第五十七話
勾玉(まがたま)が、煌々(こうこう)とした緋色(ひいろ)の輝きを放った!
「おお!これは……」
興奮(こうふん)と感動に打ち震(ふる)える陰陽師(おんみょうじ)の手から、セイラは素早(すばや)く石を取り返した。
「ありがとうございます。これは私のお守りのような物で……失(な)くしたら大変なところでした。晴明(せいめい)殿も珍しい物をお持ちですね。その勾玉は、心気(しんき)に反応しているのですか?」
人目を避(さ)けるように、手早(てばや)く石を懐(ふところ)にしまいこんだセイラを、権(ごんの)中将はにやにやしながら見ていた。
「セイラ殿、それはもしやうわさの柄石(つかいし)では……?」
「違いますよ、権中将殿。あなたも疑(うたぐ)り深い方ですね」
――ツイニ、ミツケタ!!
顔を赤らめ、権中将の追及(ついきゅう)をかわしながら遠ざかるセイラの後ろ姿を、陰陽師は目を爛々(らんらん)とさせて見つめていた。
その日の夜、ふいにセイラの部屋の妻戸(つまど)がバッと開いた。
入ってきたのは、いつになく険(けわ)しい顔つきをしたナギだ。
「セイラさま、いつ嵯峨野(さがの)へ行くんですか!?オレ、いつ言われても行けるように、稽古(けいこ)をしながらずっと待ってたのに……帰ってきてからもう五日もたつんですよ。神剣を取り戻しに行かないんですか?理空(りくう)って人はどうするんです!?」
「声が大きいよ、ナギ!」
セイラは、唇(くちびる)に人差し指をあてた。
「楷(かい)に聞かれたら面倒(めんどう)だ、こっちにおいで」
ナギが部屋に入っていくと、セイラは文(ふみ)をしたためていたところだった。
それを書き終えて筆(ふで)をおくと、セイラはフーッと吐息(といき)をついた。
「真純(ますみ)は、もう寝たのか?」
「あいつは、いつも夕餉(ゆうげ)がすむとぐっすりですよ。昼間あれだけ邸中を走りまわって、腹がふくれれば眠くもなるでしょう」
「そうか……」
セイラは微笑(ほほえ)んで、
「楷(かい)がほめていたよ、真純の面倒(めんどう)をよく見てくれるって……おまえたちは、案外(あんがい)いい取り合わせかもしれない」
「オ、オレは――っ!セイラさまのためなら、なんだって……」
顔を赤らめてそっぽを向いたナギを、セイラはやさしい目で見つめた。
「ありがとう、ナギ。嵯峨野行きのことは忘れていたわけじゃない。その前に、いろいろ片づけておきたいことがあったんだ。でも今日、それも片づいた。できれば私が……いや、明日は嵯峨野のようすを見てこようと思っている。戦う前に、理空殿の居場所を確かめておきたいんだ。深入りするつもりはないから心配しなくていい。決戦は明後日(あさって)だ!」
「明後日……その時は、オレも一緒(いっしょ)に連れて行ってくれますね!」
「もちろん、頼(たよ)りにしてるよ」
目を輝かせぺこりとお辞儀(じぎ)をして、脱兎(だっと)の勢(いきお)いでナギは部屋を出て行った。
そのナギの消えた先に目を凝(こ)らすセイラの胸に、一抹(いちまつ)の後悔(こうかい)が生じた。
「すまない……」
そうつぶやいて、セイラは三通目の文に取りかかった。
同じ頃(ころ)、権大納言(ごんのだいなごん)邸では――
「ああ、イライラするーっ!」
言いながら、綺羅(きら)姫は脇息(きょうそく)に肘(ひじ)をついてガシガシと髪の毛をかきむしった。
「桔梗(ききょう)だってそう思うでしょ!セイラったら、佐保(さほ)姫のところには見送りの返礼(へんれい)に行ったっていうじゃない。中務卿(なかつかさきょう)の宮にもえらく歓待(かんたい)されたって……。そりゃあ、あたしは見送りに行ってないわよ。でも行こうとはしたんだから……それなのに、顔も見せなければ文のひとつもくれないなんて……この差はひどいと思わない!?」
