わたしも街道をゆく/1989年/中国地方へ
わたしも街道をゆく 1989年 中国地方へ


1989年8月10日 東京から広島へ 本日の走行距離968Km

渋滞東名高速

 ああ眠い。早朝(というか夜中)出発はいつものことだけど最初から眠いなんて事はないのに、通りまでVTZを出してエンジンをかけ(家の前でかけるとうるさいんだよな)、ヘルメットをかぶった途端に、眠い。

 12時半頃出発。今日あたりからお盆休みの所も多いんじゃないかな、と心配したけど、R246はすいててホッとする。
 用賀から東名高速へ。高速と合流するこのスロープを、速度を上げながら登っていく時、やっと、ツーリングだっ! という気になってきた。
 高速もすいている。すいてるんだけど走ってるのがほとんどトラック。乗用車なんて全然走ってない。でっかいトラックに囲まれながら走るのはかなりつらい。

 名古屋の手前で夜が明けた。真っ赤な太陽が昇ってゆく。ちらちらと脇見をしながら、今日からの1週間、毎日晴れてね、とお願い。

 いいペースで走り続ける。ダメだよ時速140kmも出しちゃ。が、こんなハイペースなのになぜか電光表示に、『栗東より先10km以上渋滞』だって。嘘だあと思ってたら、わ、渋滞。それもノロノロ運転じゃなくて唐突に止まって、車の列。

 延々20kmに及ぶすりぬけのあと、渋滞の原因が判った。事故だ。現場検証のために一車線になっている事故現場を過ぎると、事故車と思われるトラックが2台、運ばれて……なんで2台とも前がつぶれているの? どういうぶつかりかたしたの? うーん、不可解。

中国道パニックブレーキ

 相変わらずガラガラの中国自動車道で、今日の反省その1。小型トラックに追い越された。追い越すのはかまわないよ、かまわないけどちゃんと追い越し車線に出てから抜いてよ! なんですぐ横を抜くんだよ。もしも私が少しでも走るライン変えたらどうなるのよ、バカヤロー!…と怒った私は140km位出して、ざけんじゃないよと追い越した。とその時、なんと小型トラックの前にいた車がウインカーを右に出しているじゃないの。わー来るな来るな車線変更するなあーっと焦った私はVTZのブレーキを軽くかけた……のだが同時にリアブレーキまでかけちゃった、ちょっとだけど。もしも、もっとパニクってて思いっきりリアブレーキをかけていたら…ぞぞー。若き命が中国自動車道のしみとなってたかもしれないもんね。ああ、短気は損気だ。

 反省のために、100kmしか出さないで走ることにした。なんせガラガラの道でこれは辛い、けど頭冷やさなくっちゃね。でもこれが幸いした。スピード違反の取り締まり、やってるやってる。140kmなんかで捕まってたら60kmオーバー、免停じゃ済まなかったりして。(今から思えば本当に捕まらなくてよかったのだ)
 その後も安全運転を心がけて走り、10時半過ぎには津山インターをおりる。

高速道路でコンタクト紛失未遂

 R53を走りながら、どうしようかこのあと、と考える。道沿いのスーパーの駐車場でジュース飲みながら地図見てたら、駐車場の係のオッサンに邪魔だと追い出されちまったい、旅の者に何の温情もない町なのね。(本当は、場所移動してもらえませんかって言われただけなんだけど)

 しばらく走っているとおや、止まれの旗が見える。検問かしらこんなとこで。前の車の後に付いて、警官が誘導する駐車場へ入っていくと…なんだ、地元婦人会のお母さんたちが安全運転のビラとかティッシュとかを配ってる。警官まで出動しちゃって、暇なのだろうか。

 また見たい大好きな瀬戸大橋、でも一般道で行く時間もない。そこでR2に出て早島から瀬戸中央自動車道にのっちゃう。
 ガラガラの高速、ついそのまま瀬戸大橋を渡って四国に行っちゃいたくなる。
 …あ、痛い、目にゴミが入った。コンタクトだからすごく痛いんだよね。涙を流してゴミを取ろうとするけどなかなか取れない。我慢できずに路肩に停止。外してみたらまつげが付いてるじゃん、これじゃ痛いよ。ペロッとなめて再び装着…しようとしたらポロッと落ちた。慌てて探す。な、無い。服にも付いてないみたい、バックの中に落ちたわけないよね、這いつくばるようにして地面もさぐるけど見当らない。片方しかコンタクトが入ってないのでよく見えない。時々そばを通る車が、怖い。風で飛んでっちゃったのかなあ。
 あーあ、夏休みのツーリング、今日でおしまい? でも帰るったってよく見えない眼鏡しかないし、どうするの。もう1回、落ちた所を辿ってみる。あ! あった。ジーンズの膝のうえにいた。良かったあ本当に。こんなにホッとした事ってないかも。
 今度は慎重にコンタクトをつける。気を取り直して出発。

