デジカメ写真

     富士山を中心にしたスナップ写真集               -ホ−ムペ−ジのトップに戻る-

平成21年の富士山
河口湖畔から三ツ峠へ向かうロ−プウェ-の終点の富士見台駅の展望台から撮った富士山です。昇る前には僅かだった雲が見る見る内に増えてご覧のようになりましたが、裾野の長い富士山を撮りに折角来たので、撮ることにしました。
そして、手前の町は河口湖町ですが、更に手前に河口湖が有ります。
                     撮影日:2009.04.07
当初は、三ツ峠まで行こうと家を出たのですが、此の展望台で撮影した後に登山道を昇って行くと、突然草むらがガサゴソ言うので良く見ると一羽の雉が私の足音に気付いて逃げて行くところでした。

しかも、当日は誰一人行き交う人も無く私一人の登山になってしまいましたので、熊は出ないにしろ猪に出会いでもしたら命に関わる事なので、無謀な登山は止めて引き返して撮ったのが右の写真です。

そこで、此の画像を加工して張り付けたのがH21年のメインペ−ジの画像です。
更に、帰りはロ−プウェ-に乗らずに30分掛けて歩いて降りましたが、途中の灌木の間からも富士山が良く見えましたので撮ったのが以下二枚の画像です。
今年、富士山には30万人もの登山者で賑わったそうですが、ご来光を見る時間帯の登山道は人また人で埋め尽くされている所をテレビで見ました。

富士山が人気になるのは有り難い事ですが、軽装で昇ったり何としてもご来光を頂上で見たいと無理をしたり子供連れで来て子供が高山病に罹ってしまったりと、軽率な登山客も多かったと聞きます。

それに、夏前には登山客の男性2人が滑落して死亡するなどの事故も有りましたので、私も一度行って見たいとは思いましたが、用心して行くのを止めました。若いころは良く登山をしましたが、65才での単独登山は危険と背中合わせである事を良く知っています。山は楽しい半面恐ろしい所でもある事を。
第6回リニュ−アル(H21年)のメインペ−ジを飾る画像です。
平成20年の富士山&八ヶ岳
3月11日(火)の早朝に出発をして本栖湖へ向かいましたが、まだ沿道には雪が残っていてさすが甲府より標高が高いことを知りました。

処が、その本栖湖(左の画像)に着いて見ると、辺りは全くの霧の中で湖も富士山も見えません。仕方無く少し戻り朝霧高原へ行きましたが、此処もやはり富士山は雲の中。

残念ながらこの日は諦めて、道の駅で富士宮名物の焼きそばと小さな盆栽を買い甲府へ戻ろうと帰り掛けに本栖湖へ再び寄って見ると、ご覧の通り霧が晴れて富士山が観えて居ました。しかし、前年に観た山中湖や河口湖に比べると、何となく霞んで見えていて今一つでした。
此処から撮った景色が旧五千円札の裏側にある風景であることを知りました。

多分快晴で有ればもっとはっきりと見えるのでしょうが、天気は気まぐれです。そこで、今回(H20年)のメインペ−ジを本栖湖からの富士山にしようと出掛けたのですが、あまり良く撮れていないので残念ながらやめました。

本栖湖は、富士五湖のうち最も南にありますが、私は富士宮方面へは仕事でそれこそ何度も出張しましたが、本栖湖が一番南にある事を良く分かっていませんでした。それは、身延へ抜ける道の傍に本栖湖は有りますが、車で通り掛かっても湖面がかなり下の方で観えずらいこともあるのですが、それよりも殆どが夜間に通過していたので湖に気がつかなかったと言うのが正解でしょう。

静岡から甲府へ帰る場合に身延回りの道はかなり遠回りになるので、精進湖まわりか御坂トンネルを通って帰る方が圧倒的に多かったのです。

身延へ通じるこの道路は、精進湖道路などが冬季に通行止めになった場合に何度か此処を通った記憶が有ります。
この画像から以下の三枚は、韮崎市の外れから撮った八ヶ岳の画像です。

