第五十九話


「よかった!そこのお寺の中まで運んでね」

 本堂(ほんどう)の扉(とびら)を開けると中は真っ暗で、埃(ほこり)っぽい臭(にお)いと湿(しめ)った空気が充満(じゅうまん)していた。

 屋根に開けられた大穴からは、どしゃ降りの雨が降り注(そそ)いでいる。

 床(ゆか)は一面(いちめん)水浸(みずびた)しになっているかと思いきや、幸(さいわ)いなことに嵯峨宮(さがのみや)の放った火球が本尊(ほんぞん)の土台を直撃し、仏像が倒れて床下までめり込んでしまっていたため、雨はほとんどその穴に流れ込んでいた。

 真純(ますみ)は暗がりを怖がるようすもなく寺の中に足を踏(ふ)み入れて、雨の当たらない一角に、四人を乗せた雨の塊(かたまり)を誘導(ゆうどう)した。

「ありがとう、ここでいいから……おまえはもう帰っていいよ」

 真純が言うと、雨の塊は細長い線状に形を変え、またたく間に四方へ散っていった。

「少し濡(ぬ)れたけど、ここならそんなに寒くないよね」

 真純はその場にぺたんと座って、セイラとその上に折(お)り重なるように倒れている三人の顔を眺(なが)めた。

「わたしも休んでいいかな。すごく眠くて……眠くて……もう……」

 力を使いすぎた真純は、疲れと気のゆるみからそのまま横倒しになって、深い眠りに落ちていった。


    
◆    ◆    ◆


 ――床が見える。

 きれいな琥珀(こはく)色の……。

 ここは、どこ?

 あたし、篁(たかむら)が倒れて……それからどうしたんだっけ……?

『レギオン――!話を聞いているのか!?』

 レギオン……?それって、セイラのことだわ。誰……?

 視線が上がって、腰ほどの高さもある大きな文机(ふづくえ)が見えた。

 その上に片腕(かたうで)をのせて、上半身を斜(なな)めに向け(腰かけにでも座ってるのかしら?)、こっちを睨(にら)んでる男の人がいる。

 短い銀色の髪、銀色の瞳(ひとみ)、額(ひたい)にはセイラと同じ冠(かんむり)がある。

 この人が、今怒鳴(どな)ったのね。

『失礼いたしました、陛下(へいか)。お話の続きをどうぞ』

 陛下……?じゃあ、この人がセイラのお父さま!

『戻ったばかりで疲れていると言いたいのだろうが、そんなことは言い訳(わけ)にならん。執務(しつむ)室で居眠りとは気がたるんでいる証拠だぞ、レギオン!私は、ワーム(=門)の調査報告を聞こうと言った!』

『……ワームは、やはり徐々(じょじょ)に拡大(かくだい)しつつあります。できる限りの力で、ヴォイド(裂け目)…ワーム周辺の時空の流れを抑(おさ)えてまいりましたが、今回はどの程度もってくれるか……すでに周辺の星々では、公転周期に影響が出はじめているところもあります』


 視線が、お父さまの後ろに移る。

 あの渦巻(うずま)き、なんだろう……とってもきれい!

 そうか、あたしが見ているのはセイラが見ているものなんだ。

 だとしたら、これはセイラの夢?それとも記憶……?

 どうしてかわからないけど、あたし、その中に入ってしまったんだわ……。

『うむ…銀河は動いている。広大な宇宙の流れに逆らって、ワーム周辺の時空間だけをとどめおくことは、おまえの力をもってしても至難(しなん)の業(わざ)ということか……こうなると、やはり早急(そうきゅう)にオリハルコンを手に入れなくてはならないようだ』


 オリハルコン、ですって――!?

 神奈備(かむなび)の神が探してた物じゃない!

 それから、セイラも……。

『……はい』

『ジオの第三惑星に、オリハルコンの痕跡(こんせき)が見つかったというのは確かなのか?』

『はい。オリハルコンがいつごろまでその地にあったのか、くわしい年代まではまだ特定できていませんが、気の遠くなるような長い年月を費(つい)やさなければ、オリハルコンの気がその地に染(し)みついたりはしません。移動したのは二、三千年前……もしくはそれより後の時代かと……』

『ふむ…時空間遡行(じくうかんそこう=タイムワープ)には、厳正(げんせい)な審査(しんさ)がいる。一歩間違えれば、並行世界を生み出してしまう危険性も……あまり気は進まないが、そうとばかりも言っていられないだろう。おまえに残された時間は多くない。ワームに近いシプリ星系からは、なんとかしてくれと矢のような催促(さいそく)だ』


 時空間遡行(じくうかんそこう)……?

