絵物語の作家たち
今まで山川惣治のライバルたちとして紹介してきたひとたちは、大きく四つにわかれます。
(1)絵物語と挿し絵を書いた画家たち(2)挿し絵は書いたが絵物語は書かなかった画家たち(3)絵物語しか
書かなかった画家たち(4)絵物語で出発して、マンガ家に転向したひとたちです。
(1)には山川惣治、小松崎茂、福島鉄次(冒険王の表紙を書いていた)、永松健夫、岡友彦(大人の挿し絵を書いた?)、伊藤幾久造、
玉井徳太郎、山口将吉郎、宇田野武/武部本一郎、石井治(大人の挿し絵に転向)、阿部和助、白井哲、中村猛夫、岩井泰三、梁川剛一、
古賀亜十夫、(2)には椛島勝一、鈴木御水、伊藤彦造、(3)には南部高麻夫、(4)には桑田次郎、吉田竜夫、小島剛夕がいます。
桑田次郎はマンガでデビューし、一時絵物語を書き、またマンガへ戻っていきました。また大城のぼるは、おそらくただ一度だけ、
絵物語を書きました。
挿し絵と絵物語の両方を書いたひとがいちばん多いのに気がつくと思います。絵物語は挿し絵の技法で書かれた絵を文章と組み合わせた
ものなのです。(絵の数としては、見開き2ページに2枚以上。)
少年雑誌のビジュアル化に伴い、読み物よりも挿し絵に重点を置いた絵物語が勃興し、挿し絵画家たちは、一ヶ月に何枚もの絵の
構図を考えなければならなくなり、たいへん忙しくなりました。しかしその行き着くところは、読み物も、絵物語も激減し、マンガのみ
が残る時代の到来でした。
挿し絵も絵物語の仕事もなくなり、ある者は大人の挿し絵画家に転向し、あるものは少年週間誌のカラー口絵やプラモデルのボックス
アートを書き、ある者はマンガ家となり、ある者は文庫本のカバー絵に活路を見い出し、ある者は静かに消えていきました。
山川惣治のライバルたちが活躍した時代は短かった。ほんの十年くらいの間でした。たとえば挿し絵画家だった伊藤幾久造が小山
勝清・文の絵物語「少年宮本武蔵」を書いたのが昭和29年から昭和32年、久米元一・文の「少年源為朝」が昭和33年です。その
後、絵物語は書いていないでしょう。(挿し絵も書いていないかもしれません。)たったの4年です。