13-26 ジャングル物語の系譜 その他のターザン映画
ワイズミューラー主演のターザンシリーズ第3作「ターザンの逆襲」(原題はTarzan escapes)
のビデオを貸しビデオで見たと思うのですが、記録をとっておらず、その貸しビデオ屋さんが廃業したので、確認
できません。たしか、「---復讐」によく似た題名だったように思います。
「少年ケニヤ」のゴンザ族の酋長アーバの冠とそっくりのものが出てきたように思います。
「ターザンの逆襲」は昭和12年に日本初公開。ですからすくなくとも日本人は昭和12年までは、アメリカ映画を楽
しんでいたのです。それが昭和16年12月アメリカと戦争を始めて、わずか数年で敗戦。---アイデンティティーを
失った日本人は途方にくれました。占領してきたアメリカ人にどのような顔をすればよいのか。そして必死になった
日本人の大部分はこう思ったに違いありません。「自分達はちょっとの間、悪い夢を見ていただけだ。この間まで
おれたちはアメリカ映画のファンだったじゃないか。」
ターザンものの再上映は、日本人にアメリカ映画に親しんでいた過去の記憶を呼び覚まさせ、日本とアメリカとの間は
もともと友好的なものだったと思わせる効果があったのでしょう。ですから、戦後ターザン映画はあんなに
ブームになったのでしょう。山川惣治の絵物語も同じ効果があったのだと思います。
1990年、雑誌「ダ・カーポ」が「ゴジラ」「赤胴鈴之助」「鉄腕アトム」とともに、戦後のヒット作品として、
「少年ケニヤ」を選び、山川惣治にインタビューしました。インタビューの最後に山川はこう言っています。「わたし
自身、戦前「ターザン」や「キングコング」の映画を胸たかならせながら、何度も見たものです。戦争に入り、こう
いう冒険物がみられなくなりました。戦後、わたしの絵物語がその飢えをみたしてくれたのだろうと思います。」
山川自身、かれの作品の役割を正確に把握していると思います。我々は悪い夢をみていた、アメリカ映画を楽しんで
いた数年前に帰ろう。終戦直後の日本人はみなそう思いたがった。その気持ちを山川惣治は代弁したのです。
小松崎茂も、別冊太陽「少年マンガの世界1」の中でインタビューに答えて、戦争中も庶民はそれほどアメリカを
憎んでいたわけじゃない、という意味のことを言っています。山川惣治と小松崎茂は考え方や立場が非常によく似て
いるのです。兄弟みたいに。ですから別冊太陽「少年マンガの世界1」の中での小松崎茂の答えは、雑誌「ダ・カーポ」
での山川惣治の答えとぴったり同じなのです。
(小松崎茂は戦時中、軍に命令されて、アメリカ空軍の飛行機の絵を描かされました。そのとき、B29の写真を極秘に
見せられて、飛行機大好き青年だった彼は思わず、「いい飛行機だなあ」と言ってしまったそうです。ですから「庶民
はそれほどアメリカを憎んでいたわけじゃない」という彼の言はウソではないのです。)
ターザン映画に「ターザンの凱歌」(1943年製作。MGMの5作につづくRKOの第1作。ワイズミューラー主演の
ターザンシリーズとしては第6作にあたる)というのがあります。この筋書きをみると、ナチのパラシュート
部隊が、飛行場建設のために強制的に村人をかり集めたというのがあります。これは、「少年ケニヤ」のナチの
エピソードに似ています。「少年ケニヤ」は昭和27年からの連載ですので、もし「ターザンの凱歌」の上映がそれより
前でしたら、「少年ケニヤ」のスト−リーの一部は「ターザンの凱歌」の借用の可能性があります。第3作「ターザ
ンの逆襲」の再上映が昭和22年(1947年)ですから、年1作として、第6作の日本公開は昭和25年という計算になり、
十分考えられます。
映画の原作であるエドガ−・ライス・バローズのターザンは昭和29年、西条八十訳が小山書店から出たのが最初です
ので、英語の原書を読まない限り、山川惣治は映画より前には小説「ターザン」を読んでいません。「少年王者」や
「少年ケニヤ」より前にも山川はバローズを読んでいません。ですから山川惣治の密林冒険ものはバローズのまねだと
いうと、ちょっと違うことになろうかと思います。山川惣治の作品は小説「ターザン」のまねではなく、ターザン映画
のパクりなんですね。ターザン映画は2作目からバローズを離れてしまっています。「強いて言えば、真似の真似です
ね」と御本人は言うと思います。