 セイラに残された時間……多くないって、どういうこと?

『宇宙の保全(ほぜん)と存続は、わが王家に課(か)せられた使命……厖大(ぼうだい)な熱量が、この宇宙から流出(りゅうしゅつ)していくのを黙って見ていることは許されぬ。ここにきて、ヴァルナ教団の動向(どうこう)も気になるところだ……いずれにしても、おまえが覚醒(かくせい)しなければこの宇宙は危(あや)ういものとなるだろう』


 なんのことを言っているのかさっぱりわからないけど、お父さまの厳(きび)しい顔……よほど深刻(しんこく)なことが起きているのね……。

『……心得(こころえ)ているつもりです』

『失敗は許されぬ。覚悟(かくご)しておくことだ』


 場面が、すーっと暗くなる。

 次に見えてきたのは、セイラと同じくらい長い黒髪の男の人。

 目は、濃(こ)い翡翠(ひすい)色……かしら?

 セイラより少し年上の感じで、背も高くて、一言でいうとすっごい美形!

 その美形が、顔を曇(くも)らせた。

『だいぶお疲れのようですね、皇子』

『ああ、今回は少し無理をしたんだ……』


 セイラは、ふかふかの腰かけのようなものに座っていて、美形を見上げている。

『これ以上ワームを広げないために、ぎりぎりまで接近して三重に障壁(しょうへき)を張り、中の時空間を凍結(とうけつ)させてきた。これで二、三年はもってくれればいいけど……』

『障壁を三重……!?あの、恒星(こうせい)ほどもあるワームの周囲に――!?』

『一季(いっき=約三ヶ月)もかかってしまったよ。おかげでくたくただ。おまけに、帰ってきたと思ったらすぐに陛下の呼び出しで、もう食事をとる気力もない』

『お食事はこちらに運ばせましょう。それに、あまりお休みになっておられないのでは……?数日間休養をとられてはいかがです?』

『いや、そうばかりもしていられない。陛下から時空間遡行のご指示があった。今夜中に、例の反応が消えた年代をしぼっておかないと……明日には探索(たんさく)の命が下るだろう』

『例の反応……皇子が五歳のころから、探してこられた物ですね』

『……すまない。おまえにも、どうしても話せないことがあるんだ』

『私のことは気になさらないでください。ですが、そのお身体ですぐにというのは無茶です。ワームの凍結から戻ったばかりなのに……時空間遡行は身体に相当の負担(ふたん)を強(し)いられると聞きます。せめて明日一日だけでも、休養をとってからにされては――』

『陛下は、私に無茶なことなどないと思っておられるのさ。私のことを、命令を忠実に実行する機械かなにかだと思っているんだろう……いや、機械の方がましかな。使っていれば愛着(あいちゃく)もわいてくるけど、陛下は私が嫌いだから……』


 セイラの心の痛みが伝わってくる。

 とても深い悲しみと絶望感……。

 お父さまとの間に、なにがあったの?

『執政官(しっせいかん)のグランダイクは、陛下が再婚してもうひとり皇子をつくるべきだと、公言(こうげん)してはばからないそうだよ。陛下に嫌われた皇子は、執政官にまで見限られる。私の居場所は、王宮(ここ)にはない』

 セイラの視線が、だんだん下がっていく。

 眠くなったの?……それともうなだれてる?

 丈(たけ)の長い履(は)き物が見える。

 セイラが空から降りてきた時に、履いていた物と同じ履き物。

 これは、あたしたちのところへくる前の記憶……?

