第四十四話
「今は黙って……!安積(あさか)、牛車(ぎっしゃ)を出してくれ。できるだけゆっくりと……」
なにがどうなっているのか、わけがわからないまま、ぼくはセイラの言う通りにした。
牛車が老人の前を通り過ぎ、しばらくして後ろ簾(すだれ)から外をのぞいていたセイラがぼくを呼んだ。
「気づかれないように、ここからそっとのぞいてごらん。なにが見えるか……」
「あっ!」
切り株(かぶ)に、人が座っているのが見えた。
でもそれは、ぼろぼろの直垂(ひたたれ)を着た老人ではなく、烏帽子(えぼし)をかぶった直衣(のうし)姿の貴族だった!
「これは……どういうことだ!?」
ぼくは自分の目を疑(うたが)って、痛いほどまぶたをこすった。
「幻覚(げんかく)を見せられていたんだよ。視神経(ししんけい)に作用(さよう)するから、牛車の中にいた私と綺羅(きら)姫には効(き)かなかった。簾(すだれ)の隙間(すきま)からのぞいて、あの男がおまえの側にいるのを見た時はぞっとしたよ。下手(へた)に私が出ていけば、おまえを盾(たて)にとられそうで我慢(がまん)していたんだ。とにかくなにもなくてよかった」
「あいつ、ずっとぼくたちをつけてたのか!?なんのために――!?」
「おっ、落ち着いてくれ、篁(たかむら)」
ぼくの剣幕(けんまく)におされて、セイラは身体(からだ)を後ろに反(そ)らしながら顔を引きつらせた。
「そうよ!怒鳴(どな)ることないでしょ!」
「あっ………ごめん」
ぼくはどうかしてる。
変に気が高ぶって、身体が震(ふる)えて……。
いや、そうじゃない。ほんとはわかってる。
ぼくは怖(こわ)いんだ。怖くてビクビクしてる。
あんな凄(すご)いことができるやつに、どうやって立ち向かえというんだ……!
「あんたほどじゃないけど、あたしだってびっくりしたのよ。あんたがあの男をお爺(じい)さんだと思いこんで話してるのを聞いてて、頭がおかしくなりそうだったわ。だから……あんたが混乱(こんらん)する気持ちもわからなくはないけど……」
「うん……」
「大丈夫、あの男の狙(ねら)いは私だ。もし二人になにかするようなことがあれば、その時は私が全力で守るよ」
「セイラ……」
怖気(おじけ)づいてるのがバレバレだ。
恥(は)ずかしさで顔がほてってくる。
近衛少将(このえのしょうしょう)たるこのぼくが――情けない!
「あいつ、まだあたしたちを追ってくるつもりかしら?」
「……いや、そういう気配(けはい)は感じられない。この前の失敗を取り戻しにきたのかと思ったけど、そういうわけでもなさそうだし、一戦交(まじ)えるつもりもなさそうだ。篁じゃないけど、なんのために私たちをつけてきたのかな」
「敵だって言っておきながらセイラを助けてくれたり、道に迷(まよ)う忠告(ちゅうこく)までしてくれたり……ほんと、変な敵よね」
「なにか事情があるのかもしれない……」
セイラが考えを巡(めぐ)らせている時間は、そう長くはなかった。
次の難題(なんだい)が、すぐそこに迫(せま)っていたからだ。
「若君!セイラさま!この先はもう牛車(ぎっしゃ)が通れそうにありません。いかがいたしましょう?」
牛車を降りてみると、安積が言った通り、その先は道とも呼べないようなけもの道があるばかりだった。
茫茫(ぼうぼう)と生(お)いしげった雑草の丈(たけ)は人の腰の高さほどもあり、その奥には無秩序(むちつじょ)にからまりあった雑木が枝葉(えだは)をのばし、人の侵入(しんにゅう)をはばんでいるように見える。
「人が入らなくなってから、何年もたってる感じだな。あの男の言ったことは本当だったんだ」
ぼくは半(なか)ばやけくそで太刀(たち)を振りまわし、手前の雑草をなぎ払(はら)った。
「あたしたち、こんなところを通っていくの?」
ごくりと唾(つば)を飲み込んだ綺羅さんを見て、セイラは笑った。
「ここからは私ひとりで行くよ。篁と綺羅姫は――」
「もちろん、あたしたちも一緒よ!」
「当然だ!ここまで来て引き返せるもんか!」
ぼくたちの決意がゆるがないことを知ると、セイラは目を見張(みは)って、小さく吐息(といき)をついた。
「どうなっても知らないよ」
輝くばかりの笑顔が、そこにあった。
「で…?これからどうする?」
「おまえの太刀(たち)を貸してくれ」
セイラはぼくから太刀を受け取って、それに波動(はどう)を集中させはじめた。
太刀全体がまぶしいほどの輝きを放ち出すと、セイラはそれを高々と掲(かか)げて、裂帛(れっぱく)の気合(きあい)とともに振り下ろした――!
