第七十四話


「これは、神剣の気――!」

 とっさに、ナギは防護膜(ぼうごまく)の下に広がっている町並みに目を凝(こ)らした。

 夜の都は真っ暗で、時折(ときおり)通り過ぎる牛車や人の姿もはっきりしない。

 場所は四条大路(しじょうおおじ)のあたりだろうか。

 大小貴族の邸(やしき)が整然(せいぜん)と立ち並んでいる。

 しだいに遠ざかる気配(けはい)に、ナギは苛立(いらだ)ちをつのらせた。

 確かめようにも、防護膜から降りる方法を知らなかった。

「セイラさま、神剣を見つけました!オレを降ろしてください、セイラさま!」

 だが、すでにセイラの意識はなかった。



  


 ――あの子どもは……私……。

『そう、あれはおまえだ』

 ――誰……?

『私は、おまえの中に眠るもの。あの子どもを思い出したくないか?』

 ――とても、いやな感じがする……。

『そうだね、拒絶(きょぜつ)したくなるのは当然だ。でも、もう時間がない。早くしなければ手遅れになる』

 ――手遅れ……手遅れになったら、どうなる?

『……すべては終わる。おまえのせいで……』

 ハッとして、セイラは目を覚(さ)ました。

「あっ!姉さん、セイラ気づいたよ!」

「真尋(まひろ)……?」

 一瞬、セイラは自分がどこにいるのかわからなかった。

「あれっ、なんでぼくがいるんだって顔だね、セイラ。姉さんに頼まれてた小物をさ、さっき届けに来たんだ。そしたらセイラが倒れたって聞いて……」

 まわりを見ると、そこは確かに自分の邸の母屋(おもや)で、セイラは夜具(やぐ)の上に寝かされていた。

「そうか、私は……」

「セイラ!気がついたのね、よかった――!」

 綺羅(きら)姫が、髪を振り乱して枕元に駆け寄ってきた。

「後を追っていたオルフェウスが、あんたたちのようすがおかしいって気づいて、連れ帰ってくれたのよ。セイラ、ずっと目を覚まさないから心配したわ。オルフェウスは、手当てしたからしばらくすれば目を覚ますはずだって言ってたけど……」

 ほっと吐息(といき)をついた綺羅姫を見て、真尋はきょとんとした。

「その、おるふぇ…って誰だよ、姉さん」

「ああ、真尋は会ったことなかったわね。さっきも、あんたがくる少し前に出かけちゃったから。話せば長くなるけど、オルフェウスはその…セイラの側近(そっきん)なの。セイラのこと、心配して捜しにきたのよ」

