日本一周第2回「旅人よ」 

第10日「奥飛騨慕情〜富山県・岐阜県〜」
 

2006年7月24日(月)

 
 

  
 この日の目的地は世界遺産に認定された「白川郷・五箇山の合掌造り集落」。富山県と岐阜県の県境の山間の地である。
 高岡からバスで五箇山までは約2時間。前日の酔いが残る中、朝一のバスに乗り込んだ。
     

 

 


7:30 高岡駅前 →(加越能バス)→ 相倉口 9:23
 

 
 


〈五箇山〉

 
 

◆相倉合掌造り集落(HP

 
 



相倉合掌造り集落
     

 
 

 
  合掌造りとは、急勾配の茅葺屋根を持つ住宅のことである。両手を合わせた形に似ているので、その名前がつけられた。豪雪地帯なので、雪の重さから屋根を守ろうとする工夫である。「結(ゆい)」と呼ばれる地域の協力体制によって30〜40年ごとに屋根の葺き替えが行われる。
 
 その合掌造り集落の1つ五箇山は、相倉と菅沼の2つの集落で構成されている。まずは相倉合掌造り集落を訪れた。
  

 
 



世界遺産認定の碑
 

 
    
 相倉集落は、23戸の合掌造り集落。1970年に国指定の史跡となり、1995年に同じ五箇山の菅沼集落、白川郷と共に世界遺産に認定された。
   
 
 





合掌造り集落
 

 
      
 相倉集落には、合掌造り住宅のいくつかが民族館として公開されている。旧尾崎家住宅が民族館1号館として民俗資料を、旧中谷家住宅が2号館として家内手工業に関する資料が展示 している。
  
 
 

 

相倉民俗館1号館


相倉民俗館2号館
 

 
 



相倉民族館2号館内の囲炉裏
 

 
 
 相倉集落の合掌造住宅の
多くは、現在でも人が住む生活の場なのだそうだ。見どころは多いが、観光地ではない。許可された建物以外には立ち入らないなどの、最低限のマナーを守らなくてはならない。
   
 
 



 

 
 
 相倉集落
から次は菅沼集落へ向かいたい。ところがバスの時間までまだだいぶある。
 地図を見るとそんなに遠くなさそう。そこで歩いて行くことにした。この考えはかなり甘かった…。

    
 
 



 

 
   
 小雨だった天気は、次第に強くなってきた。レインコートの中にまで水が浸み込んでくる。こんな悪天候の中、荷物を背負って歩くのはかなりつらい。
 1時間近くかかって、ようやく上梨集落へたどり着いた。

  
 
  ◆村上家(HP  
 



こきりこの里入口
「ささら」の形をしている
 

 
 
 五箇山は「こきりこの里」であるらしい。「こきりこ」は、「こきりこ節」あるいは「こきりこ踊り」とも言われる。1400年前から田楽として歌い継がれてきた、日本最古の民謡とのことである。
 上梨集落の入り口にも「こきりこの里」と書かれていた。
  
 
 



村上家
 

 
   
 五箇山の代表的な合掌造り住宅である
村上家住居では、いろりを囲んで「こきりこ節」を聞くことができた。
   
 
 





こきりこ節に使う楽器
左が「ささら」
(相倉民俗館)
 

 
   
 村上家住居は織田信長(1534〜82)と一向一揆衆が戦った石山合戦(1570〜1580年)の時に建築されたと伝えられている。五箇山の合掌造り住宅の中で最も古い建物であり、戦国時代の武家造りから書院造りに移行する過渡期の様子が残っている点で大変貴重とのこと。1968年に国の重要文化財に指定された。
   
 
 



村上家住宅内部の展示
 

 
  ◆白山宮  
 



白山宮
 

 
   
 上梨集落には白山宮という神社がある。
 奈良時代に泰澄大師(682〜767)が越中、飛騨国境の人形山頂に勧請したのが始まりと伝えられる、富山県最古の神社である。
 その後、1125(天治2)年に現在の地に移され、現在の建物は1502(文亀2)年の再建とのことである。 
   
 
 



本殿
 

 
 
 祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)。毎年、春と秋の祭りでは「こきりこ」が奉納されるそうである。1955(昭和33)年に国の重要文化財に指定されている。
   
 
 



 

 
 
 本尊の十一面観世音菩薩は秘仏で、33年毎に開帳される。前回は1986(昭和61)年で、次回の開帳は2019年ということだ。
  
   
 
  ◆流刑小屋  
 



流刑小屋
 

 
 
 五箇山は1667(寛文7)年以降、加賀藩の流刑地とされ、明治維新までに150人が流されてきた。例えば加賀騒動の大槻伝蔵(1703〜48)もこの地へ流されている。
 五箇山は流刑地であったため、庄川に橋を架けることは許されず、住民はブドウの蔓で作った大綱を張り、籠をそれに取りつけ「籠渡し」として行き来していたそう だ。
   
