第五十八話


 そのおぞましさに、セイラはぞっとした。

「フッ、とんだ虚仮威(こけおど)しだ。仏像(ぶつぞう)に地獄図(じごくず)とは趣味が悪すぎる」

 心の動揺(どうよう)を押し殺して、セイラは不敵(ふてき)に笑った。

「幻術(げんじゅつ)が得意だということはわかったが、こんな小細工(こざいく)はやめて姿を見せたらどうだ、嵯峨宮(さがのみや)!」

 だが、仏像は呼びかけには答えず、用意されていた次の質問を投げかけてきた。

『このような非道(ひどう)を、何故(なにゆえ)におかしたか!?』

『何故(なにゆえ)におかしたか――!?』


「あいにくだが、幻影(げんえい)を見せられてそれを信じるほど、私は素直(すなお)じゃないんだ」

 すると、正面の仏像の顔が悲しげな女の顔に変わった。

『レギオン、あなたはなんということをしてしまったのです。罪もない大勢の人々を死なせて、なにも感じないのですか?あの人たちの嘆(なげ)きが、あなたにはわからないの?』

「私の母のつもりらしいが……語るに落ちたな、母は私をそう呼ばなかった!」

 セイラが言うと、女の顔が消えて元の仏像に戻った。

『ほう、ではなんと呼んだ?』
 
『なんと呼んだ!答えよ、レギオン――!』

「―――っ!?」

 セイラは絶句(ぜっく)した。

 今、自分はなにを言った?

 母はそう呼ばなかった――なぜ、そう断言(だんげん)できた?記憶がないのに……。

 それとも、とっさに口から出てしまっただけなのか?

「わ…から、ない……」

 セイラは、ガクッと膝(ひざ)をついた。

「母がどう呼んだのか、私がこれまでなにをしてきたのか……わからないんだ、なにも……」

 虚(うつ)ろに目をさまよわせて、セイラはぎゅっと目を閉じた。

「時間をくれと言ったのに、なにも思い出せなかった。私は――っ!!」

 目をそらし続けてきた心の傷口がぱっくりと開いて、どうしようもない絶望感が噴(ふ)き出してくる。

 このまま一生思い出せないかもしれないという恐怖に、セイラは胸元をつかんで苦悶(くもん)の表情を浮かべた。

『裁(さば)きは下された!邪悪(じゃあく)なる者を滅(めっ)せよ!』

『滅せよ!滅せよ――!』


 印(いん)を結(むす)んでいた仏像の指がほどけ、一斉(いっせい)にセイラに向けられる。

 一瞬にして真っ白な光に包(つつ)まれ、セイラの身体は粉々(こなごな)に砕(くだ)け散った!

 ―――――――――――――――

 楽しい夢を見ていたような気がする。

 親しい者たちに見守られて、野山を駆(か)ける子どもの頃の夢。

 次の瞬間――夢は暗転(あんてん)する。

 足元が崩(くず)れて、奈落(ならく)の底に落ちていく感覚に、セイラははっとして目を覚ました。

 清凉寺(せいりょうじ)の屋根の上に、セイラはあおむけに横たわっていた。

 白い光に包まれて粉微塵(こなみじん)に吹き飛んだはずなのに、身体(からだ)に傷もなければ狩衣(かりぎぬ)には焦(こ)げ跡(あと)もない。

「あれも、幻(まぼろし)か……」 

 気がつけば、仏像もすべて消えていた。

 ほっとしていいはずなのに、心臓の鼓動(こどう)が激しく、手が震(ふる)えて汗(あせ)ばんでいる。

 気を失っている間に見た夢のせいだろうか、心をかきむしられるようなこの悲しみはなんだろう。

 わけもわからずに、セイラは膝(ひざ)を抱(かか)えて顔をうずめた。

 西から張り出してきた黒雲が、上空を覆(おお)いつくす。

 差し込む光はどこにも見えなかった。


   