「へえ!側近がいるなんて、セイラすごいんだね」

 すんなりと受け入れた真尋に、今度は綺羅姫が目をぱちくりさせた。

「へえって……あんた、それだけ?他に言うことないの?どこからとか、どうやってとか……」

「話せば長くなるんだろ?ぼくはそういうの、あまり深く考えないたちだから」

 綺羅姫はあきれ顔で吐息をついたが、心は軽くなった。

「あんたって、ほんと大物なんだかバカなんだかわからないやつよね」

「バカってなんだよ!バカって……勝手にセイラんとこ押しかけてきた姉さんに、言われる筋合(すじあ)いはないね!」

「なんですって――!」

 鼻息も荒くそっぽを向きあう二人をよそに、セイラは起き上がった。

「セイラ!まだ寝てなきゃダメよ。意識が戻ったばかりなんだから」

「もう大丈夫だよ。それより、ナギはどこに……?」

「ナギなら、神剣を見つけたって言って、またオルフェウスと一緒に出かけたわ」

「見つけた!?……そうか。なら、こうしてはいられない」

 夜具を離れようとするセイラを、真尋が呼びとめた。

「あっ、ちょっと待って!ここにくる前、門のところで女房(にょうぼう)風の女に声をかけられてさ、文(ふみ)を預(あず)かったんだ。セイラにって……ほら、これ!」

 真尋は綺羅姫の目を気にしつつ、懐(ふところ)から料紙(りょうし)を取り出した。

 受け取って、文に目を通すセイラの顔が、しだいにこわばっていく。

「あの…セイラ、文は誰からだったの?」

 送り主が気になって仕方がない綺羅姫が、遠慮がちに声をかける。

「ああ、権中将(ごんのちゅうじょう)殿からだよ。大内裏(だいだいり)の再建(さいけん)のことで、相談があると……」

 嘘(うそ)だった。

 文は安倍晴明(あべのせいめい)からで、五日後如意ヶ嶽(にょいがたけ)にて待つ――と書かれてあった。

 如意ヶ嶽は、都の東側に連なる東山連峰(ひがしやまれんぽう)の中にある。

 標高はそれほど高くはないが、連峰の主峰(しゅほう)をなしていた。

 文面は、そこで神剣を交換(こうかん)しようという内容だった。

 だが神剣が見つからなければ、交換に応(おう)じることもできない。

 そればかりか、柄岩(つかいわ)島の神剣が晴明の手に渡ってしまったら――

「思い出した!さっき言ってた神剣って、西国の島にあったっていう剣のことだろ!?この前、権中将殿が話してるのを聞いたんだ。誰にも抜けなかった剣を、セイラが抜いて持ち帰ったって!」

「ただのうわさだよ、真尋。私はなにも……」

 セイラはごまかそうとしたが、真尋は聞いていなかった。

「セイラも人が悪いよ。そんなすごいもの持ってるなら持ってるって、ひとこと言ってくれればいいのに」

 言いながら、真尋は懐(ふところ)から細長いものを取り出して、反対側の肩をポンポン叩(たた)きだした。

「そしたら、ぼくだってみんなに自慢できたのにさ。あっ、別に自慢したいわけじゃないよ。剣を抜いたのはぼくじゃないし……けどさ、みんな話を聞きたがるだろ?そこでぼくが……なに?姉さんもセイラも変な顔して……えっ、これ?」

 真尋は手を止めて、肩を叩いていたものを指さした。

「変わった形してるだろ?でも、これで肩を叩くと気持ちいいんだ。最近文書の整理ばかりさせられて、肩が凝(こ)っちゃてさ。適当な道具を探してたら、下働きの者が見つけてきてくれたんだ。これがもう癖(くせ)になっちゃって……」

 再び肩を叩きはじめる真尋に、唖然(あぜん)としていたセイラは気をとりなおして話しかけた。

「真尋、神剣のこと黙っていて悪かった。でも失くしてしまって、今捜してるところなんだ」

「失くしたー!?せっかくの剣を!?どっ…どうするんだよ、セイラ。大切な物なんだろ!」

 自分のことのように慌(あわ)てふためく真尋を見て、セイラはにこにこしながら、

「ああ、でも見つけた。真尋、おまえが持っているのがその神剣だよ」

 真尋はぽかんと口を開けて、自分が手にしているものをしげしげと見つめた。

「え――っ!!」

 その時、神剣を捜しに行っていたナギが戻って、母屋に駆けこんできた。

 あいさつをする間もなく、きょろきょろとあたりを見まわしたかと思うと、真尋が持っているものを指さした。

「ああ――っ!!」


  


 翌日、セイラは西の対屋にいる理空(りくう)を見舞った。

「顔色が、だいぶよくなりましたね」

 微笑(ほほえ)みかけるセイラに、理空は深く頭を下げた。

「おかげさまで、身体の方はすっかりよくなりました。ただ…少し気分が落ち着かなくて、写経(しゃきょう)でもと思ったのですが……」

 そう言って、視線を走らせた文机(ふづくえ)の上には、経文(きょうもん)とまっさらな紙がおかれている。

「お恥ずかしいことに、雑念が多すぎて思うように手が動いてくれません。なぜ、嵯峨宮(さがのみや)はセイラさまの石を欲しがったのか。安倍晴明まで……私は誰に助けられたのか。どうやってあの草庵(そうあん)から……考えるとわからないことばかりで……」