「そうですわね、はふう……」
女房(にょうぼう)の桔梗は、ひとつ生(なま)あくびをした。
「姫さま、もうお休みになりませんか?わたくし、今日は権大納言さまの宴(うたげ)に駆(か)り出されて、もうくたくたで……」
綺羅姫のこめかみが、ぴくぴくと引きつった。
「桔梗、あたしの話聞いてたの?あたしは今、猛烈(もうれつ)に怒ってるのよ!これで眠れるもんですか!」
「そう言われましても……そんなにお会いになりたければ、姫さまの方からいらっしゃればよろしいのでは……?」
「――いいわね、それ!」
口元に手を当て、あくびをかみ殺していた桔梗の目が、ぱちりと開いた。
「姫さま!本気でおっしゃっているのですか?」
「あら、桔梗が言い出したのよ、フフン」
目を輝かせて身を乗り出した綺羅姫に、桔梗はぞっとした。
「とんでもございません!そのようなこと、わたくしが姫さまにけしかけたと知れては、権大納言さまに叱(しか)られてしまいます!貴族の姫が殿方のお邸を訪(おとず)れるなど、セイラさまだってなんと思われるか……それに、かりにも姫さまは篁(たかむら)さまの……」
「篁とは、帰ってきた日に会って話してるからいいのよ。気になるのはセイラの方よ。出むかえたあたしたちをほっといて、ひとりで帰ってきちゃったのよ。尹(いん)の宮とは会えなかったって言うし、行方もわからないって篁が言うから、相当落ち込んでるんだろうなって思って、我慢しておとなしくしてれば――!」
バキッと音がして、綺羅姫は手近にあった扇(おおぎ)を取り、真っ二つにへし折(お)っていた。
「もう我慢できないわ!明日と言わず、今からでも邸(やしき)に乗りこもうかしら」
「お待ちください、姫さま!」
桔梗は眠気(ねむけ)もなにも吹き飛んだ顔で、綺羅姫ににじり寄った。
「そんなことをしては、姫さまのお名に傷がつきます。わたくし、なんと言われましても姫さまにそのようなことをさせるわけにはまいりませんわ!」
「だ、か、らぁ……」
綺羅姫は、意味ありげににっと笑った。
「あたしじゃなくておまえが行くのよ。文(ふみ)を届ける使者として……それなら問題ないでしょ?」
「わたくしが……で、ございますか?」
「そっ。ただしおまえはあたし、あたしはおまえになり変わるのよ」
翌朝、日が昇(のぼ)ると同時に、一輌(いちりょう)の牛車(ぎっしゃ)が右京三条にある邸の門をくぐった。
「セイラへ…いえ、セイラさまへの文を預(あず)かってまいりました。あたしは女房(にょうぼう)の桔梗と言います」
女房装束(にょうぼうしょうぞく)に身を包(つつ)み、懐(ふところ)には目立つよう文を差(さ)しはさんで、綺羅姫は牛車に残った桔梗に言われた通りあいさつした。
もちろん、文にはなにも書かれていない。
ただの料紙(りょうし=便せん)だ。
応対(おうたい)に出た家令(かれい)の楷(かい)は、この早朝の使者に目を丸くした。
「朝早く、お使いごくろうさまです。文は、私から主(あるじ)にお渡ししておきましょう」
「いいえ。大切な文なので、直接本人に手渡すよう言いつかっています。セイラを……いえ、セイラさまを呼んでいただけますか?」
そう言われると、楷は困惑(こんわく)顔で眉(まゆ)を寄せた。
「セイラさまは、ただいま出かけております。お帰りもいつになるかわかりません」
「まさか、こんな早くから参内(さんだい=内裏に出仕すること)したと……?」
「そういうわけでは……牛車もお使いになりませんでしたし……」
「じゃあ、どこへ?」
「……私は、聞かされておりません」
「あれ、綺羅姫さま?」
突然名まえを呼ばれて、綺羅姫はぎょっとした。
