第六十九話
と、視界(しかい)の隅(すみ)で、雑木林がガサッと動いた。
やってきたのは、色白で切れ長の目をした狩衣(かりぎぬ)姿の男。
忘れもしない男の顔に、嵯峨宮(さがのみや)の血が沸騰(ふっとう)する。
「出てきなさい、嵯峨宮。これ以上僧侶(そうりょ)につきまとうつもりなら、容赦(ようしゃ)はしませんよ」
呼びかけに応じて、嵯峨宮は茂(しげ)みから進み出た。
直衣(のうし)は薄汚れ、烏帽子(えぼし)はどこかへいって、髻(もとどり=髪を頭の上で束ねたところ)がほどけている。
幾日も野宿を重ねた結果だったが、探し求めた相手を前にして、その目は爛々(らんらん)と輝いていた。
「おまえが現れるのを待っていた!力ずくで、僧侶を奪っていったのはおまえの方だろう!僧侶はある人に返す約束をしている。この結界(けっかい)を解いて、今すぐ渡してもらおうか」
男はクッと笑って、嵯峨宮の風体(ふうてい)を見まわしながら、
「その必要はありません。僧侶は、私からセイラさまにお返ししておきます。もちろん、それなりの見返りはいただきますが……」
それを聞くと 嵯峨宮はビクッとして男をにらんだ。
「なぜ、それを知っている!?」
「見ていたからですよ。二人が戦っているところを……私も、セイラさまに譲(ゆず)ってほしい物がありましてね」
「見ていた?お、まえ……まさか――!」
ある疑惑(ぎわく)が生じ、動揺(どうよう)する嵯峨宮にかまわず、男は手をのばして見えない結界に触(ふ)れた。
「ずいぶん痛めつけてくれましたね。でも無駄な努力でした。これは、私がこの時空にやってきて最初に作った、言わば砦(とりで)のようなもの。原始的なこの世界の人間はもちろん、あなたのような能力者に攻撃されることを想定して、結界の上に強固な防壁(ぼうへき)を張り巡(めぐ)らしてあるので、誰にも破ることはできません。ああ、ご安心ください。水や食料は運ばせておきましたから、僧侶はまだ生きていますよ」
「無駄な努力、だと――っ!」
嵯峨宮の身体(からだ)からほとばしる闘気(とうき)が、木々を揺(ゆ)らしざわめかせる。
「無駄かどうか、すぐにわかせてやる!」
相手の胸に向けた指先を下げて、嵯峨宮はその足元に閃光(せんこう)を打ち込んだ。
瞬間――
地中から立ち上がってきたものを避(さ)けて、上空へ逃れる。
地上にいる男は、瞬(またた)く間に三丈(さんじょう=約九メートル)ほどもある、巨大な膜(まく)のようなものにからめとられてしまった。
膜は自在(じざい)に絡(から)み合い折り重なって、しだいにその容積を縮(ちぢ)めていく。
立ったままの男の輪郭(りんかく)が上から確認できるほどになると、嵯峨宮は目を細めた。
「私が、なにもせず見張っていただけと思ったか!それは衝撃(しょうげき)を受けると、石ころほどの大きさまで縮んでいく。異物があってもおかまいなしだ。クックック……結界を解くには、作った者に死んでもらうのが手っ取り早い。そいつをここまで広げるのは苦労したが、おまえの命運もこれで終わりだ!」
その時、暗黒の膜の一部が赤く染まった。
それはしだいに光度を増して、ついには膜を突き破った!
