道の駅(北海道)                                   平成20年制作

                                                 -ホ−ムペ−ジのトップに戻る-

北海道で一番最初に泊まった道の駅(壮瞥情報館)ですが、夕方苫小牧港へ着いて登別のス−パ−に寄り夕食の買い物をしてから室蘭へ行きましたが、目指す新日鉄室蘭製鉄所が仲々見つからず小雨も降って来たので、胆振(いぶり)国道を通り洞爺湖畔の壮瞥町にある此処に9時過ぎに着きました。

しかし、車が一台も停まっていないことと、とにかく寒く(5℃)電気アンカを早速使って駐車場の道路際に車を停めて休みました。

左の画像は、翌日出発する時に写真を撮らずに出掛けたことに気づきましたので、支笏湖へ向かう途中で再度此処へ
寄り撮ったものです。

確か11時を過ぎていたと思いますが、ご覧の通り十数台の車が駐車していたことと、この建物の裏側に何と消防署が在ったのにはビックリしました。

前の晩に消防署が在る事が分かっていたら、寂しい思いをしなくて済んだのにと思うと可笑しくなりました。

此処壮瞥は、最近まで日本相撲協会の理事長で有った北の湖の出身地ですが、そうしたことを確認できる看板などは有りませんでした。(弟子屈町には大鵬記念館が在りましたが)
2日目は、新千歳空港の近くに有る道の駅に泊まりましたが
九州の阿蘇で熊本空港を離発着する飛行機の騒音に悩まされた記憶が有ったので心配しましたが、風向きの関係からか飛行機は遠くの方を飛んでいるらしく、真上を飛ぶことはありませんでした。

此の町の名は、かつては支笏と言い支笏湖から流れ出る
支笏川の流域に有りますが、シコツは死骨に通じて縁起が
悪いので、後世の人がどうせ付けるなら縁起の良い名前をと、千歳(シコツとは無関係)に変えたのだそうです。
(シコツはアイヌ語で大きな凹地を意味し、現在も支笏湖に
名前を残しています。)

また、この辺りはサケの遡上で有名だそうで、この道の駅も「サ−モンパ−ク千歳」と書かれていました。

そして、山梨が本拠地の洋菓子会社「シャトレ−ゼ」の直売店が道路沿いに有りましたが、恐らく洋菓子の原料である乳製品を北海道から調達している関係で、北海道にも各地に店舗が有るのかも知れません。
此処は、夕張方面から狩勝峠を越えて十勝平野に入った先に有る鹿追町にある道の駅です。

何しろ、夕張では石炭博物館の素晴らしさに感動し、狩勝峠の眺望の素晴らしさに酔いしれて此処へは夕方に着きましたが、10Kmほど北の方角に有る然別湖(しかりべつこ)の温泉が利用出来るかコンビニの店員に聞いたところ要領を得ず、結局温泉へは行きませんでした。

また、此の鹿追の道の駅の先に瓜幕と言う道の駅も有りますが、どちらも町名を其のまま駅名にしています。

そして、此処から帯広までは30Km有りますが、翌日は浦河や襟裳岬へ行く予定なので、帯広の北の音更町に在る十勝牧場だけを観てから南下することにしました。
此処は北海道で4日目に泊まった白糠町にある道の駅で、「しらぬか恋問」と言いますが、何故恋問と言うのかは判りません。

此の日は、鹿追から帯広へ出て広尾国道を通って天馬街道へ入り日高山脈を横断して浦河で競走馬の調教を観たり馬の親子の写真を撮りました。

そして、午後からは襟裳岬へ行き、後は釧路方面をひたすら走り白糠迄、久し振りに400km以上を走りました。

翌日はいよいよ釧路湿原へ行き、エゾシマリスやキタキツネと出合い、厚岸港へ寄り道をしてから根室半島の付け根に有る風連湖へ行きました。しかし、白鳥のいないこの季節の湖はただの湖で、駅には人影も少なく閑散としていました。

また、その駐車場には一台の車も停まっていませんでしたので、此処へ泊まる事を止めて、根室市の手前に有った24時間営業のス−パ−マケットの駐車場を借りて休みました。

ところが、此処のス-パ-で食料を買い車に戻ると、突然奥の方から犬に吠えられてビックリしました。

実は最初に停めたこの場所は花咲蟹の直売所で、今はシ−ズンオフで店には誰もいなかったのでこの店先を借りようとしたのですが、何と無人のはずの店の奥に犬小屋が有り、黒い大型犬が飼われていたのです。最初、その犬小屋が目に入らなかったのですが、けたたましく吠える啼き声に度肝を
抜かれました。
北海道6日目の宿泊地は相生でしたが、美幌峠に有る道の駅へ行くと天気も悪く風が強かったので、美幌町にある美幌温泉で北海道で初めての日帰り入浴を楽しみ、そして此処「あいおい」に6時前に着きました。