 篁(たかむら)たちを乗せた牛車(ぎっしゃ)が、道の途中で止まった。

 御者(ぎょしゃ)が車を降りて、のぞき窓から声をかけてくる。

「若君。嵯峨野(さがの)に入りましたが――」

「だから、謝(あやま)っただろ!綺羅さんに言えば絶対ついてくると思ったから、言いたくなかったんだ!」

「なによそれ!あたしがついてくれば、まずいことでもあるの?」

「あるさ!危ない目にあうかもしれないところに、好きな人を連れて行きたいはずないだろ!あっ……ごめん」

「篁……」

「あのーっ、嵯峨野に入りましたが、これからどこへ向かえばよろしいので……?」

「あっ、そうだな。うーん……」

 腕組みをして考え込んだ篁を、綺羅(きら)姫は愚弟(ぐてい)を見るような目つきで、

「しっかりしてよ。嵯峨野って言っても広いのよ。くわしいこと聞いてないの?」

「そんなこと言われても……ただ、理空(りくう)殿を嵯峨野に連れて行くとしか……セイラだって、それ以上のことは知らないはずだよ」

「でも、セイラさまは神剣(しんけん)を持っています。だから……」

 ナギが言いたいことは、篁にもわかった。

「そうか、神剣同士は近づくと感応(かんのう)しあうんだったね。セイラなら、それで理空殿を捜(さが)し出せるかもしれないけど、ぼくたちは……」

 眉(まゆ)を寄せて黙り込んだ篁の横で、綺羅姫の目が吊(つ)り上がっていく。

「あんたまさか、ここまで来てあきらめるっていうんじゃないでしょうね!」

「誰もそんなこと言ってないだろ!」

「オレ、ちょっと外のようすを見てきます」

 険悪(けんあく)な雰囲気(ふんいき)から逃れるように、牛車を降りたナギの目に曇天(どんてん)が映(うつ)った。

 その曇天を切り裂(さ)いて、東から西へ、大きな気と小さな気が通った跡(あと)がくっきりと見えた。

「あいつ……っ!」

 ナギは吐(は)き捨てるように言って、牛車(ぎっしゃ)の御簾(みす)を撥(は)ね上げた。

「篁さま、真純(ますみ)がセイラさまを追ってる!早く牛車を出してください!」

「おまえ、どうしてそんなことが……」

 とまどう篁を押しのけて、綺羅姫が身を乗り出してきた。

「真純って、セイラが預(あず)かってる女の子だって言ってたわね。その子に、セイラを追いかけるなんてできるの?」

「あいつは水を操(あやつ)れるんです!邸(やしき)の池の水を、宙(ちゅう)に浮かべて乗っているのを見たことがあります!」

「すごいのね、その子……わかったわ。ナギは、二人がどっちへ向かったかわかるの!?」

 ナギがうなずくと、綺羅姫はほっと吐息(といき)をついて、

「じゃあ、おまえが行く先を指示してちょうだい!」


   