奥から出てきたのは、来客に手間取っている楷を捜(さが)しにきたナギだ。
「おっ、ほほほ……バレてしまっては仕方ありませんわ。あたしはその綺羅姫さまのお使いできた、女房の桔梗という者です」
一瞬ナギはきょとんとしたが、綺羅姫の下手(へた)なお芝居(しばい)にはつきあっていられないとばかり、
「セイラさまならいませんよ。嵯峨野(さがの)へ行きました」
「嵯峨野へ……?」
わけがわからないといった表情の綺羅姫に、ナギは冷笑(れいしょう)を浮かべた。
「あれ、セイラさまから聞いてないんですか?今日は、理空(りくう)って人の居場所を確かめに――」
「ナギ、知っていたなら、どうして私に言ってくれなかったんです!?」
じろりと楷に睨(にら)まれると、ナギはしまった!――という顔で口をふさいだ。
「来客があった際(さい)、主の行方もわからないでは、家令(かれい)としての能力が疑われてしまいます。そういうことは、きちんと報告してもらわないと……セイラさまも、嵯峨野に用があるならあるで、言ってくださればよろしいものを……牛車もなしで、お帰りはどうなさるおつもりか……」
その時、対の屋(たいのや=別棟の建物)に続く渡殿(わたどの=廊下)の方で、ドタバタと子供の走りまわる音がした。
それを聞くと、楷は気もそぞろに立ち上がって、
「知り合いなら、お使者の相手を頼みましたよ、ナギ。真純(ますみ)!邸内を走ってはいけないと、何度言えばわかるんです!床(ゆか)がすり減ってしまいますよ!」
叫びながら、足音のする方へ急ぎ足で向かった。
ほっと胸をなでおろしたナギが、そそくさと奥へ引き返そうとすると、ガシッと腕をつかまれた。
「どこへ行くの、ナギ?」
綺羅姫は、にまーっと笑って、
「セイラは嵯峨野に行ったの、ふーん。それで、理空って誰?」
「尹の宮って人のことですよ。出家して僧侶(そうりょ)になっていたんです。篁さまから聞いてないんですか?」
「そっ、それくらい聞いてるわよ!」
綺羅姫はカッと顔を赤らめた。
本当は、そんなことも聞かされていなかったのだ。
「……そう、今は理空って言うの。行方がわからないって言ってたけど……じゃあ、嵯峨野にいるってわかったのね」
「わかるもなにも、最初から……」
食い入るように見つめる綺羅姫の視線(しせん)に気づいて、ナギはふっと口をつぐんだ。
「ほんとに、篁さまからなにも聞いてないんですか?」
「ナギ!あんたが知ってること、全部話して!」
「オレが?嫌です!セイラさまや篁(たかむら)さまが話してないのに、オレが言ったってわかったら、後でどんなお叱(しか)りを受けるか……」
「お願いよ、ナギ!」
腕(うで)をつかんでいる綺羅(きら)姫の手に力がこもり、ナギはうっとうめいて顔をしかめた。
綺羅姫の一途(いちず)な思いが伝わってくる。
それは、必死でセイラについていこうとする自分の姿と、どこか重なって見えた。
ナギは綺羅姫の手を乱暴に振りほどいて、重い口を開いた。
「嵯峨宮(さがのみや)って人が、神奈備(かむなび)の石と理空(りくう)って人をさらっていったんです。柄岩(つかいわ)島から嵯峨野(さがの)に……」
「嵯峨宮が、現れたの!?」
「いえ。オレたちが行った時は、もうさらわれた後でした。セイラさまは、決着をつけるつもりだろうって……」
「だから、セイラは嵯峨野に行ったの!?」
「違います!今日は理空って人がどこにいるか調べるだけで……決着(けっちゃく)をつけるのは明日です。その時は、オレもついていきます」
「あんたが……?」
なにかがおかしかった。
神奈備(かむなび)で嵯峨宮と戦った時、セイラは死にかけたという。
そんな危険な相手との決戦に、ナギを連れていこうとするだろうか?
