第四十七話


 綺羅(きら)さんは、さっそく一本の串(くし)にかぶりついた。

「このお肉、やわらかくておいしい!」

「それは、鹿肉(しかにく)を焼いて薄切りにしたもの。喜んでいただけてなによりです」

「これが鹿肉!?どうしたらこんなにやわらかくなるの?それに、臭みもないわ……」

「これ、なんだろう」


 ぼくが手にした太い串には、茶色い団喜(だんぎ=だんご)を平べったくしたようなものが刺してあった。

「はあ。そばの粉を練(ね)って丸め、一度あぶって荏胡麻(えごま)のたれをかけたものを、もう一度あぶったものです」

 ほおばると、そばの香りと荏胡麻の独特な風味(ふうみ)が口の中いっぱいに広がる。

「都にはない味だ……でも、うまい!」

 ぼくたちが次から次へと料理を口にしていると、お椀(わん)よりもひとまわり大きい、透明な器(うつわ)に入った赤い飲み物が運ばれてきた。

「わあ、きれいな色。それにこの器は……」

 綺羅さんがしげしげと器をながめていると、運んできた邑(むら)の女が声をかけて微笑(ほほえ)んだ。

 それは、ぼくたちにはまったくなじみのない言葉だった。

「ねっ、なんて言ったの?」

 邑長(むらおさ)に尋(たず)ねる綺羅さんに、答えたのはセイラだった。

「これは山ぶどうの酒だから、あまり飲みすぎないようにって言ったんだ」

「セイラ、言葉がわかるの!?」

「ああ。ひどく訛(なま)ってはいるが、私がよく知っている言葉だ」

「まさしく……われらは、神から言葉を教わったと聞いております」

 平伏(へいふく)する邑長に、セイラはこわばった顔で、

「では聞くが、邑長にはどうして私たちの言葉がわかる?結界(けっかい)の外には出られなかったはずだ」

「それは先ほど……あ、いや」

 邑長はぼくの方をちらっと見て、言ってもいいものかどうか、とまどっているようすだった。

 確かに、この展開(てんかい)はまずい……。

 でも、ここで話をそらすのはなおさら不自然だ。

 それに……いくらセイラだって、どこの誰とも知れない者を追いかけようとは思わないだろう。

「昨年の春ごろでしたか……どこからか旅の男が迷(まよ)いこんできまして、半年ほども邑にいたでしょうか、ふいに姿が見えなくなりました。言葉は、その時に旅の男から――」

「どんな男だった!?名まえは……?」

「はあ、聞いております。確か……」

 ぼくはぎょっとした。

 なんて考えが甘かったんだ!

 言葉を教わるほど邑にいたなら、名まえくらい聞いていたはずだ!

 で、でも…どこにでもあるような名まえだったら……。

「メイリ、さまと……」

 メイリ?……明理(あきまさ)か?……どこかで聞いたような……。

 尹(いん)の宮の名まえだ――!!

 突然、セイラが狂ったように笑い出した。

 ぼくも綺羅さんも、セイラがおかしくなったんじゃないかと本気で思ったほどだ。

「どっ、どうしたんだい、セイラ?」

「わかったんだよ、篁(たかむら)。尹の宮が最後に言った言葉の意味が……」

「尹の宮が最後に言った……あっ!」

 ――あなたが私を殺しにくる時まで、この命はお預(あず)かりしておく。

 あの時セイラは、尹の宮がそう言ったと話していた。

 じゃ、セイラが殺しにいく理由というのは――!

「決定的だね。あの石…いや剣が、ただの玉だったはずがない。すりかえられたんだ。口伝書(くでんしょ)のことをよく知っている者なら考えそうなことだ。尹の宮が持っていた懐剣(かいけん)…私が衣(ころも)の上から握(にぎ)りしめたものが、探していた神剣だったんだ!」

「あの、セイラが取り込まれそうになったっていう……?」

 もし、握りしめたのが衣の上からじゃなかったら……。

 そう思うと、ぼくは今さらながらぞっとした。

「ああ。こんなことに今まで気づかなかったなんて、自分のまぬけぶりに腹が立つよ。昨年の春から秋にかけてなら、尹の宮がまだ参内(さんだい)する前だ。亡くなった母上に、ある程度この場所のことを聞いていたんだろうな」

 セイラはクスクス笑いながら言って、懐(ふところ)から扇(おおぎ)の燃え残りを取り出した。

「焼け跡(あと)から懐剣は見つからなかった。尹の宮は、まだ神剣を持っている……」

 さっ、最悪の展開(てんかい)だ――!