 
 



 

 
 
 流刑小屋には集落内に限って出歩ける「平小屋」、一歩も外へ出られない「お縮小屋」、小屋の中に更に狭い檻を作って閉じ込める「禁錮」の三種類があった。現在残っている小屋はお縮め小屋で、明治以降は物置として利用されていたが、1963(昭和38)年の豪雪で倒壊し、古文書を参考にして復元された。
 なるほど、五箇山は21世紀の現在でも行くのが大変な場所であるから、当時は地の果てといったイメージがあったのではないか。
  
   
 
 



五箇山名物のセット
 

 
 
 先を進む前に腹ごしらえ。五平もち、豆腐田楽、山菜蕎麦のセットがあったので、それを頂いた。
 菅沼合掌造り集落まではまだ40分ほどあるらしい。 
   
 
  ◆お小夜投身の地  
 



お小夜投身の地碑
 

 
 
 上梨集落を出てすぐのところに、「お小夜投身の地」と書かれた碑を発見した。「お小夜」とは誰かわからないが、女性がここから身を投げたに違いない。
    
 
 



小原ダム
 

 
 
 小原ダムがあって、ここから飛び込めば確かに死ねる。もっとも江戸時代にダムは無かったが…。
 後で知った話だが、「お小夜」とは、金沢の遊女で、加賀騒動に連座してこの地(小原)に流された。お小夜は当時21歳。7年の流刑生活の間に、村人たちに唄や踊り、三味線、太鼓などの芸事を教え日々を過ごしていた。 だがやがて、隣村の吉間と恋仲になり、子を宿したため、苦悩に耐えきれず庄川に身を投げたという。
 お小夜の悲哀を唄った「お小夜節」も伝わっているそうだ。今回は見なかったが、小原地区には、「お小夜塚」もあるそうだ。また、お小夜と吉間の出逢いの場であった女郎ケ池(現・民謡の里)では、毎年おさよ祭りが行われている。
   
 
 



 

 
  ◆菅沼合掌造り集落  
 



菅沼合掌造り集落
 

 
 
 相倉集落
から1時間半をかけて五箇山もう一つの合掌造り集落である菅沼集落へとたどり着いた。いやあまったく、大変だった。
  
 
 



 

 
    
 
菅沼集落は現在9軒の合掌造り住宅がある。相倉に比べると小ぢんまりとした集落だ。
    
 
 



 

 
   
 菅沼集落の合掌造り住宅の中で最も古いものは、江戸時代末期につくられたもので2軒。最も新しいものは、1925(大正14)年に建てられたものだそうである。
  
 
 



 

 
   
 五箇山は農作物に適さないことから、江戸時代は和紙や養蚕、あるいは鉄砲の火薬の原料である「塩硝(えんしょう)」が主な生産品であった。菅沼集落には五箇山民俗館と硝煙の館の2つの資料館がある。
     
 

 


14:03 菅沼 →(加越能バス)→ 萩町神社前 14:43
 

 
   
 五箇山からもう一つの合掌造り集落・白川郷までは30キロ。とても歩くのは無理なので、さすがにバスに乗った。
 五箇山は富山県で、白川郷は岐阜県にある。しばらくバスに乗っていると「岐阜県」の標識。県境を越えた。だが、すぐに「富山県」の標識。再び富山県に。だがまた「岐阜県」、「富山県」…何度も県境を越える。県境の庄川が蛇行しているため、川を越えるたびに何度も県境を越えることになるようなのだ。
 やがて、白川郷に到着。雨はいつの間にかすっかりあがっていた。
     
 
 


〈白川郷〉

 
 



白川郷温泉
 

 
   
 白川郷にたどり着くまでにすっかり雨に濡れて体も冷えたので、まずは温泉に入った。
   
 
 



地ビールはかまエール
左はジュン菜の梅酒
 

 
 
 楽しみの夕食。今回はちゃんとした温泉旅館なので、食事も豪勢である。 
 まずは地ビール「はかまエール」。正確には白川郷ではなく五箇山の地ビールらしいが…。コクのある味わい。
    
 
 



 

 
 
 メインディッシュは、飛騨牛のステーキ、鮎塩焼き、山菜の天麩羅、湯葉、豆腐田楽などなど。
   
 
 



地ビール麦やエール
 

 
    
 2杯目のビールは「麦やエール」。こっちはスッキリ系。
 今日は散々歩いたので、ビールが美味い!
  
 
 



雨上がりで轟々と流れる庄川
 

 
   
 それにしても今日は1日歩きまわってとにかく疲れた。しかしながら、白川郷の居心地の良さにそれもすべてふっとんでしまった気がする。
   
 
 

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