『ご自分のことを、そんな風にお考えにならないでください。シロエさまもク・ホリン老も、皇子のことは認めておられます。皇子がこれまで築(きず)き上げてこられた数々の功績(こうせき)は、誰にも真似(まね)できるものではありません』

『フッ。それは、私がとっくに人間の枠(わく)をはみだしてしまっているからだよ。それなのに、私の力だけではこの宇宙を守ることもできない……言い過ぎた。オルフェ、となりにきて肩を貸してくれないか。ひどく眠いんだ。横になると起きれなくなりそうだから……少しの間だけ…肩を……』



    
◆    ◆    ◆


 最初に目を覚(さ)ましたのは、篁(たかむら)とナギだった。

「ここは、寺の中?いつの間にこんなところに……ナギ、おまえが運んでくれたのか?」

 キツネにつままれたような顔で、あたりを見まわしている篁のとなりで、ナギはふらつく頭を押さえながら起き上がった。

「違います。オレは、篁さまを助け起こそうとして気を失って……たぶん、そこにいる姫さまも……」

 ぼんやりとした記憶がしだいに鮮明(せんめい)になってくると、ナギは倒れているセイラに気づいて呼び起こそうとした。

「セイラさま!返事をしてください、セイラさま!」

 セイラの身体から、青白い光は消えていた。

 いまだ意識の戻らないセイラを、ナギは大声で呼びかけては揺(ゆ)さぶり続ける。

 その声に、真純(ますみ)が目を覚ました。

「う、うん……あれっ、ナギ起きてる。たかむら、さまも……よかった!」

「真純、ぼくたちをここへ運んでくれたのは誰か、知らないか?」

 篁の問いに、真純はにこにこして答えた。

「わたしが運んだんだよ」

「おまえが――!?」

 目を見張(みは)る篁とナギに、真純はうなずいて、

「でも力をいっぱい使ったから、わたしも眠くなって寝てしまったの」

 天井の大穴から降ってくる雨はもうやんでいたが、床下にめり込んでいる仏像の周辺がびしょびしょに濡(ぬ)れていることからも、相当量の雨が降ったことが想像できた。

「そうか。真純がいてくれてよかった」

「雨が、わたしの言うことを聞いてくれたから……こんなことできるのは、やっぱりわたしが鬼だから…かな」

「鬼……?なにを言ってる、おまえはみんなを雨から守ってくれたんだ。ナギもセイラもおまえも、ぼくにはない力を持ってる。それはみんなを助ける力だ。真純は鬼なんかじゃないよ」

 言われて、真純は照(て)れくさそうに笑った。

「ありがとう、篁さま。真純を元気づけてくれて……」

 その声に篁が振り返ると、きまり悪そうな顔をしたナギと、その膝元(ひざもと)でうっすらと目を開けているセイラが見えた。

「セイラ!気がついたんだね!」



   


「セイラさま!」

 セイラは、ゆっくりと現実の世界を取り戻しつつあった。

 ナギの顔が見える。

 篁(たかむら)と、真純(ますみ)の顔も……。

 右わき腹に伏(ふ)せているのは……。

「綺羅(きら)姫、起きて……」

 セイラが左手を頭におくと、それを合図のように綺羅姫が目を覚(さ)ました。

「あたし……どうして……?」

「真純が、みんなをここまで運んでくれたんだよ、綺羅さん」

 周囲のようすにとまどっている綺羅姫に、篁が声をかける。

 セイラは起き上がって、ひとりずつやさしい眼差(まなざ)しを注(そそ)ぎながら、

「こんなところまで追ってくるなんて、みんなどうかしてる……」

「どうせそうだよ。でも言っておくけど、セイラが出し抜いたりしなければ、ぼくは痛い目にあわずにすんだんだ」

 篁は身振り手振りで、綺羅姫に平手打ちをくらったことを伝えた。

 セイラはくすりと笑って、綺羅姫を振り返った。

「あれっ、綺羅姫泣いてる」

「やだ、あたし……なんで泣いてるんだろう」

 そう言う間にも、ぽろぽろと涙がこぼれてくる。

「セイラが雷に打たれて、よほど怖かったんだろう、綺羅さん」

 雷――と聞いて、ナギははっとした。

「セイラさま、身体は動かせますか?どこか痛いところは……?」

「ああ。少し頭がクラクラするけど……雷から受けた電流のほとんどは空中に放電して、身体(からだ)への損傷(そんしょう)を最小限におさえたから、もう痛みはないよ」

「デン…リュウ?」

 ナギは、聞きなれない言葉に首をかしげた。

「雷のもとになっているものだよ」

「篁さまはセイラさまを運ぼうとして、気を失って倒れたんです。その後でオレと姫さまも……」

「帯電(たいでん)した私の身体に触(ふ)れて、電流が流れたんだろう。気を失っただけですんでよかった」

「あれがデンリュウ……でも……」

 難(むずか)しい顔をして考え込んだナギを見て、綺羅姫はその時のことを思い出していた。

「夢を、見ていた気がするの。倒れている間に……あたしがレギオン、セイラになって誰かと話してる夢。話の内容はよくわからなかったけど、なにかとても大事なことを言っていたような……」