「あなたを助け出したのは、嵯峨宮です」

 驚く理空に、セイラは二人の中身が別の世界からきた人間であることを話して聞かせた。

「嵯峨宮は私に復讐(ふくしゅう)するため、安倍晴明は柄岩島の剣と交換するために、あなたが持っている石を手に入れようとしました」

「復讐……!」

 つぶやいて、理空は暗い目をした。

「それは誤解だったことがわかり、嵯峨宮は責任を感じて、あなたと石を取り戻すと言ってくれたのです」

「そうでしたか……」

 やわらいだ表情に、またしても翳(かげ)が差す。

「ですが、石は晴明に……」

 セイラは色づきはじめた庭を眺(なが)め、それからにっこりと笑った。

「あなたが助かっただけでもよかった。後は私が……」

「晴明と、闘(たたか)うおつもりですか?」

「闘いはしません。私が持っている剣と交換するだけです。それより……」

 セイラは、文机の上のまっさらな紙を見つめて、

「これからのことを迷っておられるなら、もう一度、理空として参内(さんだい)するおつもりはありませんか?」

 参内と聞いて、理空の心は揺(ゆ)れ動いた。

 だが――

「いいえ……私は、柄岩島に帰ろうと思っています」

「内裏(だいり)であなたを必要として、困っているお方がいるとしても……?」

「私は一度死んだ人間です。そんな者が内裏をうろついていては、またしても宮中の平穏(へいおん)が乱されるでしょう。そのようなことを、そのお方も望んでいるはずがありません」

 そう言った理空の目には、強い意思(いし)の光があった。

 セイラは吐息をついて、それ以上の言葉をあきらめるしかなかった。

「では、旅立ちの日が決まったらお知らせください」

「四日後の吉日(きちじつ)に……」

 打てば響くような返答にセイラは驚いたが、理空の中ではとっくに決めていたことなのだろうと思った。

「四日後……ですか」

 それは、晴明――ザフと剣を交換(こうかん)する日でもあった。

「私は用事があってお見送りできないかもしれませんが、旅のご無事をお祈りしています」

 立ち去ろうとするセイラを、とっさに理空は呼びとめていた。

「セイラさま――っ!」



  
  


「なにか……?」

「あっ、いいえ……」

 石を手に入れたら、セイラがこの都にとどまる理由はなくなる。

 ではこれが、最後の別れになってしまうのか――

 胸の奥ににぶい痛みを感じる理空の口から、意外な言葉がついて出た。

「ご自身のためでないのだとしたら、セイラさまはどうして石を手に入れようとなさるのですか?」

 一瞬驚いた顔をして、それからセイラは微笑(わら)った。

 本当は、もうわかっていた。

 誰に命じられたからでもない。

 これは、自分に課(か)せられた使命なのだと。

 逃げることも、拒(こば)むこともできない――だから微笑(わら)った。

 胸に沁(し)みいるその笑顔を、理空は生涯忘れることはなかった。


  


