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山川惣治と小松崎茂

ryuuko

山川惣治と小松崎茂がなかよしだなんて、絵物語の全盛期にはすこしも知りませんでした。はじめ てそのことを知ったのは筑摩書房の「少年漫画劇場」第1巻に「少年王者」と「大平原児」が一緒に収録され、巻末の 対談で二人が戦中からのつきあいについて楽しく語らうのを読んでからです。絵物語の短い時代が過ぎ去ってから でした。

「少年王者」の山川惣治が「宇宙王子」や「海底王国」の小松崎茂となかよしだとは、なんという不思議なめぐりあわせ であろう、と当時思ったものです。二人の作品の傾向は全く違ったものだと思っていました。密林絵物語の王者である 山川惣治と、科学絵物語王国のプリンスである小松崎茂が肝胆合い照らす仲とは、まったく愉快なことでした。

ちょうど三島由紀夫と武田泰淳が中央公論社の文芸雑誌「海」で、楽しく対談しているのを読んで、読者である私たち が幸福に感じたのと同じでした。武田泰淳氏は三島由紀夫自刃のニュースを聞いてふとんを敷いて寝込んでしまった そうです。三島氏の戒名はお坊さんでもある武田泰淳がつけたと聞いています。

山川惣治は「少年漫画劇場」の対談の中で「小松崎茂だけはすごい奴だと思っていた、ほかの作家はあまり意識する ことはなかった」というような意味の発言をして、二人のほかに論ずべき絵物語作家なしというように調子よく雰囲気 をもりあげていました。この選集に絵物語作家としてひとりだけ別の巻に「砂漠の魔王」が収録されていた福島鉄次 などがこれを読んだらむっとするかもしれませんし、収録されなかった岡友彦などは露骨にちぇっと舌打ちした かもしれません。

絵物語の時代が終わってしまってから、山川・小松崎のお二人はいっそうなかよしになられたのではないでしょうか。 ちょうど、大鵬と柏戸がともに引退し、お互い病気をしてから仲良くなったように。「少年漫画劇場」の対談時、山川惣治 は雑誌「WILD」が失敗して引退したあとと思いますし、小松崎茂は「このごろはプラモデルの箱の絵を書く方が多い」と 発言しています。

今や小松崎茂の伝記作家となった感のある根本圭助氏は、光人社刊「異能の画家・小松崎茂」や別冊太陽「新世紀少年密林大画報」 の中で、お二人の晩年の友情とくに小松崎氏の先輩に対する思いやりについて繰り返し語っています。

オードリー・ヘップバーンがなくなったとき、「世界はもっとも愛すべき天使を失った」と哀惜のメッセージを送ったのは、 エリザベス・テーラーでした。なぜリズ・テーラーが。それは以前にオードリー・ヘップバーンが、「自分は鼻の穴が大きい のが欠点で、本当の意味で美人ではない。私たちの時代の女優の中でいちばんの美女は、私の見るところ、エリザベス・テーラー です。」(週間朝日93.2.5)と発言していたのに答えたのです。ほとんど引退していた往年の名女優たちは、競争心を捨てて、 お互いをみとめあったのでしょう。

「ゴジラ」の名監督・本多猪四郎は黒沢明とともに、山本嘉次郎監督の助監督でした。映画界が斜陽となり晩年フリーとなった 本多猪四郎は「影武者」以降の黒沢作品に監督補としてつきました。名作「ゴジラ」の監督であるあなたがなぜ?と周囲が いぶかっても本多氏は意に介さなかったそうです。山本監督の下で一緒に働いた若き日々を思いだして、二人の老監督は 映画を作る喜びをわかちあったのです。

別冊太陽「少年マンガの世界1」の中で、小松崎茂は山川惣治との友情について、「先に死なれちゃってさ、武田信玄に 死なれた上杉謙信みたいなもんだよ」と書いています。


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