此処は相生から北見まで、かつての国鉄が北見相生線として営業をしていた場所ですが、昭和60年に廃線になってからは鉄道公園として地元で大切に管理していました。

その公園は、当時の駅舎や機動車や客車そして貨車や
ラッセル車が展示されていましたので、阿寒湖へ行く玄関口でも有った「あいおい駅」を翌朝しっかり観てから阿寒湖へ行くことにしました。
此の日は、阿寒湖〜摩周湖〜硫黄山〜屈斜路湖へ行き、午後から札弦にある道の駅へ行きましたが、月曜日は道の駅も此処に有る温泉も休みとのことなので、仕方なく清里町にある「緑清荘」と言う町営の温泉を札弦の駐在所で教えて
貰い、2回目の温泉に入りました。

その後は、札弦へは戻らずにオホ−ツク海にある斜里で泊まりました。

そして翌日は、再び札弦を通り摩周湖と湖底が通じて居ると言う「神の子池」へ行き、裏摩周展望台から摩周湖を観た後に再び中標津の開陽台へ行きましたが、此の日も天気が悪く国後島が観えなかったので標津を通って羅臼へ行き、此処の展望台からようやく国後島を観る事が出来ました。

午後からは知床峠を通ってウトロへ行きましたが、知床峠では道の脇で草を食べている2頭のエゾシカを見掛けたり、
知床自然センタ−で知床の四季や知床に棲む動物達を大形スクリ-ンで見ましたが、自然の中で動物と人間が共生して行く事の大切さを教えられました。
9日目(6月3日)は、宇登呂にあるウトロ・シリエトクと呼ぶ道の駅に泊まりましたが、翌日がいよいよ知床岬へ行く日なので、幾分ワクワクしながら夕食は近くの料理屋でウニや刺身や天麩羅などの美味しい料理を食べて、早目に休みました。

宇登呂の地名は、アイヌ語のウトゥルチクシ(Utouru-Ci-Kus-I)で、その間を我々が通る所だそうですが、確かに知床岬へ向かう地形が崖と島の狭い間を通る道が有りそこを指している様です。

此処は10日目に泊まった「オホ−ツク紋別」と言う道の駅ですが、駐車場が広く2基の照明灯の下に車を停めて夜遅くまで掛けて日記を書きました。

此処へ来る前に網走湖とサロマ湖の傍を通りましたが、とにかくサロマ湖は実に広く、行けども行けども湖が続いていました。そして、途中寄ったサロマ湖の道の駅でキタキツネにも出合いました。

6月7日の夕方、利尻島から稚内港へ戻り近くのス−パ−で夕食を済ませて蒲団を敷き、いつでも寝られる様に準備をしてから6時過ぎに羽幌へ向け出発しましたが、暫くはサロベツ原野の夕陽を観ながら40km/hの道路(オロロンロ−ド)を
気持ち良く走りました。

しかし、陽が暮れてからは小雨が降り出し少し前が見え難く
なって来たので、初めてフォグランプを点灯して走りました。

そして、40km/h道路は相当走っても仲々羽幌には着かず
このままでは10時を過ぎてしまうことが判り、羽幌より40km手前の富士見の道の駅で休みました。その結果、羽幌に
有る温泉に入る事が出来ませんでした。

礼文島(利尻島)へ行く前の日は、稚内港のフェリ−タミナルの駐車場に車を停めて休みました。そして、12日目は利尻島に泊まりましたので、此の富士見は今回の旅で14日目
(北海道では13日目)の宿泊地となります。
此処は旭川に有る道の駅で、町のほぼ中央にその大きな
建物が有りました。(此れまで利用した道の駅で一番大きな建物でした)

此の日は午後から層雲峡を観て夕方の6時前に此処に着きましたが、そのあと近くの小料理屋で刺身定食を食べました。

そして、此処の道の駅では面白い話が有ります。それは泊まった翌朝のことですが、私の車の隣に長期駐車禁止の貼り紙のあるトヨタクラウンが駐車していましたが、中年の男性が車を取りに来てエンジンを掛けようとした所、バッテリ−上がりでエンジンが掛からず困っていましたので私がブ−スタ−
ケ−ブルをつないでエンジンを掛けてあげました。

