第六十二話
狐(きつね)の森――
大峰山麓(おおみねさんろく)にあるその不可思議(ふかしぎ)な森は、一万年の長(なが)きにわたって神奈備(かむなび)の邑(むら)を人目から遠ざけてきた。
その役目を終えた森は、無残(むざん)な荒(あ)れ地に変わり果てていた。
結界(けっかい)消滅(しょうめつ)時に起きた地殻変動(ちかくへんどう)は、大地を盛(も)り上げ、引き裂(さ)き、木々をなぎ倒(たお)した。
その惨状(さんじょう)は、今なお手つかずのまま残されていた。
人影もなく静まりかえったその森の一角(いっかく)に、突如(とつじょ)異様(いよう)な空気の乱れが生じ、目もくらむばかりの光源(こうげん)が出現した。
光源の中から現れたのは、全身黒ずくめの男。
この土地の者とも思われぬ奇異(きい)な衣服を身に纏(まと)っている。
男は荒廃(こうはい)した森を眺(なが)めて眉(まゆ)をひそめ、人の気配(けはい)のする方角に目星をつけると先を急いだ。
神奈備(かむなび)の邑(むら)には、少しづつ活気が戻っていた。
びぃーどの火がない夜の暗さにも慣(な)れ、時おり迷いこんでくる者の話を聞いては、邑の外に興味を持つ者も現れた。
言葉を覚え、邑を離れて戻ってきた者がもたらした新たな情報は、新鮮な驚きをもって迎(むか)えられた。
邑は徐々に、時代に溶(と)けこもうとしていた。
男がやってきたのは、そんな時だった。
「仕事中、邪魔(じゃま)をしてすまない。少し尋(たず)ねたいことがある」
野良(のら)仕事をしていた若い邑人(むらびと)は、突然見知らぬ者に話しかけられた。
身なりは邑人とよく似ているが、鋭い眼光と腰まである黒髪が異彩(いさい)を放(はな)っている。
「はあ、なんでしょう?」
邑人は手を止めて、どこかちぐはぐな感じのするその男を見つめた。
「このあたりで、私のように長い髪をした者を見かけなかっただろうか?銀色の……いや、色は変えていたかもしれないが……」
それを聞くと、邑人は即座(そくざ)に反応した。
「ああ。セイラさまのことですね」
「セイラさま?……そうだ。知っているのか?」
「知っているもなにも……この邑を守ってきた神さまですから。この夏、お姿を見た時は驚いたのなんの……昔話だとばかり思っていたのが、本当にいたなんて……」
「邑を守って……?皇子…いや、セイラさまがここにきたのか?」
「はあ。言い伝え通り、結界から邑を解(と)き放ってくださって……おかげでわしらは、どこにでも行けるようになりました」
「結界(けっかい)から……」
男はつぶやいて、通ってきた森の惨状(さんじょう)を思い出した。
「それで、セイラさまは今どこに……?」
「さあ、それはわしらにも……」
邑人は、収穫(しゅうかく)した小芋(こいも)を拾(ひろ)い集めながら、
「都にいると言う者もいますが、都がどこにあるかは、邑を出たことがないわしらにはさっぱり……」
「都か……」
そう言ったとたん、男の姿は消え失せていた。
「あれっ、いつの間に……」
芋拾(いもひろ)いをしていた邑人は首をかしげたが、深く考えることもなく作業(さぎょう)に戻った。
男は、神奈備(かむなび)のはるか上空にいた。
大峰山(おおみねさん)を真下に見下ろし、四方を見渡すと、北の方角に人家が多く集まっている。
都は、おそらくその方向線上にあると思われた。
「皇子(おうじ)、ただいま参(まい)ります」
表情を顔に出さない男の口が、真一文字に結ばれた。
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――時空遡行(じくうそこう)ってなんだ?