「ぼくも、見たよ」

 篁が言うと、ナギも大きくうなずいた。

「ああ。そうだね……」

 物思いに沈んだ顔で、セイラはぽつりと言った。

「みんなも、同じ夢を……?」

 綺羅姫は驚いたが、それよりも気がかりなことがあった。

「あれは、セイラが吉野の山に現れる前の記憶?」

「たぶんね……」

 自分のことだというのに、セイラの返答はどこか素っ気(そっけ)なく、他人事(ひとごと)のようだった。

「記憶が戻ったのか、セイラ!?」

「いや、みんなが見たもの……あれがすべてだよ。断片(だんぺん)的で、なんの実感もわかない……」

 突然、セイラはくすくすと笑い出した。

「自分のことは、外側から見るとよくわかるものだね……あれは本当に私なのかな?まるで、親離れできていない子どもみたいだ。クックックッ……なんてぶざまなんだ」

「そんな言い方――!」

 自分を嘲笑(あざわら)うセイラに、綺羅姫は黙っていられなかった。

「だって、あれはセイラなのよ!あの時どんな気持ちだったか、セイラが一番よくわかるはずじゃない!セイラは一言、お父さまからねぎらいの言葉が欲しかったのよ。でもなにも言えなくて……秘密を抱え込んで、孤立していく気持ちと癒(いや)されない思いが、今もあたしの中に残ってる。セイラは、ほんとはお父さまが――」

「やめてくれないか!」

 セイラは叫んで立ち上がった。

 顔をそむけていて表情は見えなかったが、握(にぎ)りしめたこぶしがわずかに震(ふる)えている。

「あ、たし……」

 本堂(ほんどう)を出て行こうとするセイラに、綺羅姫は声をかけられなかった。

 呆然(ぼうぜん)と見送る後ろ姿が、見知らぬ他人のように見える。

 やがて――

「……ごめん、綺羅姫」

 かすかな声が聞こえてきて、セイラは扉(とびら)の外に消えた。

「あたし……なにか、いけないこと……」

 わけがわからず混乱(こんらん)する綺羅姫に、篁は吐息(といき)をついて眉(まゆ)を寄せた。

「そうだね。自分の心を言い当てられるのは、誰だってあまり気持ちのいいものじゃない。ましてや男は、自分の弱みを人には見られたくないものなんだ。セイラも、きっとそうだったんだろ」

「だって、セイラがあんまりひどいこと言うから……だからあたし……」

「人に知られたくない自分の弱いところを、みんなに知られてしまったんだ。ああでも言わなければ、いたたまれなかったんだろう。なのに綺羅さんは、その時のセイラの気持ちまであばいてしまった……ぼくだって、逃げ出したくなるよ」

「あたし、そんなつもりじゃ!そんな…つもりじゃ……」

 どう言えばいいのか、わからなかった。

 ただあの時のセイラを、今のセイラをひとりにしてはいけない――綺羅姫にはそんな気がした。

 でなければ、セイラの心の奥底に隠(かく)れている負の意識がどんどん高まって、悪いことが起こりそうな気がする。

 夢の中のセイラに同調(どうちょう)した綺羅姫だからこそ、感じとることができた危惧(きぐ)だった。

 ひょっとして、それはもう―― 

 綺羅姫の胸をある不安がよぎった時、篁の声が現実に呼び戻した。

「大丈夫、セイラはもう気にしてないよ。さっき、ごめんて言ってただろ?それよりも気になるのは――」

 その時――

 本堂の外で、ドーンという爆発音がした!