前方にあった木が、一瞬にして燃え上がる。
下りてきた嵯峨宮は、焼け焦(こ)げた膜の中から無傷で現れた男を見て、悔(くや)しさをにじませた。
「なるほど。動けない者を痛めつけるしかできないと思っていたが、能力者としての実力も相当あるということか。どこかで見たことがある顔だが、その顔も借り物だろう。なにが狙(ねら)いだ!」
「言いませんでしたか?セイラさまに譲(ゆず)ってほしいものがあると……あなたは、セイラさまをここへ連れてきてくれるだけでよかったんです」
「ふざけるな!僧侶は私が返すと約束したんだ!私が……この手で、お返しするんだ――!」
立て続けに放った閃光(せんこう)弾は、ことごとく星形の文様(もんよう)をした男のシールドによって跳(は)ね返された。
なおも執拗(しつよう)に閃光弾を放つ嵯峨宮に、男は苛立(いらだ)って、
「やめてもらえませんか。こんなせまい山の中でそんなものを使ったら、山火事がおきてしまう。僧侶が蒸(む)し焼きになってもいいんですか?」
「蒸し焼きになる前に、結界を解けばいいだろう。こっちには好都合だ!」
嵯峨宮はそう言って、燃えている一本の木を根元から吹き飛ばした。
舞い上がった木の枝が飛び散って、方々から火の手があがりはじめる。
「まったく!あなたのように考えなしに行動する人間には、我慢なりませんね。言っても駄目なら、力ずくでわからせてやりましょう!」
男の手から浮き上がった複雑な文様が、巨大な円盤と化していく。
その円盤が発する青白い光が、嵯峨宮を包(つつ)んだ。
「なっ…力が……!」
「どうです?身体が痺(しび)れて動くこともできないでしょう。私は臆病(おくびょう)なので、相手の動きを止めてからでないと安心できないのです。でもこれで――」
男の指先から放たれた閃光が、嵯峨宮の腕や足を貫(つらぬ)く。
「あなたはもう、攻撃をよけられない。こんな単純な攻撃ですら……」
もてあそぶように、急所を外(はず)しながら閃光を打ち続ける男の顔が、愉悦(ゆえつ)に歪(ゆが)む。
その目が大きく見開いて、とどめを刺そうとした時――
男の前に、燃えさかる大木が倒れてきた。
見ると、周囲の林は火の海で、もはや手に負(お)えない状況になっていた。
「おやおや、こんなことをしている場合ではなさそうだ。こうなっては、やはり結界を解くしかなさそうですね」
男がなにもない空間に手をのばすと、それまで低木が茂(しげ)っていたはずの場所に、忽然(こつぜん)と草庵(そうあん)が現れた。
「主(ぬし)さま……」
草庵の入り口に、髪を後ろで束(たば)ね小袖(こそで)をまとった女が倒れている。
男は駆け寄って、女を助け起こし、
「ここはもうだめだ。斑(まだら)、飛べるか?」
「は…はい。お坊さまがまだ中に……」
「僧侶は、私が草庵ごと他に移す。おまえはすぐにここから離れろ」
手のひらから黄褐色の蝶(ちょう)が飛び去ると、男は眼前に四角い透明な玻璃(はり=ガラス)のようなものを出現させた。
七色のきらめきを放つその玻璃の表面に、気ぜわしくなにかを打ち込んでいく。
すると、裏面から発せられた光束(こうそく=ビーム)が草庵を大地から引きはがし、煙のような流動体に変えて取りこんでいった。
草庵を取りこんだ玻璃は、切り裂(さ)かれた空間の中に吸い込まれるように消えていく。
その光景を見た嵯峨宮は青ざめた。
「お…まえ、なにを…した!?」
「おや、まだ生きていたんですか?とっくに焼け死んだと思っていたのに……」
男は、血まみれのまま動けずにいる嵯峨宮に近づいていった。
「ここはもう使えないので、一時(いっとき)草庵を時空間航路にあずけたのです。まさか、こんなことになるとは……」
今や炎熱(えんねつ)地獄と化(か)した林を見まわして、男は呆然(ぼうぜん)とし、こみあげてくる怒りに身を震(ふる)わせた。
「やはり、あの時あなたを始末(しまつ)しておくべきでした。虫けらとはいえ、侮(あなど)っていると足元をすくわれる。それがよくわかりましたよ。ならば、ここで完全に息の根を止めておかなくては……」
男の右手があがって 浮き出た文様が嵯峨宮に向けられる。
放たれる殺気は、必殺の一撃を予感させた。
「うぬぬ……」
渾身(こんしん)の力で、呪縛(じゅばく)を解こうとする嵯峨宮。
だが、防御の姿勢もままならないうちに、文様から現出した特大の光球が眼前に迫(せま)った!
