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その他の画像(平成24年) 
ウォーキングの途中に新しいJeepを見掛けましたので一度家へ戻りカメラを持って撮りに行きました。まだ新しい車で仲々良く出来ています。恐らく持主は若い人なのでしょうが、毎日同じ場所に停められていますので、此の店に勤めている人かも知れません。

私は子供の頃からジープが大好きでした。それは、小学2年の頃でしたが当時通っていた「世田谷区立東大原小学校」の校門の前で、ベニヤ板を糸鋸で上手にJeepの型にくり抜き、其れを釘で組み立て、針金に小さなゴムの車輪を取り付けた簡単な玩具なのですが、其れが欲しくて下校後に母にお願いをして買って貰った想い出が有ります。

そして、米軍や自衛隊の車でJeepを見ると懐かしかったものですが少年期の想い出は70才に近い今もハッキリと覚えています。
同じく近くのスーパーの駐車場に止まっていたJeepですが、
此の画像は妻の携帯で撮り貼り付けたものです。

此のJeepは赤いJeepよりは型は古いのですが、しかし昨年の腐食しているJeepよりは新しく、まだまだ乗れそうです。

それにしても、自衛隊の車がJeep→パジェロ(三菱)に変わっていますが、三菱Jeepは安全性等の点で生産を止めたのは判りますが、世の中にはこうしたJeepが他にも有るのは何故なのでしょう。多分こうしたJeepは米国製なので、三菱製Jeepの生産中止と共に米国から輸入しているのかも知れません。
此の景色は、甲府市と甲斐市の境を流れ、上流に昇仙峡が有る荒川に掛る「千松橋」から撮影した画像ですが、
正面に甲斐駒ケ岳を眺望できて、甲斐駒を見ながら韮崎へ向けて「山の手通り」が走っていますが、私はこの風景が
大好きです。そして、毎日此の通りを歩いています。

此の橋は以前少し下流側に有りましたが、道の拡幅と同時にこの橋も新しく掛け替えられました。

此の「山の手通り」はその昔、武田信玄が信濃や川中島へ遠征した時に此の道を馬で通った由緒ある道ですが、30年前に山梨へ引っ越した当時は道幅が今の半分もなく、商店の殆どが木造でしたが、現在は道も拡幅されて甲府-韮崎線(県道)として綺麗な通りになりました。

ご覧の橋は「千松橋」と言いますが、甲府市の千塚(地名)と甲斐市側の私の住む地域が戦前は「松島村」と呼んでいた
その両方の名を取り「千松橋」と名付けられています。

そして、今回のリニューアルの表紙は下の画像の通り此の
画像を用いて作成しました。
   それにしても、正面に3千メートル級の甲斐駒ケ岳を望む
風景はその反対側に富士山を望む景色と共に、山梨に住む幸せを感じる絶好のロケーションです。

第9回リニューアルの画像です。

 その他の画像(平成23年)
今は見ることが出来無い「JOMO」のロゴマークですが、
下の説明文でご覧下さい。

月の近況報告JOMOに付いて書きましたので
転記します


ガ ソリンスタンドの「JOMO」が「ENEOS」ブランド名に変わる話を昨年秋に知りましたが私の家の傍のスタンドが依然JOMOのロゴマークのままな ので何となく不思議に思っていました。処が、3月下旬になって突然「ENEOS」に書き替えられたのです。そこで「JOMO」をネットで調べると「Joy of Motoring」 から取ったロゴで、ジャパンエナジー社(新日鉱
ホールディング)のブランド名ですが、2010年7月に新日本石油と経営統合し、「JX日鉱日石エネル ギー」となりブランド名を「ENEOS」に統一したそうです。そこで、大手はコスモ、昭和シェル、エネオス、出光、ゼネラルなどのブランド名を見掛けます が少なくとも「
JOMO」を見ることは無くなりました
昔は、米国資本のEssoやMobil、それに国内資本の三愛や丸善、日石、カクタス、梟マークのアウル等懐かしい名前が有りましたが石油業界も競争が激しいと言う事なのでしょう