「セイラは、まだその神剣を探すつもり!?取りこまれそうになったのにっ!?」

 いきなり、綺羅さんがセイラに噛(か)みついた。

 いつの間にか山ぶどう酒を飲みほしてしまっていた綺羅さんは、赤ら顔をして目がすわっている。

「き、綺羅姫、少し飲みすぎたんじゃ……」

 たじろぐセイラに、綺羅さんはからになった器を見せて、

「これ?ふふふっ…山ぶどうのお酒なんて大したことないわ。邑長、おかわりちょうだい!」

 完全に酔っぱらっていた。はあ……。

「だいたい、セイラにはあたしたちがどれほど心配したか、わかってないのよ!すっごく怖くって、でもなんとかしなきゃって……」

 今度はめそめそ泣き出した。

 綺羅さん、お願いだから…それ以上言ったらダメだ!

「怖い…?なにがそんなに怖かったの、綺羅姫………綺羅姫?」

 急に静かになったと思ったら、綺羅さんはうつむいたまま眠っていた。

「綺羅さんの言うとおりだよ、セイラ。もう神剣を探すのはやめた方がいい。それを手にしたら、今度こそ本当に取りこまれてしまうかもしれないんだよ」

「篁は吹き出したくせに……」

 そうだよ、あの時ぼくは本気にしていなかった。

 笑い飛ばして、そんなものがこの世の中にあるもんかって……。

「どうして、気が変わった?」

 セイラはもう笑っていなかった。

 心の中までのぞき込むような目で、まっすぐにぼくを見ている。

「そ、それは……か、神奈備(かむなび)の神剣なら……その、なにがあってもおかしくないっていうか……」

 しどろもどろのぼくの答えを、セイラは変に思わなかったろうか。

 ぼくたちは、おまえの中にいる神を見てしまったんだ、セイラ――!

「わかった。話の続きはまた後でしよう、篁」

 セイラはそう言って立ち上がった。

 それから眠っている綺羅さんを抱(かか)え上げ、邑長に案内されて寝所(しんじょ)へ運んでいった。

「あれ、セイラは?」

 戻ってきた邑長に尋(たず)ねると、セイラはひとりで散歩に出かけたという。

「こんな遅(おそ)くに?」

「は、はあ。少し考えたいことがあると言われまして……」

「そうか……」

 セイラはこれからどうするつもりだろう。

 ぼくは、そのことばかりを考えていた。


   
 ◇    ◇    ◇


 ――ぼくたちは……中に…神を見てしまったんだ!

 それは、セイラの心にいきなり飛び込んできた。

 潜在(せんざい)意識の表層(ひょうそう)で、はっきりと読み取れるほどに言語化された篁の思念(しねん)。

 心を読むつもりなどなかった。

 それでも、人の心を盗(ぬす)み見てしまった後味(あとあじ)の悪さと、神を見た――という衝撃的な事実がセイラを苦しめた。

 ――篁、なにを隠(かく)している……なぜ私になにも言ってくれない!

 月のない夜空を見上げながら、セイラはこれまで感じたことのない孤独感を味わっていた。

 ――ドォーン!

 その時、夜の静寂(しじま)を破って、森の奥から鈍(にぶ)い爆発音のような音が聞こえた。

 爆発音はもう一回、さらにもう一回。

 ――なんだ、今の音は……。

 嫌(いや)な予感に突き動かされて、セイラは音のした方角だけを頼(たよ)りに、不慣(ふな)れな森の中を飛ぶように走った。

 突然、ぱっと視界(しかい)が開けた場所に出た。

 目の前には川が流れている。

 川幅が広い割(わり)には、水量はそれほど多くない。

 川底がやっと隠れている程度だ。

 ――切り出した木を運ぶために、川幅を広くしたのか?

 そう思った時、上流からゴォーっと音を立てて、黒々とした巨大な物体が押し寄せてきた!



    
    


 川幅(かわはば)をせましと猛(たけ)り、うねっては牙(きば)をむき、ことごとくを飲みこんでいく。

 それがおびただしい流水だとわかると、セイラは事態(じたい)が差し迫(せま)っていることを察知(さっち)した。

 ――このままでは、下流の邑(むら)が全滅(ぜんめつ)する!

