道の駅(九州編)

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 此処は沖縄から戻り、初めて九州で休んだ「浮羽」と言う福岡県にある道の駅で、大宰府インタ−から入線し→九州道→大分道へ進み、杷木インタ−で降りて其の先に有るのだが、久し振りの道の駅であることと、沖縄旅行が素晴らしかった事もあり、最初は仲々寝付けなかった。しかし、高速道を使い此処まで来たのは大正解で、それでも到着が夜の8時過ぎになってしまった。
此処は湯布院の道の駅で本来であればもっと画質の良い写真を見て頂くのだが、実は浮羽から宮崎に有る西都原までの画像がパソコンの不具合で全ての画像が消滅している事に気が付かずにパソコンが不調になった事だけをこの時は判ったので、途中の日向市でCF(メモリ−)を買い求めたのだが、帰ってからチェックをすると、案の定画像が残っていなかった。そこで、仕方無く道の駅のホ−ムペ−ジから画像を拝借したのだが、その関係で画質が今一です。

処で、この湯布院の道の駅は、大分道の湯布院インタ−の出口にあり、由布院の街まではかなりの坂道を下らないと行けない高台に位置していた。

さて、「ゆふいん」には「由布院」と「湯布院」の2種類の「ゆふいん」があるが、元々あるのは由布院の方で駅名も温泉地名も由布院である。其れに対して湯布院は、昭和30年に由布院町と湯平村が合併した時に由→湯に変えて湯布院町が誕生した様です。そこで、町役場名や大分道にある此処のインタ−チェンジは湯布院ですが、JRの駅名は元々の由布院駅なのだそうです。
この画像も同様にして入手しているが、此処が高千穂に有る道の駅で、道の駅のすぐ近くに高千穂峡があった。

そして、此処で横浜から来た老夫婦と仲良しになり、ご夫婦もミニバンでご主人の体調が悪くならない内に旅をしていると話されていたが、次の日も日南のフェニックスで再びお会い出来た。

この他、軽トラックにキャンピングカ−用のアルミのボックスを取り付けた車で旅をしている老人を見掛けたが、いつの間にか居なくなり翌朝見ると違う駐車場に停まっていた。
此処からが自分のカメラで撮った画像で日南市に有る「フェニックス」と呼ぶ道の駅だが、此処から観る日南海岸の景色は素晴らしかった。

また、この日は昨年の台風で橋が流されて廃線に追い込まれた高千穂鉄道に沿って延岡へ行き、日向市から其の先に有る西都原古墳群を観に行った。

そして、そこの考古博物館でボランティガイドの男性から色々な話を聞く事が出来たが、結局此処までの画像(170枚)が消滅していた事が残念でならない。
此処は12日に泊まった「根占」と言う道の駅で大隅半島の錦江湾にある。しかし、此処は海水浴場に併設しており、この時は道の駅は長期休業中であったが、老人が一人道の駅を宿直管理していた。

 
此処根占は、当初は佐多岬へ向かう単なる通過地点であったが(計画では前日、日南から一気に大隅半島を横断して佐多岬へ行き、帰りは錦江湾沿いを走り垂水か桜島の道の駅で泊まる計画)、旧友が大根占から薩摩半島側にある山川へフェリ−で行ける事を教えてくれたので、計画を変更し此処根占に泊まり、翌日に佐多岬→鹿屋→垂水→大根占→フェリ−で山川→指宿と、大隅半島側の錦江湾と二つの半島を船で渡る当初の計画には無い行動が実現出来、しかも余裕のある行程が組めて大変助かった。

処で、此処では最初辺りが暗くなっても仲々外灯が点かず、諦めて場所を変えようと移動を始めた途端に点灯した。恐らく、電気代を節約しているのだろう。
此処は指宿の岬に有る道の駅で大勢の人で混んでいた。そして此処でも千葉から来た人と長話をしたり、ナイタ−を車内で見たりしたが、結局翌朝バッテリ−が上がってしまいエンジンを掛ける事が出来なかった。

千葉から来た人と小一時間エンジンを切り、カ−ナビを付けたままで話し込んだ事と其の後2時間近くカ−ナビでプロ野球を見たり、家へメ−ルを打ったりと、バッテリ−を酷使した事がトラブルの原因と思い反省した。

そして、次の日は薩摩半島の先端から知覧へ行き途中で出来るだけエンジンを切らずにバッテリ−の回復に努め、結局夕方給油に寄ったガソリンスタンドで調べて貰うと、十分快復している事が分かった。

そして、この日も此処指宿に泊まる事にしたが、私の車の隣にあるミニバンは八王子から来ていたご夫婦の車で、このお二人とも沢山お話をしたが、何でも奥さんに運転をさせて自分は隣で本を読み奥さんの運転にアレコレ注文を付けないのが長旅を続ける円満のコツであると話してくれたが、私にはどうも出来そうには無い。
此処は、屋久島から戻り指宿の道の駅を通り過ぎて鹿児島市寄りに有る「喜入」と呼ぶ道の駅であるが、そこで久し振りに此処にある温泉に入り屋久島で痛めた左膝をしっかり揉むと、翌日はすっかり治っていた。