篁(たかむら)に尋(たず)ねられても、セイラはしばらく口を開かなかった。
やがて、静かに顔を上げて篁を見つめ、
「私はみんなと一緒(いっしょ)にいられない――そういうことだよ」
「そんなことはわかってる!神剣(しんけん)を手に入れたら、セイラは自分の国に帰らなければならない。だから、綺羅(きら)さんだってぼくだって……」
「それだけじゃない。本当はこうしてみんなとかかわりをもつこと自体、許されないことなんだ。知らなかったとはいえ、私はこの時代に干渉(かんしょう)しすぎてしまった」
「この時代……?」
眉(まゆ)をひそめる篁の横で、綺羅姫は苛立(いらだ)ちをつのらせた。
「セイラ!なにを言ってるのかよくわからないわ。もっとはっきり言ってよ!」
セイラは、ひとつ大きく息を吐(は)いて綺羅姫を見た。
「私はここにいるはずのない者。遠い未来から時を遡(さかのぼ)ってきた、この時代にとっては異物(いぶつ)だということだよ」
「遠い未来……あたしたちがいる時代の人じゃない、ってこと?」
大きく見開かれた綺羅姫の目に、驚きととまどいが交錯(こうさく)する。
「あはっ、セイラったらなにを言い出すかと思えば……だったら、望めばあたしも空を飛ぶみたいに時間を飛び越えていって、昔の偉い人に会える?ありえないわ。ど…どう考えても変よ」
言いながら、綺羅姫は怯(おび)えたように肩をすぼめた。
「綺羅姫が好きだよ。とってもね……篁やナギや真純(ますみ)にも感謝してる。できればずっと一緒にいたかった。でも……」
そう言って、うつむいたセイラを見ていられずに、綺羅姫は部屋を飛び出した。
胸に抱(いだ)いていた、かすかな希望がついえていく。
――セイラ……バカ!
わかっていたことだった。
セイラと結ばれるはずがないと、幾度(いくど)自分に言い聞かせたことか……。
それでも一縷(いちる)の望みを捨てられずに、ここまできてしまった。
その最後の糸が断(た)ち切られるのを、綺羅姫は鈍(にぶ)い痛みとともに感じていた。
寺の建物の近くに作られた庵(いおり)を飛び出し、境内(けいだい)を横切ろうとした時――
ドサッと上からなにかが落ちてくる音に、綺羅姫は振り返った。
「あ、あなた――!?」
そこに倒れていたのは、セイラと戦った時よりもぼろ雑巾(ぞうきん)のようになって、うめき声をあげている嵯峨宮(さがのみや)だった。
烏帽子(えぼし)の下は、色白の元の顔に戻っている。
「昨日の、姫さま……か。ちょうどいい、皇子に伝えて…くれ。お返しするはずだった僧侶(そうりょ)と…石を、なに者かに……奪(うば)われた、と……」
「奪われた――っ!?」
綺羅姫は息をのんで、次の瞬間には嵯峨宮に駆(か)け寄っていた。
「ひどいけが!すぐに手当てしないと……人を呼んでくるから、ここでじっとしていて!」
そう言って駆け出そうとする綺羅姫の手を、嵯峨宮がつかんだ。
「ダメ…だ!そんなひまはない。早くしないと……あいつの気を…追えなくなってしまう!」
「その身体(からだ)で追いかける気!?無理よ!起き上がれもしないのに……」
「フッ、変わった姫さまだ……皇子を殺そうとしている私を、本気で…心配しているのか?」
冷笑(れいしょう)されると、綺羅姫はムッとして、
「そう言うあなただって、あたしたちに返す人質をわざわざ取り戻そうとしてるじゃない。どうしてそこまでするの?」
「……誇(ほこ)りの、問題だ!」
嵯峨宮は、よろよろと立ち上がって空を見上げた。
やがて方向を見定(みさだ)めると、その先の空を睨(にら)んだまま、
「約束は守る……なにがあっても、必ず――!」
嵯峨宮は一瞬にして空に駆(か)け上がった。
その姿をとらえることは、もう綺羅姫にはできなかった。
「綺羅さーん!」
庵(いおり)から、篁が駆けてくる。
「みんな心配してるから、戻ろう!」
篁が近づいても、綺羅姫は空ばかり見上げている。
「どうしたの……?」
「今、ここに嵯峨宮がいたの。人質をなに者かに奪われたって……」
「なんだって――!?」
「ひどいけがをしていて……立っているのがやっとだったわ。でも、必ず取り戻すって……」
「そうか……」
篁は、このことをセイラに知らせるべきかどうか迷った。
もし知らせたら、嵯峨宮と同様セイラも、傷が癒(い)えるのも待たずに飛び出して行ってしまうに違いない。
「綺羅さん、このことはセイラには――」
そう言いかけた時、突然声が出なくなった。
声ばかりではない。
手も足も、身体中が硬直(こうちょく)してしまったように身動(みうご)きがとれない。
沸(わ)き起こる恐怖をこらえ、目の前の綺羅姫を見ると、同じことが綺羅姫にも起こっていた。
その時――
二人の前を通り過ぎていく者がいた。
微動(びどう)だにしない二人の異常さを気にするようすもなく、悠然(ゆうぜん)と庵に向かっていく。
首も目も動かせない状態で、かろうじて篁の視野(しや)に入ってきたのは、通り過ぎた後の背中にひるがえる長い黒髪。
――女……?いや違う。大股(おおまた)で、女の歩き方じゃない。まさか……!