その時、あわただしい足音をさせて、楷(かい)が戻ってきた。
「そう言えば、セイラさまより綺羅姫さまへの文(ふみ)をあずかっておりました。ですがそれは、セイラさまのお帰りが遅くなった時ということでしたので、後ほどお邸(やしき)の方にお届けいたします。綺羅姫さまにもそうお伝えください」
ドクン――と、大きな音を立てて綺羅姫の心臓が鳴った。
「その文を見せてもらえますか?」
「ですからそれは、セイラさまのお帰りが――」
「いいから、早く持ってきて!!」
綺羅姫の剣幕(けんまく)に恐れをなした楷(かい)は、あて名も確かめず、三通の文をすべて綺羅姫の前に並べた。
「この中に、綺羅姫さまへの文が……」
文には、それぞれ篁と綺羅姫の名まえが書いてあり、もう一通にはなにも書かれていなかった。
「あて名のない文は、右近衛(うこんえの)少将さまにお渡しするようにとのことでした」
ドクンドクンと、早まる心臓の鼓動(こどう)に急き立てられるように、綺羅姫は自分あての文を手に取り中を開けた。
「なにをなさいます!それは綺羅姫さまへの――」
「悪い!?あたしがその綺羅姫よ!」
あんぐりと口を開け、目玉が飛び出しそうになっている楷をしり目に、綺羅姫は文を読みはじめた。
すると、いきなり――
『この文を読むころには、私はもうこの世にいないだろう――』
という一文が、目に飛び込んできた。
「セイラが、死んだ……」
頭の中が真っ白になり、血の気がサーッと引いていく。
呆然(ぼうぜん)と立ちつくしたままの綺羅姫に、ナギが叫んだ。
「しっかりしてください、綺羅姫さま!セイラさまは死んでなんかいませんよ!」
「そっ、そうね。これは……」
セイラの帰りが遅くなった時、開けるはずだった文。
それにしても、自分の死を覚悟(かくご)しているこの文はまるで――
「ナギ。セイラははじめから、あんたを連れていくつもりはなかったのよ。この文が届くころには、自分はもう死んでるだろうって……」
「セイラさまは誰にも負けない!死んだりするものか!」
「でも人質がいるわ。思うようには動けないはずよ……セイラが出かけてから、どれくらいたつの?」
「さっき出かけたばかりで、まだそんなには……」
「なら、間に合うかもしれないわ!ナギ、あたしたちも後を追うわよ!」
帰りを待つという選択肢(せんたくし)は、綺羅姫にはなかった。
後を追っても、なにもできないかもしれない。
かえって、セイラの足を引っ張るだけかもしれない。
――だからと言って、あんな文を見せられて、じっとして帰りを待っていられるもんですか!
不安そうな顔をした楷に見送られて、桔梗(ききょう)とナギ、綺羅姫の三人を乗せた牛車(ぎっしゃ)が、あわただしく邸の門を出ようとした時、入ってきた牛車とぶつかりそうになった。
その牛車から出てきたのは――
「篁(たかむら)!?なんで、あんたがここに……?」
「ぼくは宿直(とのい)の務(つと)めがすんで、これから邸(やしき)に帰るとこだよ。その前に、セイラがどうしてるかと思って……綺羅さんこそ、どうしてここに?」
綺羅姫は牛車を降りて、つかつかと篁に歩み寄った。
「ちょうどいいわ。あんたにも用事があったの。これよ!」
言うが早いか、ピシャリ!と篁の頬(ほほ)が鳴った。
「綺羅さん!なにするんだ、いきなり!」
「あんたが話してくれなかったこと、全部ナギから聞いたわ!平手の一発じゃたりないとこだけど、今はそれで我慢(がまん)してあげる。それよりもセイラよ!あたしたちに遺書(いしょ)を残して、ひとりで嵯峨野に行ってしまったの!」
「なんだって――!?」
「あたしたちはセイラを追うわ。篁、あんたはどうする?」
「もちろん、一緒に行くよ。クッ……セイラのやつ!」
どうしようもない怒りに駆(か)られて、篁は牛車にこぶしを叩(たた)きつけた。
中にいた桔梗とナギが、驚いて飛び上がる。