 神剣の反応(はんのう)が強くなってきた。

 このあたりは、もう奥嵯峨(おくさが)。

 ちらほらと寺社(じしゃ)や貴族の別荘が点在(てんざい)するだけで、民家はほとんどない。

 その中で、構(かま)えは大きいが没落(ぼつらく)して見る影もない貴族の邸に、セイラの目がとまった。

 神剣の反応は、その邸を指(さ)し示していた。

「あそこか……」

 狙(ねら)いを定め、上空から一気に急降下するセイラの眼前に、突然飛び出してきた者がいた。

「セイラさま、見つけた!」

「真純(ますみ)――!?」

 女の子の身なりを嫌(いや)がり、相変(あいか)わらずの水干(すいかん)姿で、裸足(はだし)のままぷよぷよした水の塊(かたまり)のような乗り物に乗っている。

「なぜ、こんなところに来たんだ!」

 セイラに怒鳴(どな)られると、真純は首をすくめて、

「だって、ナギがセイラさまは嵯峨野に行ったって……嵯峨野には、セイラさまをいじめる悪い鬼がいるって言ってた。だから、わたしが助けてあげようと思って……」

 セイラは深いため息をついた。

「もし、私の方が悪い鬼だったらどうする?」

「セイラさまは悪い鬼じゃない!わたしは、悪い鬼だけど……」

「こっちへおいで」

 うつむいた真純の頭にそっと手をおいて、セイラはめざす邸とは離れた方向に降りて行った。

 雑草が生(お)い茂(しげ)る荒れはてた山寺の境内(けいだい)で、セイラは胸ほどの高さに浮かんでいる水の乗物に、称賛(しょうさん)の目を向けた。

 そこから真純を降ろし、片ひざをついて目を合わせながら、

「いいかい、真純は悪い鬼じゃない。とても勇気のある心のやさしい女の子だ。それを、どんな時も忘れてはいけないよ」

「勇気のある、心のやさしい……」

「そうだよ。だから、自分のことを鬼だなんて言ってはいけない。私は、昔のことを覚(おぼ)えてないんだ。もしかしたら、とても…悪いことをしていたのかもしれない」

 目を伏(ふ)せたセイラの、けぶるようなまつ毛が震(ふる)えているのを、真純は瞬(まばた)きもせず見つめていた。

「でも、わたしはセイラさまが好きだよ!」

「ありがとう、私も真純が大好きだよ」

 微笑(ほほえ)んで、真純の頭を撫(な)でながら、

「過去になにがあったとしても、それを受けとめ一命を賭(と)して償(つぐな)う覚悟はできている。でも今は……やらなければならないことがある。ここで死ぬわけにはいかない」

 狩衣(かりぎぬ)の袖(そで)を、ぎゅっと握(にぎ)りしめた真純の小さな手を、セイラは両手で包(つつ)みこんだ。

「心配しなくても、私は強いから真純の助けがなくても大丈夫。だから、私が戻るまでここでおとなしく待っていてくれ」

「う…ん」

 パーン!と音がして、突然水の乗り物が弾(はじ)けた。

 考える間もなく、反射的に真純を後ろにかばって、セイラが振り向くと――

 寺の本堂の下に、烏帽子(えぼし)をかぶった直衣(のうし)姿の男がいた。

「嵯峨宮(さがのみや)っ!?」

 嵯峨宮はパチパチと拍手(はくしゅ)しながら、二人の方へ近づいてきた。

「いやー、感動的なお話でした。『王家』の皇子(おうじ)ともなると、言葉に説得力がありますね。だが私に言わせれば、人には生まれ持った宿命(さだめ)というものがある」

「なにが言いたい?」

「どうあがいても、鬼に生まれついた者は鬼、そして偽善(ぎぜん)者は偽善者だということです」

 すうっと赤みを帯(お)びたセイラの目に、峻烈(しゅんれつ)な光が差(さ)した。

「ではあなたも、生まれながらの暗殺(あんさつ)者だと言うのか?」

「私には、もっと別の宿命(さだめ)があった……」

 愁(うれ)いに沈(しず)んだ嵯峨宮の瞳(ひとみ)に、黒い炎が揺(ゆ)らめく。

「それを変えたのはあなただ!」

「真純、ここから離れろ!早く――っ!!」


     


 セイラは叫んで、手のひらから立て続けに気弾(きだん)を放った。

 上空に逃(のが)れた嵯峨宮(さがのみや)が、お返しとばかり雨霰(あめあられ)と閃光(せんこう)を浴(あ)びせかけてくる。

 なす術(すべ)もなく、呆然(ぼうぜん)と立ちつくす真純(ますみ)。

「なにをしてる!早く行くんだ――っ!」

 セイラは頭上(ずじょう)に磁気(じき)シールドを張りながら、もう一度叫んで真純の胸を突(つ)いた。

 混乱(こんらん)と恐怖の入り混(ま)じった目で、真純は反対側の山門(さんもん)を目がけて走っていく。

 それを見届(みとど)けると、セイラは一気に攻勢(こうせい)に出た。

 あたり一帯(いったい)がまばゆい光につつまれ爆音が響(ひび)き渡(わた)る中、セイラと嵯峨宮は、おたがいの気配(けはい)を頼りに本堂(ほんどう)へ向かって疾走(しっそう)していく。

 もうもうと舞い上がる煙(けむり)、飛びかう閃光(せんこう)、炸裂(さくれつ)する火球弾(かきゅうだん)。

 やがて――

 静寂(せいじゃく)が訪(おとず)れ、にらみ合ったまま対峙(たいじ)する二人の姿が見えてきた。

 激しい戦闘(せんとう)の後だというのに、二人とも息ひとつ乱(みだ)れていない。

「清凉寺(せいりょうじ)では世話になったね。あまりいい趣味(しゅみ)とは言えなかったが……」

「なに、少しでもお役に立てればと思っただけですよ」

「確かに、時間がほしいと言ったのは私だ。なにも思い出せずにいる私を恨(うら)む気持ちはわかるが、関係ない者まで巻きこむのはやめてもらおう。柄岩(つかいわ)島から連れてきた僧(そう)をどうした?」