さて、山梨の「JOMO」が「ENEOS」に変わった訳を行き付けのスタンドの親父さんに聞くと、看板の掛け替えを全国的に順次進めている中で山梨は遅れ ているとのことでした
しかし、ガソリンは昨年の4月から全ての「JOMO」は既に「ENEOS」から供給を受けているそうです。
   「ENEOS」に書き換わる前の「JOMO」を隣のキャンピングカーショップ側から撮った画像ですが、ガソリンスタンドの奥に見えている山並みが鳳凰三山と甲斐駒ケ岳です
キャンピングカーショップ方向から撮ったENEOSの画像ですが、此処に映っている道路は「山の手通り」と呼ぶ「甲府-韮崎線」で戦国時代に武田信玄が信濃の国を目指し進軍した歴史ある街道です。

そして、此の先にある双葉丘陵を登ると「サントリワイナリー」がその右手にありますが、通り筋からもワイナリーのぶどう畑と建物が望めます。 

ENEOS」を同じくネットで調べて見ると、以下であることが判りました

ENERGY(エナジー)+NEOS(ギリシャ語で「新しい」の
意味)だそうです



    撮影日
    JOMO :H23年3月05日
    ENEOS:H23年4月21日
3月下旬のある日何時もの様にウオーキングをしていると、ロゴマークの書き換えが始まりましたので、完成を待って
撮ったのが此の画像です。

時代は間違いなく変化し続けていると言う事ですね。
今年(H23年)からバンフォーレ甲府はJ1リーグで戦っていますが、どうも負ける試合が多くこの分では再びJ2に降格してしまうかも知れません。そして監督も責任を取って途中で辞めましたし、外人の選手をリーグ戦の途中で入団させたりどうもやる事がチグハグです。

ご覧のノボリを町中に沢山見掛けるのですが、漸くJ1に昇格したのに成績が振るわず残念です。

結局J2に降格になりました。しかも、有力な外人選手が2人も移籍が決まったので、バンフォーレの来期がどうなるか(?)疑問です

とうとうバンフォーレは1年でJ2に降格となりJ1で活躍した「ハーフナーマイク」達がバンフォーレを去り、新たなJ1昇格への1年になります。(H24年2月15日記載)
私の家の近くにある公園ですが、昨年(H22年)は猛暑日が続き秋でもないのにこの桜並木が9月の中頃から葉がかなり落ちました。

しかし、かなり痛められた桜の木々もご覧の通り見事な花を今年も咲かせました。

此の公園は敷地が約4000坪あり、園内にはテニスコートが
3面とその奥にグランドゴルフ場が一面。そして、桜並木を
挟んで反対側に遊具を備えた遊び場と公衆トイレがあります

そして、桜並木は陽射しを遮るので涼みに来る人が多く石のベンチと水道が設備されていますが、良く小さな子供を連れた若い母親を見掛けるのも暑い季節の子育てには欠かせない大切な遊び場なのでしょう。
此処が真原(さねはら)の桜並木ですが、武川にある神代桜(実相寺)の更に奥まった甲斐駒ケ岳が近くに見える場所にあります。

戦後この地に入植した開拓者達が通りの両側に植えた桜が今では見事な桜並木となり多くの見物客で賑わっていました
   
此処は小学生の孫を迎えに行く学校の途中に在る「道祖神」ですが、この「道祖神」が一番新しく立派に出来ています。
多分近くにお年寄りがいて何時も掃除をしたり磨いているのでしょう。

この様な道祖神が、甲府市を含めてまだ数ヶ所ありますが
どれも同じ形をしていますので、3枚の画像に絞りました。
此の「道祖神」もわざわざ家をこの様に切り欠いて道祖神を大切に守っていますが、正月には上の画像の様に神様として竹と縄で祀っています。
此処の画像も「道祖神」です。私の毎日のウォーキングで見掛けるのですが、道の片隅にこの様な球形の石材が祀られています。

昔は、村外れや通りの要所にこの「道祖神」を祀って疫病が入らない様にとの信仰だそうですが 少なくとも都心では見掛けた覚えは有りません。

また、長野県では男女の石像を祀り、石像に着物を着せたり化粧をしたものもあるようですが、山梨ではこの球形をした
「道祖神」が殆どです。
この様に、完全な球形では有りませんがお地蔵さんと一緒に祀られていたり、本当に毎日の生活と「道祖神」が一体となっていることが良く判ります。

