった。
    
 
 



どぶろく祭りの模型
 

 
 
 場内には、人形と模型でどぶろく祭りの模様が再現されている。
   
 
  ◆明善寺  
 



明善寺
 

 
    
 明善寺(みょうぜんじ)は浄土真宗大谷派の寺院。この合掌造り集落では寺院までもが合掌造りなのである。
    
 
 



明善寺本堂
 

 
 
 驚くことに、明善寺は鐘楼までもが合掌造りである。
    
 
 



鐘楼
 

 
 
 明善寺の庫裡(くり)は国の重要文化財に指定されている。その庫裡は郷土館となっている。 
  
 
 





明善寺庫裡
 

 
   
 明善寺庫裡郷土館には、農具や木工家具、機械器具などの民俗資料や、縄文土器などが展示されている。
    
 
 





明善寺庫裏郷土館の展示
 

 

 



明善寺庫裏から合掌造り住宅を見下ろす
 

 
  ◆長瀬家  
 



長瀬家
 

 
   
 長瀬家住宅は、5階建て600坪という規模で、白川郷でも最大級の合掌造り住宅である。

 長瀬家は代々加賀前田家の御典医を務めており、この住宅は樹齢150〜200年の檜や300〜350年の栃などの巨木を用い、1890(明治23)年に建設されている。 建設にあたっては3年の歳月と、当時の金で八百円、米百表、酒十一石八斗がかけられたそうである。
    

 
 





 

 
   
 長瀬家住宅は公開されている。長瀬家には前田家より拝領された品なども残っているそうだ。
    
 
 




 

 
 
 庭も広大である。庭には「極楽の泉」があるが、これには次のような話が伝わっている。
 明治初期、長瀬家の4代目兵助が大切にされた家宝をだまし取られて嘆き悲しんでいたところ、白蛇が現れ「裏庭を掘れば、若くして亡くなった一人娘と白蛇の化身の坊様に会える」と告げた。兵助が彫ると、娘と坊様の頭のような岩が出てきて、泉が湧き出した。その泉には水を求めて自然と牛馬が集まり、その娘婿の5代目民之助は現在の家屋を建てることができたのだとか。以後、「極楽の泉」として家庭円満、商売繁盛、長寿などの御利益があるとされる。
  
 
 



極楽の泉
 

 
  ◆和田家  
 



和田家
 

 
   
 国の重要文化財にも指定されている和田家住宅は、白川郷でも最大規模の合掌造りである。
 和田家は、1573(天正元)年から続く家柄で、当主は代々「弥右衛門」を名乗った。江戸時代には、名主や、牛首口の御番所役人を務め、苗字帯刀を許されたそうである。また、塩硝(焔硝)の取引によって財をなした。和田家住宅は現在でも住居として使われているが、1階と2階部分 が公開されている。
  
 
 



便所
 

 
   
 和田家で重文に指定されているのは主屋、土蔵の他に、便所がある。便所とは意外だが、確かに立派である。
     
 
 




 

 
  ◆神田家(HP  
 



神田家
 

 
   
 神田家は、和田家の次男である和田佐治衛門が分家したもの。この地に産土八幡宮の「神田(しんでん)」があったことから、苗字を「神田」と改め、神田吉右衛門を名乗った。
 神田家は江戸時代後期に石川県の宮大工により10年の歳月をかけて建設された。
  
 
 



 

 
 
 家の中の囲炉裏には火がくべられているが、現在でも火が入っているのは白川郷でもこの神田家だけらしい。
  
 
 



火見窓から囲炉裏を見下ろす
 

 
   
 中2階には、1階の囲炉裏を見下ろす「火見窓」なる小窓がある。ここに寝泊りしていた独身男性が、夜中に目を覚ますと、ここから囲炉裏を見て火の用心をしていたそうである。
     
 
 



4階
 

 
 
 2階と3階は様々な農具などが展示してある。
 最上階の4階は狭く、定員3名とあった。もともとは物置として使われていたらしい。
   
 
 



4階から外を眺める
 

 
   
 4階には小さな窓があるが、これは煙を通すための窓であった。ここから外を眺めることができる。
    
 
 



 

 
 

 
 神田家の建物は、柱と屋根がなんとロープで縛ってあるだけである。これは豪雪地帯で、柱にかかる雪の重みを避けるために設けた「遊び」なのだそうである。
      

 
 



白川茶

 

 
 
 ペットボトルに入った「白川茶」で一息。
 白川茶というからてっきり白川郷近辺で採れるお茶だと思っていたら、こちらの産地は賀茂郡白川町で、白川郷のある大野郡白川村からはかなり南にある。
   
 
 



おやじ和膳
 

 
   
 昨日五箇山から白川郷に向かうバスの中から、「熊料理」の看板を見かけて気になっていた。熊の肉はこれまで食べたことがない。白川郷で探したところ、置いてある店を見つけた。
 「おやじ和膳」。「おやじ」とは熊のこと。熊の人形のようなものが、鍋になっている。
     