私も、九州の指宿でバッテリ−が上がってしまい、道の駅の人にやはり同様にしてエンジンを掛けさせて貰ったことがありその恩返しが出来て良かったのですが、その人は缶コ−ヒ−を買って来てお礼を言って帰って行きました。その点、私の
場合は何もあげずにお礼だけでしたので、何か上げれば
良かったなあ・・・と思った次第です。
いずれにしても、人助けは気持ちの良いものです。
此処は歌志内にある道の駅で、「歌志内チロルの湯」と言います。此処では、正面に有る建物を登って行くと上の段に
温泉が有るのですが、生憎その日から3日間設備の点検で温泉は休みでした。そこで、道の駅の女性に聞くと、カモイ岳
温泉が近くに有る事を教えてくれましたので、早速行って
見ました。

そこは、冬場はスキ−場で宿泊設備が整っていましたが、
お客さんは少なくやはりかつて歌志内が炭鉱で潤っていた頃に出来たホテルのようですが、移り行く時の流れを感じました

ところで、歌志内には砂川と歌志内を結ぶ国鉄 歌志内線がかつては走っていたそうです。
此処は、マオイの丘と言う道の駅で、長沼町が経営していました。
そして駐車場の中央に2階がレストランで下が物産店のビル(左の画像)が有り、駐車場の周りに地元の野菜などを売る直売店が有ったり、町が有料のミニゴルフ場を整備して営業していたり、結構賑わっていました。

そこで、此処のレストランでミックスフライ定食を食べましたが
揚げ立てのフライを実に美味しくいただきました。

此処「マオイの丘」には、かつて此処で初めて稲作に成功した記念の施設が有り(空知稲作発祥の地)其処へ行って見ましたが、そもそも北海道はお米が取れない所ですが、地元の人達の苦労でようやくお米が取れた場所なのだそうです。恐らく寒冷地である北海道で稲の品種改良により長年の夢が実現
出来たことはどんなにか嬉しかったことでしょう。

(H22年追記)
此処が、札幌から一時間余りで行ける定山渓温泉を過ぎて、羊蹄山を望む京極町に有る道の駅ですが、羊蹄山の伏流水が流れて居て、「名水の郷きょうごく」と言っていました。

そこで、近くに有る京極温泉へ歩いて行きましたが、湯船から真正面に観えた羊蹄山を眺めながらの入浴は、此処でも
温泉三昧を味わうことが出来ました。
此処は、小樽〜余市そして積丹半島を一周した先に有る
日本海側の「いわない」と言う名の道の駅ですが、近くに漁港が有りバスタ−ミナルや駐在所があるなど、此の道の駅が
この様に広い事を最初は知りませんでした。

そして、此処でも近くの食堂で美味しいホッケの焼き魚定食を食べました。
此処が函館の近くの「なとわ・えさん」と呼ぶ道の駅ですが
近くに恵山と言う名の活火山があり、「なとわ」とは北海道の言葉で「あなたと私」と言う意味なのだそうです。

そして、此処では千葉から来たオ−トバイにテントを積んで
野営をしている人や、練馬ナンバ−の軽のワゴンで来られた
ご夫妻に会いましたが、そのご夫妻は旅の楽しさを熱心に
話してくれました。

この道の駅でお会いしたご夫妻が「根付」を見せてくれましたが、高円宮妃久子さんが根付(ねつけ)の収集家であり、北海道へ来る前に久子さんに根付を見せて来たことを話していたことを思い出しました。久子さんは先の2020年の
東京オリンピック招致の時に流暢なフランス語でスピーチした事を覚えていますが、彼女が根付の収集を趣味にしていることをテレビ番組で見て思い出しました。

(平成27年3月追記)
そして、此処が北海道最後の宿泊地となった江差です。

此処へ来る前に、函館山へ登り五稜郭を観てトラピスト修道院へ寄ったり松前城を見学したりして来ましたが、江差の海は夕陽がゆっくり海岸線に沈み、その夕闇の中で明日で20日間過ごしたことになる北海道の最後の夜をビ−ルを飲み
ながら、そして波の音を聞きながら過ごしました。
此処が本州へ戻り今回の旅の最後となる浅虫温泉の道の駅ですが、平成17年の夏に東北〜北陸を旅した時に泊まった青森に有る道の駅で今回で2度目になります。

実は、北海道を離れる前日に東北地方で大きな地震が発生した事を妻から知らされて青森に来ましたが、青森は直接の被害は無いものの岩手と宮城にかなりの被害が出ている事が判り、八幡平などを観ながら南下をする予定を見直して、八甲田山と奥入瀬渓流だけを観て帰る事にしました。

そこで、以前泊まった此処の温泉で最後の夜を過ごすことにしました。
                                                    

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