疑惑(ぎわく)は鼓動(こどう)を速め、悪寒(おかん)が手足の熱を奪(うば)っていく。
これ以上ない焦(あせ)りと苛立(いらだ)ちの中で、篁は一刻(いっこく)も早く金縛(かなしば)りの状態から抜け出そうともがいた。
――そこにいたら危ない!逃げろ、セイラ――っ!!
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黒ずくめの男が部屋に入ってきた時の、ナギの反応は素早(すばや)かった。
「真純(ますみ)、おまえはセイラさまと一緒にいろ!」
そう言って、男の視界(しかい)を遮(さえぎ)るようにセイラの前に立ちはだかる。
胸の前で両手を合わせ、精霊を呼び出そうとした時――
「やめておけ、ナギ。その男は嵯峨宮(さがのみや)よりも強い」
セイラの声には、冷え冷えとした敵意(てきい)のようなものがあった。
予期(よき)しない疎外(そがい)感が男をつつむ。
だが、男はそれを他の理由からだと思った。
「お捜(さが)しいたしました、皇子(おうじ)。都のお邸(やしき)にうかがったらこちらだと聞き、一刻(いっこく)も早くお目にかかりたく参上(さんじょう)しました」
片膝(かたひざ)をつき、右手を胸にあてて、男は深々と頭を下げた。
動きやすそうな細い筒袖(つつそで)に細い袴(はかま)、肩幅(かたはば)の広い上着は腰までおおっている。
端整(たんせい)な顔立ちに緑なす長い黒髪。
沈着(ちんちゃく)冷静な翡翠(ひすい)色の目には、かすかなとまどいと心苦しさがほの見えていた。
「お迎(むか)えが遅くなりましたこと、深くお詫(わ)びいたします。皇子が時空間遡行(じくうかんそこう)した翌日、転移装置(てんいそうち)がなに者かによって破壊(はかい)されました。元の時間軸(じかんじく)にお戻りになれなかったのはそのためです。犯人はいまだにわかっておりません。昼夜を徹(てっ)して修理にあたらせましたが、装置の主要(しゅよう)な部分の修理に思いのほかてこずりまして……当初(とうしょ)は、皇子が遡行した時間軸地点から日を経(へ)ずにお迎えにあがろうとしたのですが、そのあたりの時空間が非常に不安定な状態になっていることが判明し、やむを得ず今日(こんにち)にいたりました。これまでのご心労(しんろう)ご心痛(しんつう)をお察(さっ)しいたします。が、お元気そうでなにより……」
そう言って顔を上げた男は、ナギの後ろにいるセイラのようすにようやく気づいた。
夜具(やぐ)から起き上がったセイラの、衣(ころも)の下には白い布が巻(ま)かれている。
「皇子!おけがをなさっておられるのですか!?」
「大したけがじゃないよ。暗殺者と一戦交(まじ)えただけさ。ナギ、もういい。こっちにおいで」
言われて、ナギは男をにらみつけながら、真純の側(そば)に腰を下ろした。
「暗殺者が、この時代に――!?」
「ああ、時空遡行者だと言っていた。ある者に依頼(いらい)されて、私を殺しにきたと……それ以外にも、私を殺す理由があったようだけど……」
冷徹(れいてつ)なセイラの目が、食い入るように男の表情を見つめる。
それを知ってか知らずか、男は思いを巡(めぐ)らすように目を伏(ふ)せて、
「時空遡行できるほどの転移装置は、私の知っている限りでは唯一(ゆいいつ)王宮にあるだけです。装置の破壊は、その暗殺者を送りこんだ者の仕業(しわざ)かもしれません。しかし、いったい誰がそんなことを……厳重(げんじゅう)な防犯体制が敷(し)かれていたはずですが……」
「その防犯体制を無効(むこう)にできる者がいた、ということだろう。ところで、外にいる私の友だちをそろそろ開放してくれないか?」
「皇子のお知り合いでしたか?そうとは知らず、ご無礼を……」