「セイラ――!」

 内裏(だいり)の渡(わた)り廊下(ろうか)で、セイラは篁(たかむら)に呼びとめられた。

「剣(つるぎ)が見つかったって、真尋(まひろ)から聞いたよ」

 周囲に目を配(くば)りながら、小声で話しかける篁の顔色は冴(さ)えなかった。

「それはよかったけど……あの夜、おまえが言ってたことがずっと気になっていたんだ。安倍晴明(あべのせいめい)の式神(しきがみ)が、神剣を奪おうとしたって――」

 そこまで言うと、突然篁は手で口を塞(ふさ)がれた。

「少し歩こう、篁」

 並んで庭を歩いていると、芳香(ほうこう)が漂(ただよ)ってくる。

 セイラの額(ひたい)を飾(かざ)るセリカラージュの匂(にお)いだった。

「セイラ、さっきのことだけど……」

「理空(りくう)殿が見つかったよ」

 言われて、声もないほど驚いている篁を、セイラは振り返って、

「見つかったというより、グェンが…嵯峨宮(さがのみや)が捜し出してきてくれたんだ。残念ながら、神剣は見つからなかったけど……理空殿は今、私の邸(やしき)にいる」

「嵯峨宮が……そうか、やっと誤解が解(と)けたんだね」

「そればかりか、神剣を奪われたことを自分の責任のように感じている。あまり思いつめてほしくないが……嵯峨宮から理空殿と神剣を奪ったのは、安倍晴明だよ」

「な…っ、安倍殿にそんな力が――!?すぐれた陰陽師(おんみょうじ)だとは聞いてるけど、あの嵯峨宮から――!」

「しっ!声が大きいよ、篁」

 言われて、篁はあわてて口をふさいだ。

 さいわいにも、二人の話を聞いていたらしい者は近くに見当たらなかった。

「姿かたちは晴明でも、中身は別人にすりかわっていたんだ。私と同じ世界からやってきた、ザフという能力者に……」

「能力者――っ!嵯峨宮の他にも、まだそんなやつが……闘(たたか)う、ことになるのか?」

「闘わないよ。ザフが欲しがっているのは、私が持っている柄岩(つかいわ)島の剣。だから、おたがいの剣を交換(こうかん)することにした」

「嵯峨宮から、力づくで理空殿と神剣を奪い取ったやつだぞ!おまえの持っている剣だって、式神を使って奪おうとした!そんなやつの言うことが信用できるのか!」

「奪えなかったから、交換するしかないと思ったんだろう」

 セイラはくすくす笑って、目の前に広がる大内裏(だいだいり)の焼け跡(あと)を眺(なが)めた。

 篁は、はっとしてセイラを見つめた。

「まさかとは思うが、阿黒王(あくろおう)を甦(よみがえ)らせたのもそのザフの仕業(しわざ)か?」

「ああ。都を混乱に陥(おとしい)れ、隙(すき)をついて神剣を奪おうとしたんだろう。あわよくば、私を葬(ほうむ)ってくれることも期待していたかもしれない」

 篁はこぶしを握(にぎ)りしめ、目を怒(いか)らせてセイラにつめ寄った。

「そんなやつとまともに剣の交換ができると、本当に思っているのか!?敵……なんだろ?柄岩島の剣を欲しがっているということは、つまり……」

「神奈備(かむなび)の神と争った側にいる者……だね」

 愁(うれ)いを帯(お)びた目を伏(ふ)せて、セイラは声を落とした。

「篁、時々思うことがあるよ。なぜ私は…私たちは、神のために奔走(ほんそう)するのかとね。神なんかいなくたって、この世界はずっとあり続けてきた。これからもそれは変わらない。煩(わずら)わされる必要はないはずだって……でも、たぶん……」

 顔を上げたセイラの厳しい横顔に、篁はかける言葉をなくしていた。


  


「ひ…姫さま、本当になさるおつもりですの?文(ふみ)を盗(ぬす)み読みするなんて、こんなことがセイラさまに知られたら、わたくしもう生きていられませんわ」

「しっ!声が大きいわよ。知られたら困るから、桔梗(ききょう)はここで楷(かい)がこないかどうか見張ってるんでしょ!」

 嫌がる女房(にょうぼう)の桔梗を、無理やり母屋(おもや)まで引っ張ってきた綺羅(きら)姫は、あたりをうかがいながらおし殺した声で言った。

「あの文を読んだ時の、セイラの真剣な顔ったらなかったわ。あれは絶対、権(ごんの)中将からの文なんかじゃない。セイラはなにか隠してるわ。あたしの勘(かん)がそう言ってるの。まさかとは思うけど、佐保……とにかく、桔梗はここにいて!いいわね!」

 曲がり角の簀子縁(すのこえん)に桔梗を残して、綺羅姫は部屋の中へ忍び込んだ。

 文箱(ふばこ)の場所はわかっていた。

 二階厨子(にかいずし)の下段にある、黒地に螺鈿(らでん)がほどこされた箱――

 綺羅姫の足はまっすぐにそこへ向かった。

 足をとめ、うしろめたさを振り払って蓋(ふた)を持ち上げる。

 無造作(むぞうさ)に重ねられた文の一番上に、それはあった。

「これだわ!」

 文を手に取って広げると、そこには一行(ひとくだり)の文字が書かれているだけだった。

「なに……これ?」

 その時――

「綺羅姫さま見ーつけた!桔梗さま、姫さまここだよ――!」

「いいのです真純(ますみ)、こちらへいらっしゃい!わたくし、姫さまはどこかしらと言ってみただけで、捜してほしいなんて一言も頼んでませんわよ!」

「ええー、姫さまたちだけずるい!真純もかくれんぼしたい!」

「なんだなんだ?真純、女房殿となにを騒いでる?」

 真純に見つかった上、遠くから護純(もりすみ)の声が近づいてくると綺羅姫はやきもきした。

 ――もう、桔梗ったら!騒いだら人が寄ってきちゃうじゃない!