 児島インターで写真を撮ってたら係員のオジサンがシャッターを押してくださった、ありがとございます。
 うーん、やっぱり瀬戸大橋は絶対かっこいい。いちばん手前の、下津井瀬戸大橋が見える所でしばし見とれる。また走りたいなあ。
 鷲羽山にも行きたかったけど、ちょっと時間的に苦しい気もするので(ああだから決まった休みしかないツーリングってつまんない)次の機会を楽しみに、再び瀬戸中央自動車道を走ってR2に戻る。

ああ尾道

 ここから始まる辛いツーリング。今までのうちで多分一番、精神的にも肉体的にも苦しかった。VTZも疲れ切ってるし、史上最悪のコンディション。
 R2は、山陽地方の幹線道路。観光道路であり、産業道路でもある。ゆえに、ものすごく混んでいるのである。笠岡市あたりから車が繋がってきた。福山、頭がボーッとしてきた。VTZのチェーンがやたらとカシャカシャしてうるさい。
 コンビニエンスでリアルゴールド飲みながら見るとチェーンがだらだらに伸びていて、今にもはずれてしまいそう。まいった。たしかつい最近張ったばっかりだよねえ、張り方がおかしかったのかなあ。バイク屋さんに行こうっと。

 尾道市に入った。坂の町、文学の町、そして映画『転校生』の舞台になった町、あのお寺の石段が見たい。林扶美子の『放浪記』だって読んだ。千光寺公園から見る瀬戸内の風景……。
 なのに私が実際見たのはバイク屋の看板だけ。あったあった、と近づいてくと自転車屋がついでにスクーター並べてるようなお店ばっか。国道沿いの古びててとっても風情があっていい感じの町並みの中を、ない、ないとただ走るだけの私、ばかみたいで悲しい。

 あーあ、尾道、終わっちゃった

 道が海沿いになった。ほら、瀬戸内海か広がってる、なのにこの渋滞ときたら。海を眺める余裕もなく、ただもうすりぬけをするだけ。
 三原市、まだまだ渋滞は続く。ついにバイク屋発見。それもホンダウイング店。私のバイクはホンダです
 チェーン張りをお願いする。愛想の悪いオヤジサンが全身から「チェーンも張れないくせに一人で走るんじゃねえ」という雰囲気を漂わせつつ、黙々とやってくれた。工賃300円なり。よかったねVTZ、取りあえずあんただけでも元気じゃないと。

ツーリングは修行なのか?

 …もう駄目だ。信号待ちで「あーあ」とタンクバッグに頭のせてふっと目を閉じたらそのまま眠りに引き込まれそうになった。
 「がんばれがんばれ」虚しくヘルメットの中で叫ぶ。でもそんなことじゃ目は覚めない。
 走りながら目をはっきりさせようと、ギューッと固く両目をつぶった。あ、駄目。また寝そうになっちゃった

 東広島市。なんだか薄暗くなってきた。セブンイレブンで最後の休憩。ユースに電話をかけて場所を確認。近くまで来て聞いてください、なんていい加減なことを言われた。

 やっと広島市に入った。すっかり日も沈んでしまう。さすが政令指定都市だけあってでっかい建物は多いし、交通量は多いし、わっかりにくいなあもう。
 とりあえず目標は広島城。ライトアップされててかっこいい。ここを曲がって、さてともうすぐだねと思いきや、ここからが長いこと長いこと。

 細い一車線にぐしゃぐしゃに車とスクーターがひしめいて、ちっとも前に進まない。疲れと暑いのでますます頭がおかしくなりそう。視力も落ちてきたみたい
 ぼろぼろになった頃、よーしここだ、と曲がったところが大間違い。渋滞してるもんだからもとの位置に戻るのが又時間がかかるんだこれが。すりぬけ出来る精神力は、もう無い。いいよもう勝手にしてよと渋滞の中、エンジン切っちゃってボーッと待つ。(右折だから動かないんだ全然)

 8時。着いた…こんな辛かったことって、オートバイに乗り始めてから初めてだ。よくぞ無事に、事故らずに走れたよね。家を出てから19時間半、もうドロドロ。今日は本当に死んじゃうのかもしれないって思いながら走ってたもの。
 どこかで花火が鳴ってる。そんなの見る気力なんてないよ。すっかり一番最後になってしまった夕ご飯を、疲れてて箸が進まないけどちょっとだけ食べ、お風呂に入って排気ガスだらけの体を洗う。

旅する犯罪者

 気力体力共に使い果した私をショッキングな事実が襲ったのは、バックの中を整理してるときだった。あれ、定期入れがない……ということは、その中に入れている免許証は? 落としたか、いやちょっと待てよツーリング準備完了してから定期入れだけ出して会社に行くバッグに入れたんだ。家に電話をかける。まさしく会社に持ってったバッグに、私の定期入れは入っていた。
 免許証不携帯! ど、どうしよう、青ざめる私。でも取りに帰るわけにゃいかないし、よし絶対に捕まるもんか。昼間140km出してた時捕まらないで良かったなあ、ほっと胸を撫で下ろしながら、眠りに就いた。