「別に縛(しば)りつけてはいませんよ。眠らせてあるだけです。もともと、私はあなたをおびき出すための石さえ手に入れればよかった。あの僧が強情(ごうじょう)に拒(こば)んだりしなければ……」

「では、決着(けっちゃく)がついたら僧と石は引き取らせてもらう」

「ご自由に……それまで、あなたが生きていればの話ですが……」

 セイラは、胸を撫(な)でおろした。

 理空(りくう)の命と引きかえに、おまえの命を差し出せと言われても仕方(しかた)がないと思っていた。

「少なくとも、あなたは根っからの悪党ではなさそうだ」

「フッ。右腕の一本も折(お)ってもらおう、と言えばお気に召(め)しましたか?」

「私が、素直(すなお)に言うことを聞くとでも……?」

 セイラは微笑(わら)った。

 こんな風に敵として出会わなければ、嵯峨宮ともっと別の関係が築(きず)けたのかもしれない――そんな気がした。

 空が光って、低いうなり声のような雷鳴(らいめい)が、雨雲の中を大蛇のように渡っていく。

 ぽつぽつと降り出した雨も目に入らないかのように、二人は息を殺して、おたがいの出方(でかた)をうかがった。

 いきなり、両者は真っ向(まっこう)から激突(げきとつ)した!

 近距離で競(せ)り合いながら、一塊(ひとかたまり)になって上空へ駆(か)け上(のぼ)っていく。

 パシーン!という鋭(するど)い衝撃(しょうげき)音がして、二人はパッと左右に別れた。

 息つく間もなく、離(はな)れぎわにセイラの放った気弾(きだん)が嵯峨宮に襲(おそ)いかかる。

 嵯峨宮の両手のひらから生(しょう)じた火球が気弾(きだん)を飲み込み、屋上のセイラに迫(せま)った。

 ――間一髪(かんいっぱつ)!

 セイラは上空に飛んで、爆発を逃(のが)れた。

 寺の屋根には、大きな穴がうがたれている。

 嵯峨宮はなおも執拗(しつよう)に閃光(せんこう)を打ち続け、セイラは空の高みへ、高みへと追いやられていった。

 ――その時!

 あたり一帯(いったい)が白く染(そ)まり、バリバリバリッ!という耳を聾(ろう)さんばかりの雷鳴が轟(とどろ)いて、雷(いかずち)がセイラを直撃(ちょくげき)した!

「うわああ――っ!!」


   


 その少し前――

 一輌(いちりょう)の牛車(ぎっしゃ)が、車輪(しゃりん)も外(はず)れそうな勢(いきお)いで寺の山門をくぐった。

「いた!セイラさまだ!」

 御者台(ぎょしゃだい)にいるナギの声に、篁()たかむらと綺羅(きら)姫は牛車から飛び出した。

「どうしよう……もうはじまってるわ」

「こうなってしまったら、ぼくたちにはどうすることもできないよ」

 ――と、その時、

 強烈な稲光(いなびかり)が、その場にいた者の視力を奪(うば)った。

 耳をつんざく雷鳴が轟(とどろ)く中、篁はとっさに綺羅姫をかばってしゃがみこんだ。

 直後に、山門の茂(しげ)みががさごそと動いた。

 ぎょっとして、三人が視線(しせん)を集めた先に、真っ青な顔をした真純(ますみ)がいた。

「真純!おまえ、どうしてこんなことしたんだ!」

 ナギが叱(しか)りつけても、真純は怯(おび)えた目で上ばかりを見ている。

「あ、あれ……」

 真純が指さした方角を、三人が見上げると――

 寺の屋根から立ち上(のぼ)る黒煙(こくえん)が見え、そのはるか上方で、磔(はりつけ)にされたように四肢(しし)を伸ばし髪の毛を逆立(さかだ)てたセイラが、全身を痙攣(けいれん)させていた。