次の瞬間――
ドォーンという激突音がして、猛烈な爆風が起こり、炎上する木々がなぎ倒されていった。
とっさに、なにが起きたのか嵯峨宮にはわからなかった。
そこに下り立った、長い髪の人影を見るまでは――
「皇子……!」
気弾(きだん)で光球を吹き飛ばし、炎の中に下り立ったセイラは、なにが起きているかを瞬時に理解した。
それから、嵯峨宮の異変(いへん)に気づき、
「麻痺(まひ)しているのか。どおりで……」
つぶやいて、もうひとりの男に向きなおり、表情を険(けわ)しくした。
「驚きましたよ。ここであなたに会うとは……ここにいるのは、嵯峨宮から僧を奪っていった者のはず。あなたがそうだと思ってかまわないのですね、晴明(せいめい)殿」
名を呼ばれて、安倍晴明は唇(くちびる)に暗い笑みを浮かべた。
「私が僧を奪ったのは、セイラさまの手助けができればと思っただけのこと。僧は、いずれお返しするつもりでした。ここにいたのも、嵯峨宮を捕縛(ほばく)すべしという帝の命があったればこそ……他意(たい)はありません」
とりすました晴明の返答に、セイラの波動(はどう)が一気に高まっていく。
「捕縛?あの攻撃が捕縛のためだったと……?私が止めなければ、嵯峨宮の命はなかった!」
「山火事を起こして、結界の中の僧を蒸し焼きにしようとした愚(おろ)か者に、情けをかける必要がありますか?嵯峨宮は、セイラさまを殺そうとした敵ではありませんか」
「皇子(おうじ)!私はもう――!」
「ああ、わかっている……ところで、あなたは誰です?」
すべてを見透(みす)かすようなその目に、晴明は一瞬ゾクリとして、即座(そくざ)に笑い飛ばした。
「ふっ、ははは。お戯(たわむ)れを……さきほど名を呼んでくださったではありませんか。もうお忘れになったのですか?」
「最初から違和感はありました。陰陽師(おんみょうじ)と言いながら、あなたの発する気は、能力者の気そのもの。はじめは、この時代にも能力者がいたのかと思いましたが……陰陽師である晴明殿なら、僧を奪って結界に閉じ込める必要はないはず。あなたは何者で、なんの目的があってこんなことをする!?」
「さすがはアストリアの皇子。話が手っ取り早くてなによりです」
晴明は開き直って、態度を豹変(ひょうへん)させた。
「私の名はザフ。わが教主(きょうしゅ)より、この時代にあるものを手に入れるよう命を受けてきました。陰陽師という役目にあるこの者なら、多少の力を使えると思いすり替わったのですが……その時のぞいた記憶の中に、おもしろいものを見つけましてね」
ザフの目が妖(あや)しく光り、挑(いど)むようにセイラを見すえた。
「神奈備(かむなび)の言い伝え……と言えばおわかりでしょう。私は、その石こそ教主(きょうしゅ)のものではないかと思ったのですが、それは聖羅(せいら)の神のものだという。その神の姿かたちをのぞいたところ……フッフッフ、驚きました。あなたそっくりではありませんか。いずれあなたはその邑(むら)へ行くことになる。私はそう確信しました」
どこか遠くの方で、シュウ――ッという火の消える音がした。
この山火事を相手に、誰かが延焼(えんしょう)を防(ふせ)いでくれているのか――
ザフはふんと鼻を鳴らして、先を続けた。
「とはいえ、それは私には関係のないこと。私が探しているものがない以上、神奈備への興味は失せました。それからの二年はあっという間でしたよ。なにしろ、手がかりがないのですから……そろそろ焦(あせ)りはじめたころ、時空遡行(じくうそこう)の計器(けいき)が異常を感知(かんち)しました。時空遡行者がくる――真っ先に思い浮かんだのはあなたのことです。その時、わたしはあなたを利用することを思いつきました」
「私を、利用……?」
「あなたの記憶を封印(ふういん)して、私の手伝いをしてもらうことにしたのです。時空間航路で待ちかまえ、やってきた無防備(むぼうび)なあなたの脳(のう)に一撃(いちげき)をくらわすのは、楽な仕事でしたよ。それがこんなに長く続いてくれるとは、クックック…あっはっはっ……」