 篁はぎょっとして、音のした方を振り返り、

「やっぱり、このままじゃすまなかったか……ナギ、ぼくと一緒に来い!」

 言うが早いか、扉に向かって駆け出していた。

 外へ出ると、階(きざはし)を降りたところにセイラの背中が見えた。

 前方の舞い上がる土煙(つちけむり)の中から現れたのは、なに事もなかったような顔をしている嵯峨宮(さがのみや)だった。

「意識が戻るまで待っていてあげたというのに、いきなりこれですか。気の短い皇子(おうじ)さまだ」

 恩(おん)きせがましい嵯峨宮の口ぶりに、セイラの瞳(ひとみ)が赤みを増し、怒気(どき)を帯(お)びはじめる。

「寝覚(ねざ)めが悪くてね、気が立っているんだ。待っていたのはそっちの都合だろう。私の記憶が戻ったかどうか、知りたいんじゃないのか?」

 セイラの足元に転がっている無数の小石が浮き上がり、嵯峨宮を目がけ弾(はじ)かれたように飛んでいく。

 上空に逃(のが)れる嵯峨宮を、すかさずセイラが追う。

 二人は本堂の屋根に上がり、距離をおいて睨(にら)みあった。

「雷を操(あやつ)るとは大したものだとほめてやりたいところだが、私の頭の中を引っ掻(か)きまわすのはやめてもらおうか!」

 嵯峨宮は鼻先でクスッと笑った。

「あなたではあるまいし、私に雷を操る力はありませんよ。私はただ、機会(きかい)を待っていただけです。少々危険だとは思いましたが……うまくいってあなたの頭上に雷が落ちてくれれば、いかに重度の記憶障害も治(なお)るかと思いましてね」

 その時、小石がかすめた嵯峨宮の頬(ほほ)から、一筋(ひとすじ)の鮮血が滴(したた)り落ちた。

 嵯峨宮は一瞬目を剥(む)いて、血を拭(ぬぐ)い凄(すご)みのある笑みを浮かべた。

「どうです?……思い出していただけましたか?」

 セイラの瞳が紅蓮(ぐれん)に燃えさかり、銀色の髪が意思(いし)を持っているように逆立(さかだ)ちはじめる。

「思い出す?あんな記憶の断片(だんぺん)を見て、私になにを思い出せと言うんだ――っ!?」

 その瞬間、セイラの身体から放出された圧倒的な波動が、猛烈な突風(とっぷう)となって周辺を襲(おそ)った。

 屋根の瓦(かわら)が吹き飛ばされ、四方に飛び散っていく。

 だが嵯峨宮にぶつかる寸前、瓦は見えない壁(かべ)に当たって跳(は)ね返された。

 地上では、突風と瓦の飛来(ひらい)を避(さ)けようとして、篁とナギが地面にうずくまっている。

「記憶の断片……?」

 嵯峨宮はつぶやいて、

「すべて思い出していないのですか?あの落雷(らくらい)をまともに受けたのに……?」

 眉をひそめ、黙り込んでしまった。

「……どうやら、あなたの記憶回路は、なに者かに封印(ふういん)されているようですね」

「封印……?」

 セイラはドキリとした。

 だがなぜ動揺(どうよう)したのか、深く考える前に笑い飛ばしていた。

「ハッ!誰がなんのために、そんなことをする必要がある!?」

「それはわかりません……が、ひとつだけ確かなことは、あなたの敵は私だけではないということです」

「―――っ!!」

 セイラの顔が、みるみる強張(こわば)っていく。

 わかっていたことだった。

 自分の記憶を消した者が、どこかにいる――

 だが、その狙(ねら)いがなんであれ相手が姿を現さない以上、手がかりは皆無(かいむ)だった。

「ひょっとすると、我々以外にも、この時間軸(じかんじく)に潜入(せんにゅう)した時空遡行(じくうそこう)者がいるのかもしれません」

「時空、遡行者……」

「我々は遠い未来から時空を遡(さかのぼ)ってきた者。まさかあなたは、本当にこの時代の人間だと思っていたのですか?」

 せせら笑う嵯峨宮の身体から、殺気が陽炎(かげろう)のように立ち上りはじめる。

「あなたの記憶が戻らないとなると、私もこれ以上ぐずぐずしてはいられません。残念ですが、あなたにはここで死んでもらいます」


  次回へ続く・・・・・・  第六十話へ   TOPへ