 そのまわりでは、バチバチと音を立てて火花が飛び散っている。

「キャーッ!」

 綺羅姫は、思わず叫んで顔をおおった。

「真純、セイラさまになにがあったんだ!?」

「雷さまに、打たれた……」

「なんだって――!」

 愕然(がくぜん)とする篁が見つめる先で、セイラの首がガクッと折(お)れ、撃(う)たれた鳥のように落ちてくる。

「危ない!」

 真純は叫んで、今にも屋根に激突(げきとつ)しようとしているセイラの身体(からだ)の下に、雨を集めた。

 雨は等身大(とうしんだい)ほどの塊(かたまり)となり、ぷよぷよとした弾力(だんりょく)をもってセイラと屋根の間の緩衝材(かんしょうざい)になると、受けとめてゆっくりと降りてきた。

「よくやった、真純!」

 ナギは叫んで、真っ先に駆け出した。

 次(つ)いで篁が、その後から綺羅姫と真純が続いた。

 地上に降りた雨の塊(かたまり)の上に、ぐったりと横たわるセイラ。

 その身体(からだ)には、青白い光がまとわりついている。

 ――これはなんだ?白く光っている、この靄(もや)みたいなものは……。

 かがんでようすを覗(のぞ)きこんでいた篁の耳に、かすかなうめき声が聞こえた。

「セイラ、しっかりしろ!ぼくの声が聞こえるか!?」

「篁、セイラは……?」

 後からきた綺羅姫が、おそるおそる尋(たず)ねる。

「ああ、弱々しいけど息はある」

「よかった……」

 安堵(あんど)する綺羅姫に、篁は背中を向けたまま厳(きび)しい口調(くちょう)で言った。

「安心するのはまだ早いよ、綺羅さん。この身体で嵯峨宮と戦ったら……」

 篁は奥歯を噛(か)みしめて、周囲を見渡(みわた)した。

 セイラが気を失っている今が、攻撃をしかけてくる好機(こうき)のはずなのに、嵯峨宮の姿が見当たらない。

 おかしいと思いつつも、この機会(きかい)を逃(のが)す手はなかった。

「とにかく、このままじゃセイラが雨で濡(ぬ)れてしまう。ひとまず寺の中に運ぼう」

 そう言って、セイラを抱(かか)え上げようとした時――青白い光が、一瞬にして篁を包(つつ)んだ。

 カッと見開いた篁の目が急速に閉じていき、セイラの上にばったりと倒(たお)れこむ。

「篁――っ!」

「篁さま!」

 なにが起きたのかもわからず、綺羅姫とナギは篁を助け起こそうとした。

 次の瞬間――経験したことのない強烈な刺激(しげき)と痛みが身体(からだ)を駆(か)け抜け、篁が倒れた理由を二人は身をもって思い知らされることになった。

 ひとり、真純だけがその場に残された。

「みんな……どうしたの?」

 声をかけても、誰からも返事がない。

 空が光っては鳴るたびに、耐(た)え難(がた)い心細(こころぼそ)さが押し寄せてくる。

「ナギ!セイラさまの上で寝たらダメだよ、叱(しか)られるよ!」

 無理やりナギを揺(ゆ)り起こそうとして、真純はその手を止めた。

 青白く光るその身体に、なぜか触(ふ)れてはいけない気がした。

 泣き出したい気持ちに追(お)い打ちをかけるように、雨が強くなってきた。

「ダメ――ッ!みんな寝てるのに、濡(ぬ)れたら病気になってしまう!!」

 小さな身体で、真純は倒れている四人をかばうように両手を広げた。

 とたんに、雨がピタリと止んだ。

 いや、止んだのではない。

 真純を中心とした十間(じゅっけん=約十八メートル)四方の空間を避(さ)けるように、雨は途中で方向を変えながら、今も激しく降り続いている。

「わたし…どうしたらいい?セイラさま……ヒック、おじさん、ヒック……」

 泣きじゃくる真純の目に、セイラの身体の下で身を震(ふる)わせている雨の塊(かたまり)が見えた。

「おまえは、そこにいていいよ」

 真純は少しだけ笑って、自分が作り上げた空間を見上げた。

「こんなことしたの、はじめて……でも、長くはできないから、雨がかからないところにセイラさまたちを連れて行かないと……おまえ、大きくなってみんなを運べる?」

 すると、雨の塊は平たく伸(の)びて、四人の身体を地上からわずかに持ち上げた。

「よかった!そこのお寺の中まで運んでね」


  次回へ続く・・・・・・  第五十九話へ   TOPへ