私は昨年 道祖神祭りのことを学習しましたが 道祖神祭は
全国的には「どんど焼き」のことですが、「道祖神」は一年中街を疫病神から守ってくれる有り難い神様で、こうした神様が辻々に安置されています。
此処がJR小海線の「清里」駅ですが、SLも展示されて駅前は素晴らしく整備され観光地の玄関に相応しいものでした。
しかし駅前から続く商業地は寂れていて淋しいものでした。

いつぞやの「近況報告」で書いていますので、転記します。

10月の中旬に清里高原へ行きましたが、久し振りに紅葉を
観たいと思い秋の清泉寮を訪ねましたが、1200mの標高に有りながら殆どの木々はまだ紅葉していませんでした。
しかも、駐車場が大変混雑していましたので清泉寮を諦めて清里駅へ40年振りに行って見ると駅前広場は見違える様に整備されていましたが、駅前に活気がなく閑散としていました
何でも、バブル期に年間300万人が訪れた観光客が今では200万人が精々でしかも観光客は駅前では無く郊外の牧場等へ行ってしまうそうです。なるほど、土産物店やレストランがあちらこちらで店仕舞いしていました
そこで、清里はそこそこに帰り道は長坂に在る日本名水百選に選ばれた「三分一湧水」と「平山郁夫美術館」へ立ち寄り帰路に着きましたが、後日 NHK甲府で寂れて行く清里を繁盛している軽井沢と比較して私の見た通りを放送していましたが、ここ十数年来駅前を再開発して来なかった事が今日の清里駅 前を寂しくさせているとのことです。
そして、清里へ行った17日の日曜日は清泉寮の収穫・感謝祭の最終日で、私は何も知らずに出掛けたのですが、
駐車場が混雑していた訳が後になって判りました。
此処へ来る前に清里駅へ行き、余りの寂れ様にガッカリしてこの湧水を見て「平山郁夫シルクロード美術館」を見学の後に帰路に着きました。

此の近くに「国蝶」に指定されている「オオムラサキ」と言う蝶を飼育しているセンターが有りますが、昼が迫っていたので
其処へは寄らずに直帰しました。
 
此処が日本名水百選に選ばれている「三分一湧水」です。

上流側(右側)から流れ込んだ水が一度貯められて三方向に分けられるのですが、公平に水を配分する先人の知恵で昔は水が不足して騒動になる事が多かったと聞きます。

場所は北杜市(旧北巨摩郡)の長坂町に在りますが、清里の帰りに寄って見ました。
昨年(H22年)のその他の画像に、珍しいJeepを載せましたが
ウォーキング中に三菱製Jeepを発見しましたので、カメラを
取りに一度家へ戻り改めて撮りに行きました。

車体はかなり傷んでいて、塗装は剝れ腐食が進んでいますが間違いなく「三菱Jeep」と書かれていました。

此のJeepのナンバーを見ると山梨の次が11なので、トラック扱いになっていますが、その理由が判りません。車体後部がホロなので運転席の後ろが荷台と言う事なのでしょうか(?)

 私のウォーキングコースの駐車場に置かれたJeepですが、珍しいクルマでした。しかし今はその姿が有りません

詳細は「そのほかの画像(H22年)」
でご覧下さい
後日、行き付けのスーパーの駐車場にもっと新しいJeepを見付けましたが、カメラを取りに行く間に車がいなくなるので、諦めました。

しかし、撮影して3ヶ月が経つ今でもこの古いJeepは有りますので、恐らく放置されているのでしょう。
インターネットでJeepの中古車を検索すると色々出て来ますので、Jeepのファンが多くいるのかも知れません。


軍用ジープについて調べました平成22年11月追記)
Jeepは「ウイリスオーバーランド社(米国)」が開発し1953年から三菱重工がノックダウン方式で国内生産されたものでその後、三菱独自のモデルに よる「三菱ジープ」として生産が続けられましたが、1996年に燃費や衝突安全性等の改良が望めないことを理由に防衛庁(当時)は以後ジープの採用を取 り止めそれ以降は三菱パジェロが採用されました。その
結果、三菱ジープは1998年に生産を終了したそうです。

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