 すぐさま宙(ちゅう)を駆(か)け、押し寄せる流水の前でセイラは両手を突き出した。

 手のひらから放出されたなにかが、突進(とっしん)してきた流水の熱量を瞬時(しゅんじ)に奪(うば)い凍(こお)らせていく。

 またたく間に氷の壁(かべ)ができあがり、流水の勢(いきお)いを一時は防(ふせ)いだかに見えた。

 だがそれもつかの間、次々と壁を乗り越えてくる流水の猛進(もうしん)はおさまりそうにない。

 セイラは後方に下がりながら二度、三度と氷の壁を作り、水の勢いを削(そ)いでいった。

 邑はずれの家々が見えてきた頃、四度目の氷の壁を越えてくるものはなかった。

 ふうっと肩で息をしたセイラは、出水の原因を確かめようと川を遡(さかのぼ)った。

 漆黒(しっこく)の森を貫(つらぬ)いていく白虹(はっこう)――その軌跡(きせき)はまさに、空にかかる虹のようだった。

 その白虹の突き進む先に、立ちふさがる影があった。

「ずいぶん手間取っていましたね。あなたらしくもない」

 暗くて顔はよく見えなかったが、その声にセイラは聞き覚(おぼ)えがあった。

 鴨川(かもがわ)の濁流(だくりゅう)から助けてくれた、あの貴族だ。

 声の印象からして二十歳前後だろうか、猛禽類(もうきんるい)を思わせる鋭い目だけが異様(いよう)な輝きを放っている。

「誰かと思えば、あなたですか。まさかこの洪水(こうずい)もあなたが……?」

「とんでもない。原因は、あの堰堤(えんてい=ダム)が耐久(たいきゅう)年数をとうに越えてしまっていたことですよ。ごらんなさい」

 男は悠然(ゆうぜん)と宙に浮いたまま、自分の後ろにある構造物を指さした。

 セイラが近づいていくと、男の言う通り、堤防(ていぼう)の上半分が見る影もなく決壊(けっかい)していた。

 ――ビィードの正体はこれか。だとすると、これが作られたのは数千年前……。

 跡形(あとかた)もなく分解して、粉々になっていてもおかしくない年月だった。

 ――それが、なぜ今になって突然……。

 もし結界が破られたことと関係あるのだとしたら、この堰堤(えんてい)もその役目を終えたということか。

 あるいは時の摂理(せつり)が、時代にあるはずのないものを許さなかったのかもしれない。

「崩壊(ほうかい)した管理棟(かんりとう)の中にいた者も、とっくに逃げていきました。それにしても不思議な邑だ。この時代に発電用の堰堤があるだけでも驚きなのに、作られたのがもっと以前だったとは……この邑には、あなたがわざわざ訪れるほどの価値が他にもあるのでしょうね」

「ああ、串(くし)焼きはなかなかの味でしたよ。それよりも私には、あなたが私たちをつけていたことの方が驚きですね。気配(けはい)は感じなかったのに……」

「ずっとつけていたわけではありません。あなた方の行き先はわかっていたし、それがどんなところかも……ここは、私がこの世界にやってくる時に指定された座標(ざひょう)。もちろん、あなたの目的もここにある。あの忌々(いまいま)しい結界(けっかい)のせいで、邑の存在まではわかりませんでしたが……ああ、結界は解いてくれたんですね。それで……?」

