14.山川惣治のライバルたち 小松崎茂3
絵物語ではありませんが、小松崎茂といえば、少年雑誌の巻頭をいつもかざっていたカラー
口絵と、サンダーバードなどのプラモデルの箱絵について言及しないわけにはいきません。
このうちプラモデルのボックスアートについては、多くの熱狂的なファンがホームページをつくっておられると思う
ので、このサイトでは巻頭口絵についてのみ取り上げます。
上の絵は講談社刊・少年少女世界科学冒険全集第3巻「宇宙探検220日」マルチノフ作木村浩訳/1956年発行の巻頭
口絵です。小松崎茂の表紙絵と巻頭口絵のついたこの全集は、雑誌なみの売れ行きを示したそうです。私たちの世代
も近所の図書館でこのシリーズを熱狂的に読んだものでした。諸外国の空想科学小説作家と小松崎茂の描く夢に陶然
としたものでした。1957年にソ連が最初の人工衛星スプートニクを打ち上げ、宇宙旅行ブームがおきていました。
現在、この口絵を見ると、遠い惑星の物語を半ば現実のものとして、つぎつぎと読んでいった日のことがなつかしく
おもいだされます。バッタの足をした恐竜が火星にいると考えることはその当時でも無理がありました。けれどもそ
うして空想をはばたかせるのも、素晴らしいことではないかとおもっていました。私たちは小松崎茂の口絵だけに
感動したのではありません。空想小説自体に私たちの胸を熱くするなにかがありました。私たちは本気で、火星の
衛星の名前を憶えました。フォボスとダイモス。それらは神秘的な響きで私たちにせまってきました。それらは
すばらしい冒険物語の舞台だったのです。
15年ほどたつと人類は月に到達し、宇宙へのロマンチックな夢の時代は終わりました。この全集の口絵は人類が
宇宙に最も夢を持っていたころの記念碑として残るでしょう。
絵物語の時代の終わりに小松崎茂は挿し絵の方向へ軸足を移して、活動を続けました。それはかしこい選択でした。
まんがに似せて、絵物語のコマを小さくして、コマ数をふやし、スピーディーな展開にしたり、まんがのように単純
な線にしたりしても絵物語の回復はできませんでした。まんがのように単純な線とせず、まんがのようにコマ数を
多くせず、むしろ反対の方向へ向かうこと、1枚の絵を精密に描き、色をつける挿し絵、口絵の世界こそ、まんがに
伍して、独自性を保ってゆける道でした。
小松崎茂は科学空想アートでの第1人者だったので、少年雑誌の世界で生き延びることができました。山川惣治は
ペン画では小松崎に負けませんでしたが、色のついた絵では一歩も二歩もゆずりました。少年王者の巻頭口絵は
まだ紙芝居風でした。少年ケニヤでも最初のうちはそうでした。山川惣治は少年ケニヤの巻頭口絵を1枚かくごとに
上達してゆきました。かれは自分でそのことをよく知っていました。角川文庫で少年ケニヤなどが復刻されたとき、
山川惣治は愛読者への挨拶の中で、巻頭の彩色口絵は以前よりも上達したと言っていました。彼自身研鑽を積んで
いたのです。