たちまち突風(とっぷう)が巻き起こり、ぼくたちは顔をおおってその場にうずくまった。
安積(あさか)が、風で飛ばされそうになっている鳶丸(とびまる)と乙矢(おとや)を抱(かか)え込むようにして倒れるのが見えた。
やがて突風がおさまった時、ぼくたちが目にしたのは――
「うわあ、道ができてる!」
無邪気(むじゃき)に喜ぶ綺羅さんの横で、ぼくは唖然(あぜん)とした。
道幅(みちはば)こそ一尺(いっしゃく=約三十センチ)ほどしかなかったが、一直線になぎ倒された草の道は、遠く雑木林の方まで続いていた。
「すっ、すごい……」
ぼくは、左大臣邸が真っ二つになった夜のことを思い出した。
セイラ……おまえが本気になったらどれだけのことができるのか、ぼくには想像もつかないよ。
「森の中に入ってしまえば、日の光は枝葉にさえぎられるから、下草はさほど気にならないはずだ。それじゃ、行こうか」
なに事もなかったように言って、セイラはぼくに太刀を返した。
まるで、ちょっとそこまで散歩してこよう――とでも言っているような口振(くちぶ)りだ。
思わずため息が漏(も)れる。
「この前みたいに、飛んでいかないのか?」
「飛ぶ?……どこまで?」
「ああ、そっか……」
そうだった、ぼくたちは神奈備(かむなび)がどこにあるかさえ知らないんだ。
鳶丸と乙矢、念のために安積を牛車に残して、ぼくとセイラは歩き出した。
元の姿に戻った黒角(くろつの)が、袿(うちぎ)をからげ、裾(すそ)をつぼめた壺装束(つぼしょうぞく)姿の綺羅さんを乗せてぼくたちの前を行く。
そしてぼくは、それから嫌(いや)というほど山歩きをさせられることになる。
何度も坂道を上っては下り、また上っては下る。
延々(えんえん)とその繰(く)り返しだ。平坦(へいたん)な道なんかどこにもない。
いいや、道と言う方が間違(まちが)ってる。
こんなのは、木と木の隙間(すきま)を縫(ぬ)って歩いてるだけだ。
本当に、この森の先に神奈備(かむなび)があるのか?
もし、黒角が道を間違(まちが)えていたら……。
歩き出してから二時(=四時間)、いや三時(=六時間)はたったろうか――
だんだん……息が切れて……足が、上がらなくなる……。
なのにセイラは、涼(すず)しい顔してどんどん前を行く。
あの細い体のどこに、そんな体力があるんだろう?