 
 



 

 
 
 中に入っているのは「熊肉の合わせ味噌仕立て鍋」。
 熊肉は臭いと聞いていたが、味噌で煮込んでいるおかげか、臭みはほとんど感じない。もっとも、お味のほうは…筋張っていて硬く、決しておいしいものではなかった。
   
 
 



どぶろくアイス最中
 

 
 
 デザートには、「どぶろくアイス最中」を食べた。まさかどぶろくまでもがアイスになっているとは。1個200円。少し酸味がかったバニラアイスであった。
   
 

 


13:12 萩町 →(加越能バス)→ 高岡駅前 15:46
 

 
 


〈高岡〉

 
   
 午後、バスで高岡に帰って来た。
 次の目的地・富山に向かう前に、行っておかなくてはいけない場所がある。
   
 
  ◆瑞龍寺(HP  
 



瑞龍寺総門
 

 

 
 
 それは一昨日、時間が遅くて行けなかった国宝・瑞龍寺である。
    
 
 



瑞龍寺山門
 

 
   
  瑞龍寺は加賀藩2代藩主前田利長(1562〜1614)の菩提寺である。彼の異母弟で養子だった3代藩主・利常(1594〜1658)によって、その菩提を弔うために建てられた。造営は正保年間(1645〜48) に始まり、利長の五十回忌の1663(寛文3)年の完成まで約20年を要している。当時の寺域は3万6000坪、周囲に濠をめぐらし城塞のごとき規模のものだっという。
  
 
 



山門の金剛力士像
 

 
   
 現在、仏殿、法堂、山門の3棟が国宝に指定されている。これは富山県では唯一の国宝だという…。
 総門(重文)をくぐると最初にある建物が山門。1645(正保2)年に建立され、万治年間(1658〜60)に場所を替えて建てなおされた。1746(延享3)年に火災 で焼失し、現在のものは1820(文政3)年に建てられたもの。その際の棟梁は、24代・山上善右衛門吉順であった。
     
 
 



仏殿
 

 
   
 瑞龍寺の伽藍配置は、典型的な禅宗建築の様式である。総門、山門、仏殿、法堂を一直線に配し、回廊は山門から法堂まで左右対称に配置されている。
 仏殿(国宝)は、棟札により1659(万治2)年に建立されたことがわかる。大工棟梁は17代・山上善右衛門嘉広(1598頃〜1680)。入母屋造、一重裳階(もこし)つきの総欅造りである。
     
 
 



法堂
 

 
   
 仏殿の奥の法堂(国宝)は墨書より1655(明暦元)年の建立とわかる。総桧造りの入母屋造、銅板葺き。建物の中央奥には、2代藩主前田利長の位牌を安置している。
    
 
 



大庫裡
 

 
   
 その他瑞龍寺では、総門を始め、大庫裡、禅堂、大茶堂などが重要文化財に指定されている。
    
 
 



大茶堂
 

 
   
 西南部回廊裏には5つの石の廟が並んでいる。これは前田利長、と父・利家(1537〜99)、織田信長(1534〜82)とその側室、長男信忠 (1557〜82)の5人の遺骨を分骨したものだという。
  
 
 



石廟
手前から利長、利家、信長、信長側室、信忠
 

 
  ◆前田利長公墓所  
 



前田利長公之像
 

 
 
  瑞龍寺に祀られている2代藩主・前田利長の墓所も、すぐ近くにある。その前田利長公の像が、瑞龍寺から墓所に行く途中に建っていた。 
   
 
 



前田利長公墓所入口
 

 
 
  前田利長(1562〜1614)は、前田利家と正室まつ(芳春院/1547〜1617)の長男。父の死後、加賀藩を継ぎ、関ヶ原の合戦の後120万石を支配した。隠居後の1605 (慶長10)年に高岡城に移り、そこで死去した。

    

 
 

 
 
 

利長公墓碑
 
 
 
  前田利長公墓所は、利長の33回忌に3代藩主利常によって造営されたそうである。
 現存のものだけでもかなり豪華な墓所だが、これでも造営当時の3分の1の規模なのだそうである。
    
 

 


16:56 高岡 →(北陸線)→ 富山 17:14
 

 
 


〈富山〉

 
 



日本酒・黒部峡
 

 
 
 この日の宿泊地である富山へ移動した。すでに夕方だったので、ホテルにチェックインすると、食事に出かけた。
   
 
 



白海老の刺身
 

 
 
 やはり富山といえば海産物。日本酒「黒部峡」を飲みながら、肴にはまずは白海老の刺身。
  
 
 



岩ガキ
 

 
 
 次いで岩ガキ。
   
 
 



海鮮丼
 

 
 
 締めは海鮮丼だった。
 こんなもの、絶対にネパールでは食べられないだろう。
 今日は昨日に比べると、だいぶのんびりした1日だった。

  
 
 

奥飛騨慕情〜栃木県・富山県〜

新潟ブルース〜富山県・新潟県〜  
 


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