男は庵(いおり)の外に目を向けて、その目に力を込めた。
待つほどもなくあわただしい足音がして、篁(たかむら)と綺羅(きら)姫の切迫(せっぱく)した声が聞こえてきた。
「セイラ!無事か――!」
「お願い、早まらないで――!」
部屋に入ってきた二人は、男とセイラの間に立ちふさがった。
荒(あら)い息を吐(は)きながら、男を見る目には強い警戒(けいかい)心が表(あらわ)れている。
「あなた、あたしたちを動けないようにするなんて、どういうつもり!?」
「セイラに手出しするなら、ぼくが許さない!」
「私が、皇子に――?」
男は、ムッとしたように顔を上げて、
「皇子のお知り合いとは知らず、あなた方の動きを封(ふう)じたことはお詫(わ)びしよう。久しぶりの対面の前に、よけいな詮索(せんさく)をされたくなかった。だが、私が皇子に手出しするとはどういう意味だ」
「とぼけたって無駄(むだ)よ!嵯峨宮(さがのみや)が、あなたのこと白状(はくじょう)しちゃったんだから」
「嵯峨宮……?皇子、これはどういうことですか?」
セイラは、鬱々(うつうつ)とした吐息(といき)をついて、
「その前に、確かめておきたいことがある。まだ名まえを聞いていなかったが……おまえは誰だ?」
「皇子――」
男は絶句(ぜっく)して、穴のあくほどセイラの顔を見つめた。
「……私を、お忘れですか?」
見つめる瞳(ひとみ)の中に、わずかな救(すく)いを見いだそうとする。
「オルフェウス・ラーダ、か?」
「悪いご冗談(じょうだん)を……」
ほっとしたのもつかの間、さらなる驚きが男を待っていた。
「憶(おぼ)えていたわけじゃない。私には、ここにくる前の記憶がないんだ。誰かに消されてしまったらしい。私は戻れなかったんじゃなくて、ここにきた目的も自分が誰かも……すべて忘れてしまっていたんだ。おまえのことを知っていたのは、強制(きょうせい)的に見せられた夢の中におまえが出てきた……ここにいるみんなも同じ夢を見ている、だから知っていた。それだけだ」
「記憶が、ない……」
「ああ。もうひとつ確かめておきたいことがある。私を殺そうとしている嵯峨宮の本当の名はグェン、グェン=ドゥラ・クワ。この名まえに心当たりは……?」
「ドゥラ・クワ……!?」
男の顔色がさっと変わった。
それを見ると、セイラは顔をそむけて、
「心当たりがありそうだね、残念だよ。暗殺を依頼(いらい)したのはおまえか?」
「……私を、疑っておられるのですか?」
「嵯峨宮が言ったんだ。おまえに依頼されたと……」
「あの男が、私の名を……!」
男はうつむいて、握(にぎ)りしめたこぶしを膝(ひざ)に押しあてた。
「皇子は、その言葉を信用なさったのですか?」
「考える間もなかった。私はその後、気を失ってしまったから……」
「セイラはね、血を流しすぎて倒れて、さっき気がついたばかりよ。ほんとは、こうして起きているのだってやっとなんだから」
「綺羅さん!セイラを殺しにきたやつに、そんなこと教えてどうするんだ!」
あっと声をあげて、綺羅姫は口をおさえた。
セイラはクスリと笑って、真顔(まがお)に戻り、
「嵯峨宮は時間がないと言っていた。『王家』から迎(むか)えがくるはずだとも……そこへおまえが現れた。私を迎えにきたと言ったのは本心か?それとも私の死を見届(みとど)けにきたのか?」
男は、すうっと息を吸い込んで目を閉じた。
時が刻々(こくこく)と過ぎていく。
やがて、目を開けた男がなにか言おうとした時――
「右近衛(うこんえの)少将さま!お、鬼が――!鬼が現れました!」
庵(いおり)に駆(か)け込んできたのは、セイラや篁たちの世話をしてくれている年老いた僧侶(そうりょ)だった。
翡翠(ひすい)色をした男の目が、一瞬にして黒色に変わる。