ちょっと、待ってくれ……セイラ……。
「ほら、私の手につかまって――」
差し出された手に、ぼくは一も二もなく飛びついた。
心強いその手に引かれて長い坂を上りきったところで、ぼくはもう一歩も動けなくなった。
「はぁはぁ。少し…休ませてくれ、セイラ……」
「そうだね。これ以上歩いても、無駄(むだ)かもしれない」
セイラはそう言って、ぼくが寄(よ)りかかっている木の幹(みき)に、燃え残りの扇(おおぎ)の柄(え)でシュッと引っかき傷をつけた。
「あれっ?今つけた傷の上に、同じような痕(あと)がある」
「それは、前にここを通った時、私がつけておいた傷だよ」
「前に通ったって……まさか、来た道を戻ってるんじゃ……」
――その時、ぼくたちの前を行っていた黒角が駆(か)け戻ってきた。
「セイラ!篁!この森、なんかおかしいわ!」
黒角にしがみついて、息を切らしながら綺羅さんが言う。
セイラは、落ちた市女笠(いちめがさ)を拾(ひろ)って、
「どうかしたの?」
「あたしたち、さっき大きな滝の前を通ったでしょ?」
「滝?ああ…そう言えば、そんなところを通った気もするけど……」
へとへとの頭で思い返してみると、うっすらとした記憶があった。
「この道をもう少し行った先に、そっくりな滝があるの!ううん、そっくりなんてもんじゃないわ。あれは、あたしたちが通ってきた滝よ!」
「綺羅(きら)さんの思い違いじゃないのか?疲(つか)れてるから、きっとそんなふうに思うんだよ」
「違うってば――!あたしたち、たぶん同じところをぐるぐる回ってるのよ!」
セイラは、木の幹(みき)につけた二つの傷痕(きずあと)を見つめた。
「黒角(くろつの)は、どう思う?」
『どうやら、狐(きつね)の森に入ったようです。獣(けもの)たちの話によれば、とっくに神奈備(かむなび)に着いていておかしくない頃なのですが……私の方向感覚も正常とは言えません』
「狐の森……か。なるほど、厄介(やっかい)なところだ」
目の前にのびてきたしなやかな手が、ぼくの手をつかんで勢(いきお)いよく引き上げた。
「とりあえずその滝のところまで行ってみよう、篁(たかむら)」
ところが、綺羅さんが言っていた滝は、どこにも見あたらなかった。
「変ねえ。確かこの辺だと思ったんだけど……ねえ黒角、この辺だったわよね?」
『往復(おうふく)にかかった距離からして、このあたりに間違いありません』
「そうよ。ちょうどこの辺に小川が流れていて、それであっちの方に……」
綺羅さんが指さした右の方には、密集した木々が青々とした葉を茂(しげ)らせていた。
「やっぱり思い違いだったんだよ」
ぼくはどっと力が抜けて、その場にへたりこんだ。
「いや、滝はあるよ」
そう言うと、セイラはなにを思ったか、綺羅さんが指さした方に向かって歩き出した。
黒角と綺羅さんがそれに続く。
仕方(しかた)なくぼくも後を追った。
「待てよ、セイラ!」
鬱蒼(うっそう)と葉の生(お)い茂(しげ)った樹木が日の光をさえぎって、あたりは夕暮れのような薄暗さだ。
それに、なんの音かはわからないけど、さっきから森の中がずいぶん騒がしくなっている気がする。
疲労(ひろう)と空腹と薄気味悪(うすきみわる)さを抱(かか)えてしばらく行くと、かすかに水の流れる音が聞こえてきた。
「小川があったわ!」
綺羅さんは黒角から下りて、幻覚(げんかく)じゃないことを確かめるように水に手を浸(ひた)した。
ひとまたぎで飛び越せるくらいの、その小川の先を目で追っていくと――
「綺羅さん、滝だ――!」
枝葉(えだは)にさえぎられて高さまではわからなかったが、かなりの量の水が滝つぼに落ちているのが見えた。
「そう、あの滝よ!でも……」
綺羅さんは怯(おび)えるような目で、たった今ぼくたちが歩いてきた方を振り返った。
「どうしてこんなに方角がずれたのかしら?同じ道を戻ってきたはずなのに……そうよね、黒角?」
『私にも、わけがわかりません』
「原因はこれだよ」
セイラは、捜(さが)しあてた木の幹(みき)に二本目の引っかき傷をつけて、草むらを指差した。
そこには、ぼくたちが辿(たど)ってきたのと同じ、細々としたけもの道が続いている。
「よく見ていてごらん」
「あっ!」
そのけもの道が、見ている前でにょきにょきとのびてきた草におおわれ、かき消えてしまった。
一陣(いちじん)のつむじ風が、その横に別のけもの道をつくっていく。
「どっ、どうなってるんだ!この森は……」
「まるで生きてるみたい……」
「こうやって、私たちはたぶん同じところを巡(めぐ)らされていたんだ」
――突然、ドサッとなにかが落ちる音がした。
見ると、綺羅さんが真っ青な顔で倒(たお)れている。
