このアーティクルについて
これは、1993年10月から11月にかけて、PC-VANの歴史への招待というSIGに発表したものの原稿です。平気で半角カナ使っていましたね、さすがパソコン通信。もちろんここに掲載にあたっては直していますが。一応主婦ですから、とか書いてあるのも笑っちゃいますね、とほほ。
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江戸時代の料理1 徳川将軍は何を食べていたか? 江戸時代の料理2 徳川将軍は何を食べていたか? 江戸時代の料理3 『料理物語』より |
江戸時代の料理1 徳川将軍は何を食べていたか? 前稿にて、徳川将軍たちの遺骨から、その歯がほとんど摩耗していないことに ついて言及しました。さて、歯が擦り減らないだなんて、一体彼らは何を食べ ていたのでしょう。 ※前稿はココ ◆徳川将軍の日常の食生活 日常の将軍の食事には、調理人から毒味役を経て盛りつけ役へと10人もの 手を通ってから将軍へと運ばれてきます。1汁2菜が基本で、おかずは豆腐、 鶏卵、刺身が主でした。具体的には、アカエイ繊切り・赤貝丸煮・サザエ壷焼 き(繊切り)・ハマグリ吸物・ハマグリ焼物・アワビ刺身・蒸しアワビなどで、 煮物などはどれもかなり柔らかく作ってありました。 肉類では鶏肉がたまに出るくらいですから、当然栄養は偏ってしまいます。 例えば14代将軍家茂の死因は脚気といわれていますが、これもビタミンB1 の欠乏が原因の病気です。 ヘタなモノを食べさせて万が一のことがあったら困りますから、日常の食事 には日々それ程の変化はなかったのではないでしょうか。 ◆将軍はどんな料理でもてなされたのか 日常生活では変わり栄えのない食事をしている将軍でも、お呼ばれをした時 には、豪華な料理で饗応されます。食膳の上をちょっと覗かせていただきまし ょう。 以下は『江戸料理史・考 日本料理草創期』著:江原恵(河出書房新社)から です。 まずは寛永7(1630)年4月6日、仙台藩主伊達政宗は江戸桜田の自邸 に、3代将軍徳川家光を招待し、もてなしました。まずは数寄屋にて饗応です。 記録は『伊達氏治家記録』に残っているものです。 御数寄屋御料理膳部 御本膳杉木具(節の無い杉製の足附の折敷〜一つ目の御膳) 一酒ヒテ(酒浸 サカビテ〜酒に塩を加えて魚介類を漬ける料理、続いてその中身 が書かれている) タヒ(鯛) アワヒ(鮑) ヨリカツホ(より鰹〜薄く削った鰹節〜これは酒浸の上に乗せる) ユ(柚〜これを一番上に置く) 一御汁鶴(鶴の吸物) タケノコ シイタケ 一煮アヘ(煮物) ミルクヒ(みる貝) 一御メシ 御二杉木具(二つ目の御膳) 一ケリ、ヤキ鳥(ケリはチドリ科の鳥、その焼き鳥) カマホコ(蒲鉾) カウノ物(香の物〜ケリからこれまでが同じ皿に盛られている) 一塩山椒 一御汁 小菜(コナ〜つまみ菜の一種) 御引菜(引物台という台に乗せて膳に添えて出す) 一フナノスシ(鮒のなれ寿司) ヤキアユ(焼き鮎) 一タイノコイリ(鯛の切身をほぐした卵巣と一緒に煎り煮にしたもの) 一タコイリモノ(生蛸を薄くそいで煎酒でさっと煮る) 一御吸物 小アユ 御肴 一タイラキ(平貝) 一塩引(魚の塩漬け) 一コホウ(牛蒡) コサイ(未詳、小菜?) 御菓子 一ヨリミツ(ヨリミズ〜上新粉に砂糖を混ぜて練り算木の形に作って細長くひ ねって、ゆでるか蒸したもの) エタカキ(枝柿) イロ付イモ(色付き芋〜長芋をくちなしや紅で染めたもの) さて、ここまでが終わると席を変えます。表座敷の数寄屋から奥の台所に近い 座敷に移り、膳も改まります。 御勝手七五三(七五三は7+5+3=15種類のものが出ること、ここでは箸 を除けば15種類になっている) 一塩引 一タコ 一カマホコ 一御ハシ(箸) 一アヘマセ(和え混ぜ〜寒天、蕨、うど、山芋、土筆、芹、じゅん菜等をその 季節によって取り混ぜて煎酒で和える) 一御ユツケ(御湯漬飯〜テシホ、カウノ物はこれのためのもの) 一御テシホ 一カウノ物 一フクメタイ(干し鯛を細かく砕いて擂り鉢ですってそぼろのようにしたもの) 一コヲケ(小桶?) 一カラスミ 一サメ(干鮫を薄く削ったもの) タリ(?) 一御汁 アツメ(集め汁〜魚鳥野菜をいろいろ寄せ集めた汁) 一マキスルメ(巻き鯣〜するめを藁しべで巻いて縛り湯で煮て輪切りにしたもの) 一クラケ カイモリ(クラゲの貝盛り〜鮑の貝殻にクラゲの酢の物をもったもの) 一御汁 鯉 御三 一ハモリ(羽盛〜雉の焼鳥を雉の羽を敷いた上に盛った) 一御汁 白鳥 一サヽイ(サザエ?) 一フナモリ(伊勢海老の舟盛) 一御汁 タイ 御肴 一御吸物 ウノハナイリ(卯の花いり〜烏賊に包丁目を細かく入れて卯の花のようにした) 一フクライリ(干鮑の柔か煮) 一フナ 一カラスミ 一ヤキカイ(焼き貝〜干貝を焼いたもの) 一オキツタイ(興津鯛〜興津名産の甘鯛の干物を焼いたもの) 一水クリ(水煮の栗) キンカン 一ヤキイカ 御菓子 花トンホチヤウニマツ(花、蜻蛉、蝶、松の作り花) 一ヤキフ(焼き麩〜生麩を焼いたもの) 一アルヘイ(有平糖) 一クルミ 一ヨウカン 一マンチウ(饅頭) 一ミツカン(蜜柑) 一ムスヒコンフ(結び昆布) 一枝柿 一カヤ(カヤの実の中の白い仁を食べた) この後、能を見たり、家光から政宗への下賜品、政宗から家光への献上品の 交換があって、無事、饗応は終わります。 ところで本膳に「鶴」というのが出てきますが、これはまさしくあの、鶴で す。勿論日常的なものだった筈はありません。この日の鶴料理には添えられて いませんが、間違えなく鶴であることを示すために、鶴の足の筋を添えて出す ことをしていたといいます。 いやいやそれにしても、なんと多種多様な料理なのでしょう。この年から1 9年後に出された慶安の御触書のことを考えると、ふざけんじゃない!と言い たくなります。 ところがこれはまともなほうです。なぜなら全て「食べる」から。 式三献という饗応料理の献立の形式が、室町期からはじまっていますが、政 宗のこの料理には式三献は取り入れられていません。 式三献とは何か、なぜ政宗邸での饗応にはそれが取り入れられていなかった のか… 参考 『江戸時代料理史・考 日本料理草創期』著:江原恵 河出書房新社 |
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