そして三枚目が今回メインフレ−ムに載せた裾野が広がる八ケ岳の山並みですが、(3月6日撮影)最初はもっと近くへ行って撮ろうと七里岩を下って諏訪方向に走りましたが、近づくけば近づくほど全体が見えなくなり、方向転換して戻る途中で漸く見つけたのが、韮崎市民会館の傍のこのロケ−ションでした。
同じく、出来るだけズ−ムアップして撮りましたが、八ヶ岳の裾野がこんなにも広がっていることを知りませんでした。

いつもは中央道か甲州街道からの眺めを見ていましたので、その奥にある裾野が観えていなかったと言うことでしょう。

八ヶ岳は北海道にある大雪山系と同様に、八ヶ岳と言う名前の山が有るのではなく、正確には八ケ岳連峰と言う方が正しいのですが、地図に寄ると赤岳を八ヶ岳と呼ぶともありどちらが正しいのか良く判りません。少なくとも、北海道には大雪山と言う山はなく、大雪山系と呼ぶのが正しい事を勉強しました。

しかし、この八ヶ岳へは若い頃に二回登った思い出が有りますので、懐かしい山の一つです。また、かつて勤務した会社のビルの6階からは晴れた日に此の山並みがはっきり見えて眺めているだけで気分がすっきりしたものです。

5回目のリニュ−アルで、メインペ−ジを飾る画像が此の画像です。
平成19年の富士山
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平成19年2月26日撮影

この週に山中湖に全国から集まる大勢の人達をNHKで特集していましたので、私も仕事が休みの日に出掛けたのが右の画像を入れて16枚の山中湖畔と河口湖畔からの富士山です。

甲府からも富士山は見えますが、手前の山々にさえぎられて全体を見る事は出来ません。

その点、裾野が広がる雄大な富士山は山中湖と河口湖に来て見て初めてその素晴らしさに感動します。

この日も、朝は氷点下で6時に起きて中央道で此処まで来ましたが、テレビ番組程では有りませんが10台近くの他県からの車が来ていました。

ボ−トの向こうに見える富士山はやはり絵になります。
少しカメラを引いて全体を撮ると、富士の裾野のその向こうに南アルプスがかすかに見えて、湖面に映える富士山はやはり美しいなあ!と見取れてしまいます。

今年、世界文化遺産への登録をユネスコに申請した様ですが、早く決まれば良いがと思います。
1枚目の画像を少しアングルを変えて撮ったものですが、富士五湖道路の山中湖インタ−チェンジを下りて、山中湖の裏手を平野方面へ向かうと、結構広い湖岸にたどり着きました。

NHKの番組では、湖のその向こうにそびえる富士山の見事さを紹介していましたが、熟年の人達や車に泊り込んで、朝靄の富士山やダイヤモンドリングに浮かび出る富士山を紹介していました。
右側の車は川越ナンバ−でしたが、横浜ナンバ−や福井ナンバ−など、遠方から来ている車を多く見掛けました。

恐らく、テレビや観光ガイドブックで紹介されて此処まで観に来た方達なのでしょう。
普通車に混じって、ライトバンやキャンピングカ−も見えました。

温かくして出掛けましたが、湖はしっかり冷え切っていて、持って行った熱いお茶を美味しく飲みました。

自宅からは高速道を使うと1時間15分で此処まで来る事が出来ますが、今はETCを使うと料金が50%になる通勤割引が使えるので、気軽に高速道が利用できます。

しかし、遠周りになるのと、帰りは急がないので河口湖経由で御坂トンネルを使って帰りました。

しかし、途中寄った河口湖からの富士山にまたまた見取れてしまいました。
湖面に映し出された「逆富士」の画像ですが、8時過ぎに到着した時には「逆富士」は観えていませんでしたが、10時過ぎぐらいから徐々に見え出して帰る頃には国道の近くまでその影は延びていました。
上の画像を少し引いて見た「逆富士」の光景です。