「綺羅さんっ!」
すぐにも助け起こそうとするぼくを、セイラが止めた。
額(ひたい)に手を当て、薬師(くすし)のように脈を診(み)て、
「熱はなさそうだから、長旅と山歩きの疲れが出たのかもしれない。滝つぼなら水も使える。このまま運んで少し休ませてやろう」
ぼくたちは、綺羅さんを滝つぼの近くまで運んだ。
柔らかそうな草むらに身体(からだ)を横たえ、濡(ぬ)らした小布(こぎれ)で顔を拭(ふ)いてやる。
そうしておいてから、ぼくとセイラは滝つぼで自分たちの喉(のど)をうるおした。
「はぁー、生き返ったー!こんなに水がおいしいと思ったことないよ。あれっ?」
思う存分(ぞんぶん)水を飲んで、人心地(ひとごこち)ついたところで顔を上げると、すぐ隣(となり)にいたはずのセイラの姿がない。
あたりを見まわしても、影も形も見あたらなかった。
「おーい、セイラ!どこだ――?」
「ここだよ、篁!」
声がした方を振り向くと、セイラは滝のすぐ側に立っていた。
「そんなところで、なにしてるんだい?」
「おもしろそうなものを見つけたんだ。こっちに来てごらん」
ずっしりと重くなった水腹を抱(かか)えてよろよろ行くと、滝の裏側に、人が通れそうなほどの岩が突き出ていた。
セイラは水しぶきで濡(ぬ)れているその岩をつたい、滝の真ん中あたりでぼくを手招(てまね)きしながら、
「ここに洞穴(どうけつ)がある。ちょっと中をのぞいてみよう」
そう言って、ぼくが行くのも待たずに中へ入って行った。
「待てよ、セイラ!岩が崩(くず)れてきたらどうするんだ!?」
洞穴はかなり大きなもので、ぼくたちは立ったまま、なんなく中に入ることができた。
「滝の裏側にこんなところがあったなんて、驚いたな……」
「これは、人の手でつくられたものじゃない。おそらく以前ここは地下水脈だったんだろう。昔は、水がここを通って滝に流れていたのかもしれない。そう言えば篁は、滝の水量が多い割(わり)には小川が一本しか流れてないのを、変だと思わなかったかい?」
「それは……まあ、確かに変だとは思ったけど、疲(つか)れててそれどころじゃないっていうか……」
「たぶん、滝つぼの下にも大きな地下水脈があって、水はほとんどそっちに流れていってるんだと思う。案外(あんがい)この地下水脈とも、以前はつながっていたのかもしれない」
ぼくは、ごつごつした岩肌(いわはだ)を手で触(さわ)りながら、
「じゃあ、この大きな岩山が地中から飛び出してきたって言うのかい?ははっ…セイラの想像力には、とてもついていけないな」
「大地震がおきれば、そのくらいの地殻変動は不思議でもなんでもないさ」
「チカク……ヘン、ドウ……?」
聞きなれないその言葉の意味を考える間もなく、セイラは洞穴の奥に消えていった。
「セイラ!ちょっと待てよ――!」
薄暗いながらも、洞穴のようすが見えていたのは入り口付近だけで、少し中に入ると後はもうなにも見えなくなった。
おまけに、結構(けっこう)な上り坂だ。
「こう暗くちゃ、なにかあったとしても見えないし、わからないよ」
洞穴の岩肌を手で伝い歩きながら、ぼくはぼやいていた。
「なあセイラ、もうそろそろ……」
「篁、あれをごらん」
前を行くセイラの声で、ぼくは正面の闇(やみ)を透(す)かして見た。
幻想的な金緑色の光が、洞穴の壁(かべ)一面に広がっていて壮麗(そうれい)な回廊(かいろう)を作り上げていた。
「明かりがあったよ」
クスッというセイラの笑いを無視して、ぼくは光の回廊に駆(か)け寄った。
「なんてきれいな……藻(も)…いや、苔(こけ)かな。でもどうして光ってるんだろう?それに、この下のほうで光ってるのは……」
顔を近づけてみると、わずか一寸(いっすん=三・三センチ)にも満たないそれは、見慣(みな)れた形をしていた。
「これ、きのこだ!小さいけどちゃんと傘(かさ)もある!こんなきのこ、はじめて見たよ!」
世にも稀(まれ)な光景に見とれるぼくの横を、セイラはどこか思いつめた顔で通り過ぎていく。
そのセイラが、ふいに立ち止まってしゃがみこんだ。
「私にも、明かりのご利益(りやく)があったよ」
「なにか見つけたの?」
「ああ。あってくれればと願っていたものだ」
セイラが見つけたのは、小さな布の切れ端(はし)だった。
「なにかのはずみで、衣(ころも)がちぎれた……のかな?でも、こんな物が落ちてるってことは……」
「そう。ここを通った者がいるってことだね」
「ここを通った……って、この洞穴(どうけつ)がどこかにつながってるっていうのか?」
「おそらく、神奈備(かむなび)に……」
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