「報告書を出したら、セイラはすぐにも嵯峨野へ行くだろうと思っていた。そのつもりで、ぼくも心の準備をしていたんだ」
「あたしには話さないで、自分だけついていこうとしたのね」
篁を見る綺羅姫の目は冷たかった。
「……でもセイラはそうしなかった。なにかわけがあるんだろうとは思ったけど……ここへきたのも、それを聞くためだったんだ」
「結局、あんたもおいていかれたのね……セイラ、バカよ!人の気持ちも知らないで……」
そっぽを向いて泣き顔をこらえる綺羅姫を、牛車の中からナギが急き立てる。
「綺羅姫さま、早く――!ぐずぐずしてたら真純(ますみ)に見つかってしまう!あいつ、自分も行くって言い出しますよ!」
「綺羅さん、ここで愚痴(ぐち)を言ってもはじまらない。文句を言うのはセイラに会ってからだ」
「そうね、急ぎましょう!」
桔梗を残して、綺羅姫とナギは篁の牛車に乗り込み嵯峨野へ向かった。
簾(すだれ)から差し込む朝日がさっと陰(かげ)って、三人の心に暗い影を落としていく。
その不吉な予感をあざ笑うような、悪夢の一日がはじまろうとしていた。
セイラの手の中で、柄石(つかいし)がぶるぶると震(ふる)えた。
「こっちか……」
高さ七丈(ななじょう=約二十メートル)はあるかと思われるブナの大木の頂(いただき)に立って、柄岩島の神剣を前方に向けると、神剣はある一方向に反応を示した。
神剣同士が呼び合っているのか、それとも戦うべき相手を求めているのか――
いずれにせよ、ナギが言ったように二つの神剣が感応(かんのう)しあっているのは確かだった。
「こんな使い方もあるんだな。ナギに感謝しなくては……」
セイラはくすっと笑って、神剣を懐(ふところ)におさめた。
ここは太秦(うずまさ)のあたり。嵯峨野はもう目の前だ。
神剣が指(さ)し示したのは、北西の方角。
東から昇(のぼ)る朝日を背に受けて、セイラは黒雲で覆(おお)われた西の空をにらんだ。
――この雲行(くもゆ)きでは、嵐になるかもしれない。
その嵐が吉と出るか凶と出るか。
勝算は五分と五分――セイラはそう思っていた。
どこの誰とも知れない暗殺者に、理由もわからないまま殺されるかもしれないとは思いたくなかったが、嵯峨宮が理空をどうするつもりか、それによってはかなり苦しい戦いをしいられることになるだろう。
文を残してきたのは、最悪の事態(じたい)を想定(そうてい)してのことだった。
「やっぱり、綺羅姫に会ってくればよかったかな……」
そうつぶやいた自分の弱気を振り払うように、セイラは大きく跳躍(ちょうやく)してブナ林を飛び越えていった。
一方、嵯峨宮(さがのみや)も手をこまねいてはいなかった。
清凉寺(せいりょうじ)の本堂(ほんどう)の屋根にセイラが降り立った時、それは発動(はつどう)した――
屋根を突き抜けて、本尊(ほんぞん)の釈迦如来(しゃかにょらい)立像(りつぞう)が目の前に出現したのだ!
それは四体から八体、十二体と分身を繰(く)り返し、またたく間にセイラを取り囲(かこ)んだ。
「待ち伏(ぶ)せか!?」
『邪悪(じゃあく)なる者、レギオンよ!』
『レギオンよ――!』
正面の立像に合わせて、周囲の立像が唱和(しょうわ)する。
『おまえに殺され、今なお地獄の業火(ごうか)に焼かれて苦しむ、数知れぬ亡者(もうじゃ)どもの怨嗟(えんさ)の声を聞け!』
『怨嗟の声を聞け――!』
立像(りつぞう)の背後(はいご)に暗黒の空間が広がり、折(お)り重なるようにして炎に包(つつ)まれている無数の人間が見えた。
髪の毛が焦(こ)げ、焼けただれて溶(と)けおちた皮膚。
もはや人かどうかもわからなくなった、闇(やみ)にうごめく異形(いぎょう)の者たち。
そこから聞こえてくる苦しそうなうめき声と、怨念(おんねん)に満ち満ちた呪詛(じゅそ)の声――
そのおぞましさに、セイラはぞっとした。
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