Scratch Noise 「始まり1」



「うちは獣人に食わせる食べ物は置いてねぇ。よそを当たってくれ」

 店の主人の冷ややかな目に映っていたのは、明らかに人間ではない尖った耳だった。
 獣人。その言葉の通り、人ではなく二足歩行で歩く獣。しかし、獣といってもその姿は限りなく人に近く、見分けるには耳であったり、体毛であったり、種によって様々だ。

 食事取ろうと入った店で受けた侮辱。人間には、こうして獣人を差別の目でみる者達がいた。もちろんそんな人間ばかりではないが、多くの者が獣人と聞くと、こういった反応を示すのだった。
 自分達とは違う種族。しかも、彼等は皆、エレメンタルの力を持っているのだった。
 エレメンタルとは、この世に存在するであろう四大精霊の力を自らの体内に取り込み、魔術として放出する力の事だ。人間は自分達よりも力の勝っている獣人を恐れ、離れ、そして現代では、その関係は極めて薄いものになっていた。
 人間は、エレメンタルの力を恐れるが、しかし、ごくまれに人間であっても四大精霊と波長が合うものは、この力を使えると言われている。人によっては、家系に獣人が混じっていたせいだと言うものも居たが、結局のところは解らないままであった。

「それが客に向かっての態度かよっ!」

 差別とも取れる言葉に反応し、声を荒げたのは獣人と言われたカプリスではなく、人間のアヴェルスの方だった。漆黒という表現が似合う髪と青い瞳を持った少年は、店の奥で悠々と椅子に腰掛けている店主に向かって今にも殴りかかる勢いでカウンターを両手で叩いて抗議をする。
 そんな行動に、店の戸口で肩をすくめるカプリス。銀色で少し耳にかかった髪の間から尖った耳が見える。左耳には、銀の髪と対照に際立つ金色のピアスが印象的だ。カプリスは、荒れるアヴェルスにゆっくりと近づき、後ろから羽交い絞めにすると、まるで他人事のようにあっさりと言った。

「そんなに熱くならないでよ。一緒にいるこっちが恥ずかしい」
「はっ恥ずかしい!?何が恥ずかしいんだよっ!このハゲのほうがよっぽど人として恥ずかしいじゃねぇか!」
「オレがいいって言ってるんだから、いいじゃない。ほら、出るよ。どぉも〜 失礼しました〜」
「カ、カプリス!!離せっ!!」

 ずるずると音を立てるように、アヴェルスを店の外へとひっぱるカプリスとそれを呆れた顔で見つめる店主。それもそうだろう、何せ人間が怒り、それを獣人がなだめているのだから。





「離せって」
「もう落ち着いた?それなら離すよ」
「…… 落ち着いた。落ち着いたから離せ」

 羽交い絞めにした状態で数十メートルひっぱり、カプリスは、そうアヴェルスに確認するとゆっくりとその手を離した。

「お前悔しくないのかよっ!!」
「落ち着いてないじゃん……」

 手の力を緩めたとたんに、アヴェルスは振り返るとカプリスの胸倉を掴み勢いよく揺さぶった。血走った瞳に、カプリスは、ため息をつく。

「だけどさぁ、そんなにムキになる事ないんじゃない?よくある事だし?―― それよりも」

 胸倉をつかまれたままアヴェルスにそう言うと、やる気のない表情をしていた顔を一変させて、コレでもかというほど睨みつける。その表情にアヴェルスも一瞬言葉を詰まらせた。

「な、なんだよ」
「飯どうするの?あぁいう横柄な態度のオヤジは、獣人を下に見てるんだよ。下手に出れば、絶対食わせてくれた。それをあんな風に言っちゃってさ。こっちはすごくお腹減ってるんだけどぉ?」
「飯ぐらいどうにかなるだろ」
「聞き飽きたよその台詞…… あー、駄目だなこの街。お前さ、どっかで何か買ってきてよ」

 先程まですごい形相で怒っていたカプリスだったが、あまりの空腹のせいかお腹を抱えてその場に座り込んだ。自分が行けばきっと、今の店のように追い出されると思ったのか、それとももう歩くのが嫌なかのかは解らないが、そう言ってアヴェルスに訴えるような目を向けた。

「そんな目で見るなよ。気持ち悪い」
「何でもいいからさー。オレもう動けない。重いお前引っ張ったから体力なくなった」
「そんなに変わんねーだろ」
「ハイハイ。どーでもいいよ。とっとと買って来いよ、オレここにいるから」

 人間と違って、何かと不利な立場の獣人。その事を棚にあげて、面倒な事から逃れようとするカプリスをアヴェルスは睨みながら、仕方なく買い出しに出かけた。
 アヴェルスと一緒に居た時には、あまり感じなかったが、この街は獣人に対してかなり警戒しているのだろう。1人になったカプリスに多くの視線が向けられる。しかし、本人は、気づいているものの気にはしていないようで、座った体勢のまま空を見上げた。そこには抜けるような青空が広がっていた。

「…… お腹すいたなぁ、アヴェルスまだかなぁ」

 ぼんやりと空を見つめていたカプリスだったが、いきなり周囲をキョロキョロと見回し始めた。見に映る風景は、先程と変わらない街並み。人の往来があり、時々冷たい視線を浴びせられる。

「っかしいなぁ…… 何か変なの音がしような」

 首を捻り腕組みをしながら、気になった音を探るように目を閉じた。街のざわめきと、足音の向こう側になにかがある。そう思ったのか、少し難しい顔をして耳を澄ませた。

―― て、早く来て…… 

「なんだ?……オレ?」
そ、アンタ
「つーか、なんで会話出来てるの?」
…… 細かい事はいいの。今すぐ来て、風の神殿へ
「嫌だって言ったら?」
…… 来い
「うーん。まぁ、行くと一応言っておくよ」
絶対よ!約束したからね。…… もう、言葉を飛ばせる力が…… 残ってないの…… ハヤク、ハヤクキテ…… ウンディーネ……シシャ……
「ウンディーネ。死者?って……おい!ちょっと!?声、なくなっちゃったよ。ていうか、風の神殿ってドコ?…… まっ、いいか。アヴェルス来てからで。あーお腹すいたなぁ」

 能天気というかなんというか。自分の関心のないことには、一切興味を示さないタイプなのだろうか。声が風に乗って特定の人物へ届くなどという事は、普段では有り得ない事であるのに、その事すらも気に留めていないようだ。
 この大切な言葉が、アヴェルスに伝えられたのは翌日だった…… 。