ザフの笑い声を聞きながら、セイラは呆然(ぼうぜん)とした。
「では、私の…記憶を消したのは――」
「おまえか――!!」
麻痺(まひ)の解(と)けた嵯峨宮(さがのみや)の放った閃光(せんこう)が、空(くう)を切り裂(さ)く。
それと気づかないほどのわずかな動きで身をかわして、ザフは顔をしかめた。
「邪魔をしないでくれませんか。ここから話が盛り上がるところだというのに……あなたのように血の気の多い人は嫌いです。まったく、これだからヨルギア人というのは……」
「おまえがっ!!」
ザフの嫌(いや)みを、嵯峨宮は大声でかき消した。
「おまえが記憶を消さなければ、私は皇子と戦う必要などなかった!騙(だま)されていたとはいえ、皇子から話を聞いていたら私はきっと……きっと……」
不覚(ふかく)にもこぼれ落ちる涙を、嵯峨宮は止めるとこができなかった。
思い描いていた将来の夢――
家族との心なごむひととき――
それが無残(むざん)に打ち砕(くだ)かれてしまった今、嵯峨宮にはなにも残されていなかった。
「困りましたね、そう言われても……」
ザフはため息をついて、
「私が皇子にほどこした記憶の封印は、それほど長続きするものではなかったんですよ」
言いわけめいたザフの言葉に、セイラは愕然(がくぜん)とした。
「長続き…するものじゃない……?」
「ええ。半年も一年も記憶を封印(ふういん)しておけるほど、私の能力は高くありません。あなたがいつまでたっても神奈備に行ってくれそうもないので、私の方が焦(あせ)ったくらいですよ。石は、私がすり替(か)えるまでもなく、誰かの手によってすり替えられていました。後は、すり替えられていることに気づいたあなたが、私の探しものもついでに見つけてくれることを願うだけ……」
そう言って、ザフはセイラの胸を指さした。
セイラが手を当てると、そこにあったのは――
「柄岩(つかいわ)島の神剣……か」
ザフは、胸元から赤々と輝く勾玉(まがたま)を取り出して、
「これはわが教主の血で作られたもの。石は、真の所有者にしか反応しないので、この勾玉だけが唯一(ゆいいつ)の手がかりでしたが……」
そう言って、クスクスと笑いだした。
「こうもうまくいってくれるとはね。思惑(おもわく)どおりに事が運ぶというのは、愉快(ゆかい)なものです。これで、私も教主のもとに帰れる」
「その教主の名は?」
「あなたはとっくにご存じのはず。我々は『王家』から目の敵(かたき)にされていますから……ああ、そうでした。まだ記憶が戻っていませんでしたね。これは失礼」
丁重(ていちょう)に頭を下げるザフ。
人を小馬鹿にしたような態度に、セイラは奥歯をかみしめ、
「……いいだろう、交換(こうかん)に応(おう)じよう。結界(けっかい)に閉じ込めていた僧はどうした?」
「お探しの僧は、時空間航路にあずけてあります。と言っても、正確な座標(ざひょう)は私しか知らないので、無辺際(むへんさい)の航路(こうろ)の中を手当たりしだいに探しまわろうとなさらない方がいいでしょう。時空間の揺(ゆ)らぎに取りこまれて永遠にさまようだけです。おや……?」
急に濃(こ)い霧(きり)が立ちこめてきて、あたりは真っ白になった。
霧の冷気と細かな水滴(すいてき)が、まだ燃えている木々を包(つつ)みこみ鎮火(ちんか)させていく。
「セイラさま――!」
上空から声がして、オルフェウスが下り立った。
「遅くなりましたが、火は全部消し止めてまいりました。もう延焼(えんしょう)の心配はありません」
そう言って、血まみれの嵯峨宮ともうひとりの男に目を向けた。
「その男は……?」
「ここでは安倍晴明(あべのせいめい)と名のっている、時空遡行(じくうそこう)者だ。僧(そう)を奪(うば)ったのも、私の記憶を消したのもこの男だ」
