東山
八坂神社
所在地:東山区祇園町北側625(京阪電車四条駅 徒歩5分)
HP:http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/
開館:9:00〜16:00



八坂神社
 


 高台寺からねねの道を北へ。丸山公園の近くで神幸道を西へ曲がる。すると“祇園さん”の愛称で知られる八坂神社へとたどり着く。
 
 八坂神社。創建は656(斉明天皇2)年と伝えられている。江戸時代までは「祇園社」であったが、明治の神仏分離令の際に「八坂神社」と改められた。7月の祇園祭は葵祭、時代祭と共に京都三大祭とされている。
 現在の御祭神は素戔嗚尊(スサノオヲノミコト)、櫛稲田姫(クシイナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)の3神。
 ちなみに神仏分離令以前は牛頭天王(ごずてんのう)が祭神であった。この神がインドの祇園精舎の守護神であったことから、この神社も「祇園社」と呼ばれたわけである。日本では素戔嗚尊と同一神とみなされている。
  



八坂神社西楼門
  


 さて、この八坂神社は競技かるたとも関係が深い。
 御祭神の素戔嗚尊は、「古事記」によれば、最初の和歌である。

   八雲立つ出雲八重垣つまごみに 八重垣つくるその八重垣を

を詠んだ人物とされている。
 その関係もあって、毎年1月3日には、日本かるた院による「かるた始式」の奉納がある。僕も2002年に一度、見学しに来たことがある。
 日本かるた院というのは、競技かるたの元名人・鈴山透(1906〜98)によって設立された団体で、現在かるた競技の主流団体である「全日本かるた協会」とは競技方法などで一線を画す。その設立に至る経緯については「競技かるた史(2)」の「
4.競技かるたの復興」を参照して頂きたい。
 かるた始式の行なわれる能舞台も、この日はひっそりとしていた。
    



能舞台
  


 八坂神社の建造物のうち重要文化財となっているものは、1654(承応3)年建設の本殿を始め、1497(明応6)年建設の西楼門、1646(正保3)年建設の石鳥居など である。
 取り分け、本殿は、本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆った独特の建築様式から「祇園造り」と呼ばれている。
    



八坂神社本殿
   


 神社内には30近くの末社があり、見所もいろいろと多い神社である。
 境内を歩いていると、「忠盛燈篭」なるものを見つけた。この燈篭の由来は、永久年間(1113〜18)、白河法皇(1053〜1129)が愛妾・祇園女御の元を訪れようとこの辺りを通りかかった時、五月雨の降る夜で目の前に鬼ようなものが見えた。その際同行していた平忠盛(1096〜1153)によってそれが燈篭の火を守るために蓑を被せたものであったということがわかり、彼の思慮深さに人々が感心したという。「平家物語」に見えるエピソードである。
    



忠盛燈篭
   


 八坂神社の西、東大路通をはさんで、四条通に沿った繁華街を「祇園」というのは、もちろん「祇園社」にちなんでいる。この祇園は、京都有数の花街で、舞妓さんも大勢いるそうである。
 そういえば1月に二条城近くの居酒屋で偶然知り合った京大の大学院生と、祇園まで飲みに行ったことがあったっけな。昼の祇園は、また夜とは違った表情であった。 
   

(2006年5月20日)

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