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 骨は語る

このアーティクルについて
これは、1993年10月にPC-VANの歴史への招待というSIGに発表したものの原稿です。どうやら本の紹介ですね。

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『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』より1
『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』より2



『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』より1 

『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』著:鈴木尚 東京大学出版会

芝増上寺にはご存知のように徳川将軍およびその正室側室、子女が葬られてい
ます。この本には昭和33年から35年に掛けての1年6ケ月にわたる遺骨改
葬の際の調査がまとめられています。
棺の中に隠された将軍の真実とは!?…はちと大げさですが、意外な素顔を発
見することが出来るかもしれません。

ご登場なさるご遺体(←ちょっと変ですね)登場順です。

徳川秀忠  2代将軍
  綱重  家光の子・家宣の父
  家宣  6代
  家綱  7代
  家重  9代
  家慶  12代
  家茂  14代
崇源院   秀忠正室
天英院   家宣正室
広大院   家斉正室
天親院   家定正室
静寛院   家茂正室、和宮
桂昌院   家光側室・綱吉実母
月光院   家宣側室・家継実母
契真院   家斉側室
見光院   家慶側室
殊妙院   家慶側室
そして 徳川義勝・義宜、伊達政宗・忠宗・綱宗、内藤家6代から13代、水
野家8代から14代、牧野忠鎮、黒田藩家老久世家、内藤家、水野家の女性た
ち(義勝以降の人々の埋葬場所は芝増上寺ではありません)

だいたいどなたも頭蓋骨、体の骨が残っていますから、顔の形や体格がわかり
ます。しかし秀忠の遺体は棺の蓋が朽ち、落下した小石の圧迫で圧縮されてい
て顔の形はわかりませんし、家継は棺に水が入ってしまい保存状態が悪く、骨
格は残っていません。家継は7才ほどで亡くなったことを考えると何も残って
いないというのも悲しいような、もし小さな遺骨が残っていても痛ましいよう
な…。

では分かりやすく数字で将軍達の姿を見てもらいましょう。ここでは徳川将軍
4名と、正室2名、側室2名に登場願います。(本書には上記の人たちのうち
データが計測できるものは全て載っています)

計測値について説明しておきます。
身長:足の骨から算出した推定身長(単位cm)
脳頭蓋容積:将軍のみのデータ(単位cc)
顔示数:(顔高÷頬弓幅)×100 顔高は鼻の付け根から顎までの長さ、頬
    弓幅は耳の付け根から付け根までの幅つまり顔の幅のこと、この数字
    が小さいほど丸顔ということ
下顎枝幅:上手く説明できませんが(情けないなぁ)顎の幅を示すもの。小さ
     いほど顎が発達していないということ。顔を正面から見た時の顎の
     幅ではない。(頭蓋骨の横顔を想像して下さい。その時の奥歯の横
     から耳の下にかけての骨です)(単位cm)
現代、江戸、鎌倉の各データは、現代〜1984年、江戸〜17、8世紀、
鎌倉〜14世紀の数字(もちろん江戸、鎌倉は推定数字も含まれます)


       身長      脳頭蓋容積     顔示数     下顎枝幅
家宣   160.0     1680    100.7      35

家重   156.3        1530         98.6          29

家慶   154.4        1820        111.1          29

家茂   156.6        1590        107.6          26

庶民(男性)
現代   168.75      1551.8      93.1        33.1

江戸   157.11          −            88.3        35.4

鎌倉   159.0        1452.2   86.1    36.6

天親院  147.8      −     104.2     33

静寛院  143.4      −     100.0     32

桂昌院  146.8      −      88.5     38

殊妙院  147.9      −      97.6     32

庶民(女性)
現代   155.9      −      92.2    31.1

江戸   145.62     −       −      31.1

鎌倉   146.09     −      84.5    34.8


さて以上の数値から何がわかるでしょう。

*身長はかなり低め、一般庶民よりも低かったようですね。私などは166
cmですから家慶さんより12cmもデカいのです。並んだら髷が上から眺め
られます。

*女性方もみなさん小柄です。華奢でもあったようですから、正装すると着物
が重たくてさぞ大変だったのではと、余計な心配をしてしまいます。

*鎌倉→江戸→現代、の庶民の身長の変化を見て下さい。なぜか男女とも、鎌
倉の頃の方が大きく、江戸期に入ると小さくなっています。南北朝から室町、
戦国時代に何かがあったのでしょうか?