「鬼…?」
篁は、綺羅姫やセイラと顔を見合わせて、
「修円(しゅうえん)殿、それはどういうことです?」
あえぎながら部屋の入り口にへたりこんだ老僧(ろうそう)は、となりにいる黒ずくめの男を見て、ぎょっとしたように飛びのいた。
「心配いりませんよ、その男は……今のところ、殺気が感じられないので」
「おお、セイラ殿!お目覚(めざ)めでしたか!?」
老僧は少しでも男から遠ざかりたいようすで、部屋の中央ににじり寄った。
篁と綺羅姫が場所を開ける。
「てっ…寺の下働きの者が、つい先ほど食料を調達(ちょうたつ)して戻ってきたのですが……ゴホッ、ゴホッ!」
苦しそうに咳(せ)き込む老僧に、綺羅姫が水を差しだすと、老僧は一気に飲み干(ほ)した。
「はあ。寺の近くまで来た時、道端に人が倒れていたそうです。それも一人や二人ではなく、もう数えきれないほど……」
老僧は、綺羅姫から受け取った水を再び飲み干して、
「身体は温(あたた)かかったので死んではいなかったそうですが、声をかけても返事はなく、まるで魂を抜き取られたようだったと……」
老僧は、そこで急に怖気(おぞけ)を震(ふる)った。
「中にまだ返事のできる者がいて、なにがあったのかと尋ねると、真っ黒な顔で青い目を光らせた鬼に襲(おそ)われたと、息も絶(た)え絶(だ)えに話したそうです。鬼はまだこの辺(あた)りにいるかもしれませんぞ。あなた方もお気をつけなされ。恐ろしや恐ろしや……」
そう言うと、老僧はぶつぶつとお経を唱(とな)えながら帰っていった。
篁と綺羅姫は、顔を見合わせた。
「それって、もしかしたら……」
「ああ、間違いない!」
「でも、なぜ関係ない人たちを……」
「二人とも、なにか知っているのか?」
セイラが尋(たず)ねると、綺羅姫は嵯峨宮と会ったことを話した。
「奪(うば)われた僧(そう)と石を取り戻すって言ってたわ。でも、ひどいけがをしていて、立っているのがやっとだったのよ」
「奪われた……嵯峨宮が!?」
セイラの驚きは、篁にも理解できた。
「ぼくもそれを考えていた。セイラとの戦いで満身創痍(まんしんそうい)だったとは言え、あの嵯峨宮がただの人間にやられるはずがない。奪っていったのは、嵯峨宮と同等かそれ以上の力を持つ者かも……」
「そんな人が、まだ他にもいるっていうの?」
綺羅姫は怯(おび)えた目で セイラと篁の顔を見つめた。
「もしかしたら、私の記憶を奪った者と同じ人物かもしれない。だとしたら、負傷(ふしょう)した嵯峨宮の手に負(お)える相手じゃない」
セイラは暗い顔で、嵯峨宮の心中(しんちゅう)を推(お)し量(はか)った。
「黒い顔に戻っていたということは、相手の目をくらませるほどの気力も体力も残っていなかったんだろう。そんな身体で追っても、勝ち目がないことくらいわかっていたはずだ。だとすると、人を襲(おそ)ったのは……」
セイラが言いよどんだ言葉の後を、男が引き取った。
「体力を回復するために、人の精気(せいき)を吸い取った――」
部屋の中が、しーんと静まり返る。
おぞましさに身の毛がよだって、誰も声が出せなかった。
「とにかく、倒(たお)れている人たちをそのままにはできない」
痛みをこらえて、セイラが立ち上がったその時――
一瞬にして、セイラの眼前に立ちはだかった男は、主(あるじ)の胸に手をおいた。
セイラの顔に緊張(きんちょう)が走る。
「お許しください、皇子」
次の瞬間――
まるで時の流れがゆるやかになったように、ゆっくりとセイラが倒れていく。
絶望的なその結末(けつまつ)を、綺羅姫は声もなく見つめていた。
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