この写真集の2枚目の画像と右の画像では約1時間の時間差が有りますが、一時間で「逆富士」がこの様に観える自然現象が見事です。


   2枚目の画像:9時28分
    右 の 画 像:10:27分
帰り道の遊歩道で休憩した時の画像ですが、「逆富士」に手が届きそうな所まで影が迫っていました。
同じく、私の車のム−ンル−フを開けて撮った画像ですが、この頃には逆富士はすっかり消えて見えなくなりました。

太陽の昇る位置との関係で、山肌に太陽光が反射して湖面に富士山の全体像を映し出す逆富士の事は知っていましたが、この目で観たのは今回が初めてで、自然現象ながらこの日が好天の朝でラッキ−でした。
車から降りて小高い丘から撮った画像ですが、私の主観かも知れませんが、山中湖側から観る富士山は裾野の途中に出っ張りが有り、なだらかな裾野ではないのが少し気になります。その点、後から出てくる河口湖畔からの富士の方はなだらかな裾野が連続しこの方が私は気に入りました。

後で詳しく紹介しますが、今回のメインペ−ジに採用したのが河口湖畔からの富士山です。

しかし、間近く観えて色合いの鮮やかさの点では、山中湖からの方が見応えが有りそうに思いますが、全国的に山中湖畔の方が人気が有るのは色彩の鮮やかさが受けているのかも知れません。
山中湖から河口湖へ移動する途中の富士吉田市にある道の駅で、かつては富士山頂に在った気象観測用のレ−ダ−ド−ムが右の画像の様に移され記念館として造られていましたので、その中にある展示品を見学し実際に使われた機器や東京の気象庁から富士山頂へ遠隔操作により富士山頂のレ−ダ−画像を全国へ配信した当時の通信機器の展示なども観て来ました。

そして、このド−ムを富士山頂までヘリコプタ−で搬送した時(昭和39年8月15日9:30amに成功)の神田真三さん(パイロット)の苦労話や、当時の総責任者であった藤原課長ご本人の話、それから、藤原課長が退職後に新田次郎のペンネ−ムで小説家として活躍した事などをミニシアタ−で紹介していましたので、ゆっくりと観て来ました。

また、米国のIEEE(アイ・トリプルE)賞を2000年3月に受賞したことなども知りました。

IEEEは、デ−タ−の伝送(通信)方式などを立案・規格化して、世界中でその統一規格により情報を共有して行くことを目的に設立されたアメリカにある機関ですが、多分富士山頂と都心の間を通信で結び、送られて来るレ−ダ−画像を活用して気象庁が日本全国へ天気予報として開示したその通信システムを評価しての受賞と考えられますが、通信機器メ−カ−の三菱電機の偉業でもあると思います。

又、都心と富士山頂が無線により直接送受信出来るかどうか(途中に丹沢山塊などの山がある)を確かめるために、富士山頂で松明を燃やしその灯りが気象庁まで届くかどうか、晴天の夜に幾度と無く双眼鏡により確認を試みたが、気象条件が整なわずに失敗を重ね、しかし、諦めずに実験を繰り返した結果、ある日山頂の明かりを間違いなく確認出来た時の感動のエピソ−ドも紹介されていた。

富士山ド−ムを見学してから御坂トンネル経由で帰ろうと河口湖大橋を渡りましたが、途中で標識通りに少し左折して湖岸まで下りて見ると左の画像の場所に行き着きました。

手前の枝は桜で、幾枚か枝を構図に入れながら撮りましたが、数枚下にある画像は桜の咲く時期に再び訪れた時のもので・ロケ−ションが同じ場所でした。

私は、NHKでは山中湖を紹介していましたが、なだらかな裾野が両側に広がる河口湖畔からの富士の方が気に入っています。山中湖は裾野がゴツゴツしていて形が好きでは有りません。