*男女ともに身長よりも庶民との差が激しかったのは顔の形でしょうか。本書
には江戸時代庶民の2つのタイプとして、丸顔で鼻が低く、反っ歯の旧時代か
らのタイプ(北斎漫画タイプ)と、面長で鼻が高く、反っ歯の程度の弱い、い
わば現代的なタイプ(美人画タイプ)をあげています。ところが将軍たちはこ
の2つのどちらとも違う、超現代的な貴族形質を有しています。馬面といって
もよいような面長な顔に、顎が狭いのに歯の大きさが変わらない為の反っ歯や
下顎の突出がその特徴です。

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『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』より2

それでは個々の人物たちの特徴を見てみましょう。全部書くと、読む楽しみが
なくなっちゃいましから、ほんの少し…。

◆秀忠
 のちの将軍らと比較すると筋肉の発達がよく、戦国武将として鍛錬されてい
たようです。腕やすねに体毛も残り、かなり男っぽかったんではないでしょう
か?
◆家宣
 ひどい猫背だったようです。父綱重からの遺伝に加えて運動不足など日常生
活にも原因があったのでは。
◆家重
 吉宗の長男でもあった彼は、手元の『日本史辞典』(角川書店・第2版)に
も「生来虚弱な上に言語不明瞭」と書かれていますが、これは残された骨から
もわかることです。歯の局部的な擦り減り方や下顎の状態から、常時歯ぎしり
をしていたことが想像されます。ただ、本書に出てくる将軍たちの中では、最
も美男子であった、ということです。副葬品の中に臍の緒などと共に、一生の
分と思われる量の手足の爪の切りくずがあったというのは、何かの理由がある
のでしょうかね?
◆家慶
 背が低いわりに頭がかなり大きく、6頭身くらいだったようです。彼には貴
族形質がかなり如実にあらわれています。将軍や室らもそうですが特に歯が擦
り減っていないことは驚くべきことです。歯の表面のエナメル質にほとんど咬
耗がありません。いかに柔らかいものばかり食していたかということがわかり
ます。
◆家茂
 立派な髷に結った頭髪も残っています。甘いものが好きだったようでかなり
虫歯がひどく、軽度なものを入れると97%の歯が虫歯でした。奥歯は、穴が
あいた状態にまでなっていました。
◆広大院(家斉正室)
 あの絶倫(!)将軍家斉の正室だった広大院は、頭骨が小さくて鼻根が高く、
均整のとれた美人だったようです。
◆天親院(家定正室)
 身長147cmと当時としては長身に小さな頭部と、典型的な第一級の美女
だったようです。あとで述べる静寛院(和宮)と同様に、大腿骨の捻転角(大
腿骨の膝での内側へのねじれ角、それが大きいほど内股ということ)が57°
ほどもあります。現代人では20°、江戸期の庶民で14°ですから、想像を
絶する内股だったわけです。それは生まれつきのもの(病的なもの)ではなく
後天的なものですが、彼女の出自が関白家であることを考えれば、なるほどと
頷けます。
◆桂昌院(家光側室・綱吉生母)
 庶民の出自であることは遺骨からもわかります。顔も比較的丸く、顎もしっ
かりとしていたようです。

◇正室と側室
 京都(朝廷)との協調の為、将軍たちの正室は京都から、あるいは大藩の藩
主家から迎えられることが通例となっていました。お飾り、ということですね。
生まれながらの貴族の血を持っていたことで将軍たちと同様です。彼女たちは
華奢な体ゆえに次代将軍となる子供を産むことはありませんでした。ところが
側室は、もともと庶民(下級役人)から出て女中として奉公し、お手付きにな
って出産、側室という身分に出世?していくわけです。
 同じ将軍の夫人たちといっても、骨はその出自を正直に語っています。
 顔の形はどちらも面長ですが正室の方が細長い傾向があるようです。頬骨は
正室は発達が弱く側室は庶民なみの発達をしています。鼻根の隆起は正室より
も側室のほうが高くなっています。顎の狭さの為に反っ歯の度合いは正室に強
く、側室は現代人並みだったようです。

『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』の紹介は以上です。この本の中には
将軍や夫人たちの頭骨の写真が満載(?)ですから、一度見てみるのも面白い
のでは?

さて、朝廷との協調のために京都から徳川家に正室として入った女性の中で、
一番有名な人といえば、和宮ではないでしょうか。彼女については稿を変えて
書くことにします。

ところで、将軍たちは歯の表面さえ擦り減らないような食生活をしていたよう
です。いったい何を食べていたんでしょう?これも稿を変えます。

資料
『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』著:鈴木尚 東京大学出版会
 ISBN4-13-061074-0 C3039 P4326E

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