しかし、屋久島で余りに歩き過ぎたことも有り、次の日は両足がバンバンに固まり一日中歩くのが辛かった。
此処は、前日に旧友の家で一泊させて貰い、この日は出水と水俣へ行った後に人吉の先に有る(秘境で知られる五家荘の)五木の里(道の駅)であるが、今回の九州旅行の中で一番小さな駅であった。

しかし、此処には外灯が無く夜半から降り出した雨が一晩中降り続いたので、何をする事もなく(テレビも映らないので)車内で懐中電灯の明かりの中で久し振りの書き物をした。

だが、この駅の良かった所は、到着してから夕方まで「五木の子守唄」の曲が流れていた事で、途中通って来た人吉は大きな町であったが、人吉から30km先に有る五木はとっても寂しく、静かで何にも無いながら此処が平家の落人の里であることをしんみりと教えてくれた、本当に何〜んにも無い五木であった。
此処は、阿蘇の入口に有る「大津」と呼ぶ道の駅で、阿蘇の山並みが雲の合間から少し見えていた。

そして、前日は五木の里から球磨川沿いに八代へ行き、ここで半月分の洗濯をしてから熊本市を通って此処へ来たのだが、五木が小さく寂しかっただけに、この大津が大きく賑やいで見えた。

しかし、飛行場が近く旅客機の騒音に悩まされたが、これも五木の里が物音ひとつしない静かな山間いに有っただけに余計にそう感じたのかも知れない。
此処が厳木(きゅうらぎ)で、佐賀の山の中に有り温泉に入る事が出来る道の駅だが、もう少しで唐津に抜ける有明湾からはかなり離れた場所にあり、温泉に入りたかったのと翌日は吉野ヶ里へ行くのに都合が良かったので最初から決めていた。

そして、此処にはご覧の通りの「佐用姫の像」があり、20分でひと回りする15m以上はありそうな大きな像で有った。

そこで、夕食を済ませてからこの駅の右側を下って行った所にある「佐用姫の湯」と呼ぶ温泉へ歩いて行き、ゆっくり温泉に入り再びこの道の駅に戻り休んだ。
此処は、島原に有る「みずなし本陣」と呼ぶ道の駅で、土石流で埋まった民家を永久保存する設備があったり、駐車場が広くかなりの車が駐車していたが、此処では駐車場側に車を照らす外灯が無く全て歩道に向いていたので仕方無く歩道の隅に駐車すると、パトカ−が来て職務質問をされた。そして、理由を話すと状況は分かるが、此処は車を停める場所ではないと警察官は言い移動する様にと言われたが既にアルコ−ルを飲んでいると話すと、仕方無く帰って行った。
此処は「西海」で、この先に西海橋が有る。

最初は、長崎と此処の中間に有る外海(そとめ)と言う道の駅に泊まり長崎観光を予定していたが、長崎市内で車を停める場所が見つからず、長崎を諦めて外海に少し寄り西海まで来てしまった。

そして、此処には駅の前にコンビニがあり(今回初めて)食料やアルコ−ルを買う事が出来た。

ここでも巡回中の警官から励ましの言葉を貰ったが、多分山梨ナンバ−を見て言葉を掛けてくれたのだろう。
此処は、玄界灘の東松浦半島の先端にある「桃山天下市」と呼ぶ道の駅で、佐世保→有田→伊万里→唐津と走り4時半に此処へ着いた。

しかし、丁度この時期に唐津で男の子が殺され犯人が今も捕まっていない事と、犯人の車が紺色である様で家へ連絡を入れると、妻は心配をしていた。
此処が九州のぶらり旅で最後の「原鶴」と言う福岡県にある道の駅である。

そして此処にも原鶴温泉があり、その温泉場へ行って見たが、どうも見覚えの有るインターチェンジだと思ったら、九州で最初に泊まった浮羽(うきは)と同じ杷木インタ−である事が判った。

と言う事は、杷木インタ−で浮羽は左で原鶴は右と言うことで、翌日その浮羽に行って見て其の場所を再確認し一枚撮った画像が実は、この道の駅の最初に載せた画像であり、撮って置かなければ先にご説明の通り、此処へ載せる事が出来ない貴重な画像である。
と言うのは、どこかで書いたが、浮羽〜西都原までの画像がパソコンの不調で170枚の画像が全て消滅していた。
此処、は尾道に有る「アリストぬまくま」で、当初は下関で泊まり、岩国の錦帯橋や広島で原爆ド−ムを観たり、福山の鞆の浦で鯛を観たりする予定であったが、胃炎で思う様に食事が摂れず仕方無くこの予定をパスして、翌日のしまなみ海道行きに備えた。
此処は淡路島の神戸寄りに有る東浦タ−ミナルパ−クだが胃が少しずつ悪くなり、明日は山梨に向けて帰る事を決め、温泉を探したけれど判らずにそのまま休んだ。そしてこの地が先の阪神淡路震災で大きな被害を出した北淡町の隣町で、恐らく此処も大きな被害を出したであろうが、見た限りではすっかり復興していた。

そして、この道の駅が恐らく長い「ぶらり旅」をこれで卒業すると言う意味で、最後の道の駅になる事をこの時は考えては居なかったが、今その様に考える中で、想い出に残る道の駅になると思う。

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