この場所は、河口湖町を過ぎて御坂トンネルへ向かうまだ登り坂まで行かない平坦な道を少し左へそれた所に有って、レンガ造りの遊歩道が整備されていて散策コ−スにはうってつけの場所でした。

この日も、昼近い時間になり多くの人が集まっていました。
桜の枝を外して、違うアングルで撮った画像ですが、遠くに河口湖大橋が小さく写っています。
今年(H19年)富士山が世界文化遺産に国内でノミネ−トされて、今後ユネスコで審査される事になりますが、地元の観光業者は世界遺産に登録されると色々な厳しい制約条件が付いて売上げに影響する事を理由に富士五湖を対象から外す動きがあります。

確かに、熊野古道では林業で生計を立てる人達にその生活権を脅かす制約が生じて社会問題になっていると聞きますが、富士五湖の場合も同様なのでしょう。仲々難しい問題です。
この画像が、上の画像を加工してH19年のホ−ムペ−ジのメインペ−ジに貼り付けたものですが、長い裾野が見事なお気に入りの画像です。(第4回リニュ−アル)
この画像は、H19年4月14日に真木温泉(大月)の先にある鉱泉に出掛けた折の帰り道で、丁度桜が満開の時期に再び訪れた河口湖畔で撮ったものですが、2月の時は蕾も無いただの枝に、今度は見事な花が咲きそれは実に見事でした。
此処からは、毎日のウォ−キングで撮った画像を紹介します。

まず最初は、私の住む旧敷島は梅が多くとれる事で知られていますが、その梅畑の丘陵の中を走る「梅が里マラソン」で全国から選手が集まり毎年盛況になりつつ有る、その梅畑から蕾の先にある富士山を撮ったものです。(H19年2月4日撮影)
此れは、旧双葉町の中央道の側道から撮ったものですが、左手に中央道が少し見えています。

冬の寒い昼休みにクッキリとそびえる富士山は見ていて気持ちが良く、歩くのを忘れてつい立ち止まって富士山を見入ってしまいます。
この画像は、ある日の夕暮れ時に少し夕陽で赤く染まった富士山が綺麗でしたので、一度カメラを取りに家へ戻り再びこのロケ−ションへ向かって撮ったものですが、家へ戻った分夕焼けが進んでしまい、暗くなり掛けてしまっていたのは少し残念でした。
平成15年〜18年の富士山           -ホ−ムペ−ジのトップに戻る-
この画像は平成18年のまだ寒い昼頃に撮った画像です。しかし、やはり雪を頂いた富士山の姿が一番美しいと思いますが、それは私だけの感想ではないでしょう。

今度は、画像の解像度を上げて晴れ上がった日の富士山を撮りお見せしたいと思います。


H18年のホ−ムペ−ジ(第3回リニュ−アル)のメインペ−ジに載せた富士山です。
中央道と中部横断道の分岐地点(双葉ジャンクション)の傍からの富士山ですが、左側に中央道が少し見えています。

この画像は、H18年の寒い冬の昼頃のものですが、数日前にもっとくっきりとした富士山を見たのですが、その時は生憎カメラを持っていなかったので、残念ながら撮影出来ませんでした。そこで、今度は撮ろうと待ち構えていたところ、漸く数枚の富士山を撮る事が出来ました。今回のホ−ムペ−ジの表紙を飾っている富士山もこの日の画像から加工しています。
(H18年2月撮影)
H18年3月の富士山です。自宅の傍の川沿いから撮りました。
H17年5月の富士山。雪が少なくなってどこか寂しい。
富士吉田から山中湖へ向かう途中の富士山。さすがに甲府からの富士山よりもスケールが大きく見応えがある。   (04..06.05撮影)
自宅近くよりの眺望。撮影日:03.11(H15年)
荒川河川敷よりの眺望。(旧敷島町側)   撮影日:03.12.21

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