「ザフと申します。以後お見知りおきを……オルフェウス・ラーダ」
「私の名を、どうして……」
「あっはっは。有名だからですよ、我々の間では……皇子のいるところ常につき従(したが)う影、冷徹無比(れいてつむひ)な黒衣(こくい)の戦士とね」
「光栄だが……セイラさまに手を出したこと、その身で償(つぐな)ってもらう」
身がまえるオルフェウスに、ザフは首を振った。
「今は、取引の話をしていたところです。皇子には同意していただけましたよ」
言われて、振り返ったセイラの顔には、濃い苦悩の色が浮かんでいた。
「まずは、理空(りくう)殿を取り戻すことが先決(せんけつ)だ」
「賢明(けんめい)なご判断です。お互い欲しいものが手に入るのですから、争う必要はないでしょう」
勝ちほこるザフの薄笑いに、セイラの目が赤みを帯(お)びていく。
その時、後方から特大の火球がザフを襲(おそ)った。
「そんなことをしなくても、おまえを捕(つか)まえて白状(はくじょう)させてやる――!」
嵯峨宮の怒声(どせい)が響(ひび)き渡って大爆発が起こり、もうもうと煙(けむり)が立ち上がった。
「やったか!」
喜んだのもつかの間、煙が薄れてくるとそこにザフの姿はなく、大穴がうがたれていただけだった。
「ふう、これでは話になりませんね。危(あや)うく命を落とすところでした」
上空に逃(のが)れたザフの不機嫌そうな声が聞こえた。
「取引は、また日を改(あらた)めてすることにしましょう。その時は穏便(おんびん)に願いますよ」
ザフが姿を消すと、嵯峨宮はがくっとひざ折(お)れた。
「嵯峨宮!」
駆(か)け寄って手当をしようとするセイラの前に、オルフェウスが進み出た。
「私におまかせください」
嵯峨宮を仰向(あおむ)けにして、衣(ころも)の上から傷口に手を当て治癒(ちゆ)の光を注(そそ)ぎこんでいく。
「なぜ帰らなかった?おまえがここにいる理由は、もうないはずだ」
オルフェウスの言葉に、嵯峨宮は顔をしかめた。
「元の世界に帰っても、皇子を暗殺しようとした罪は重い。終身刑か、よくても外惑星に飛ばされて重労働を強(し)いられるだけだ。待っている者もいない……覚悟はできている。でもその前に……僧侶(そうりょ)を奪(うば)われたのは私だ。だったら、僧侶を取り戻して皇子にお返しするのは私の責任……そう思っただけだ」
「なら、取り戻してもらおう」
「セイラさま――」
オルフェウスが振り向いた先に、柔らかな光を放つセイラの眼差(まなざ)しがあった。
「できるか、嵯峨宮?……いや、グェン」
「命にかえて――!」
嵯峨宮――グェン=ドゥラ・クワは飛び起きて、右手を胸にあてた。
「あいつが…ザフが、巨大な水晶の中に草庵(そうあん)を吸い込んで時空間航路に送りこむのを見ました。航路の中は……あいつの言った通り、不安定な時空の揺らぎが多く存在しますが、そんなところに草庵を送りこむはずがありません。逆に、航路のより安定した変動(へんどう)が少ない座標点を探せば、そこに必ず……」
「航路内を探索(たんさく)……か。危険なことに変わりはないよ。それにどうやって航路の中に……」
グェンは袖(そで)をまくって、腕(うで)にはめられている装置(そうち)を見せた。
「この時空遡行機があれば、中に入れます。皇子もお持ちかと……」
「……いや」
はじめて見るといった顔のセイラに、オルフェウスはぞっとして、額に手を当てた。
「どこかで落とされたのでしょう。私がこなければ、セイラさまは元の世界に戻れないところでした」
「そうか。私は、それでもよかったんだけど……」
つかの間、翳(かげ)のある笑(え)みを刻(きざ)んで、セイラは決然(けつぜん)と踵(きびす)を返した。
「私は邸(やしき)に戻って、ザフからの知らせを待つ。決して無理はするなよ、グェン」
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