「おや?姫さんまで、こんなところでなにしてる?」

 部屋の入り口に現れた護純を見ると、綺羅姫は観念して太い腕を引っ張り、強引に中へ引きずり込んだ。

「桔梗、真純、あんたたちもこっちへ!こんなところを楷に見つかって、長々とお説教されたくないでしょ!」

 四人が部屋に入ると、護純は真顔になって綺羅姫に問いただした。

「どういうことか説明してもらえるかな、姫さん。セイラ殿がいない間に、主(あるじ)の部屋に忍び込んでなにをしていたか……」

 痛いところを突かれてたじろぐ綺羅姫の目に、反撃の火がともる。

「文を探していたの。これよ!」

 綺羅姫は三人の前に、持っていた文を広げた。

「五日後…如意ヶ嶽(にょいがたけ)にて待つ……なんですの、これ?」

 意味がわからずぽかんとしている桔梗を前に、綺羅姫はあることを思い出していた。

「この前、この文を見てセイラは顔色を変えたわ。あたしは、もっと別のことが書いてあると思ってたんだけど……でも、あのことだとしたら探しにきてよかった。これを知らずにいたらと思うと……」

 護純は眉間(みけん)にしわを寄せて、腕を組みながら、

「つまり…どういうことなんだ、この文は?」

「あたしも、最初はなんのことかわからなかったわ。でも阿黒王が都を襲う前、セイラが話してくれたことを思い出したの。嵯峨宮から理空さまと神剣を奪ったのは安倍晴明で、晴明が本当に欲しがっているのは、セイラが持っている方の神剣だって……だからこの文は、もしかしたら……」

「向こうが神剣を取りかえる日と場所を言ってきた、ってことか」

 護純の言葉に、綺羅姫は大きくうなずいた。

「この文を受け取った時、セイラは権中将からだって言ったわ。真尋がいたからってこともあるでしょうけど、あたしたちには言うつもりがないのよ。理空さまは取り戻せても、神剣を取り戻すことがどれほど難しいか、セイラにはわかってるんだわ」

「あの……剣を取りかえるだけでしたら、なにも問題はないのでは……?」

 桔梗の言うことはもっともだったが、綺羅姫は納得しなかった。

「桔梗は知らないから、そんなことが言えるのよ。晴明が嵯峨宮から神剣を奪った時のことを考えると、素直に神剣を取りかえてくれるとは思えないわ」

「安倍晴明か、大した陰陽師だってうわさだな。その嵯峨宮ってやつのことも、柄岩島で聞いた覚えがある。嵯峨宮はセイラ殿を呼び出すために神剣を持ち去ったらしいが、晴明はなぜ神剣を欲しがるんだ……?」

「それは……」

 綺羅姫は言葉につまった。

 護純に言われるまで、考えてみたこともなかったからだ。

「セイラの神剣は晴明が持ってて……セイラが持ってる神剣が晴明の剣だから……かしら?」

「おいおい、二つの神剣はそっくりだって言うじゃないか。俺たちが触(さわ)ったところで、神剣はびくともしない。刀身(とうしん)を引き出すこともできやしないんだ。あの刀身は、セイラ殿ほどの特別でかい気を持った者にしか引き出せないんだろう。晴明に、それほどの力があるっていうのか?」

「……わからないわ」

 綺羅姫は晴明を知らない。

 会ったこともない晴明について、セイラの話だけで想像するしかなかった。

 だが嵯峨宮が襲われた時の、言いようのない重苦しさは今も心に残っていた。

「でも、とても嫌な感じがするの。胸がざわついてしようがないのよ。五日後って明後日(あさって)よね。あたし……やっぱりセイラの後を追うわ!」

「まあ、姫さま!」

「行く行く!真純も行く!」

「ああ!これだから女ってのは……」

 言いながら髪の毛を掻(か)きむしる護純は、ふいにその手を止めた。

 真剣そのものの綺羅姫の顔が、目に入ったからだ。

「姫さんひとりの足じゃ、如意ヶ嶽へもたどり着けまい。俺もついていってやるよ」


 
ミシッと、簀子縁(すのこえん)を踏(ふ)むかすかな音がした。

 母屋から遠ざかっていくひそやかな足音に、その時誰も気づく者はいなかった。



  
次回へ続く・・・・・・  第七十五話へ   TOPへ