 なごやかな口調から一転して、男は全身に殺気をまといはじめた。

「目的は、達せられましたか?」

「それを知って、どうするつもりです」

「目的が達せられたのなら、私は自分の仕事を急がねばなりません。あなたが元の世界に帰ってしまう前に……」

「自分の仕事……?」

「あなたを殺すことです。レギオン皇子」

「レギオン……それが、私の名まえだと?」

 男は失望(しつぼう)のため息をついて、

「そのようすでは、まだ記憶を取り戻せていませんね……まったく!いつまで眠っていれば気がすむんだ。いいかげん目を覚(さ)ましたらどうだ!!」

 男の指先から閃光(せんこう)が放たれた瞬間――

 セイラは額(ひたい)に錐(きり)で穴をあけられたような痛みを覚え、それと同時に激しいめまいと吐き気に襲(おそ)われた。

 目の前に黒い霧(きり)がかかったように、しだいに気が遠くなっていく。

 意識を失くしたセイラの身体は、崩落(ほうらく)した堤防(ていぼう)に墜落(ついらく)した。

 男は闇(やみ)をすべるように近づいてきて、瓦礫(がれき)の上につま先で降り立った。

「レギオン・セイラ=ロシュフォール、それがあなたの名まえです。思い出していただけましたか?」

 ――レギ、オン……ロシュフォー、ル……。

 まるで知らない人間の名まえのように、それはセイラの心に空々(そらぞら)しく響いた。

 倒(たお)れたままなんの反応も示さないセイラに、男は焦(じ)れてチッと舌を鳴らした。

「やはり、中枢(ちゅうすう)神経に衝撃(しょうげき)を与えただけではだめか……いや――」

 濃い落胆(らくたん)の色を拭(ぬぐ)いさって、男は顔を上げた。

 その全身から青黒い波動(はどう)が噴(ふ)き出して、焔(ほのお)のように揺(ゆ)らめきはじめる。

「それならそれで、こちらには好都合というもの。記憶が戻ったあなたには歯が立たなくとも、今のあなたなら殺せる。赤子の手をひねるようなものだ。クックック……」

「……なら、どうしてそうしない!?なぜ私を助けるようなまねをする!?」

 やっとのことで起き上がり、切れた額から流れ出す鮮血を乱暴にぬぐって、セイラは男を睨(にら)みつけた。

「殺さないとは言っていませんよ。でもその前に、あなたにどうしても聞きたいことがあった。そのあなたが記憶を失くしているとは……しかもこんなところで……」

 くぐもった低い笑い声が、男の唇(くちびる)からこぼれた。

「誰にやられたかは知らないが、少し油断(ゆだん)が過ぎませんか?レギオン皇子」

「そう言われると、返す言葉もない」

 セイラは苦笑(くしょう)して立ち上がった。

「まだ、あなたの名まえを聞いていませんでしたね」

「……嵯峨宮(さがのみや)」

「嵯峨宮?皇族(こうぞく)に能力者がいたとは驚きだ!」

 セイラは皮肉な笑みを浮かべて、目に辛辣(しんらつ)な光をともした。

「本物の嵯峨宮はどうしたんです?」

「死にましたよ」

「―――っ!」

「でも、やったのは私じゃない」

 嵯峨宮と名のった男はにやりとして、

「私がしたのは、寿命(じゅみょう)が尽(つ)きかけていたあの男の最後を看取(みと)り、記憶をのぞいて姿を借りただけだ。あなたのように人目に立つわけにはいかないので……さあ、退屈(たいくつ)な話はこれくらいにして、そろそろはじめましょうか」

 言うなり、男は瞬時(しゅんじ)にセイラの胸元に飛び込んで、みぞおちに強烈な当て身を食らわせた。

 くの字になって後方に吹き飛んだセイラの頭上から、すかさず首筋(くびすじ)に両こぶしを叩(たた)きつける。

 不意(ふい)を突かれたセイラはなす術(すべ)もなく、崩(くず)れかけた管理棟の屋上に激突(げきとつ)した。

「やってくれますね」

 ゆらりと立ち上がったセイラの身体(からだ)からほとばしる波動が、周囲の空間を帯電(たいでん)させていく。

 そこら中で青白い光がバチバチと音を立てて爆(は)ぜ、鼻をつく刺激臭(しげきしゅう)があたりに立ち込めた。

 強力な磁場(じば)の力で屋上が建物から引きはがされ、セイラをのせたまま上昇をはじめる。

「私を殺す理由はなんです?」

「頼まれたからですよ、ある男に……」

 上(のぼ)ってくるセイラを見下ろして、男は事もなげに言った。

「その男の名まえを聞いても無駄(むだ)でしょうね。報酬(ほうしゅう)は金ですか」

「金…?いいえ。あなたに報復(ほうふく)する機会(きかい)を与えられた、それこそ私にとってなによりの報酬――!!」

 男は手のひらほどの光球を、セイラ目がけて次々に打ちこんだ。

 あたり一面がもうもうとした煙で覆(おお)われ、砕(くだ)けた屋上の残骸(ざんがい)が四方に飛び散る。

 たとえ誰であろうと、その中で生き残っているのは到底(とうてい)不可能なことに思われた。

「やったか……?」

 男の心に油断(ゆだん)が生じたその時――

「私はここですよ」

 背後(はいご)から声がして、背中に手をおし当てられたとたん、

「ぎゃあ――っ!!」

 男は雷(いかずち)に打たれたような衝撃(しょうげき)を受け、真っ逆(さか)さまに貯水池(ちょすいち)に沈(しず)んでいった。

 波紋(はもん)を残して、静かになった水面(みなも)を見つめるセイラ。

 その目に、かすかな緊張(きんちょう)が走った次の瞬間――

 水位(すいい)が半分ほどになっていた池の水が干上(ひあ)がるほどの水蒸気爆発が起こり、セイラの身体ははるか上空に吹き飛ばされていた。


  
次回へ続く・・・・・・  第四十八話へ   TOPへ